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立浜高校探偵部  作者: 中上炎
探偵部の冒険
30/93

10.春色の習作⑤

 「才賀君…………私と結婚してくださいませんか?」


 夕日を浴びて真っ赤になった彼女の必死の言葉に、俺は思わず眉根を顰めていた。顰めざるを得なかった。


 この展開は流石の俺も想定外で、思わず思考がフリーズしてしまったのだ。


 ここは夕日を受けて赤く染まったバルコニー。既に放課後も大分過ぎてしまっていて、俺と彼女の他には誰もいない。まぁ、正確に言うのであれば、紫のバカがこっそりついてきて、今にも死にそうな顔で必死にこっちを伺っているのではあるが。


 「お前……正気か? 何かの罰ゲームか?」

 「いいえ。私は本気です」


 もちろん。頭脳明晰容姿端麗傲岸不遜な俺にとって、告白は珍しいことでは無い。で、たいていの場合はそもそも誘いには乗らないのだ。呼び出しに名前も書かないような相手なら会う価値もないと自分で言ってるようなものだし、書いてあるのなら尚更だ。


 告白とは自分でするものなのだ。……少なくとも、遊び以上の関係にはなり得ない俺の場合は。


 今回呼び出しに応じたのは特別だ。というか、俺も愛の告白だとは思わなかったのだ。


 「何を考えている?」

 「……私は……」

 「もう一度聞くぞ。何を考えているのだ、菫?」


 俺を呼び出したのは、幼馴染みの玉坂菫。もう一人の幼馴染み深井の婚約者だったのだから――


 俺がそう聞くと、菫は朗々と俺への愛を苦虫でも噛みつぶしたかのような顔で歌い始めたのである。




 ――神代が死んだ。


 それは俺にとっても大きな衝撃を与えるものだった。いくら俺でも知り合いが自殺するなんて体験はこれが初めてだ。まして、謎を残してとあれば尚更である。


 だが、そう感じたのは俺だけだったようで――


 数日過ぎた頃には、すっかり立浜高校も日常生活を取り戻していた。


 「才賀ぁぁぁ……僕は今まで女という物を知らなかった……」

 「……? お前が童貞なのは、見れば分かる」

 「そう言う意味じゃないよ!?」


 特に不快な馬鹿。深井は、やっぱり不快だった。


 「……深井先輩、大丈夫です! 深井先輩がモテないのは見れば分かりますっ! ここでは虚勢を張らなくても安心です!」

 「だからそうじゃないって紫ちゃん酷い! 僕にだって婚約者がいるんだよ!?」

 「でもでも! 童貞ですよね?」

 「そうだけど! だって菫とは結婚するまで清い関係で……ってそう言う話でも無くて!?」


 俺がアンニュイな気分に浸っていることなどお構いなしに、不快とバカが奇跡の共演を果たしていた。ちなみに、今の文藝部は部室の扉が夏の暑さ対策で開きっぱなしになっているのだ。外に筒抜けだろう。


 「そんなことより才賀! 君を見込んで頼みが――」

 「断る」

 「即答かよ!? せめて話くらい聞いてよ!?」


 俺が目線すら会わせずに即答すると、深井はいきなり挫折したのか慌てて肉を揺らして近寄ってきた。見ているだけで暑苦しい。


 「……先輩、いきなりそれは酷いんじゃ……」

 「だよねだよね! 紫ちゃんもそう思うよね!?」

 「はい! 形だけでも話を聞くのが社交辞令だと思いますっ!」

 「結局断るのかよ!?」


 当然だろう。さすがのバカも深井に付き合うと面倒なことになるということを学習したらしい。だが、甘い。このデブ、身体の動きは鈍重だが、口の動きだけは俊敏なのだ。


 ほら、案の定――


 「好きな女の子……いや、女が出来たんだ! 頼む才賀、紫ちゃん! 力を貸してくれェェェッッッ!!!」


 奴は大声で叫んだのだ。対する俺は諦めて天を仰ぐ。


 ――やっぱり、面倒なことになったじゃないか。


 同時に、部室はにわかにざわめきだした。忘れてはいけない。こんなデブでも、実家の力で婚約者が居るのだ。誤解の余地無き浮気宣言である。


 「って、玉坂先輩はどうするんですか!? 深井先輩の婚約者ですよね!?」

 「な、なんとかなるよ!? なんたって、僕の家は金持ちだからね!」


 思わず自分の表情が引き攣るのが分かった。


 こいつ、本当にどうしようもない男だ。確かに深井の実家は昨今の激変した経済環境の波に乗って大きく成長している。ビジネスよりも政治に重きを置いている俺の家とは違うし、古典的な商売が中心の玉坂家に至っては真逆の姿ですらある。


 しかしだ。


 「深井先輩……そこは”自分の力”で何とか”する”って言わないと駄目です……」


 その通りだ。今この時、俺は生まれて初めて紫と意見が一致していた。


 深井のデブは頭を下げると、全身の脂肪を振るわせて反省する。ただし、一瞬だけだ。次の瞬間には顔を上げると、誰も聞いても居ないのに語り出す。


 あぁ、なんと言うことだ。こいつ、よりにもよって――


 「生徒会の乙母……蘭! あぁ、僕は斯様に美しい女性を見たことがない! あの神代ですらモデルが務まるというのだから、彼女はまさに美の化身だろう! ギリシャ神話の愛の女神、アフロディーテのように高い身長と、それに相応しいだけの見事なプロポーションを誇っている! 水中をたゆたうように揺れる髪もさることながら、仕草全てに気品がある! 豊かな胸部は女性らしさの象徴であり、全男の憧れ!


 例え下着と制服に隠れていたとしても、その見目や微かな動きだけで誘惑するように僕の心を悩ますのだ! あぁ! あの夜からどれほどの回数月が昇っただろうか! 僕はそのたびに彼女のことを思って枕を濡らし――」

 「お前が巨乳好きなのはよく分かった」

 「先輩凄い! あの長い話を一言で纏めましたっ」


 これには流石の紫も冷たい視線を送っていた。


 馬鹿か深井。話題が胸だけだ。せめて、顔なり考え方なりの話くらいだしてやれ。呆れて物も言えん。


 俺達は熱狂するデブのあまりの醜態に思わず声を失っていた。すると、入り口から音が聞こえた。誰かが部室に入ろうとして、去って行ったようだ。その足音は心持ち、震えていたような気がする……。


 「それでだっ! 才賀! 紫ちゃん!」


 そんなことを一切気にせず深井はずいっと俺に近づいてきた。紫が思わず後ずさるのも気にしない。


 「この手紙をォォォォ! 生徒会のォォォ!!! 彼女にィィィ! 渡してくれェェェェェェ!!!」


 奴が鞄から取り出したのは……端的に言うとラブレターだった。奴なりに気を遣ったのか、形こそシンプルながらデザインは僅かに桜色に染められていて、それなりに洒落てはいる。


 「じゃ、頼んだぞ! 中は見るなよ! 見て良いのは彼女だけだからなァッ! 連絡先とか書いてあるんだからなァァ!! 吉報、待ってるからァァァァ!!!」


 言いたい放題好き勝手すると、奴は逃げるように走り去っていく。勘弁して欲しい。


 これで、俺達は渡さざるを得なくなったわけだ。




 その結果は……言うまでもないだろう。あの時の全生徒会員から向けられたゴミを見るような視線は忘れられない。乙母や森亜は勿論、壊れ目覚ましですら罵声を忘れて唖然としていたのだ。


 それはともかく。話を戻そう。


 重要なのは不快な告白ではない。


 「白瀬はどうした? 決して悪い奴じゃなかっただろう?」

 「……さっき、別れを告げました………………キッパリと。貴方に愛を歌うために」


 俺の目の前で菫は言った。だがその両手は固く結ばれていて、瞳には悲しみの色が溢れている。本意では無かったのだろう。


 だが、その悲しみは白瀬に対しての物なのだろうか?


 「……菫。お前……まさか……」

 「……やはり、分かってしまいますか」


 そう言うと、菫は絶望した顔を隠すように背を向けてバルコニーの淵に立った。


 そうだ。俺は、友人として菫の立場になってもっと考えるべきだったのだ――


 菫の実家の玉坂家はお金持ちだが、その財産の基盤となる商売に関しては時代に乗り遅れ、黄色信号が灯っていた。別に珍しいことではない。盛者必衰の理。俺も深井も、いつかは彼女と同じ運命を歩むだろう。だが――


 「……玉坂家は、娘を差し出さなくてはならないほど追い詰められているのか……!?」

 「……小さい妹にこんな真似はさせたくないし、幼い弟には未来を残してあげたいんです」


 あの時の深井の告白を菫は知っていたのだ! いや、菫だけじゃないだろう。菫の実家たる玉坂家の人間も、直ぐにそれを知ったに違いない。そして、菫や俺と違い深井のことをよく知らない、しかも追い詰められた玉坂家の人間は軽挙に及んでしまったのだ。


 「深井との婚約は……」

 「既に解消されると両親は判断しています。それこそ、逆にこっちから解消を提案して恩を売るのも検討しています……愚かな。勝利君がフラフラするのは何時ものことなのに……」


 菫は何も言わなかった。だが、それで十分だ。何もお金持ちは俺と深井だけじゃない。落ち目とはいえ玉坂家は名の知れた一族。そこから娘を貰いたいという家は幾らでもあるだろう。


 ……そう。あるのは”家”なのだ。”婿”ではない――


 遅まきながら悟った紫が、遠くで息を飲んだのが分かった。


 「才賀君が駄目なら、私は石山家に嫁ぐようです」

 「……あの家は確か」

 「幸い独身の男子がおります。歴史においては玉坂家すら越える正真正銘の名家との縁談です。滅多にない良縁と言えるでしょう」

 「……名家にもかかわらず、三十半ば越えても結婚相手が見つからないような相手、だったな」


 菫は背を向けたまま何も言わなかった。だが、その小さな背中は微かに震えていたのだ……。


 石山家……。菫の倍ほどの年の相手だ。


 そこで俺が何か言う前に、菫は再び俺の方を向いた。その瞳に込められた決意の色に、思わず言葉を飲み込んでしまう。


 「答えを聞いていませんので、もう一度言います。才賀君…………私と結婚してくださいませんか?」


 俺は……何も言えなかった。


 さりげなく確認すれば、紫ですら顔に深い同情の色が浮かんでいる。


 「菫……」

 「結婚…………して……くださいませんか?」


 もう菫は泣いていなかった。悲しんでいなかった。彼女は強いのだ。既に好きでもない男と一生を添い遂げるのは覚悟したのだろう。後はその相手を決めるだけ――


 なんて、なんて過酷な選択なんだ……。


 「俺は……」

 「………………」


 菫の瞳に微かに縋るような色が表れる。それはそうだろう。たとえ意にそぐわない相手と結婚するにしたって、仲が良い相手に越したことはないのだ。


 ――なんて、運命は残酷なのだ。


 俺の答えなど、最初から決まっているのだから――


 「それはできないんだ、菫。……すまないっ」

 「……そう……ですか…………ッ」


 再び菫は背を向けた。そんな姿に心の底から申し訳ない気持ち湧き上がり、されど俺に出来ることは少ない。


 「不甲斐ない俺を許せっ! 俺は確かに名家の出だが、俺の家の本質は資産家ではなく権力者なんだ。確かに金はあるが、一度使ってしまえば玉坂家や深井家のように即座に取り戻すことは出来ないッ!」


 菫は何も言わない。彼女がそんなことを聞きたがっている訳ではないことは伝わってきたが、俺は何かに責めたてられたかのように言わざるを得なかった。


 「俺が嫡男だったなら、話は別かもしれん! だが、俺は後妻との間に出来た末っ子で、優秀な兄たちも居る! 俺には……スペアに過ぎない俺にはお前を地獄から救ってやることすら出来ないんだッ! すまない菫……許してくれっ!」


 気がつけば頭を下げていた俺に対し、菫は何も言わなかった。言わずに俺の情けない言葉を受け止めてくれた。


 そうだ。うちにあるのは財産ではなく、権力。大資本家と違って、一度使用した財産の回復は緩やかなのだ。玉坂家を救えるかは分からないし、下手をすれば両家共倒れになる可能性もある。


 そんな提案を、兄も両親も決して飲むことはないだろう。


 盛者必衰の理。あぁ、頭では知っていたこれが、こんなにも残酷なことだとは……!


 溺れる者は藁をも掴む。玉坂家は実の娘すら生け贄に差し出し、俺にはそんな悲運な幼馴染みを助けてやることも出来ないのだ……。


 「待ってください! 深井先輩は、きっと玉坂先輩の所に戻ってくるはずですよ!?」


 いつの間にか我を忘れて必死の形相の紫が話に割り込んできていた。このバカは部外者にもかかわらず、小市民だけあって言わざるを得なかったのだろう。


 菫は……小さく微笑んだ。


 「ありがとう、紫ちゃん。私もそう思うわ」

 「なら……!」

 「でも、駄目なの。私が何を言っても両親は聞かないわ。そして、決定は明日にも行われるでしょう……」

 「そんな……!?」


 紫の言ってることは正しい。深井は暫く失恋の痛手で茫然自失となるだろうが、いずれは復活し、菫に縋りつくのが目に見えている。


 ……言い換えれば、失恋直後の奴にまともな思考は期待できないし、復活するまでに、玉坂家は決定を済ませるだろう。


 「菫、どうにか結論を先延ばしに出来ないか? 例えば俺と付き合いだしたとか――」

 「……才賀君がご両親を説得して、今日中に婚約まで駆けつけてくれれば、あるいは」

 「…………」


 それは無理だ。


 いや、出来る出来ないじゃなく、やるしかないのは分かる。だが、仮に出来たとしても、その時は――


 「先輩! 何を悩んでいるんですかっ!? 直ぐにご両親を説得するんです! そうして、玉坂先輩との縁談を――」

 「……ありがとう、紫ちゃん。私にはその気持ちだけで充分です」


 紫が涙を浮かべそうな勢いで俺を叱咤し、同時に菫が優しく頭を撫でた。そうして、彼女は透明な笑みを浮かべる。


 「私……文藝部に入って良かった。才賀君も紫ちゃんも、もちろん勝利君も。みんなと仲良くなれて本当に良かった……。だから、もう良いの……」


 ひとしきり紫を撫でて言葉を失わせた後、菫は静かに去って行く。


 「……ありがとう。とっても楽しかった。みんなで楽しく過ごした日々は、一生忘れない………………」


 俺も紫も、その背中を黙って見送ることしか出来なかった。きっと2人揃って酷い顔をしていたのだろう。だが、お互いに何も言うことはなかった。


 暫くそのまま菫の悲壮な決意を胸に立ち尽くす。


 やがて日も暮れた頃、ようやく変化が訪れた。


 「……ぐずっ…………玉坂先輩…………こんな…………こんなことって…………っ」


 紫が隣で涙を零していたのだ。既に神代の謎のことなど頭から消え去った俺は……静かにハンカチを差し出した。




 俺は……未熟だった。だから、悲しみに暮れた菫が道を間違えた時も、手を差し伸べることも出来なかったのだ。


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