3.恐怖の谷①
「とんとんとーん! 千歳いるー!?」
「うわぁっ!? ……ってマイ先輩か、驚かさないで下さいよ」
夏休みが始まって数日。部室の窓際でちと先輩に少しでも近づこうと、先輩の愛読書たるシャーロックホームズの単行本を読んでいた僕は、勢いよく開けられた扉に盛大にビビっていた。
いや、僕が小心なんじゃない。なにしろ、ちと先輩ときたら平然と葉巻を部室に出しっ放しにするのである。クマちゃん先生に見つかったら、今度こそアウトなのに。お陰で僕は部室の扉が開く度に肝を冷やす羽目に陥っているのだ。
ノックを口で言うと、返事も待たずに豪快に扉を開けてきたのはマイ先輩だった。本名は米原涼花といって、ちと先輩の親友だったはずである。部活の途中で来たのか、立浜高校バレー部の刺繍の入ったジャージ姿だった。
「いやぁ、悪い悪い後輩君。それで、千歳はー?」
「ちと先輩なら職員室ですよ」
そう。残念なことにちと先輩は外出中だったのだ。
「クマちゃん先生に話があるとか……」
「げっ!? やばい話じゃないでしょうね!?」
「いえ。でも、大した用事じゃ無いと思います」
だって、ウキウキしながら昨日の先生の合コンの成果を確かめにいったのだから。
僕がそう言うと、マイ先輩は豪快に笑い始めていた。この人はいつだって細かい事を気にしない姉御肌な人なのである。
……同時に大きく揺れるポニーテールに青いリボン、そしてそれ以上に揺れる胸に視線がいってしまったのは内緒だ。前にそれをやらかしたときは大変だった。当のマイ先輩は「気にすんなー!」の一言で済ませてくれたのだが、ちと先輩はしばらく不機嫌が続いてしまったのだ。
ちと先輩の胸は……まぁ、うん。無くはない。ちゃんと横から見れば曲線にはなっている……時もある。ただ、それが厚着だと分からないのが玉に傷なだけで。
「で、大丈夫なの千歳は?」
「大丈夫です! ちと先輩の推理は間違いないです! だってクマちゃん先生の車に口臭消しのガムが増えてたのを見つけて、失敗の自棄酒を誤魔化す……」
「いや、それ大丈夫じゃないよね!? 地雷踏むパターンだよね!?」
言われてみればその通り。うっかりと言わんばかりの表情の僕に対し、マイ先輩はノリ良く突っ込んでくれていた。
「後輩君……ちょっとずつ千歳に染められてきたね……」
「そんな……!? ……マイ先輩、急に褒められると照れます……!」
「褒めてないよ!? って、話が逸れた……!」
そこでようやくマイ先輩は部室に入ると、我が物顔でいつも自分が使っている椅子を引き、その人をそこに座らせた。
僕は思わず目を見開いてしまう。珍しいこともあるものだ。
「後輩君。探偵部として、この子の相談に乗って貰いたいの……」
マイ先輩の前で椅子に座った女子に目を向ける。紛う事なき、依頼人だったのだ。
待てよ。これは夢にまで見たホームズ式推理術を試す時なんじゃないのか?
そう思った僕は言い出しにくそうな彼女を観察してみた。マイ先輩と同じバレー部なのか、中々の長身だ。髪の毛は短め。特に染めていない。髪型はあまり気を遣っているようには見えない。一方で化粧はしている。かなり自然なメイクで、やや地味目な顔立ちをしっかりとフォローしている。中々の可愛さだ。
着ているのは立浜高校の制服……正確には夏服だ。真面目な性格なのか、これといった特徴も無い。白地に学年を示す赤色のリボンにチェック模様のシャツとブレザーだ。次に参考になりそうなのは……バッグだな。しかしこれもありふれた学生鞄で、特に特徴も無い。強いて言うなら猫のぬいぐるみのストラップがついているけど……それくらい女の子なら誰だって1つや2つ付けているだろう。確か……駅前のゲームセンターの景品だったような。
これで全部……いや、まだある。依頼人の仕草だ。
彼女はどこか影がある表情でやや俯き気味にしている。元々明るい性格ではないのかも知れない。僕、というか男の視線にも慣れないのか、右手で左手の指をせわしなくなで回している。これらは重要なヒントの筈だ。
つまり………………、…………、……あれ?
さっぱり分からない。
「あの、ですね……」
「あ、はい」
沈黙に依頼人は耐えられなかったのだろう。マイ先輩が適当な椅子を持ってきて彼女の後ろにどっかりと座り込むと、彼女も意を決したように口を開いていた。
「私は……谷 加奈子と言います。……2年生です」
地味目な印象に似合わない、されど含みのある表情には似合うハスキーな声だった。
「実は……私には気になることがあるんです……。それでマイ先輩に相談したら……」
「私が探偵部を紹介したって訳!」
「なるほど」
途中でマイ先輩が割り込むと、依頼人は押し黙ってしまった。どうやらこっちの控えめな態度の方が彼女の本来の姿みたいだ。……何か違和感がある、気がする。
「それで、加奈ちゃん。貴女が体験した不思議でチクショウ! な話を後輩君にも伝えてあげて……!」
「こ、後輩……? その……マイ先輩……やっぱりこの話は……」
依頼人はそこまで言うと、口をもごもごさせて押し黙ってしまう。困ったな。僕はこういうタイプの相手が苦手だ。僕が好きなのはマイ先輩やちと先輩のようなしっかりしてる女性で……ってそんなことはどうでも良い。
「大丈夫よ! それに、このまま引き下がるにもいかないでしょ! これを見逃しちゃ、女が廃るってね!」
併せて僕が小さく頷くと、依頼人は迷ったような表情のまま小さく拳を握る。されど、その口元は凍り付いたままで……
「つまり、色恋沙汰だな?」
「……っ!?」
「千歳!?」
「ちと先輩!?」
いつの間に帰ってきたのか、ちと先輩が部室の入り口に立っていたのだ。彼女は驚き固まった谷さんを尻目に僕の隣に腰掛けると、得意そうに手招きをしていた。
「どうぞ熊先生! 我らが探偵部の活躍をとくとご覧下さい!」
「誰が熊だ!?」
「またまた! 熊田先生、でしょ?」
「相変わらず腹立つ奴だなお前……それはともかく。……うちの谷が世話になってるみたいだな」
今度こそ僕は焦っていた。間違いなく挙動不審で、葉巻が隠れているかを一瞬のうちに確認してしまう。それをクマちゃん先生には鋭い視線で、ちと先輩には失敗したと言わんばかりの顔で見られていた。
そう。驚いている場合ではなかったのだ。
「ちと先輩! どうして依頼の内容が分かったんです!?」
「ふふん。後輩よ、分かったのはそれだけではないぞ!」
硬直した僕たちを気にせず、ちと先輩は続ける。
「谷加奈子。立浜高校2年生。所属は熊先生が顧問のバレー部で、涼花の後輩にあたる……」
ここまでは良い。僕だって分かった。ちと先輩が凄いのはここからなのだ。優しい視線を向けた先輩は、そのままさも当然のように事実を言い当てていく。
「最近……彼氏ができた」
「……ッ!?」
「相手は年上」
「……ッッ!?」
「初めての恋人で、舞い上がっていた。相手とは熱愛中で、よく帰り際に制服デートしていた。そしてだからこそ、慌てて探偵部に来た。どうにかして後始末をする為に」
「……ッッッどうしてそれを!? まだ何も言ってないのに!?」
谷さん同様にクマちゃん先生が驚きに目をまん丸くしていた。僕も同じだろう。変わらないのはマイ先輩だけで、彼女はただお見事と言わんばかりに口笛を吹いて見せた。
「千歳、最後まで言って。間違ってるところを訂正するから」
「分かった。……で、恋人ができたと喜んだのも束の間、谷、貴女は何か失敗したな? 多分指輪だ。相手から買って貰ったプレゼント、大事にしていた指輪を失ったんだろう。それで……」
「その通りですッッ! お願いしますっ! どうか私を助けて下さいッッ!」
泣きそうな顔でそう言うと、彼女は深々と僕たちの前で頭を下げた。鮮やかなまでの先輩の活躍に僕が胸を膨らませる中、クマちゃん先生が口を挟んだ。
「お前……だが、どうやってそんなことを?」
多分仕方ないことだろうと思う。クマちゃん先生は生徒指導と同時にバレー部の顧問なのだ。可愛い部員が自分よりも怪しげな探偵部を頼ったから、きっと相当悔しいんだろう。
もしかしたら、既に相談を受けて解決できなかったのかもしれない。
「簡単な推理です」
ちと先輩の独壇場は続く。僕はうっとりとそれを見ていた。4月にこれを見て、惚れたのだ。
「彼氏ができたというのは、文字通り見れば分かる。いかにも運動部らしく短い髪に、飾り気のない服装やバッグ。それとは不釣り合いに整った化粧。しかもそのやり方は涼花のやり方だから、彼女に習ったのだろう? 何故? 簡単、告白されて素敵な彼氏ができたからだ」
「「「「…………」」」」
僕を含めた一堂が沈黙する中、ちと先輩は続ける。
「バッグに付いているぬいぐるみはゲームセンターの景品だ。でも谷は積極的にそういう所に遊びに行くタイプには見えない。だから、その彼氏に連れられて学校帰りに行ったんだ。だが、今の顔つきは彼氏ができて幸せいっぱい! という態度ではない。となればごく最近何かトラブルがあったということだ。例えば……」
ここまで言って貰えれば僕にも分かった。
「指輪だ。さっきから緊張する度に、何もない左手の指をなで回している。つまり、そこには本来彼女の心の拠り所となる、おそらくは彼氏からのプレゼントたる何かがあったんだろう。だが、無い。ということは、依頼はそれに関することだと推理できる。……以上だ、何か不足はあるか」
誰も何も言わなかった。僕も、依頼人の谷さんも、クマちゃん先生も。そこで満足げにちと先輩が頷いたところで、マイ先輩が動いた。その手にはスカートのポケットから取りだしたそれが握られている。
「一つ……違うわね」
「なに……?」
思わず僕はマイ先輩を見返していた。てっきり指輪をなくしたから見つけて欲しい、という依頼だと思ったのだ。
ほんの少しだけ驚いた僕とちと先輩の前で机にそれが置かれた。指輪だった。僕は思わず息を飲んでいた。だってその指輪は……
「……これは……その、なんて言っていいか……」
僕は思わず依頼人に同情し、呻いていた。だって、その指輪は見るも無惨なまでに拉げていたのだから。
リングに装飾だけの高校生でも買える指輪だ。特に宝石等は付いていないそれは、まるで何かに潰されたかのように壊れて歪んでしまっていた。これでは元通り指に填めるのは難しいだろう。
「指輪は無くなったんじゃないわ。壊されたのよ!」
「……なるほど。だが、肌身離さず付けていたんだろ? なら犯人も分かっているんじゃないか?」
「……分かってますッッ! だから、探偵部に来たんですッッッ!!!!」
谷さんが悔しさを爆発させて激しく机を叩き、僕は思わずギョッとして肝を冷やしていた。その時の彼女の顔はまるで、人を呪い殺しそうなほどの殺意に満ちあふれていたのだから。
「よくもよくもよくもッ!! わ、私と先輩の仲を引き裂こうとしているんですッッッ! クソクソクソッッ!!!」
「落ち着いて加奈ちゃん! だからここに来たんでしょう!?」
だが元来は物静かなタイプなのは間違いないらしく、マイ先輩が優しく宥めるように言うとあっさりと沈静化し、代わりに両目に涙を浮かべて泣き始めていた。
唖然とした僕達の前でマイ先輩は優しく抱きしめながら、代わりに説明していく。
「犯人は分かってるわ」
「……それで、名前は?」
「森亜 帝」
「な……に……?」
「馬鹿な!?」
僕を置き去りにして、他の人たちは驚愕のあまり立ち上がっていた。……駄目だ。必死で思考を巡らしてみるものの、森亜という名前に心当たりは無い。
だけど、僕にも直ぐに驚きは伝染することになる。
ここまで落ち着いて聞いていたクマちゃん先生が言ったのだ。
「そんなはずは無い! 森亜は既に死んでいるんだぞ!?」
「……っ!? 先生! どういうことですか!?」
だけれど、僕の疑問に誰も答えてくれなかった。しかしそこに寂しさを感じる暇すら無い。
「……間違いないわ。加奈ちゃんの指輪を壊したのは、幽霊なの……」
「ありえん……そもそも幽霊なんて」
「……涼花、続けて」
そうして話は一転していく。開け放たれた部室の窓の外からは、夏の熱気のあてられた生暖かい風が吹き込む。戦慄した僕の背筋をゾクゾクと撫でるかのように。