10.春色の習作①
前に自分で言ったことを覆すようでばつが悪いんだけど、僕には一つ確信したことがある。
「連続自殺事件……これは明らかに森亜の手によるものですね」
そう。間違いないだろう。歴代探偵部は決して間違ってなどいなかったのだ。
「その通りだ。心霊騒動の絡繰りを知った今としては、間違いないと断言できるだろう……」
寒さが少しだけ和らいだ2月の後半。僕は久しぶりに受験勉強から解放されたちと先輩と一緒に、部室で森亜の謎の推理を続けていた。
――本当に年が明けて以降、驚かされてばかりだ。
見ればちと先輩も同感なのか、その顔色は苦々しげに歪んでいる。連続自殺事件? まさか! 的外れも良いところだ。運命に縛られた数多の犠牲者を出したこの惨劇が、自殺だなんてあるわけがない!
「被害者は全部で3人……」
それに加えて表向きには数に数えられていない零人目の犠牲者神代先輩と、僕たちが犯人と睨む四番目の犠牲者森亜副会長だ。……霊と死か。偶然にしては良くできてる。
「……神代実子先輩。3年生でオカルト研究会の部長でした。記事に寄れば、彼女は悪霊から学校を救うために自ら進んで生け贄となったそうです。彼女には遺書のような物があったようなのですが……警察が押収した後はオカルト研究会に返却されたようです。でも、オカルト研究会もその件をきっかけに廃部が決まり、彼女の残した遺書の行方もまた杳としてしれません……」
ちと先輩は難しい顔をしていた。
僕だってせっかく先輩が第一志望の大学に受かった喜びを消し去ってしまうのは心苦しい。……でも、謎解きに使える時間は、3月の卒業式まで。たったの1ヶ月程度しか残されていない。
その間に謎を解けなければ、僕とちと先輩の関係も……。
僕がそんなことを考えていると、ちと先輩は小さく頭を振った。
「……そうか」
「もちろん僕にも見落としていることがあるかもしれませんが」
とは言ったものの、資料を見返して得られるものは少ないだろう。神代の件ですら、寺島理事は全てを知っていたわけだし。
そこでちと先輩は唐突に僕を見た。
「……後輩、君はこの事件をどう見ている?」
「僕……ですか?」
そんなことを考えていると、ちと先輩が僕に不思議な顔を見せていた。
それは嬉しそうであり、悔しいそうでもあり――
「叔父さんの言う通りかもしれないな。私で分かることがあれば、それは叔父さんがとっくの昔に明かしていただろう。だからこそ、君の意見を聞きたい」
そう。ちと先輩の顔は、僕のことを信頼してくれていたのだ!
ちと先輩が! 僕を! 頼ってくれているのだっ!
あぁ! こんなに嬉しいことがあるだろうか!
頼ってくれたって事は、僕はこの瞬間だけは憧れの先輩の隣を歩いているって事なのだ! あぁ! 不謹慎ながら胸の奥から暖かいものがこみ上げてくるのを我慢できない!
――落ち着け、僕。たった一回信頼してくれたところで何だって言うんだ。大事なのは信頼を失わないことだ。
考えろ。意識を研ぎ澄ませろ。森亜の謎。その鍵を握っているのは何だ? 理事の話を思い出せ。
人とは違うモノを視ることができた神代先輩か?
才賀先輩の後ろを懸命について回っていた治村先輩か?
文藝部とオカルト研究会、双方に深入りしてた玉坂先輩か?
そんな玉坂先輩を救い出そうと孤軍奮闘していた白瀬先輩か?
それとも、情けないところもあったけど、才賀先輩の親友だった深井先輩か?
「僕は……」
「……玉坂家はアレだが、一応深井家なら私のコネで訪問することは出来るだろう。もっとも、当事者は居ないだろうから、意味があるかは分からないが」
考える。考える、考える――
「僕は……神代先輩を当ろうと思ってます」
言った瞬間ちょっとだけ、本当にちょっとだけ後悔していた。何しろ、ちと先輩の顔が露骨に落胆し……直ぐにまた力を取り戻したのだから。
「神代か? しかし、彼女は連続自殺とは直接的な関わりは無いぞ?」
何処か楽しそうにちと先輩が言う。ちと先輩にも分かったのだ。悪霊に身を捧げた現代の巫女、神代先輩だけが未だに学校に残り続けていることに――
「はい。でも、彼女には遺書がある筈なんです。返却されたのはオカルト研究会。そう考えれば、間違いなくその残党が持っていると考えるのが妥当でしょう?」
でも、それだけじゃない。僕には先月教えて貰った”幽霊の足”騒動で、1つだけ腑に落ちない点がある。彼女の言い残した言葉だ。
「先輩。神代先輩が理事と交した約束です。” 私……泣……かして……くださ……い”。どういう意味なんでしょうか?」
「……? 私を泣かせてください、だろう? 簡単じゃないか?」
キョトンとした僕を横目に、ちと先輩は優しく笑っている。
そう。そんな僕の悩みをちと先輩はあっさりと解決してくれたのだ。
「”私を泣かせてください”はオペラ”リナルド”に出てくる歌だ。”涙の流るるままに”と訳されることもあるな。残酷な運命に耐える歌さ」
「……なるほど。確かに生け贄を覚悟した神代先輩の心境にはピッタリかもしれません。でも……」
――本当にそうなのだろうか?
そんな予感が僕の脳裏を過ぎる。だって彼女はそんなことを才賀先輩に言い残したって何の意味も無いではないか。
「ふむ、音楽室に向かうとするか。弾いてやろう」
「え? ちと先輩……楽器が弾けるんですか?」
「と言ってもピアノだけだがな。あまり期待はするなよ? あくまで手慰みだ」
日の差し込む広い教室にたった2人きり。唯一の観客である僕に向けて、ちと先輩はゆっくりとピアノの鍵盤を叩く。
子守歌のように穏やかな曲調で、悲痛な運命を嘆くその歌を聞きながら、僕は考えてみる。神代先輩。寺島理事曰く、本当に特殊な力を持っていたかもしれない人間。現代の巫女。
空間に響く音楽の中を、考えがたゆたっていく。僕は何か忘れてないだろうか?
「以上だな」
「……分かりました」
気がつけば演奏は終わっていた。”私を泣かせてください”はそんなに長い曲じゃないのだ。
「それで、後輩はどうする? 私はひとまず資料全部に目を通そうと思うのだが」
「僕はオカルト研究会残党を追おうと思っています」
既に探偵部の資料も生徒会の資料も手元にある。もし未発見の手がかりがあるとしたら、そこだけなのだ。
「そうか……。熊先生も言っていたが、残党は既に本来のオカルト研究会とは違うものに成り果てている。言わば神代を崇める新興宗教だ……」
「それはそうでしょう。葛城とか言いましたっけ? そういう人だからこそ、オカルト研究会が廃部になった後も必死に存続させているんです」
結果として、その執念は現代にまで生き延びることとなった。
しかしその過程で、悪人どころか善人だった神代先輩を崇めるカルトに成り果ててしまったのは皮肉だろう。
「久瀬さんに会ってきます」
「なるほど。残党と接触を持っていた久瀬なら伝手があるかもしれないな。……気をつけるんだぞ」
「はい!」
だけれど、僕の捜査は早速暗礁に乗り上げていた。
今時珍しい大和撫子にして佐伯に騙された哀れなる少女久瀬さんは、今日も今日とて必死に素振りをしている佐伯を応援している筈なのだ。だから、寒い中野球部の練習しているグラウンドに行ったまでは良かった。
そこで当然バットを振っている佐伯と、離れたところからうっとりと眺めている久瀬さんを見つけて話しかけ――
「ごめんなさい春茅君。私もオカルト研究会残党の事は詳しくないんです……」
申し訳なさそうに頭を下げる彼女を前に、僕の目論見は砕けていた。
「久瀬さんはどうやってオカルト研究会残党の人と出会ったの?」
「ええっと、確か図書室でオカルトの本を読んでいた時に話しかけられたんです。男の先輩でした」
しかしながら、残党は巧妙に連絡先は教えなかったらしいのだ。
「じゃあどうやって連絡を取り合ってたの?」
僕の質問に久瀬さんは少しだけ頬に手を当てて考えてから……何を思ったのかいつぞやの取材手帳を取り出してシャープペンを構える。
「それはですね……」
至極真面目な表情である。でも、その――
……一瞬だけ見えたページには練乳をかけたようにだだ甘い、良く言えば恋愛小説、悪く言えば卑猥な妄想が書かれていたのは見なかったことにしよう。
男の名前が隆で、女の名前が令佳だったのも気のせいに違いない。
まして……僕ですら想像できない、あんなことやこんなことをしていたのも気のせいとしか思えない。
……ん? 待てよ。お願いしたら、僕とちと先輩の話も……ッ!? なんてこった! どうにかして久瀬さんをちと先輩と一緒にお風呂に、それが駄目ならプールにでも連れていかなければ――
「いつの間にか文藝部の私の荷物に手紙が置いてあるんです。でも本格的にオカルト研究会に入れて貰える直前でタカ君に助けて貰えたので、以後一切連絡が無いのです……」
そう言いながら身体を抱きしめてうっとりする久瀬さん。僕も我に返っていた。
……どうしよう。妄想してる場合じゃなかった。凄くマズい。ちと先輩に大見得を切った手前、いきなり挫折なんて恥ずかしすぎるぅ。
「あ、でも、少しだけ気になることを言ってました!」
「……!? どんな小さいことでも良いから教えて!」
「はい。何でも、オカルト研究会残党は生徒会や先生方から隠れて活動している都合上、お互いの名前とかは隠したまま渾名で呼び合ってたそうですよ? それから連絡手段に関しては暗号を使っていたそうで……解読が面倒だと嘆いてました!」
「……っなるほど。つまり……学校の何処かにそれとなく暗号を記して、残党のメンバーだけが理解できるようにしていたって事か」
僕の言葉にハッとなった久瀬さんが瞳を細めると、凄い勢いでメモを取り始めていく。
「きっとそうです! 春茅君はもちろん探偵部としてその謎を追うんですよね!?」
「そのつもり。残党の正体も少しだけど知ってるしね。だけれど……実は追うための手がかりが全くないんだ」
「むむむ。それは困りましたね……」
2人揃って仲良く頭を抱える。遠くで佐伯がバットで快音を鳴らしていたものの、残念なことに久瀬さんは全く見ていなかった。
暫く考え込んだ後、久瀬さんがゆっくりと顔を上げる。
「もしかしたら、バルコニーかもしれません」
「え? あそこ?」
「はい。解読が面倒という話の時は、丁度バルコニーの前を歩いていたんです。もしかしたらそのせいかもしれません……」
あり得る話だよ! 今の僕は何も手がかりを持っていないのだ。せめて暗号の一部だけでも手に入れなければ……!
「なるほど! 参考になったよ……!」
「えぇ、本当に参考になったわ……!」
だから、僕は気づかなかったのだ。既に日も暮れ始めた夕方。それは彼女の時間なのだ。
「ご機嫌よう、春茅君」
「……秋風!?」
秋風葉月。いつの間にか近寄って聞き耳を立てていたらしい彼女は、相変わらず夕日を浴びて真っ赤に染められた顔を愉快そうに笑わせていた。
「そうか、生徒会も残党を追っているのか……」
「正解。何せ来年は残党が組織維持のために動き始める年だから、今のうちに尻尾は掴んでおかないと……ね?」
秋風は艶然と笑い、その不吉な笑い方に久瀬さんは無意識のうちに身構えて一歩下がっていた。
「それで探偵部と手を組む気なの?」
「えぇ。代替わりした生徒会は新会長である愛梨先輩指揮下の元、何らかの手柄を上げようとしているの。……例えば、学校を悩ませる怪しい集団オカルト研究会残党の摘発とかね?」
……秋風の言ってることは間違ってはいない。でも、生徒会選挙は去年の11月。そこから逆算すれば、今の生徒会は引き継ぎを終えた後の初の大仕事、新年度の予算編成で忙しいはずなのだ。残党の摘発は4月以降になるだろう。
つまり、
「先んじて残党を見つけ出して生徒会には手柄を上げつつ、残党の一部をあえて見逃すことでそいつらの手綱を握るつもり?」
「話が速くて助かるわね。もっとも、春茅君は速すぎるのが玉に瑕だけど……」
もちろん、彼女にオカルト研究会残党を滅ぼす気は無い。それどころか、自身の手駒の勢力拡大を図るだろう。カルトだろうが役に立てば良いのだから。……相変わらずの恐喝王の本領発揮だ。
「あはは、今の生徒会のメンバーを知ってる? 愛梨先輩は優秀だけど、その後が続かないの。……私以外はね」
「その手柄を元手に教師の支持を集めて、会長になる気なんだ……」
ニヤリと秋風は笑う。それを見た久瀬さんは無言の迫力に押されて隅っこで身を縮め――
「もちろん。言ったわよね? この世界には”上”と”下”しかないの。なら、一番上を目指すのが当然でしょう? だって、”下”は”上”に何をされても文句は言えないんですからね」
彼女の意思は明白だった。
――貴方も、私の”下”に置いてあげる。
秋風はまるでごちそうを前にしたように舌なめずりをしていたのだ。夕日よりも赤い舌が微かに開かれた唇の向こうでピチャリと音を立てて跳ね回り、唾液と食欲をかき立てている。
秋風は駄目だ。生徒会長ともなれば生徒の個人情報や予算編成にも手を出せるはずだし。いや、それ以上に彼女の恐喝の対象は生徒だけじゃない……!
もし教師までをも支配してしまえば、この学校で彼女に逆らえるモノはいなくなる……。
マズい。凄くマズイ。確かに僕の持ってる神代や残党の情報は秋風に対して優位性を持っている。でも、その情報は生徒会や寺島理事にも直結しているのだ。もちろん、零の事件を隠蔽した学校にも。当然彼女に開示するわけにはいかない。
「春茅君、率直に言うわ。私は件のバルコニーで暗号らしき物の一部を見つけたの。一方、貴方は残党に関する情報を持ってるみたいね? となれば話は簡単。私と手を組みましょう?」
冗談ではない。この神秘のベールを秋風に暴かせるわけにはいかないのだ。
当然僕の答えは――
「良いよ。僕も残党を追いかけているからね」
――手を組む以外あり得ない。
「あはは。そう言うと思ったわ!」
だって、彼女を野放しにしても、きっといつかは真相に辿り着くだろうから。それならば、多少の危険を冒してでも目の届くところに置いておいた方が良い――!
秋風に圧倒された哀れな久瀬さんを尻目に、僕は秋風に連れられてバルコニーへとやって来ていた。
「ここよ」
秋風はその隅っこ。手すりにほど近い大きな植木鉢の側面を指さしている。なにやら数字の落書きが並んでいるな。
「”103+3‐1312+4‐65+44‐40+0‐122+5‐23+11‐252+7‐43+2‐52+17‐41+6=-1747”これが……暗号? ただの落書きじゃ……」
「まさか! 数式の落書きというのは聞いたことがないわね。簡単な足し算と引き算よ? しかも、この落書きは数日前には無かったの。そして、これが現れてから残党の動きが活発化した。本当に偶然かしらね?」
シャープペンで植木鉢に書かれた暗号は擦れ、遠くない内に消えてしまうだろう。それに、どうにか秋風を出し抜く必要もある。
「どうかしら、春茅君?」
「中々の難題だね……」




