9.幽霊の足⑤
かくして、神代が祝詞のような歌を歌う。その眼前には不要となったまま出しっ放しの和製ウィジャ盤。
「お呼びいたしました……」
神代がそういった瞬間、背後の紫が盛大に音を立てて後ずさった。どうせ引き攣った顔をしているのだろう。
何しろ神代がそう言った瞬間、本当にラップ音が発生したのだから――
数は……1回。流石の森亜も顔を顰めている。どんな理屈なんだ?
いや、部室棟の壁は決して厚くない。隣の部屋で細工している可能性があるな。質問内容は……この部屋の何処かに通話状態のスマートフォンでも隠しておけば聞き取れる。
問題は……直前に森亜がこっくりさんからラップ音に変えたはずなのに、何故対応できているのかということだ。今の音は間違いなく壁を叩いた音ではない。絶対に準備が必要なはず……
「では……最初の質問は才賀君からでどうですか?」
「……良いだろう」
そこで気配を感じてちらりと振り返れば、なんて事は無い。鼻息荒い深井の奴が俺の真後ろに立ってはぁはぁしていたのだ。紫は……駄目だ。ドン引きして止めることすら出来なくなっている。やめろ深井。頼んでも良いから。近づくんじゃあない。
「才賀ぁぁぁぁ……」
「分かっている。最初の質問は簡単だ。”深井勝利は玉坂菫と結婚できますか?”」
森亜の鋭い視線と、神代の哀れむような視線が奴に注がれる。
返った答えは……ラップ音が2回。やはりな。
「神代、2回ということは?」
「通説に従えばNo、つまり否ですね」
「そんなぁぁぁぁ!? 才賀! 速く謎を解いてよ!? こんなの絶対インチキだって!?」
「黙れ不快。気が散る」
こんなのはただのジャブだ。何せ結婚するのが何時なのかは分からないのだから。学生結婚かもしれないし、お互いが配偶者と死別した後かもしれない。
ただ、神代にラップ音が2回でノーだと明言させたかっただけなのだ。これで後から言い訳は出来ない。
「次の質問はありますか?」
「無論。だがその前に……おいバカ」
急に話を振られたのに驚いたらしく、奴は挙動不審になっていた。
「な、なんですか!? っていうか馬鹿じゃないです!」
「じゃあなんで返事したんだ?」
ぐぬぬ、と紫は意気消沈して落ち込んでしまう。丁度良い。何せこいつは人より考えてることが顔に出るのだから……
「右隣の部室を調べるんだ。さっきのラップ音は間違いなく右側から聞こえてきた」
「……ッ!? わ、分っかりました! 任せて下さい!!!」
仕事を任されたのが嬉しいらしく、一転して満面の笑みを浮かべて紫は教室から出て行った。もちろん、彼女を追い出したのはわざと。
奴がきっちり退出したのを確認してから口を開く。
「次の質問だ……! ”治村紫は5分以内に帰って来ますか?”」
「ははぁ。なるほど才賀君、考えたね」
紫が5分以内に戻ってくるかどうかは誰にも分からない。隣の部屋に何か仕掛けがあろうと無かろうと、直ぐに帰ってくるかもしれないし入念に確認するかもしれない。確率は50%だ。そして、回答までの時間が長引けば、なおさら神代が何かのトリックを使っている証拠になるし、よしんばヒントになるかもしれん……!
だが、俺の予想に反するように答えは即決だった。
――パキッ……………………………………
「神代」
「1回。であればイエスの筈ですが……これは……?」
何故か神代は不審そうな顔を作っていた。
そのまま全員が黙ったまま時計の秒針を睨み続けている。結果は速かった。3分もしないうちに紫が戻ってきたのだ。
「先輩! 隣の部室は鍵が掛かっていて入れませんでした――」
「……貴女馬鹿なのかしら? 中に人が隠れている可能性もあるのよ?」
心底呆れた顔を作った乙母が紫を露骨に軽蔑し、紫は――意外なことにムッとした顔で立ち向かったのである。
「だから更に隣の部室、弓道部の人に訊いてみたんです! そうしたら、右の部屋は空き室で使われていないそうです! なので鍵は生徒会の管理下にあるはずです!」
なんだ。思ったより仕事はしてるじゃないか。となると、浮上する線は森亜が神代と組んでる可能性だが……それは無いだろう。動機が無いし、今の神代は明らかに困惑している。これが演技なら奴はモデルではなく女優になるべきだ。
「また! その人にお願いして右の部室を見張って貰うことになりました! えっへん! これでどうですか!?」
「上出来だ」
……そうか。部室棟はマンションのように複数の部屋が繋がる構造になっているはず。ましてや、今は人の少ない土曜日の逢魔が時だ。音は壁を伝わるから、必ずしも音を出すのは隣でなくとも良いはず……。駄目だ。捜索範囲が広すぎるな。
得意満面になって無い胸を張っている紫に対し、片手で制して下がらせる。
「次の質問だが、”乙母蘭の胸の大きさは87㎝を越えましたか?”」
「なッ!? 貴様……」
「これまた面白い質問だね才賀君……。なるほど、本人以外分かりようがない……」
森亜がニヤニヤと笑う中、乙母は真っ赤になって両腕をクロスして豊かな胸を庇っていた。もちろん俺……ではなくイヤラシイ視線を隠せていない深井からだ。
菫を含む他の女性陣から冷たい視線が深井に浴びせられる中、奴は何たることか。堂々と推理を理由に胸を凝視し続けているのだ。
――パキッ……………………………………
回数は一回。
「乙母、どうなんだ?」
「くッ!? 屈辱だッ! 覚えてなさいよ……! 答えはイエス、正解よ」
同時に深井が何か言いたげに口を開こうとしたところで、菫から絶対零度の視線が奴に注がれ沈黙させられていた。
どうせあの馬鹿のことだ。確認しよう、とか言い出すつもりだったのだろう。
一方、紫は胸に手を当ててさめざめと涙を流していた。……残念だがお前の身長では神代にも乙母にも勝てん。
「これは……」
「神代。俺からは以上だ。次は森亜だな」
こんな所だろう。これ以上有意義な質問をするとなれば、ひたすら紫を調査に繰り出し、その帰還時間を問うことだが……それはスマートじゃない。ヒントは幾つか貰ったしな。
ラップ音で解答している何かは、明らかに俺達文藝部や生徒会のことを知っている。そして俺達の直ぐ近くにいて、かなり詳しい事情に精通しているようだ。付け加えるなら、運も良い。
「僕からの質問だけど……訊きたいことは才賀君が大体済ませてくれたからね……。うん、こうしよう。”ラップ音で解答しているアナタはウィジャ盤を使って文字でも解答してくれますか”」
なるほど、森亜の奴そう来たか。だが、残念だが答えはノーだろうな。ウィジャ盤の文字を示して該当箇所で音を鳴らして文や単語を作るのは複雑すぎる。部屋の外にいる奴では対応不可能だ。ここはノー以外あり得ない……
――パキッ………………………………………………………………
――ッ!?
「なんだとッ!?」
「これはいったい……?」
俺は思わず立ち上がり、同様の行動を取った神代と顔を見合わせていた。神代の顔には隠しようもない混乱が広がっていて、赤みが差している。そう、死体のように白かった肌は温かそうな艶を取り戻し、触れば絹のような滑らかで柔らかい感触を返してくるだろう。
「2人とも、次の質問にいきますよ」
一方、森亜は淡々とした調子を取り戻していた。奴の部下の乙母ですら怪訝な顔を隠せていない。……動揺を隠しきったのか? 流石だな。
「先輩!? なんかおかしくないですか!? 私が思ってた展開と違うんですけど!?」
「落ち着け。真相は近い」
紫は相変わらずバカなので、俺の言葉を鵜呑みにして落ち着きだした。深井にも見習って欲しいものだ。奴はその隙に菫に近づこうとして……件の白瀬少年に牽制されている。
「いきますよ。”アナタは何ですか?”これから一つずつ平仮名を指します。該当するところで音を鳴らして下さい」
森亜は手際よく平仮名の”あ”を指す。
――パキッ………………………………………………………………
イエスか。森亜は無言のまま再び”あ”を指さし、そのまま”い”、そして”う”へと進めていく。
ラップ音はその後4回鳴った。
“あ”
”く”
”り”
”よ”
”う”
”あくりょう”。悪霊――
「ひぃッ!?」
同時に紫が首を絞められたような悲鳴を上げ、どうにか我に返る。何だこれは。明らかにおかしいぞ? 神代は確かに神様を呼ぶといったはずだ。これでは……奴は自分で自分のオカルトを否定しているではないか――!?
「みいこ様!? これは、これは一体どうなっているのですか!? 確かこの学校に不浄なるモノは住み着いていないと――」
「落ち着きなさい葛城」
そこで神代は美しい顔を歪め――キッと森亜を睨み付けたのだ。だが、それだけだ。
「そうか!? 森亜! 貴様、わざと神聖な学び舎に悪霊を呼び寄せて、みいこ様を失敗させる気だろう!? 何たることだ!? 正気か!?」
「言いがかりは止めて下さい。僕はそんなことしませんよ」
「じゃあこの結果は――」
「静まりなさい葛城。彼は嘘をついておりません」
混乱する彼らを見ていると、不思議と気分が落ち着いていく。
……鍵は音か。音だな。ラップ音は右側から聞こえると思っていた。それは間違ってないはずだ。だが、正確でもない。音は右”下”から聞こえているのだ。
床には絨毯が敷かれている。柔らかい絨毯だ。毛足も長い。つまり、その下に何かが隠れていても分からない。しかもその上にはテーブルや椅子があるから見えないしな。
「森亜、最後の質問はどうする?」
「初歩的だよ才賀君。こうだ。”アナタは何を望みますか?”」
同時に神代が止める暇も無く、森亜の指が滑るように平仮名をなぞっていく。
「待ちなさい……! これは――」
神代の顔色がサッと変わった。青白く、本当に死人のような色に。解答が速かったのだ。
――パキッ…………………………
音が鳴ったのは”い”。その次は――“け”。背後で紫が息を飲む音が聞こえた。チラリと見れば、乙母ですら顔を驚愕に染めている。
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
出来上がる不吉な文章に誰もが戦慄していた。恐らく俺ですら表情に出ていただろう。もちろん紫も深井も、乙母ですら。以外だったのは白瀬だ。あいつも俺達と同様にショックのあまり大きく目を見開いていたのだ。
その目には葛城と違って、隠しようもないオカルトへの不信感が表れている――
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
――パキッ…………………………
都合、音は13回鳴った。実に不吉な数だが、恐らく他の奴はそれどころではなかっただろう。
”い”
”け”
”に”
”え”
”を”
”だ”
”せ”
”の”
”ろ”
”い”
”こ”
”ろ”
”す”
「ヒッ!? 僕は、僕は死にたくないッ!?」
「先輩!? これは……どうなって!?」
――“生け贄を出せ。呪い殺す”
真っ先に反応したのは深井だった。奴は小太りの外見に似合わない俊敏さで振り向くと、
「お、おいアンタ! 何処行くんだよッ!?」
「ヒィィィッ!? うるさいッ! だから僕はこんな所来たくなかったんだッ!!! 才賀! 紫ちゃん! 後は頼んだよッッッ!!!?」
思わず恋敵の筈の白瀬ですら引き留めざるを得ないほどの勢いで、俺は勿論婚約者たる菫すら目にも止めずに逃げ出したのだ――!
「帝……! これは!? どうなってるの!?」
「大丈夫だよ蘭。怖いことなんて何も無――」
「お前エエエエエッッッ!!!! 森亜ッ!!! なんて事をしてくれたんだァァァッッッ!? 呪いが!? 呪いが我々全員に降り注いでしまったッッッ!!! どう責任を取ってくれるんだッッッ!!!」
もはや完全に狂乱に陥った葛城が森亜の胸倉を掴もうとし……即座に投げ飛ばされていた。あいつが柔道をやっているというのは本当だったようだ。
同時に菫が白瀬と共に歩み寄ってきていた。2人とも顔面蒼白だ。本心からオカルトを信じていたわけではないのだろう。
「才賀君。これは……一体? 私達、何かマズいことを……?」
「落ち着け菫。冷静さを失ったら負けだ」
「おいお前! だが、神代は……」
そう。白瀬の言うように神代は虚空を見つめて、何かと会話していたのだ。正気とは思えない。
「そう……ですか。でも、私……れば……謎……と……ける……ですね?」
――ますます頭脳が落ち着いていくのが分かった。そう。金持ちたる俺は、常に危険に晒されているのだ。他の庶民では大したことの無い失敗も、金持ちにとっては致命傷になることだってある。だからこそ、俺は他人が取り乱せば乱すほど落ち着くのだ――
「才賀君……」
「なんだ…………っ!? 神代……お前、泣いてるのか!?」
「……神様と意思を交わせたのに……どうして泣くことがありましょうか」
「だが……」
そこで神代が赤く、そして濡れた瞳で俺を見た。思わずドキリとするほど蠱惑的な瞳だった。
そうして、奴は最後の力を振り絞るように言ったのだ。
「才賀……君。私……泣……かして……くださ……い」
「それはどういう――」
「終わりだァァァァァァ!? おしまいだッ!!! このままじゃ皆呪い殺されるゥゥゥゥ!?」
だが葛城の奴が眼鏡が割れんばかりの勢いで割って入ったせいで台無しだった。この男は神代に全てを捧げているんじゃない。依存しているのか。だからどうにかして奴の隣に立つために努力を怠らない反面、ショックに対しては弱さが露呈する。
「先輩!? どどど、どうしましょう!? す、直ぐに神社でお祓いを……」
「バカ! そんな物に頼ってもなんの解決にもならない!」
「で、でも、もう何が何だか……」
「……初歩的だぞ、後輩」
俺が呟くと、紫はスッと落ち着いた。しかしながら目は光景を焼き付けようと大きく見開かれたまま。
なるほど。こんなバカでも必要最小限の記憶力があるらしい。そう、その言葉は俺とこいつが初めて会ったときの台詞なのだから。
そう。もう1年以上前の話だ。
「ぐすっ……私……どうすれば……?」
「おい新入生。こんな所で何をしている? ここは2年の教室だぞ?」
立浜高校の入学式は別棟体育館で行われる。この体育館が曲者で、慣れた在校生はともかく新入生は場所が分からないことがあるのだ。例えば、紫だ。
どうみても不審な背中が廊下にいたので声をかけたのだ。
案の定、奴は大げさにビビっていた。
「ひっ!? ち、違うんです! 道に迷っただけ……あれ? 先輩、どうして私が新入生だって分かったんです?」
「初歩的だぞ後輩。今の時間在校生は皆体育館に行ってるんだよ。ここで半べそかいているのは道に迷った新入生くらいだ………………やはりか」
同時に振り返った少女のリボンの色を確認すれば、当然のように緑。間違えようのない1年の色だ。
言ってしまえば簡単な推理なのだが――こいつにとってはそうではなかったらしい。
「凄い! 先輩凄いです! まるで心を読んだみたいです! 私、驚きましたっ!」
感動した面持ちのまま、そう言って部室に向かう俺に着いてきたのだ。
「それは構わんが、お前入学式に行かなくて良いのか?」
「え? でも、先輩も行くんですよね? ってことは、ついて行けば良いんですよね?」
「俺は行かんぞ?」
行くわけがない。俺にとっては何の意味も無いしな。そう言うと、当時の紫は地獄の底にたたき落とされたかのような顔になって、縋り付いてきたのだ。よっぽど一人で迷子になっていたのが心細かったらしい。
「そんな~!? それじゃあ私はどうすれば良いんですか~!?」
「さあな。誰か知ってる奴を頼ったらどうだ?」
「……分かりました。そうします」
そう。このバカは、俺の『他の奴に訊け』という言葉をよりにもよって『俺に着いて来い』と勘違いしたのだ。しかも当時の俺は、まだこのバカのあしらい方を身につけておらず、結局部室にまで案内してしまった。
そのせいで入学式はおろか記念すべき登校初日に遅刻をかましたこいつは、愚かにも校内屈指の有名人たる俺と一緒に居たことを何も考えずに暴露し、案の定あらゆる方向から距離を置かれてしまったのである。
追い詰められた紫は唯一の知り合いである俺の居る文藝部に入り浸るようになり……深井や菫に可愛がられ……どうにか友達が出来た頃にはすっかり文藝部の一員と化していたのだ――
「先輩、それは謎が解けたということですか!?」
「……全てではないが、な」
そう。手がかりは揃ったのだ。後はそれらを並べて組み立て、一つ一つ神秘のベールを剥がしていけば良いだけだ。
シャーロック・ホームズ曰く、”他のあらゆる可能性がダメであれば、どんなに起こりそうもないことでも残った事こそが真実”なのだから。
「おい神代」
「………………何でしょうか?」
「お前、確かにトリックは使ってないんだな?」
「……はい。神様に賭けて誓いましょう」
十分だ。見れば森亜は乙母を落ち着かせ、撤収の準備に入っている。一方、オカルト研究会の方は深刻だった。特に神代の副官だった葛城は今にも漏らしそうな勢いで、泣きながら神代に縋り付いていたのである。
「みいこ様! どうか! どうか私達をお助け下さい!!! 私達は……貴女様の導き無くして暮らしていくことは出来ないのです!!!」
「落ち着きなさい、葛城。私が全て取りはからいましょう」
同時に菫の方は不安を隠せていないものの――白瀬にギュッと手を掴んで貰って安心させられていた。あぁ、これは駄目だ。今の菫は露骨に白瀬に気を許している。今も触れられて怒るどころか、不安を打ち消すようにキツく握り返しているじゃないか。
「白瀬君……」
「玉坂先輩! 大丈夫です! 呪いが何だって言うんですか! 俺が……! 貴女を……! 守って見せます……! 必要なら生け贄にだってなってやりますよっ!!!」
「……ありがとう。嬉しいわ」
白瀬……もう分かった。こいつも深井と同じなんだな? おそらく一目惚れした菫がオカルト研究会に参加しそうになっていたから、助けようとしていたんだ。
「才賀君? 分かりましたか?」
見えない物に怯える紫を庇ってやっていると、森亜がニヤリと笑っていた。……こいつ、もしかして謎を解いたのか? だとしたら、何故この場で明かさない? それとも俺の勘違いか?
「月曜日まで時間をくれ。その間にどうにかする」
「なるほど。流石ですね……それでこそ、僕のライバルという奴です」
俺はそう言うしかなかった。頭の中は推理で一杯で、言葉を深く吟味していなかったのだ。
それが最大の誤りだったのだ。
「才賀君……約束……です」
神代が立ち去る俺の背中へと、最後に小さく呟いた。
話に聞き入っていた僕に対し寺島理事は不意に頬を緩めると、心持ち疲れた表情を引き締めていた。
「叔父さん、それでその後はどうなったんですか?」
「君たちも知ってるだろうが、神代が死んだ。翌日の日曜日、深夜に立浜高校の屋上から神への生け贄として、自ら身を投げたんだ……俺達はそれを月曜日に知ることとなった。全てが手遅れだった……」
思わず息を飲んだ僕に対し、寺島理事――才賀先輩は自嘲気味に頷いた。……僕にも、少しだけ事件の全容が見えている。
「やはり、犯人は……森亜ですね?」
「あぁ。何のことはない。あの夜のことは、全てあいつが仕組んだインチキだったんだ」
「……ッ!? どういう意味ですか!?」
驚きよりもむしろ焦りからなのか、ちと先輩は縋るように立ち上がっていた。今の先輩は所詮理事の見た物の又聞きにすぎない。理屈で解き明かす先輩にとって、これ以上無いほど推理しにくいはずなのだ。
くすぐるようにチラチラと視線を僕へと向けてくるのがたまらなく愛おしい。
――あぁ。あんなに優れたちと先輩ですら、森亜の凶行を読み切れていないのだ……!
でも、それはおかしいことじゃない。ちと先輩は論理に裏付けされた高い推理力を持っている。
一方、僕にそんな物は無い。代わりにあるのは……以前に先輩の執事の人に指摘されたことだけ。
「ほう? 春茅、君は分かるというのか?」
「はい。簡単ですよ? だって神代さんは”神様に誓ってトリックを使っていない”のでしょう? また不審がっていた素振りからも、霊の仕業ではないことも明らかです。となれば、残る容疑者は生徒会副会長の森亜帝を置いて他にはありません」
「後輩! だがそれでは何の証拠も――」
縋るような麗しの先輩を差し置いて、僕は止まらなかった。理事が視線だけで全部語ってみろと言っているのだ。
「もちろん証拠もありますよ?」
「……聞かせてもらおう」
「ヒントは最後の降霊術です。深井先輩の結婚はともかく、残りの2つに答えられる人間はかなり限られるはずなんです。
治村先輩の帰還を当てたのは、一見運のようにも感じます。でも、ある条件を満たす人間だけは、勝算を持って答えられるんです。……そう、部室棟の鍵を管理している生徒会の人間です。生徒会の人間ならば、空き部室なんだから直ぐに捜査が終わると分かった筈なんです!
それから致命的なのが、乙母先輩の胸のサイズを当てたことです。よく考えて下さい。そんな女性の秘密を知っている人間は限られます。本人か……その恋人です。森亜と乙母先輩が深い仲にあったのは、会長さんの反応を見れば一目瞭然でしょう?」
あの場にいた生徒会の人間で、乙母先輩と深い仲にあるのは森亜だけだ。
多分。僕にちと先輩より優れた点があるとすれば、これだ。謎を暴く推理力ではなく、謎を謎として受け止める共感力。それこそが……森亜の謎を解く鍵になるだろう……!
「――ッ!? 後輩……確かにその通りだ。だけれど、君の推理では容疑者は乙母と森亜までしか絞れない。何故森亜だと思った?」
「……それは……上手く言えないんですけど、乙母先輩はそんなことをしないと思うんです……」
「む……しかし、それを言われると森亜だってそうではないか? まさか神代に呪われた影響でもないだろうし……そうなると――」
だが、僕もちと先輩も黙り込んでしまう。理事室に呪われた音が響いたのだ。
――パキッ…………………………
ラップ音。だけれど、空気に残響を残して消え入ったその音を、僕もちと先輩も一切の恐怖を感じずに見入っていた。
なにしろ、ラップ音は寺島理事が鳴らしたのだから――!
「春茅、君は似ているな」
「え? 誰に……ですか?」
「……神代だ。それはさておき、今のがラップ音の正体だよ」
そう言うと寺島理事は再び指を伸ばし、パチンと音を立てて見せた。そう、俗に指ぱっちんと呼ばれる関節を鳴らす遊びだ。
「叔父さん! しかし、森亜が解答の度に指を鳴らしていたら、貴方が気づくでしょう!?」
「当然気づいただろうな。だが、もちろん奴はそんなことをしていなかった。何しろ奴の指はウィジャ盤の文字を追うのに忙しかったしな!」
そういうことか。そう、森亜は両手を皆の注目が集まる机の上に出していたんだ。さながら、観客の注意を引きつける手品師のように。
「なら――」
「そう、指は鳴らしていなかった――。奴が鳴らしていたのは皆の注目が集まる机に隠された部位。足だよ。座って伸ばした足の関節を鳴らしていたんだ。ラップ音。あれは机の左に座ってた俺の、右側下方から聞こえていた。あの時の俺は絨毯の下に何か隠していると思っていたが……違う。あれは森亜が足で鳴らした音だったのさ」
信じられないといわんばかりにちと先輩の瞳が開かれる。
「理事、そんなことが可能なんですか? 僕は足の関節だなんて、聞いたことが……」
「ハイズビル事件は知っているか? 実際にアメリカであった、ラップ音を利用した心霊詐欺事件だよ。この事件の犯人は足の関節を鳴らすことで、ラップ音を偽装していたのだ!」
そして、それは重要な意味を持っているはずなのだ。僕がそれに思い至るよりも、ちと先輩が口に出す方が僅かに速かった。
「そうか。あの時立っていた乙母先輩に足を鳴らすのは無理だ。だが、座っていた森亜なら可能! しかも、ウィジャ盤の文字を示していたのも森亜自身。解答は容易、そういうことだったのか……」
……寺島理事はラップ音にも恐怖せず、その正体を探るのに全力を尽くしていた。その理性が、悪霊のもたらす恐怖に打ち勝ったのだ。だけれど、それは残念なことに、僅かに間に合わなかった――
「……俺は、その場で神代に伝えるべきだったんだ」
理事の表情は沈痛だった。きっと彼はトリックの半分以上をその場で見破っていたのだろう。でも、神代が敵で森亜は味方という先入観にとらわれてしまい、時間を取って他の証拠を探そうとしてしまった……。
もし寺島理事が不完全な推理を承知で神代と話していれば……彼女は死ななかったかもしれないのだ。間違いない。抜けたところのある彼女は、霊が視えるが故に霊の言葉を疑わなかったのだから……。
深い溜息をついた寺島理事は、再び元の疲れた表情に戻っていた。
「……今代の探偵部は優秀だな。もしかしたら、本当に森亜の謎を解けるかもしれないね」
その言葉は僕にもちと先輩にも向けられていないようだった。
どうやら、そこで話は終わりのようで。その後理事は改めて森亜の謎の捜査資料を渡すと、静かに一礼をした。
「何か分からないことがあれば、遠慮無く聞いてくれ。……特に春茅君、今の君は千歳ちゃんの家には近づけないだろう。必要なら寺島家に来たまえ。本家とは比べることも出来ない小さな家だが……妻と歓迎するよ」
「え? 理事の家ですか?」
思わず変な顔を作った僕に対し、ちと先輩が優しく肩を叩いてくる。
「後輩。実はここ数ヶ月ほど、百花が人が変わったように受験勉強に打ち込んでるんだ。両親は百花の気が変わりそうなことは、絶対に近づけないだろう」
そう言えば最近モモちゃん見てないと思ったら、勉強してたのか。やっぱり、根は良い子なんだ。
そんなことを考えていると、ちと先輩は資料を大事そうに抱えて立ち上がっていた。その目には活力が漲っている。まるで、今にも謎を解いて見せようと言わんばかりに。
「叔父さん、せっかくだが、この辺りで失礼する。私は部室で後輩と謎を解いてくる」
「はい! お供します、ちと先輩!」
先輩は蕩けるような笑顔で扉を指さしたのだ。
……そんな賑やかな後輩達が立ち去って静まりかえった理事室のソファにゆっくりと身を沈める。だが、柔らかいこれですら、俺の倦怠感を拭い去ってはくれない。きっと、残りの人生を共にするだろう。
「春茅君に千歳ちゃんか。あの2人なら……あるいは」
そう俺に思わせるだけの何かがあったのだ。何かが何なのかは分からない。昔の”俺”なら突き止めようとしただろうが、今の”私”にはそんな気概も湧かない。
そう。だから、片手が自然とポケットに伸びていくのも止める理由がないわけだ。
気がつけば、取り出したスマートフォンで仕事以外の貴重なプライベートな番号に発信していた。まぁ、今の私にプライベートな付き合いのある相手は非常に限られる。要するに自宅に一報を入れるのだ。それだけだ。
『はいっ! 寺島ですっ!』
「あぁ、お前か? 私だ」
『あなた? 今日はお仕事じゃ。こんな時間に……どうかされたの?』
「いやなに。ただ、ちょっと声が聞きたくなってな」
『……ッ!? ひぃっ!! すみません!! 久しぶりにお弁当失敗――』
「そうではない。……ただ、懐かしくてな」
『……?』
「そうだ。良い酒を用意しておいてくれ……久しぶりに帰ったらゆっくりしたい。お前と一緒に、な」
そのまま妻の返事も待たずに、自宅への電話を終える。そう、それで十分だ。
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