9.幽霊の足②
昔話には良くあるパターンだろう。いきなりラスボスに挑んだ奴はあっさりと負けてしまう代わりに、準備を整えた主人公は窮地を乗り越える。
敵と戦うのに準備は大切だ。
「先輩? 文藝部の備品なんてどうするんです?」
「そうだよ才賀! 速くしないと菫が!?」
などと喚く2人を尻目に、俺は我が文藝部の部室に立ち寄っていた。といっても今の文藝部は弱小部で、まともな活動はしていない。かくいう俺も便利な倉庫程度の認識だ。
――倉庫。つまり、普段使わないけれど、いつか使いそうなものが置かれている場所。だからわざわざ寄ってやったのだ。
「……先輩? その指輪を身につけるんですか? ……それも、制服のボタンまで開けて?」
「もちろん。お前はどうする?」
「……!? わた、私ですか!? 私は、その、」
「気にするな。安物だからお前にはピッタリだろう」
強引に指輪を紫にはめてやると、バカは嬉しそうな微妙そうななんとも言えない百面相を繰り広げていた。そんなことよりもだ。
俺は当然のように椅子に座ると、ぬくぬくとお茶を飲み始めたデブへと意識を向けた。
「おい、深井。お前……」
「なんだい? あ、祝勝会なら準備しておくから、任せてよ! 才賀! 紫ちゃん!」
「って深井先輩は行かないんですかーっ!?」
そう。俺がこいつを罵る由縁は、こいつ自身の絶望的な鈍さにあるのだ。何処の世界に自分の婚約者を助けるのを他の男にやらせるやつがいるのだ……。
「え? だって……僕が一緒に行っても役に立たないよ? それにきっとオカルト研究会の部室は狭いだろうし、不快だよ?」
「さっきのこと気にしてるんですかっ!? 違うんです! あれは本当に――」
「うわぁぁぁ!? そうだった!? やっぱり僕は行けないよ! 菫にも不快な思いをさせたくないし!」
深井は席から退こうとはしなかった。こうなると奴はテコでも動かない。いや、本当にテコを使えば動かせるだろうが、時間の無駄だ。
――だから、俺はこいつが嫌いなんだ。こいつは駄目な金持ちのぼんぼんの代表みたいな奴なのだ。同じ金持ちとして、見ているだけで庶民以上に不愉快だ。
「バカ、行くぞ」
「先輩……でも、深井先輩は」
俺が睨みつけると、紫はやるせなさそうに頭を振った。
「よっ! 文藝部期待の星! 2人とも頼んだぞ!」
「吉報を待っていろ」
俺は愚図など振り返らずに部室を後にし、渡り廊下へと足を運んでいた。
オカルト研究会の部室は渡り廊下の先、別棟体育館に付属した部室棟の最上階にあるようだ。場所は一目で分かった。まるで人生に負けて縋るものが超常現象しか無くなった負け犬みたいな顔した生徒でごった返しているのだ。その奥。黒い暗幕で周囲とは一線を画した場所に、そいつらは集中している。
「先輩……なんだか不穏な空気が漂ってるんですけど」
「……はん。なるほど。どうやら招かれざる客は俺たちだけじゃないようだな」
意識を研ぎ澄ます。なるほど。確かにそうだ。周囲は負け犬どもが集まっているが、そうでもない一団もいる。そいつらがオカルト研究会の部室の入り口を塞いでいるようなのだ。
……妙に規律が良いな。こいつらは……
「こちらは生徒会です! オカルト研究会の神代部長! 大人しくでてきなさい! 貴方たちには重大な嫌疑がかかっておりますッッ!!!」
一団の中央でヒステリックに騒いでいる女……見覚えがあるな。確か生徒会長だ。名前は……忘れた。どうでも良いか。
「なんだあんた達は! これから希望者に対してみいこ様の占いがあるんだ。邪魔は……」
「はぁぁぁぁッ!? あんだとオラァンッ!!! 聞こえないのかしらッッッ!!! こっちは生徒会長様がッ!!!神代をッ!!! 出せって言ってんのよッッッ!!! 有象無象は引っ込んでろッッッ!!!」
あまりの剣幕に部室から出てきた男が怯んだ隙に、我らが会長殿は副官と思しき男女を連れて強引に部室へと乗り込んでいった。……渡りに船というやつか。
「行くぞ」
「へ? 行くって……まさか、あの真っ只中にですか!? ……って置いてかないで下さい~!」
実に具合が良い。迷惑そうな生徒会員どもを押しのけて、俺たちも進むことにした。
中は西洋風の分厚く赤い生地で出来たカーテンが日差しを遮り、薄暗い。クーラーだけが音を立てて稼働している。元は他の部屋と同じくコンクリートが剥き出しだった壁には奇妙な文様の書かれた壁紙が敷き詰められていた。おまけに足下には柔らかくて毛足の長い絨毯。俺の経験上、中々に値の張る代物で間違いないだろう。
部屋には無数の書棚があり、本と一緒に怪しげな蝋燭やら頭蓋骨やらと、いかにもな品々が揃っているではないか。特に一部の蝋燭は火が灯され、薄暗い室内に微妙な陰影を作り出していた。
部屋の中央には学校の備品では無い、どっしりとした作りのテーブルが鎮座していた。普段はそこに来訪者を招いて占いをしているのだろう。そしてその机に座っているのが……神代か。
なるほど。読者モデルを名乗るだけはあって、中々の美貌だな。だが死人のように白い肌は趣味じゃない。身体は今にも折れそうなほど細い。こいつ……本当に生きてるのか?
……だが、そんなことはどうでも良い。こいつが元気いっぱいだろうが余命幾ばくも無かろうが関係ない。問題なのはこの女、間違いなく馬鹿ではないということだ。
なにしろ自腹を切ってまでそれなりの額を投資して、3年しかいない立浜高校の部室に舞台装置を整えたのだ。インチキ霊媒師と言うよりは、手品師だろう。馬鹿なはずがない。
「……葛城、今日の占いの方は?」
「申し訳ありません。この生徒会員どもが……」
「あんたが神代? 早速だけど、オカルト研究会は解散です。これは生徒会長権限によるもので、何人たりとも覆すことは出来ません」
空気が凍った。その隙に室内を見回してみれば、女と視線が合った。菫だ。
「あ、玉坂先輩」
「紫ちゃん? それに才賀君まで。ということは…………勝利君は来てないのね」
今時珍しい規定通りのスカートを優雅に舞わせながら現れたのはもう一人の昔なじみ。深井の許嫁の玉坂菫だった。……この様子だと、こいつも本心からオカルト研究会に入り浸っているわけではなさそうだな……。
「そんな横暴な!?」
「横暴? あっはっはっはっは!! んなわけねーだろッ!! お前らみたいな詐欺師と比べたら可愛いもんよ!」
「どういう意味だ――」
「あんたら、部員達からお金を巻き上げてるらしいじゃない? 部室を見れば分かるわ。このセンスの無いオカルトセット一式そろえるのにどれだけのお金がかかるやら。明らかに学校の配る予算超えてんのよ! 以上! これが詐欺行為の動かぬ証拠ね! 神代は退学よ! あんたは……大人しく従うなら口利きくらいはしてやっても良いけど?」
我が会長殿は清々しいまでにゲスだな。あれでは何の証拠もないと言ってるようなものだ。……だが、生徒会長というブランドには一定の価値がある。後は勢いそのままに葛城とかいう男を引き抜いて、都合の良い証言でも捏造するんだろう。
「大した独裁者だな」
「……断っておきますが、あれは会長が暴走してるだけです。生徒会員の総意ではございませんのであしからず」
俺の独り言に反応してきた女は……ほうほう、中々の美貌じゃないか。それに背も高いし肉付きも申し分ないな。端整な顔立ちは無表情だが……笑えばさぞかし絵になるだろう。非の打ち所が無いな。非しか無い紫と交換して貰いたいものだ。
「えっと……どちら様ですか?」
「生徒会書記の乙母です。こちらは副会長の森亜先輩です」
「ふぇ!? 失礼しましたっ! 文藝部の治村ですっ!!!」
――そうだ。それがあの男と俺の因縁の始まりだったのだ。
乙母に紹介された森亜はチラリとだけ俺たちに視線を向け、直ぐにまた視線を逸らした。とても無感動な瞳だった。喜びも悲しみも、退屈すらも感じさせない感情の抜け落ちた顔。その顔が大儀そうに動いた。
うんざりといった表情にである。
「会長……流石にそれは……」
「森亜君! 任せなさいよ! 直ぐにこんな奴ら追放して、理事会にご報告しましょう!」
きらりと、会長殿の顔から星が出た。この女……さては森亜に惚れてるのか? だが、奴は歯牙にもかけてないぞ……。なんてこった。こいつ、自分の為だけにオカルト研究会を潰そうとしてるのか。
「おい神代」
「……なんでしょうか?」
だから、俺は思いきって巫女殿に話しかけてみることにした。その声は思った以上に綺麗で、鐘の音のように凜としている。
「お互い忙しい身だろ? この壊れた目覚まし時計みたいなヒステリー女を黙らせる丁度良い方法があるんだが?」
「……是非とも伺いたいですね、才賀君」
この女……何故俺の名前を? まぁ、俺は有名人だからな。自分で言うのもなんだが、良い意味でも悪い意味でもだ。
「だ、誰がヒステリーよ!? っていうかあんた誰!? 何の権限があって私の妨害を……」
「お前の霊能力とやらを見せてやれ。そうすれば馬鹿でも黙る」
同時に近くで紫が息を飲み、森亜が瞳を細め、続いた。
「名案ですね。確かにそれなら話が早い」
……森亜、副会長の方は馬鹿では無いようだな。こう言ってしまえば神代はインチキを見せざるを得ないだろう。後はそれを暴けば良いだけだ。
しかも、やかましい会長殿も口を塞げるしな。
「な、何を勝手な……!? みいこ様の占いは……」
「構いませんよ葛城。申し訳ありませんが、アナタは外で順番をお待ちの方に、事情を説明してきて下さい」
スッと神代が立ち上がった。どこか幽玄的な空気を持った女だ。長い髪も白い肌も、それだけ見れば乙母にも匹敵する美貌だろう。だが……何故だ? こいつには食指が動かんな。
「しかし……」
「……才賀君や紫さん。帝君に蘭さんがお見えになるのは占いで分かっておりましたから」
言うじゃないか。
「……分かりました。では、早速お茶を……」
「不要です。そんなことよりも、先に外の方に」
残された葛城がお湯を作ろうとしたところで、神代はそれを制する。男が外に出て行き、室内には役者が揃った。
「では……」
神代はそう言うと、静かに俺たちを眺めていく。ゆっくり、じっくりと。端にいた菫から俺、紫を通って生徒会の乙母に森亜と騒音女。しめて1分といったところか。
「終わりました」
「水晶玉使わないんですか!?」
思わずバカが口走るのも無理は無いだろう。奴の座る机には意味深な水晶玉が置かれているのだ。
「はい。未来を見るのではなく、今を見ておりますので」
「ほえぇ。色々あるんですねぇ……」
そう。既に俺は神代の霊能力とやらに目星をつけていた。
ウォームリーディングだ。種を明かせばなんということは無い。対象の情報を普通に調べて、それをさも霊視した結果として伝えるのだ。
そう。さっき葛城とかいう男を外に出したのは順番待ちへの説明が目的では無いだろう。間違いなく外にいる神代の信奉者達から俺たちの情報を集めに行ったに違いないのだ。そして戻ってこないということは――
「ふん。なるほど、スマートフォンか」
「は? 先輩、どうかしたんですか?」
察しの悪いバカは気づいていない。……会長殿もだ。だが森亜の奴はピクリと眉を動かし、乙母に視線を向けた。そして……俺にもだ。
「会長、結果を聞く前に一つ頼みがあるのですが?」
「え? な、何かしら森亜君」
「外を見張って貰えませんか? 今彼が言ったとおり、神代が電波で外とやりとりしている可能性もありますので」
「……ッ! 分かったわ! 任せなさい! ざまあ見ろ神代! あんたのトリックは見破ったわ! 首を洗って待ってなさいよ!!!」
最後までやかましい女は、颯爽と部屋を出ようとして、途中で盛大に備品の山を崩した。当然謝りもしない。
「それでは……紫さんから」
「は、はい! お願いします!」
神代はそれを綺麗にスルーすると、改めて紫に目を向けた。外からは会長が葛城と争う音が聞こえてくるものの、それらを一切聞き流している。
……気のせいか、空気が淀み始めたような気がするな。
「貴女は……自分に自信がありません」
「ほわぁ!? あ、当ってる!?」
「それは自分ではどうしようも出来ない先天的なもののせいです」
「ひえっ!? その通りです!?」
ほら見ろ。案の上だ。今度はコールドリーディング、つまり相手自身に情報を語らせる手法を使っているようだ。紫のバカは見事に引っかかってやがる。
……だが良くやった! 褒めてやろう! コールドリーディングは相手の反応から答えを探る手法だ。つまり、紫みたいな的を射た質問から掠った程度の質問まで、全てに大げさに驚く奴とは相性が悪いはずなのだ。
「そうなんです!? そ、その……実は私には……その、夢があるんですけど……中々たどり着けないというか……」
「それは違いますよ」
ん? 神代の奴、少し話が変わったな。まさか、もう診断を下す気か? いくらコールドリーディングにしても、情報量が少なすぎるぞ……?
「貴女は着実に進んでいます。ただ、それが目に見えないせいで困惑しているだけです。大丈夫。貴女の回りの霊達は、皆貴女のことを祝福、応援しております。だってそうでしょう? 貴女はもうその努力を4ヶ月以上も続けていて……だけれど変化のなさに少しだけ疲れてしまった。そんな所でしょうか?」
「は、はいぃ。神代さん、私はどうすれば良いのでしょうか?」
……おかしい。いくらなんでも展開が速すぎる。神代の奴、既に葛城から情報を受け取ったのか? だが、あいつはスマートフォンを手にとってはいない……。
「大丈夫ですよ。ちょっと待って下さいね? …………はい。貴女の努力が実を結ぶときは間近に迫っています。ただ、それは貴女が思っているのとは違う形になるでしょう」
「……? それはどういう意味ですか?」
「……貴女”は”幸せになる、ということです」
思わず森亜と顔を見合わせていた。奴の顔には困惑が浮かんでいる。
この男、相当に出来るはずなのだ。俺がチラリと視線を部屋の外に向ければ、奴は静かに首を振った。……外では会長殿が相変わらずギャアギャア騒いでいて、葛城の声はかき消されてしまっている。つまり、言い争いを装って情報を伝えている可能性もない。
……面白いじゃないか。どんなトリックを使っていることやら。
「こんな所でしょうか。次は――」
「……私を」
よりにもよって敵に懐いてしまったバカを使えないと判断したのか、乙母が名乗り出た。その度胸も見事だ。そしてその顔には……勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
「私には特に悩みはありません。だから、私の来歴を当てて下さい」
決まったな。今までの情報だけで乙母の素性を当てるなど不可能だ。おそらく神代は無関係な話を装いつつ情報を得ようとするが……乙母は突っぱねるだろう。
「菫」
「分かってます」
静かに幼馴染みを見れば、彼女は小さく踵で床を蹴っていた。不愉快なんだろう。詐欺師相手に自分を助けに来なかった深井のことが。まぁ良い。この分なら帰って仲直りでもさせてやれば――
そう思ったときだ。神代がニコリと透き通った笑みを浮かべたのは。
「貴女も紫さん同様に自信がありません」
「いいえ? 大外れも良いところです。私は――」
「東北の農家の出身、でしょう?」
「……っ!?」
乙母の顔が引き攣った。どうなっている? 神代の奴はどこから情報を引き出したんだ?
「しかも所謂豪農と呼ばれる家で、付近一帯の祭司役を務める家柄の出身です」
「……違うッ! 私は――」
「そして、ご両親はそんな田舎の因習が嫌で嫌でしかたなく、娘を連れて都会へと出てきました。しかしそこで挫折を覚え、再び田舎へと帰ったのです。あそこなら因習は面倒でもお金はあるし、住民からも尊敬を向けられている。そう、逃れ得ぬ縁に絡め取られ――」
「…………馬鹿な……!」
もはや乙母の顔は蒼白だった。……なるほど。少しは絡繰りが理解できた。乙母はクールぶってるが、内心は感情が豊かで隠しきれない時があるのだ。どうやらそもそもの感情の起伏の少ないらしい森亜とは似て非なるタイプのようだ。
「貴女は親と違って神奈川に残る道を選んだ。その道に後悔は無い。どうせ田舎に帰れば適当な相手の婿を取らされ、因習に埋もれる羽目になる。だからそれを必死に振り払おうとして、できないでいる。何故なら貴女の暮らす家も、お金も、元を正せば因習から来たものだから。それを自覚しているから意固地になって田舎を否定しては、そのたびに挫折する。だから貴女は因習に塗れた自分に自信が持てない……」
「くっ……! そんな、どうして……」
ヒヤリ、と冷たい空気が場を流れた。それがゾクリと背筋を撫でるなか、俺は無言で神代を見つめていた。あの女に不審な動きはない。
「貴女の場合、強い神様の加護が……」
「もういい」
そう言うと乙母は静かに時計を指さした。昼休みが終わろうとしていた。マズイな。このまま引き下がるのもしゃくだが……まぁ良い。大体の謎は解けたからな。
「……おい神代。土曜日に面貸せ」
「……あいにくですが――」
「平日は占いで、日曜日はモデルの仕事で忙しいんだろう? だが土曜日なら空いてるんじゃないのか?」
残念だが、今日は良いようにやられてしまった。乙母など屈辱に顔を歪めているではないか。実に良い顔だ。だが、それはさておき、この神代だ。評価を上方修正しておかなければならんな。
「まさか、俺達の分はないのか?」
「いえ、ありますよ? ただ――」
睨む俺に対し、奴は心底申し訳なさそうに目を伏せた。
「――お貸ししたいのは山々なのですが、あいにくと私の顔は取り外しが――」
「ってそのままの意味で解釈するんですかー!? ……はっ! しまったっ!」
ボケだった。
この女……まさか、天然か? 狙ってやってるなら、このタイミングはないだろう。間違いない。
それに天然キャラを装ってるだけなら、うちのバカも野生の勘でスルーしただろうし。




