9.幽霊の足①
狐につままれたような気分で年明けを迎え、僕は着物姿のちと先輩と共に稲荷神社への初詣に赴いていた。日付が1日じゃないのは残念だけど……1日は先輩の家で親族や関係者の集まる新年会があって忙しいようなのだ。
仕方ない。
なので綺麗なピンク色の振り袖を着たちと先輩に見とれた僕が、立浜高校に出向いたのは3日のことだった。時刻は午前10時くらい。当然ながら校舎に人気は無く、ただ学校の裏口の鍵だけが開いていた。
寒々とした校舎の行き先は勿論、理事室である。
凍てつく校舎とは打って変わって暖房が効いて暖かい室内で僕たちを待ち構えていたのは、寺島理事である。相も変わらず僕の父親が着ているのとは明らかに違う、高級そうなスーツがヨレヨレになっている。そしてその年齢にそぐわない老成したような表情も以前の生徒会の醜聞の時から変わっちゃいない。
「叔父さん……どうして今まで黙っていたんですか? 貴方が森亜の謎の鍵を知っているのであれば、早々に解決できていたかもしれないのに……」
「悪かったねぇ。もちろん意味はあるよ? この資料を欲しがっているのは探偵部だけじゃない。だから迂闊な相手にヒントを教えるわけにはいかなかったんだ、千歳ちゃん」
不満を隠そうともしないちと先輩に対し、寺島理事……才賀先輩は穏やかな笑みを浮かべながら言って、僕を見た。
「さてさて、積もる話もあるだろうが、全てを話していては時間が足りなくなってしまう。まずは資料を読みたまえ。森亜の謎に関することは全て網羅されている。話はそれからだ」
そう言って僕たちの方にUSBを差し出してきた。ご丁寧に2つ。きっと中には紙の資料を取り込んでいるのだろう。
見ればちと先輩はそれに夢中になっているのか、持参していたノートパソコンを準備しだしている。見れば寺島理事はそれを優しく見守るように笑っていて――
だから、僕は本題に入ることにした。
「理事、それで神代の件ですが……」
……やっぱり、この人はただ者ではない。だって、僕がそういった瞬間、嗤ったのだ。それも、まるで出来の悪いお前にしちゃ上出来だと言わんばかりの、嫌な笑い方で。
「ふうん。でも、神代の件は直接森亜の謎とは関係が無いよ? 春茅君も千歳ちゃんと一緒に資料を確認したら?」
「……確かに、そうかもしれませんね」
「なら、どうしてそうしない?」
――空気が変わった。
寺島理事が笑うのを止めて、僕に鋭い圧力をかけてきたのだ。彼の両の瞳が僕の無能をあざ笑うかのように細められ、その口元は揶揄するように弧を描いている。
しかも僕は……この人の不興を買えない立場にいる。
だからそう言われてしまえば出来ることは一つだけ。
「だからです」
「……どういう意味かな?」
ゆらり、と圧力が強まった。見れば寺島理事は温厚そうな態度をかなぐり捨てて、近づくもの全てを燃やし尽くすようなオーラを放ち始めている。
ちと先輩は気づかない。無邪気にUSBの資料に記された森亜の謎を読みあさっているのだ。
「探偵部の目的は森亜の謎の解明。君はそれをしないというのか? とんだ不良部員だな」
「……だって、その資料からは正解にたどり着けないのでしょう?」
僕がそういった瞬間、彼は再び本性を現したように傲慢な態度で笑った。
……多分、あれはダミーだと思うのだ。
「後輩? どういうことだ?」
「……先輩。その資料を優秀な理事は、暗記するほど読み返している筈なんです。にもかかわらず謎は解けていない。となれば、そこから正解にはたどり着けないんです」
「……っ! 確かに……」
そうして、僕たち探偵部は理事と対峙した。いや、そうじゃない。
対峙しているのは僕と理事なのだ……!
そう、寺島理事は先輩を見ていない。先輩を幼い頃から知っている理事は、同時に先輩の限界を知っているのだ。だから、今まで先輩にも資料を見せていない。
……信じがたいことだけど、先輩は見限られているのだ。僕の知る限り、最も頭の良いちと先輩ですら……。
「良いだろう。合格だよ今代の探偵部」
「……では、神代の事件についても教えて頂けるんですね?」
「良かろう。正直なところ、この謎を解くのは私……いや、俺の使命だと思っていた。他の誰にも解けないんだとな」
キツく、それでいて柔らかく笑った理事は身振りで僕たちを来客用の大きなソファーに腰掛けるように示した。
「……叔父さん、それは……」
「悪く思わないでくれよ姪っ子。君は父親を越えて優秀だが……この俺を越えるほどではない。精々が同格程度だろう。なれば、3年で卒業してしまう君に任せず、自分で解いた方がマシだ」
理事はそのまま自分のデスクに腰掛ける。……この人、落ち着いたような態度をしてるけど、本性は激情家なんだ。多分だけど、今も……自分以外の人間に出し抜かれそうになっているのが嫌で嫌で堪らない。なんとなく……分かるのだ。
激情家で感情の起伏が人一倍激しくて……それでも決して暗愚にはならず、正解の道を選べるだけの理性を持ち合わせている。
僕は……僕はこんな相手に勝てるのだろうか?
「春茅君の言うとおり、神代の件は森亜と直接の関わりは無い。無いが……俺は重要な出来事だったと思うのだ。そうでなければ、あの時点では無害だった森亜が変わることも無かったはず」
そう言うと、理事は僕たちをもてなす為に紅茶を入れてくれた。……ちと先輩の紅茶とは香りが少しだけ違うようだ。
「さて、長い話になる。質問はメモに纏めておいてくれ。最後に纏めて聞こう」
「……理事、神代の件は……」
「あれを俺たちは”幽霊の足”事件と名付けた。今をときめく現代の巫女が、自らを生け贄に捧げるまでの数奇な運命の話さ」
かくして、寺島理事はその物語をゆっくりと語り始めたのだ。
「もうずっと前の話だ。どこから伝えたものか……。まぁ、そんなことは些細な問題か。そう。あれは……今思えば奇妙な年のことだった。4月に雪が降り、6月に雨が降らず、そんな感じで迎えた、妙に生暖かい夏のことだ。
時間は忘れて……確か授業と授業の合間だったか……いや、紫がいたのだから昼休みかもしれないな」
「才賀ぁぁぁ!!! 聞いたか? もう聞いたか!? 頼む、力を貸してくれッ!!」
などと意味の分からない言葉を向けてきたのは、昔なじみの深井だった。小太りで異様なほどに学ランの似合う丸顔が庶民感丸出しなやつだ。が、驚くことに俺と同じくこの地域の名家の出でもある。
そんなこともあって、親に連れられたパーティーで何度も会ってるうちに親しくなったのだ。もっとも、親しくなったと思っているのは向こうだけだがな。
「何だ不快? 相変わらずお前の言葉は不快だな。俺にも分かる言語でしゃべれ」
俺の憎まれ口に対しても、こいつは特になんとも思わない。……自分で言うのも何だが、俺はとても傲慢な人間だった。にもかかわらず、それなりの容姿を持っていたことと、実家が裕福だったこともあって、俺の回りには男女を問わず人がいた。それに加えて、俺はとても優秀な男だったのだ。敬意を払われるのが当然だ。
そう、思っていた。
「俺の名前は深井勝利だって!? 不快じゃないからな!? イントネーションに気をつけろよな!?」
「先輩~!? そうですよ! いくら深井先輩が汗っかきでこの時期は不快な存在だからって、親から貰った名前をネタにするのは可哀想ですよー!?」
などとフォローしようとして自爆したのが治村紫。どうしようも無い愚図だが根性だけはある俺の後輩だ。
元々こいつは鈍くさいところがあって、入学式の日に道に迷って泣きながら校舎を彷徨っていたところを助けてやったのが縁で、懐かれたのだ。これがスタイル抜群の美女なら大歓迎なのだが……残念なことにこの紫はそれとは正反対。
身長は低い。驚くほど低い。本人は必死で否定するが、150㎝も無いだろう。こいつより小さい高校生を見たことがない。しかもランドセルを背負うと小学生にしか見えない。というか、持ち前のとろさと相まって、むしろ納得する。
更に残念なことに、スタイルは勿論運動神経も小学生並みなのだ。当然おつむの中身もな。
案の定、深井が最もダメージを受けたのは紫だった。
「……紫ちゃん、俺のことそんな風に思ってたんだ……」
「ち、違います! 私は別に平気です! た、ただ、他の人は臭いって言ってたなぁ、って思い出しただけで……」
「尚更悪いよねそれ!?」
そうして2人が揃って頭を抱えたところで、話が進まない事に嫌気を指した俺が強引に聞き出したのだ。
「そんなことより、深井、お前は俺に話が合ったんじゃ無いのか?」
――それとも、無いのに俺の時間を浪費させたのか?
微かな苛立ちの籠もった言葉に深井は藁にも縋る勢いで縋り付いてきたのだった。やっぱり不快だなこいつは。
「菫が!? 菫が妙な奴らとつるんでいるんだ!? 頼むよ才賀ぁぁ。力を貸してくれぇ!?」
「菫って……玉坂先輩!? 深井先輩の婚約者ですよね!? 大変です!? 先輩、行きましょう!?」
2人の言う菫とは玉坂菫、俺のもう1人の名家の幼馴染みにして、深井の許嫁でもある少女だ。今時珍しい和風少女で、肩まで届こうかという黒髪は艶やかで美しい。古風な佇まいは趣があると言うべきか……とにかく中々の美少女だ。深井には勿体ないほどのな。
……だからこそ、紫の言うとおり、時々妙な噂が立ち上るのだ。
深井の馬鹿は自分でどうにかすれば良いものを、みっともなく取り乱して共通の知人である俺を頼ってくるのだ。俺が頼られ、ねだられるのは良くあることだ。金だったり、テストの結果だったり――そう、俺の実家の権力を持ってすれば、テストの結果の操作など簡単だ。……だが、厄介ごとを持ってくるのはこの深井か紫だけ。
「また浮気の噂でも立ったのか?」
「そうなんだよぉぉぉ!? 助けて才賀!? 僕にはもう、君しかいないんだぁぁぁ!?」
「不快な言い方は止めろ」
だが、別にそれは珍しいことでは無い。この深井の反応を面白がったクラスメイトが妙な噂を流すのは偶にあるのだ。で、俺が駆り出されたあげく、噂の発生源を締め上げる。すると深井は犯人に対してぶち切れ……る代わりに安堵して、あっさりと許す。
今回もその口だろう。何しろ、俺の見たところ、別に菫とこいつの仲が悪いわけでは無いのだから。
だから、俺は断るつもりだったのだ。
「どうせまたホラだ。むしろ、お前が一人で颯爽と助けに行った方が良いんじゃ無いのか?」
「それが、相手はオカルト研究会なんだよぉ。1人じゃ心細いし、頼むよぉ」
その言葉を聞いたからには、俺は断れなかった。
オカルト研究会……正確にはそこに所属する女が問題だったのだ。
――神代実子。
それは今、立浜高校で最も有名な生徒の名前だ。曰く、現代の巫女。
――霊視することで相手を見定める。
――占えば相手の未来のことを正確に予言する。
――いじめっ子に呪いをかけて謝らせた。
――悪霊に取り憑かれた生徒を除霊した。
などなど。その美貌も相まって、モデルとしても活躍しているらしい。問題なのは、彼女の所属するオカルト研究会には怪しい噂が後を絶たないことだ。
何でも、オカルトの為に生徒から自主的な寄付を受け付けているとか。今はまだ少額だが、将来的にどうなるのかは分からない。しかもその一部では勝手に神代を神格化して、崇めているらしい。
そんな危険な新興宗教団体みたいな所に自分たちの子供達が入れあげていると知ったら、普通の親は危機感を感じるだろう。まして資産家ならば尚更だ。当然親たちは抗議する。で、大事な大事な金づる、もとい寄付源の要請を受けた学校も動かざるを得ない。
俺の所にも学校から警告を兼ねた連絡があったのだ。近々生徒会を動かすから、近づかぬように、と。
気に入らないな。
何処の有象無象か知らんが、俺の行動を制約しようなどと片腹痛い。あぁ。ちょうど良いかもしれん。
「良かろう。その話、乗った」
「本当かい!? さっすが才賀! 君が行ってくれれば百人力だ!」
そうと決まれば是は急げだ。有象無象の女どもが俺に話しかける機会を虎視眈々と狙っているしな。こいつらは普段紫程度であれば平然と押しのけてくるのだが、幼馴染みにして名家の令息でもある深井に対してそれを働かない程度の知能はあるようだ。
「早速頼むよ! 才賀!」
「先輩! 場所は部室棟の最上階です! 神代さんいつも部室で占いをしているそうです……!」
「……おい待てバカ。貴様、なんでオカルト研究会の事を知っている?」
「うぇ!? い、いや、それはですね……たまたま私達2年生のクラスでも有名だったというか何というか……」
俺のバカ呼ばわりにも、紫は気分を害さない。こいつにも自分の身の程をわきまえる程度の知能はあるのだ。
……さてはこいつ、オカルト研究会に興味を持ってやがったな? 相変わらず愚かな奴だ。オカルトなんぞ、所詮人の作り出した幻想に過ぎん。科学の灯火に焼かれる運命にあるのだ。
「ち、違うんです!? 決して、そう、決して一縷の望みを託して占いに縋ったとかそういうことは無くてですね……!」
「なら、多少手荒なことをして出禁になろうが問題ないな、行くぞ」
「ひぃ! そ、それは…………って、置いてかないで下さいぃぃぃ!」
かくして俺は颯爽とお供を連れて敵の牙城に向かったのである。




