8.赤い円①
朝はめっきり冷え込む12月、そしてその中でも特に重要な24日。にもかかわらず、僕は凍えていた。この立浜の地は神奈川の屋根、丹沢の間近に位置している。だからとにかく寒い割に雪は山に阻まれて全然降らないという、なんだか損したような気分になる土地なのだ。
それにしても……今年の冬は一段と寒い。
僕の吐いた息は空気中で凍ったように白く、そのまま上へと昇っていく。そう、冬の青空……ではなく、おなじみ探偵部の部室の天井へ。
「せ、先輩! さ、寒いです! 何とかならないんですか!?」
「……残念だが無理だ。一応石油ストーブはあるのだが、灯油が無くなってしまったみたいでな。……まだ少し残っていたと思ったのだが」
探偵部の部室は校舎の僻地にあるせいか、とにかく人の気配がなく、寒いのだ。だって吐く息すら白いんだもの。室内とは思えない。
僕は室内にも関わらず、手袋が手放せない。かじかんで活動日誌すら上手く書けないのだ。一方のちと先輩も澄ましてはいるが、寒いのは確からしい。これまではボタンを開けていたインバネスコートもしっかりと閉じられている。
「さ、後輩よ。そんなことよりも聞かせてくれ? お前がこれまでに調べてきた森亜事件のことを」
僕の抗議を聞き入れてくれた先輩は……どうやらジンジャーティーを入れてくれるようだ。あれは良い。美味しいし身体に良いし、何より暖まる。……愛情とか、入ってないかなぁ? なんて。
「はい。まず先日も報告したとおり、森亜事件の前に存在した事件。それに先だって森亜と乙母に治村初代部長、それから未知の人物Aで事件を解決したことがあるそうです」
「生徒会の件だな。まったく、盲点だったよ。まさかそんなところに情報が残されていたとはな」
「全くです。そして……その事件、仮に零の事件としますが、零の事件についてクマちゃん先生に聞いてみました」
同時にちと先輩の瞳が期待に輝き始める。
思わず注がれたジンジャーティーを口に運んでしまった。見た目は紅茶と大きく変わらない。綺麗な琥珀色だ。だけれど一口飲むや、ショウガの香りと辛みが全身に広がり、それは直ぐに暖かさへと変わっていく。
うん。元気出た。だって、これから話す内容は僕の大っ嫌いな類いの話なわけで……。
「零の事件を一言で纏めるなら、心霊騒動です」
同時にちと先輩も一口飲むと、満足そうに微笑んだ。対照的に僕の顔は自然と引き攣っている。先輩はそんな僕を優しく見守っていて……。
……なんだか、久しぶりな気がするな。前は当然のようにちと先輩と探偵部で活動していたのに……最近は受験勉強とかで中々会えないんだ。
そう思うと、僕の口は自然とゆっくりになっていく。
「ちと先輩は神代実子という女性をご存じですか?」
「神代? ……いや、知らないな」
もちろん、僕も先生方に教えて貰うまでは知らなかった。そして、学校としても決して望ましい生徒ではなかったようだ。なにしろ神代は……
そこでかき集めた新聞や週刊誌のスクラップを取り出すことにした。そこにはこう書かれているのだ。
”神秘の霊能力者!! 現役高校生神代実子の超本格占い!!!”
”読者モデル実子ちゃんに聞いた、本当に効くおまじない10選!”
”話題の霊能者、神代実子とは?”
”実子ちゃんと行く! 心霊スポット探訪神奈川編! ~善波トンネルから高速道路のタカシ君まで~”
案の定、ちと先輩の眉根が顰められた。
「つまり、神代実子とは……」
「……どうやらオカルト研究会に所属していたようなのですが、良く当る占い師としても有名で、その美貌もあって雑誌とかで話題になっていたようです。ネットを探せば今でも彼女の記事が出てきます……」
ちと先輩は無言で資料に目を通していく。
神代実子は、同級生からは巫女さんと呼ばれていたらしい。幼い頃から強い霊力を持っていたとか何とかで、高校生活でもそれを活かした除霊や占い、降霊術等を主導していたみたいだ。
死体のように色白で、水に沈んで脚に纏わり付きそうなほど長い黒髪は立浜高校の制服とも良くマッチしていた。化粧の仕方も古風というか独特で、血のように赤い唇が印象深い。特徴は髪に差し込まれた簪かな。なるほど、メディアで話題になるだけはあって、美少女と形容しても問題なさそうだ。
……正直、勘弁して欲しい。
「つまり、こういうことか? この神代とやらは霊能力があるとして、詐欺行為に関わっていたと?」
「端的に纏めるとそうなります。何でもその人を霊視することで、生い立ちや家族関係をあてるそうです。カリスマ的な人気があったみたいで、一部では宗教のようになっていたとか」
ちと先輩の表情が曇る。当たり前か。僕だってそんなことは信じてない。
一見すると、ただの何でも無い詐欺事件のような臭いもする。でも、この神代には一つだけ特徴があったのだ。
「神代実子は一切お金を受け取らなかったそうです。メディアとかの謝礼は寄付に回していました。もちろんオカルト研究会にも部費は存在しましたし、それ以外でも生徒が自腹を切ることもあったそうですが……その殆どは物品の購入に充てられていたようです。当時の生徒会が確認を取ったみたいなのですが……いずれもレシート等が残されていて、不正な資金流用はなかったみたいです」
もしかしたら、この人には本当に霊能力という物があったのかもしれない。思わずそう思ってしまうほど、神代は清廉潔白な生徒だったのだ。なにしろブログでオカルト研究会の資金の流れは明かされており、個人資産の寄付の記録まで公表していたのである。
「……つまり、その時か」
「はい。どうも彼女の信奉者の一人に資産家の令嬢がいたそうで、その子の親が学校をせっついたようです。といっても先生が動いてもこの手の問題は解決できないでしょう。だから、当時の学校側は生徒会を動かしたそうです。また、親の伝手で令嬢の知り合いの生徒も解決に乗り出したとか」
その生徒こそが森亜の謎の鍵を握ると思われるAなのだ。当時の生徒会副会長の森亜とその忠実な部下の乙母、そしてAとAを慕っていた治村部長。この4人で神代の化けの皮を剥がそうとしたって訳だ。
「……乙母は探偵部を嫌っていた。それは間違いない。となれば、その神代と連絡を取れば森亜の謎は前進するということか。良くやったな後輩。あと一歩の所まで来たじゃないか」
ちと先輩は僕を優しく褒めてくれた。……。
「分かった。人捜しの方は本職の探偵に――」
「先輩待って下さい。一つ問題があります」
キョトンとした顔のちと先輩。可愛い。でも、僕は残念なことを言わなくてはならない。
そう。だからこそ、僕の調査はここで暗礁に乗り出してしまっているのだ。
「神代実子は既に亡くなっています。自殺です」
「まさか!? ……だが、彼女の率いていた――」
「オカルト研究会もカリスマを失って瓦解したようです。学校からも睨まれていたので無理もないでしょう。もっとも、残党は他の部へと移動していったようですが」
そうなのだ。神代実子は”幽霊に唆されて”死んだのだ。
……実はこれはかなり好意的な言い方で、当時はもっと別の言い方をされていたらしい。即ち、神代実子は”立浜高校を救う為、自ら生け贄として身を捧げて”死んだ、と。
何を言っているんだとしか言いようがない。しかし、その後に起きた連続自殺事件がその噂を拡大させてしまったのだ。
部室を重い沈黙が満たしている。まるで夜中の墓場のような薄気味悪い空気が流れ始めたところで、ちと先輩は口を開いた。
「依頼人だ」
「えっ!? あ、本当ですね……」
気がつけば、2つの足音が探偵部の部室へと近寄ってきていたのだ。……足があるってことは幽霊じゃないよね?
僕が部室の荷物を片付け、ちと先輩が来客用のお茶を準備し始めた所で、部室の扉が開かれた。男だ。背が高く、髪は短い。体育会系なのか身体には適度に筋肉がついていて、大きなボストンバッグは荷物で一杯に膨らんで……
「ってなんだ、佐伯じゃん」
「おい! せっかく来てやったっていうのにその反応は酷くないか!?」
男のくせにぷんすかと怒ったのは言わずと知れた僕の愉快な知り合い、佐伯だった。
あぁっ、何たることか! よりにもよって佐伯はそのまま案内も待たずに平然と室内に入り込むと、どっかりと椅子に座り込む。この暴虐、許せない。だって、だってその隣には……
「あ、あの! 調査に協力して欲しいんですっ!」
大人しそうな、それでいて可愛らしい、それこそ佐伯の隣に並ぶなんて美女と野獣を通り越して月と生ゴミくらいには差のある……女の子だった。首元のリボンは緑色で、僕や佐伯と同じ一年生であることを示している。頭に簪のようなカチューシャを付けていた。つぶらな瞳は緊張しているのか細くなっていて、小動物のように可愛らしい。
身長は低めで、靴とか含めてそれに準じたサイズの持ち主だ。僕とちと先輩を見上げるようにしながら、片手が胸の前でせわしなくリボンを弄っている。制服自体に特徴はないけれど……うん、スカートの左のポケットがやや重そうに沈んでいるな。いや、何かが飛び出しているのが見えてる。あれはシャープペン……の頭に着いてる消しゴム?
驚愕のあまりホームズ式観察術を始めた僕に、どや顔の佐伯が勝ち誇った顔を向けてくる。ぐぬぬ……。おかしい、夏くらいまでは僕がリードしていたのに……!
「……ふむ。貴女は?」
「あ、ごめんなさい。私は久瀬令佳と言います……」
「俺の女だぜ!」
チャラーい佐伯の言葉に久瀬さんは初々しくも頬を赤らめながら、しっかりと頷いた。
……なんだこの出来た子は。っていうか、騙されてるんじゃないのか? もしかして佐伯に弱みを握られて……無理矢理に!?
「リョウ……お前、何か失礼なこと考えてないか?」
「まさか! ただ、可哀想に男を見る目がないんだなーって思っただけで」
「それを失礼って言うんだよ!?」
案の定いつものやりとりを始める僕ら。お互い分かっててやってるのだ。だけれど、久瀬さんはそうは思わなかったようで――
「違います! タカ君は内気な私をフォローしてくれる素敵な男の子です!」
僕は佐伯と2人並んでポカンとしながら、懸命に立ち上がって大声で宣言した久瀬さんを見ていた。本人も恥ずかしかったのか、直ぐに座って俯いてしまう。
なんだこの子。本当に良い子じゃないか。佐伯には勿体ない――
「話が進まない。後輩、静かに」
対照的に苦笑を隠しきれないちと先輩から指令が下る。そうして格の差を見せつけられた僕は、謎の敗北感と共に予定外の展開に口を塞がざるを得なかったのだ。
「ごめんなさい。それで……えっと、何処まで話しましたっけ?」
「貴女が熱心な文藝部の生徒で、冬休み中に小説を一本書くための題材を探しているということまでは分かった。それから最近あちらこちらに出歩いていること。そして今日はこれから学校外の、それも不慣れで遠いところにまで足を伸ばそうとしていることもだな」
「え? な……なんで!? わ、私の心が読めるのですか!?」
ちと先輩は自慢げに僕の鹿撃帽を手にとって頭に被り、インバネスコートと合わせて探偵ぶっていた。……可愛い。
「付け加えるなら、ジャンルはミステリーだろう?」
「……!? 凄い! 当たってる!? なんでですか!? まさか、貴女も霊視が出来るんですか!? 守護霊とか悪霊とかが見えたりするんですか!?」
その言葉に僕はギクリとして、思わず佐伯と顔を見合わせていた。だって久瀬さんの顔はその瞬間パァッと明るくなるやキラキラした目でちと先輩を見て……
「まさか! 単純な推理だよ?」
――初歩的だよ、後輩。暗にそう言いながらちと先輩は僕を見た。
「歩き回っているのは見れば分かる。上履きが後輩やその友人と比べても傷ついて大きくすり減っているだろう? 校舎内を頻繁に歩き回っているからだ。またポケットからは筆記具が覗いている。だがポケットは軽いシャープペンにしてはたわみすぎている。ということは、当然ペンとセットのメモ帳が入っているんだ。校舎内を歩き回ってメモを取る部活と言えば?」
「……な、なるほど。文藝部で小説のネタを探して歩き回っているってことなんですね?」
僕の言葉にちと先輩は満足そうに頷いた。
一方、机の向かい側の依頼人席では佐伯が呆気にとられて阿呆面を見せ、久瀬さんは……幻滅したように、あるいは納得したように胸をなで下ろしていた。
「先輩、校舎内のネタが尽きたから外に出ようっていう所までは分かりました。でも、ミステリーっていうのは?」
「傍らに頼れる彼氏がいるんだ。単に見知らぬ土地を探索するなら、それで十分だ。にもかかわらず探偵部に助力を頼むとなれば……ミステリーや謎解きを求めている、と解釈するべきだろう? 我々の専門分野のな」
なるほど。流石はちと先輩だ。僕も今年一年でかなり成長したつもりだけど……まだまだ先輩には及ばない。僕も……いつかはあれくらいのレベルになりたいな……。そう、たとえ相手が幽霊でも決してビビらずに泰然と正体を見破るような――
「リョウ! お前……相変わらず心霊系は嫌いみたいだな!」
「しょ、しょうがないだろ!? 苦手なんだよ!?」
ぐぬぬ。僕だって、途中までは推理できていたんだ! ただ、ただ途中で久瀬さんが悪霊とか言うから、そっちに気をとられてしまっただけで……。
「やーいやーい! 弱虫やーい!」
「う、うるさい! 誰にだって苦手な物の一つや二つ――」
「あ、行き先は立浜駅の向こうの稲荷神社です」
「スルーかよ!?」
ニヤニヤ笑う佐伯。オロオロする久瀬さん。苦笑いが絶えないちと先輩。悔しそうに涙目を隠す僕。とっても寒い部室は気がつけば愉快な人間達によって暖められ始めていた。
久瀬さんが最後に纏めるように立ち上がる。
「聞いて下さいっ! 私が校舎内で聞き込みしていると、不思議な噂が流れていることに気づいたんです。稲荷神社、ご存じですか? 駅の向こう、橋を渡った先の湖の方。閑静な住宅街にほど近いんですけど……そこだけ開発から取り残されたように森が残ってるんです。稲荷神社の敷地、です。神聖な境内からは湧き水がコンコンと溢れ、季節が来れば幻想的な蛍が見えるそうです! それで、それを目当てにある立浜高校のカップルが行ったそうなんですけど……何もない筈の暗闇に妖しく揺らめく不思議な灯火を見たそうなんです! そう、間違いなく、鬼火とか人魂とか呼ばれる心霊現しょ――」
「不審火か、警察案件だな」
「ち、違いますよ先輩! 狐火ですって!?」
慌てた僕の突っ込みに、ちと先輩はうっかりと言わんばかりに頷いた。そうして僕の耳元をくすぐるように囁くのだ。
「すまん。せっかくの謎だし、久瀬の興をそぐような真似は控えないとな……」
「……ほあ!? ……だ、だから狐火ですって!?」
耳に吹き込まれたちと先輩の吐息が、僕の心を直撃する。ゾクゾクとしたイケナイ感覚が背骨を走るのだ。
それを誤魔化すように僕は立ち上がって宣言していた。
「とにかく! その赤い炎が今回の謎なんです! さぁちと先輩、一緒に解明しましょう!」
ちと先輩は胡散臭そうな顔を隠してもいないけれど……参加は決めてくれたのだ。良かった。これで最悪、クリスマスを一人寂しく過ごすっていうのだけは避けられた。
かくして、僕とちと先輩及びおまけカップル二人によるダブルデート! ……っじゃなくて、謎解きが始まったのである!