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立浜高校探偵部  作者: 中上炎
探偵部の冒険
1/93

1.瀕死の探偵部

 放課後の教室。窓から差し込む夕日が銀色の窓枠に映り込んで真っ赤に染まるのとは、多分対照的なのだろう。そう、今の僕の顔は。


 僕が青い顔をしているのには理由がある。


 「と、言う訳なのだよ! 後輩、分かったかい?」

 「…………えっと……」


 椅子に座り込んだ僕は必死に愛しの先輩の問いかけに答えようと思考を巡らすものの、机の反対側の先輩はそれすらお見通しのようだった。腰まで伸びた長い黒髪は、締め切られた室内では微動だにしない。厳しい家に生まれた先輩は、姿勢が測ったように正しいのだ。


 その高い身長と相まって大人っぽい印象を与える顔つきを、まるでいたずらっ子のように輝かせていた。……僕が一番惹かれた表情だ。


 あぁ、身体が緊張して固くなっていくのが分かる。不意打ちだったのもあって、喉がカラカラだ。


 僕は……先輩のことが好きなのだ。どの位かというと、物凄く好きだ。他の何よりも好きで、もし先輩と付き合えるのならば、それこそ全財産をなげうっても良いくらい。


 だからこそ、愛しの先輩を振り向かせるために、その隣に並び立つために、この謎を解かなくてはならない。


 そう、要約すればこんな感じになるだろう。


 「……つまり、僕たちはどうにかして、校則違反でバレたら停学もののタバコの存在を隠さなければならない……」

 「そう! そして、だからこそ窓を開けてはならない。たとえ煙や香りがこの教室に充満していてもだ! では、それは何故……?」


 先輩。ちと先輩はそう言うと、ありふれた学校の椅子に偉そうにふんぞり返って、視線だけを僕の方に向けてくる。5月に入って少しずつ露出度の高まった制服から見える、白い二の腕が眩しい。


 ……が、今はそれを楽しむ余裕はない。


 だから僕は、一度よく思い返してみることにした。




 「リョウ! どこ行くんだ……って部活か」

 「なんだ佐伯か……。悪いけど、その通りなんだ」


 最後の授業を終えた僕は高校に入学して1ヶ月の間に出来た習慣、すなわち部活に行こうとしたところで佐伯に捕まったのだ。


 佐伯は悪い人間ではないけれど、見つけた友人に対しては絡まずにはいられない奴だ。案の定足止めされた僕は不機嫌さを隠しきれなかった。そしてそれは佐伯にも伝わったらしく、彼にしては珍しくすんなりと道を譲ってくれた。


 「っていうか、部活はお互い様だろ?」

 「まぁな! で、お互い愛しの先輩の気を引こうと頑張ってるわけだ!」


 この佐伯に隠し事を期待してはいけない。今もこいつは相手チームを野次るが如き大声で、自分と僕の秘め事を周知したのである。


 見れば佐伯はニヤニヤと初心な僕の反応を笑っている。くそっ。自分でも頬が赤くなるのが分かるのだ。


 「っはいはい! そっちは精々マネージャーの先輩相手に頑張ると良いよ!」

 「馬鹿野郎! うちの野球部にマネージャーの先輩は一人しかいないんだよ!? バラすんじゃねえ!?」

 「うっさい。僕の所に至っては部員たったの二人なんだぞ?」

 「やーいやーい! 弱小部!」

 「子供か」


 などと言いつつ、佐伯も僕も足を止めなかった。上履きでリノリウムの床を蹴りつつも、何だかんだで僕はこいつとの馬鹿話を止めなかった。こんな感じの関係が入学以来続いている。多分、この後も続くのだろう。


 「そういや……なんだっけ? リョウの所の部活名?」

 「今更……? まぁ、良いけど」


 5月の涼しい風を受けた僕たちは、いつの間にかこの立浜高校の玄関の下駄箱前にまでついていた。そこで僕は渋面を作ると共に、少しだけ誇らしい気分になっていた。


 何であれ、ちと先輩の凄さを讃えられるのならば満足なのだ。


 「探偵部……だよ」

 「……そうそう! そんな変な名前だったな」

 「余計なお世話だよ」


 野球部らしく髪を短く刈り込んだこいつとはここでお別れ。僕が用があるのは3階なのだ。一方あいつはグラウンド。




 ――ここからだ。ここから先の体験をヒントに僕は、ちと先輩の出した謎解きに答えなくてはならない。


 だけれど時間も少ない。徐々に先輩が退屈し始めている……。急がないと。




 ……校舎の東階段を上って、僕ら新入生とは毛色の違う上級生とすれ違いながらも探偵部部室を目指していたはずだ。開け放たれた窓からは心地よい5月の風が僕を撫でる。


 そうして勢い込んで扉を開けると、


 「先輩っ! な、何やってるんですかっ!?」


 そう言わざるを得なかった。我ながらみっともないほど取り乱して鞄を放り投げると、慌ててちと先輩に駆け寄り……そうだ。その時にはもう匂いが鼻をついてたんだった。


 だって、先輩は幾つかある悪癖の中でもとびきり悪い奴の一つ、喫煙をしていたのだから!


 誰もいないのを良い事にぐでっと席に座ったままトリップしていたのだ。トレードマークの高校生のファッションとは思えない鹿撃帽からは豊かな黒髪が溢れ、制服の上に着込んだインバネスコートへと流れている。


 あれはただの葉巻ではない。先輩お手製のヤバい葉巻なのである。詳しくは知らないけど、脱法ハーブといっても良いかも知れない。とにかく、誰かに見られたらマズイ代物なのだ。


 だから僕は一定の信頼を向けてくれたちと先輩に喜びを隠しきれない一方で、慌てて匂いを誤魔化そうと窓を開けたのである。


 「んぁ。後輩、どうしたんだ。そんな声を出して……」

 「ど、どうもこうも無いですよ先輩! また葉巻に手を出したんですか!? 今度見つかったら停学ですよ!?」

 「大丈夫大丈夫。これは手製で、原材料はキャットニップや花菱草などの合法物。ニコチンは入ってないし、むしろ健康に良い位だ」


 などと言いつつ、先輩は多幸感に浸っているのかどこか視線が虚ろだった。しかも赤い唇の端を唾液が伝っている。


 「問題なのは健康かどうかじゃなくて、校則に違反するかどうかです! お願いだから葉巻は勘弁してください!」

 「いや、健康に悪いから校則で禁止しているはずなのだが……ままならないな。それはともかく」


 そうして、問題の時はやって来たのである。


 懸命に言い縋る僕を尻目に、ちと先輩はあっさりと言ったのだ。


 「まぁまぁ。分かったよ。誤魔化すことにする。だから、窓を閉めたまえ、後輩」


 まるで数学の公式を教える様な、当然の結末を解説するような声だったと思った。一方の僕は何が何だか理解できず……多分ポカンとしていたんだと思う。


 「えっ? でも……それじゃ葉巻の匂いが……。室内に籠っちゃいますよ?」


 そうなれば、誰かが探偵部部室に入ってきた時点で先輩はめでたくしょっぴかれてしまうではないか。そして、我らがちと先輩の過去の行状もあって、ここにはよく生徒指導の先生がやってくるのである。


 ……先輩は睨まれているのだ。以前にも葉巻の喫煙問題を起こした挙句、やむなくこの立浜高校の理事の一人を動かして強引にもみ消したこともあったはずだ。


 彼女の家は地域の名家であり、私立である立浜高校にも多額の寄付を行っている。多少の我儘は通せるのだ。あくまで多少だけ。そしてそんな彼女を快く思わない教師も多い。例えば生徒指導を担当する熊田教諭だ。


 「クマちゃん先生来ちゃいますって!?」


 熊田先生、通称クマちゃん先生(32歳独身♀。彼氏絶賛募集中)は先輩の不倶戴天の天敵である。今時珍しい熱血先生で、不定期に探偵部の部室を訪れては不正の証拠を引っ張り出そうと企んでいるのである。例えば葉巻とか。


 「だからだよ。後輩」


 そんなことなどどこ吹く風で、ちと先輩はそう言った。だから僕はこうして、必死で頭を悩ませているのである。


 駄目だ。全然分からない。


 早く匂いを誤魔化さないと愛しの先輩と離れ離れになってしまうという恐怖のせいで、まともに頭が働かない。




 「後輩。そろそろ回答を貰っても良い時間だと思うんだが?」

 「ぅえ!? ちょ、ちょっと待って下さい!? 」


 僕の知る限り、ちと先輩は相当頭がキレる人間である。少なくとも、意味も無く何かをするタイプではない。


 だからこそ、その期待の籠もった視線が僕には眩しかった。……くそ、こうなったら何でも良いから答えないと。


 「えぇぇ……あっ! この間、僕が買ってきた消臭剤のバブリーズですか!?」

 「残念。そうじゃない。というかバブリーズは芳香があるから、撒いてしまえばやましい匂いがあったと言っているような物だ」


 先輩はインバネスコートを誇る様に胸の前で腕を組むと、呆れたように苦笑していた。


 同時に僕の目の前が真っ暗になってしまう。無念だが、時間切れだ。先輩が長い髪を揺らして椅子を示すのと、僕ががっかりと椅子に崩れ落ちるのは同時だった。


 「良いか後輩。そこに窓があるな?」

 「はぁ……。それはまぁ、普通の教室には窓くらいはあるでしょう……」


 そんな僕の事を一切考えずに、先輩は視線を窓に向けた。出来ることならその横顔を眺めていたいのだけれど、さすがにそういうわけにもいくまい。


 だが、入って来た扉とは反対側の窓の向こうには取り立てて珍しい物はなかった。……と思う。ありふれた高校の教室の向こうに見えるのは空と雲と赤く染まった夕日と、それから雄大な山々とそこから流れ来る川の清流位である。


 あ。今回は本当に駄目かも知れない。さっぱり分からないや……


 「うん、そうだ。だが、見るべきところは景色ではない」

 「うわっ!? 先輩!? 近いですって!?」


 いつの間にか、窓際に立っていた僕の背後に回り込んでいたのだ。呼吸どころか体温すら伝わりそうなほどの距離で、不意打ちに心臓がばくばく言っている。


 「足元だ」

 「足元……ですか?」

 「そうだ。校舎の直ぐ近くを見るんだ」


 ほぼ反射的にちと先輩から距離を取るようベランダに出てしまう。我ながらこの引っ込み思案が嫌なる。もう少し密着していたかった。


 気恥ずかしさから温もりを捨てて得たものは、何でもない高校の風景だ。玄関からは生徒たちがめいめいに帰宅なり部活なりに向かって列をなしている。校庭は逆側なので見えないけど、代わりに正門と駐車場が見えた。駐車場には先生たちの物と思われる車が駐まっており……


 「それだよ」

 「ど、どれですか!?」


 なんて日だ! 揺蕩うハーブ製の葉巻独特の香りのする彼女が、触れられそうなほど近くに立っていたのだ。僕はタバコの匂いは嫌いだけれど、このハーブの香りは好きかも知れない。


 「駐車場に熊先生の車が無い。ということは……」

 「……先輩。また熊先生とか言うから怒られるんですよ……」

 「あの熊は、今日は残業せずに帰るようだ。きっと男性との出会いを求めているのだろう。これは昨日彼女が合コン必勝テクなるものを学習していたというバレー部員の証言とも合致する」

 「呼び捨て!? なお悪いですって!? ……ん?」


 そう。今日に限って熊田先生はいないのだ。ということは、


 「今日は理由もなく我らが探偵部の部室に顔を出す者はいないのだ。それこそ、怪しげな臭いを窓から近くの教室に飛ばさなければ……な」

 「……! な、なるほど、それで窓を開けるなと!?」


 ようやく分かった! 答え:匂いは部室に閉じ込められていた。後は人の少なくなった帰り際に窓を開けて外に出すだけ! 今更だけど。


 「その通り。分かったら窓を閉めるんだ。隣は空き教室だが、今日は特進クラスの受験対策講座があるはずだ。証拠の匂いは室内にとどめておかないとな」


 是非もない。僕は麗しの先輩に従い、あっさりと窓を閉めていた。


 そんな僕を尻目に先輩は得意げになって、廊下側の机の上に鎮座している小型の扇風機を動かし始める。


 「……でも、廊下に匂いが漏れないですか?」

 「大丈夫だ。その為に扇風機で風向きを操作するし、そもそも廊下の窓は全開だから少しなら誤魔化せるさ」


 ゆるりと笑った先輩の頬は、しかしキリリと引き締められる。来た。来てしまったのだ。


 「さて、後輩」

 「……うぅ、なんでしょう。先輩」

 「今回の謎解きに対する君の点数だが……」


 謎を解けなかった僕にとっては恐怖の時間でもある。毎度おなじみ査定だ。


 何でも先輩曰く探偵部の伝統らしい、謎解きに対する貢献度チェックの時間なのだ。本来は探偵部が何かの謎を解いた時に行う物らしいのだが、花の高校生活に謎なんてそうそう起こることは無い。


 結果、大半の査定は先輩が僕を試す、あるいはからかう試験の結果発表と化しているのである。


 グッと腕を組んで長身に似合わないなだらかな胸を精一杯強調した先輩とは逆に、僕はオロオロとまな板の鯉のように落ち着きを失っていた。


 「ご褒美……」

 「……っ」


 査定の評価は極めて明快かつ単純。すなわち、謎が解けたか、手がかりを掴めたかどうか。今回の僕には何一つ良い所が無かった。つまり、


 「無しだッッッ!!!」

 「あぁ、やっぱりぃ……!」


 どや顔で鼻を鳴らして強がる先輩に対し、僕は内心でさめざめと涙を流す。


 愛しの先輩の気を引く最も簡単な方法。それはこの査定で評価を獲得することなのだ。実際、謎を解けると豪華なご褒美が貰えることを僕は知っている。というか、入学したての頃に既に体験しているのだ。


 「だが安心しろ。私は優しいからな。褒美とまでは言えないが、別の物をやろうではないか」

 「……しくしく、……っえ!?」


 初耳である。その言葉に思わず僕が胸を高鳴らせて顔を上げるのと、先輩がさっきからずっと手に持っていたそれを手渡すのは同時だった。ちと先輩は実に良い顔で笑っていた。


 「こ……これは!?」

 「そう。私手製の葉巻……の吸い残しだ。まだ、半分ぐらいは楽しめるぞ?」


 戦慄だった。


 葉巻は良くないよ。校則違反だよ。


 でも、僕の内心とは裏腹に震える指先は、恐る恐るそれを受け取っていた。ちと先輩はそんな僕をニヤニヤと笑いながら見守る。


 「ようこそ! 葉巻の世界へ!」


 そんなこと言われたら、僕はそれを断れない。


 賢い先輩は僕の気持ちなど、当の昔に見抜いているのだ。


 半ば涙目になりながらも、身体は勝手に大事そうに禁断の葉巻をつまみ、ゆっくりと口元へと持っていく。我慢できない。そう、さっきまで先輩の柔らかそうな唇が加えていたそこに自分のそれを擦り付けるのだ。


 意を決してあむっと加えたそれは、紙の質感にほんの少しだけ湿ったような感触が加わっていた。


 きっと今の僕はそれを幸せそうな顔で咥えているのだろう。校則違反とかどうでも良い。僕の思考はさらに先へと進んでいた。すなわち、この葉巻は先輩の唇どころか舌にまで触れたのだろうか。


 「ほら、火をつけてやろう。そして、吸い込むんだ」

 「ふぁい……」


 そうして優しく導かれるように息を吸うと、嗅ぎ慣れた薫りが鮮烈さをもって身体いっぱいに浸透する。いつも一回先輩の身体を通して濾過されたのを吸ってるのに対して今日は直接来たのである。


 そう、パブロフの犬を笑えない。愛する先輩の匂いと認識されたそれが、僕の全身行き渡っていくのである。


 ゆっくりと息を吸い、たっぷりと香りの中に埋もれ、じっくりとそれを堪能してからまたゆるりと煙を吐き出していく。


 「どうだ? 初めての体験は?」

 「はい……先輩の味がいっぱいに広がって、ん、体中が包まれてるみたいで、凄く美味しいです……」


 きっともう、僕は品行方正とは言えないだろう。でも、それで良い。僕は清く正しいよりも先輩の近くにいたいのだ。


 あぁ、それになんだか心地良い。リラックス、とはちょっと違うかな……。なんだか身体が軽くなって、嫌だったことがどうでもよくなっていくような。


 あぁ……これ、いけない成分含んでるんだっけ? ま、いいけどさ。


 そんな僕を見た先輩は少しだけ表情を引きつらせていた。


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