あの日の味方
若干のフィクションが含まれております。
「お疲れ様でした‼」
体育館に元気のいい声が響く。今日の全体練習が終了し、顧問の先生が出ていくと、部員たちは帰るもの、自主練に精を出すもの、端っこに座り休憩するものに別れて行った。
僕は真っ先に風通しのいい窓を占領し、座り込んだ。とたんに汗が噴き出すものだから、もうびしょびしょのタオルを首にかけ、汗が引くまでぼんやり窓の外を眺めた。まだ夏休み前だというのに、夏が本気を出したらしく、全国の数か所で真夏日を観測したらしい。
そんな日の体育館はまさに地獄だ。体育館内は40度を超え、汗は壊れた蛇口のように止まらない。2Lのペットボトルを持ってきているのに、練習後には空になっているなんていうのが、もう普通の季節になった。
外は18時を過ぎているのに暗くならなる気配がない。自転車のかごをいっぱいにしたおばちゃんがが何人か窓の外を通っていく。
「タクー、1on1しよう」
首だけ起こして声の主を探すと、バスケットボールを持って仁王立ちしているヤツを見つけた。ご丁寧にすでに人除けも済んでるらしく、コート半面貸し切り状態だ。
左の足首にほんの少し視線を落とした。あと少しくらい問題はないだろう。今日はまだ調子がいい方だ。
少しばかり冷えた体を起こし、コートの中に入った。線をまたぐと、一切の妥協は許されない。全力で負かしてやろう。
「負けたら帰りにコンビニでアイス」
負けられない理由がさらに増えた。
4日前、僕は父と病院にいた。その日は遠征の次の日で、練習が休みになった。試合に出っぱなしだった僕の体は相当に疲れていた。許されるなら1日ベットの上で過ごせるほどに。
それでもその日しかなかったのは、病院まで片道1時間かかる大学病院だったからだ。
なんでも有名な先生がいるらしい。
1日かけて検査を行い、診察を待っているとき、隣の父の顔がやけにこわばっていたのを、覚えている。その時はまだ、早く帰って眠りたいくらいにしか考えていなかった。
たっぷり1時間は待たされたあと、ようやく呼ばれて入った部屋には、白衣を着たおっさんが3人いた。この時、初めて違和感を感じた。
2人が椅子に掛けた後、先生はゆっくり話し始めた。
「息子さんの足の状況ですが、非常に悪いです。こちらが...」
僕が分かったのは、足首がバスケのプレーの負担に耐え切れずに、潰れかかっていること。このままだと、痛みが断続的に出始め、最終的には松葉杖で生活する可能性があること。
「ですが、今回に限っては早くに来ていただきましたから、大丈夫です。原因は体が出来きっていないうちに行った激しい運動が原因ですのでそれさえ気を付けていただければ」
バスケが出来なくなること。
「先生」
父の声が響いた。わずかな怒りが含まれる声に、有無を言わさぬ凄みがあった。
「先生、今日来たのはそんなことを知りたくて来たんじゃないんです」
医者の間に困惑が広がった。そりゃ自分の息子が、松葉づえで生活しなければならないことを、そんなことと言い切ったら、そうなるだろうと、どこか他人事のように思った。
「そんなことって。いいですか、息子さんは、」
「先生、違うんです。私たちの物差しで測ったらあかんのですよ」
医者は全く訳が分からないという表情だ。
「先生、こいつは将来のことを考えろってゆうても、まともに考えません。
勉強しろゆうても、ほんのちょっとだけしかしません。
大学だって、どうせ自分がいけそうなとこなんて、適当に決めようとしとったぐらいですから、私たち大人からすれば、どうしようもないくらいバカなんです。
でもね、先生。バスケだけは違うんです。バスケだけは妥協せぇへんのです。
先生、こいつはね。試合に負けたその日の晩に、食い入るように負けた試合を見るんです。ついさっきまで、悔しいって泣いとった奴が気が付きゃ前を向いてるんです。
こいつの世界はもうすぐ終わってまうんです。夏の大会が終わるまでが、今のこいつの世界なんです。ほかのことなんて、たとえそれが自分の体でも、関係ないんです。それがこいつの物差しなんです。
もちろん先生の言うこともわかります。私も親ですから、元気でおってほしいんです。
でも、私にはそのためにこいつの世界を取り上げることなんてできんのですよ。
先生、わがままをすれば必ず、しわ寄せは来ます。でも、長い人生です。ちょっとずつ、そのしわを伸ばしていくのも人生の楽しみ方でしょ。
ですから、壊れてもいいんです。こいつの世界が終わるまで、何とかなる方法を、教えてください」
父はずっと頭を下げたままだった。
僕も頭を下げるべきなのはわかっていたけれど、それ以上に、今の父の姿を目に焼き付けたくて、じっと父の背中を見つめていた。
これまで決してかっこいい父親ではなかったけれど、大きな背中だと感じた。
バスケ、帰り(道)、タオル