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――場所は変わり、ここは蓼科が宿泊している客室。
時刻は夜11時。山の中にある洋館なので、聞こえるのは風の音と、得体の知れぬ動物の鳴き声のみである。
そんな静けさの中で、男4人は並んでソファに座っている。真ん中には結束バンドで後ろ手に拘束されている霧島と俊介、両サイドに蓼科と若村といった具合である。
マネキンに囲まれた埃っぽい倉庫で話すのは嫌だという若村の提案により、彼らはここまで移動した。
隙を見て逃亡されたら面倒だと思ったが、霧島にも俊介にもそんな気力は残されていなかったようで、移動は簡単に終わった。
移動後、俊介のテーブルクロスによる拘束は解除する代わりに、霧島と同様の結束バンドでの拘束を施した。今は口枷も解かれている。
「俊介くんは何故、こんなところにいたの?」
若村が質問した。
ちなみに、若村は厨房で俊介に殺されかけたものの、何とかそれを振り切り、護身用として隠し持っていた小型のスタンガンで彼を一瞬だけ気絶させ、手近にあったテーブルクロスで拘束したのである。
その後、電波状態が良好になった無線で蓼科の状況を把握し、助けにいく旨を伝えたというわけである。
「……僕は小さいころからずっと……シェフになりたかった。
だから、大学に行くふりをして調理師の専門学校に通って、免許まで取ったんです」
「へー、超頑張ってんじゃん!」
若村は感心したように、そう言った。
「……でも、西園寺財閥がある以上、僕はシェフとして働くことは出来ない。
途方に暮れているときに、このホテルの存在を知って、自殺するために来たんです」
俊介の目には涙が溜まっている。22歳という年齢の割には小柄で童顔な彼は、まるで捨てられた仔犬のような顔をしている。
そんな彼の話に割って入ったのは霧島だった。
「……私は俊介くんがホテルに来た瞬間から彼の自殺願望を見抜いた。
そして、理由を聞いて……それなら此処で、私の元でシェフとして働くことを勧めたんだ。
それが、彼にとって唯一の自殺を思い留まらせる方法だった」
「い、いや、霧島支配人は関係ない!ぼ、僕が、僕が無理やり此処で働くって言ったんだ!」
俊介は霧島を庇っている。彼にとって、それほどまでに霧島という人物は大切な存在なのだろう。
「いや、俊介くん……。悪いのはこの私だ。自殺を憎むがあまり……犯罪に手を染めてしまった……」
「霧島さんは悪くないです!霧島さんのお陰で救われた人はたくさんいます。
ねぇ、探偵さん……あなたの役目は僕を西園寺家に戻すことだけでしょ?
だったら、僕は戻りますから……霧島さんにホテル続けさせてあげて下さい!」
俊介はすがるような目で蓼科を見つめた。
「……もちろん、霧島さんがホテルを続けようとどうしようと知ったことじゃない。
君の言う通り、私は君をマダム房江に渡せればそれだけで構いません」
「……えっ?!」
俊介が気の抜けたような声を出す。霧島も呆気にとられたような表情で、蓼科を見る。
そこですかさず若村が補足説明をする。
「うちの先生は、そういうところ、超ー割り切ってるんで!依頼さえ果たせれば、後はどうなっても構いません!」
「そういうことです」と、蓼科が続けた。
「霧島さんを警察に差し出したところで、私は1文の得にもなりませんからね、ハハハ!」
蓼科は基本的には警察と関わることが苦手なので、自分の依頼さえ完遂すれば、その後に凶悪犯を世に放つことになっても構わない……というくらいには、正義感の欠片もない探偵である。
「じゃあ何でわざわざ臓器売買のことまで調べたんですか?」
霧島の疑問は当然といえば当然である。西園寺俊介の保護だけが目的なら、このホテルで行われていた臓器売買のことなど、蓼科が調べる必要はない。
「あれは、若村くんが来るまでの時間稼ぎでした。
あと、私が情報屋に頼んだのはこのホテルの顧客情報だけだったんですが……頼んでもいない臓器売買の資料もあったんで多少気になったのは事実です」
「その情報屋というのは、もしかして…………」
「……?!おっと、霧島さん!それ以上は言わない方がお互いのためだ」
「そうですね……」
「しかし、奴が臓器売買の情報を提供してきたのは、このホテルを通した売買が既に何処かに漏れているからでしょう。
奴はあなたを切り捨てたというわけです」
臓器売買の仲介の元締は恐らく例のマスターか、関係者で間違いないと蓼科は睨んでいる。
そして、このホテルは臓器提供する者を集める場所として利用されていたと推測出来る。
しかし、このホテルの情報が何かしらのルートで警察か何かにバレてしまう危険が高くなったため、例のマスターは此処の情報を蓼科に流し、霧島だけを逮捕させるように仕組んだのだろう。
「なるほど……」
「つまり、遅かれ早かれ……このホテルは無くなっていたでしょうな」
例のマスターは都合の悪くなった人間はすぐに切る。
蓼科の話を聞いた霧島は、幾分げっそりとした様子である。
そんな彼に声をかけたのは、若村である。
「そろそろ薬の時間ですか?」
若村の問いかけに、霧島は目をキョロキョロさせる。そんな彼を余所に、若村は話を続けた。
「お身体……特に脳に影響のある病気ですよね、支配人……。
俺、支配人が決まった時間に薬飲んでるの見て、調べたんです」
「……ふっ、……君はなかなか優秀なスパイだね……」
霧島は小さく笑った。その儚げな顔を見ながら蓼科が問いかける。
「だから、あなたはメイドを募集したんですね?あなたが居なくなっても、ホテルを続けられるように……」
「……正解です。
しかし、こんなにすぐ来るとは思わなった。
職を探してる宿泊者の方の目に止まればいいと思って、ホテルの前に張り紙をしたら、女装した男性が来たんで驚きましたよ。フフフ……」
霧島は含み笑いをする。
「……えっ?!俺の女装バレてたんすか?!」
若村は驚きの声を上げる。
「当たり前だよ。何年接客業やってると思ってるの?
でもまぁ、何かしらの事情があって女装してるんだろうし、深く追求するのは可哀想だと思ってね」
霧島は若村が相手だと、若干フランクな口調になるようである。
「つか、何でメイドなんすか?ホテルを任せるなら男でもいいじゃないですか?」
自分で完璧だと思っていた女装が見抜かれていた若村は、やや膨れっ面になる。
「男ばかりのホテルじゃむさくるしいだろう?これもお客様に対する配慮だよ。
更に性に奔放な女性なら、尚一層良かったけどね」
「はっ?!なんで…………」
「“お客様の全てのリクエストに応える”のが私のホテルマンとしてのモットーなんだ。
しかし、たまにやってくる“いい女を抱きたい”というお客様の要望に応えるために、町に出て、そういった女性を連れてくるのは少々面倒だったからね……」
「自給自足出来ればいいと思ったわけっすか」
未だメイド姿のままの若村が吐き捨てるようにいった。霧島はそれに頷く。
その様子を見ながら、蓼科は何か閃いたかのような顔をした。
「なるほど、“夜になると女性の悲鳴が聞こえる”という女子高生たちの噂は、リアルな女性の悲鳴だったのかもしれませんな、ハハハ!」
「そっか!
でもでも、じゃあ、深夜に幽霊が出るっていうのは……?」
若村が質問する。すると答えたのは意外にも俊介だった。
「それは僕かもしれません。たまに深夜、懐中電灯を持ってホテルの周りを散歩してたので……」
それを受けて蓼科は突っ込む。
「いや、君が来てからまだ日が浅いだろう……」
「じゃあ、私ですね。私もたまに深夜徘徊をするので……」
霧島はそう言って、笑った。
「なるほど、解けてみると何てことはない問題でしたな、ハハハ!」
蓼科は大声で笑った。元々幽霊など信じない彼ではあるが、このホテルが放つ異様な空気に飲まれそうになったのもまた、事実である。
「そうっすよね!怪奇現象とかって案外こんなものかもしれませんよね!アハハハ……」
若村も声をあげて笑った。可愛らしいメイド姿に全く似合わない野太い声が、ある種の怪奇現象と言えなくもないな……と蓼科は思ったが、口にはしなかった。
「そ、そうですよね……。じゃあ僕が厨房で見た白いワンピースを着た女性も見間違いかなんかですよね、へへ!」
ここにきて、俊介が始めて笑顔を見せたものの、彼以外の3人の表情が凍り付いてしまったのは、説明するまでもないであろう――。
――なにはともあれ、こうして蓼科探偵事務所始まって以来の大きな依頼は幕を閉じたのである。
[つづく]