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――バンッ……
という銃声が鳴り響いたとき、蓼科は無駄と分かっていても、頭を抑えるように身体を丸めてしまった。
しかし、不思議なことに待てども暮らせども身体の何処にも痛みを感じることはない。
「冗談ですよ、蓼科様。フフフ……」
霧島の声に蓼科が顔を上げる。
「そ、それは……」
「はい。手品用の玩具です」
彼はそう言って、銃口の先から出る小さな国旗が並んで繋がっているモノを広げて見せた。
「お、驚かせないで下さいよ!」
蓼科は安堵の息を漏らす。
「驚いたのはこちらですよ?
つまみをとって蓼科様の部屋に戻りウィスキーに口を付けたら匂いと味がほんの僅かに変わっていた。
だから私は飲んだふりをして、袖口に付けてあるビニールに吐き出しておいたのです」
「それはまた、用意のいいことで……」
霧島の優れた嗅覚と味覚、そして準備の良さに蓼科はただただ感心するのみである。
「実のところ、私はそこまでお酒が強くないので、酒豪のお客様のお相手をするときは、こういった仕込みをしておくのです」
「なるほど、私は酒豪ですかな?」
「えぇ、私と比べれば。1日1本はボトルを開けるという方には敵いません」
「よくそこまでご存知で……」
蓼科がだいたい1日1本ボトルを空けるというのは事実である。
「私はお客様により快適に過ごして頂くために、事前調査は怠らないのですよ。
……といっても、お酒の件に関しては事前アンケートで聞いたことですが」
「事前アンケート……、あぁ、あれですね……」
予約が決定したあと、ホテル側からのアンケートが届いたらしいが、若村が全て勝手に答えて送ってしまったので、蓼科は実のところ、その内容を把握していない。
しかしそんなことはどうでもいいとばかりに蓼科は話を元に戻す。
「……それにしても、何故あのとき、寝たふりを?そもそも味や匂いだけで、よく睡眠薬だと分かりましたね」
「懸けですよ。懸け。
寝たふりをして、蓼科様が何か行動に出れば、それを見守ればいい。
そうでなければ適当な頃合いを見計らって起きたふりをすればいい」
「そして、予想通り、私が動いた……」
「えぇ、あのメイドがスパイだったことは驚きましたけどね」
「私も彼があんな美しい女性に化けるとは思っていませんでした……」
会話を重ねるうちに少しずつ冷静さを取り戻した蓼科は、改めて辺りを見回す。明るくなったそこには“息をしていないソレ”が溢れ返っていて、やはり気分のいいものではない。
「“コレ”がそんなに気になりますか?」
霧島は入口より何歩が前進し、“ソレ”の1体に手を触れる。
蓼科は黙ってその様子を見つめている。
先程の銃は偽物だったが、本物をまだ隠し持っている可能性もある。
それに対して、浴衣に羽織だけの蓼科は武器もなければ、防衛するものもない。
つまり、いざとなったら、逃げるしかないということである。
「コレは僕の趣味なんですよ」
「ほほう、趣味……ねぇ……」
「えぇ、“マネキン”集め。悪くないと思いませんか?フフフ……」
そう、この倉庫に溢れかえるのは無数の“マネキン”である。しかもどれもこれも同じような表情をしている。ハッキリ言って気持ち悪い。
「私は特に他人の趣味についてとやかく言うつもりはありませんが……どれもこれも同じマネキンですよね。
しかも、趣味で集めているという割には扱いが雑だ」
マネキンは薄汚れているものもあれば、床に放り出されているものもある。
「整理整頓が苦手なだけですよ」
霧島はそう言って、床に転がる1体を立て直す。
「そうじゃないでしょう。ホテルの他の部分の掃除は完璧に行き届いている」
「お客様が利用される場所と、私個人のスペースでは話が別です」
「それに、このマネキン、全て同じ製作所が一定の期間に作ったものです」
「……それが、何か?」
「“須藤マネキン製作所”……もちろんご存知ですな?」
「…………」
ここに来て、始めて霧島が口をつぐんだ。蓼科が核心をついているという証である。
「“須藤マネキン製作所”の社長だった須藤光邦氏は3年前に“ホテルに行く”と言い残したまま、姿を消されたそうです。
その後、会社は倒産しましたが、何者かが工場の土地と売れ残っていたマネキンを全て、相場より遥かに高い金額で買い取ってくれたそうです。
そのお陰で、須藤氏のご家族は現在それなりに安定した暮らしをされています」
「……それなら、何の問題もないのでは……?」
いつもの柔らかな笑顔はすっかり消え失せた霧島。蓼科はここぞとばかりに攻める。
「何故あなたはマネキンと土地を買ったのですか?」
「……ですから、趣味ですよ、趣味」
「では、その莫大な資金の出処は?ちょっと調べさせてもらいましたが……このホテルの経営状態は厳しいようですが……?」
「…………」
霧島は再び黙り込む。右手で丁寧に整えられているあごひげをさする動作は、彼の心の動揺を映しているようである。
蓼科は容赦なく、真実を解き明かす。こうなった彼はある意味、無敵である。
「“臓器売買”」
「…………?!」
霧島の動きが止まる。その澄んだ目が、蓼科を睨む。
「このホテルは、とある外国との臓器売買の中継地点だった。違いますか?」
「……何の話ですか……?」
「霧島支配人、あなたは此処にやってきた客の中で金に困っている人を見つけると、臓器売買を斡旋していた……違いますか?」
「……そんな証拠が何処に?」
「とあるバーのマスターが須藤氏の臓器提供に関する書類のコピーを私に売ってくれたんですよ」
「…………?!」
霧島の表情は完全に固まってしまった。
「“このホテルに行くと帰ってこれない”……女子高生たちの噂の発信源は臓器売買に同意し、外国へ渡った人々の周囲から発せられたものなんでしょうな……」
「……ち、違うんだ……。わ、私は……彼らがじ、自殺を望んでいたから……だから…………」
霧島の声は震えている。
そのせいか真冬でもないのに、この倉庫内の温度はとても冷たい。
「“ホテル・ブルームーン”」
「…………?!」
「あなたのご両親が経営されていた高級ホテルですね?」
「……っ……そこまで……調べて……」
霧島は唖然とした様子である。蓼科はそんな彼を追い立てるかの如く、桃子の調査で判明した“ホテル・ブルームーン”の悲しい過去を語る。
「“ホテル・ブルームーン”はバブル期には大変繁盛していた。
しかし、とある1組の夫婦がスイートルームで“自殺”をしてしまった。
それ以降、ホテルの周辺では幽霊の目撃情報が後を絶たず、日に日に宿泊客も減ってしまった。
そこにバブル崩壊が重なり、あっという間にホテルは倒産した……」
「……えぇ、仰る通りですよ……。その後、父と母はまだ小学生だった私を遺して、自殺してしまった…………」
霧島の目から、一滴の涙が流れる。
「だから、あなたは……宿泊者1日1名限定のホテルを開いた。1名だけならば、あなた1人でも完全にサポート出来ますからな。
自殺者が出るリスクもほとんどない」
「……えぇ、その通りです」
「それでも救えないと判断した人間には、臓器売買を提案した。そしてその売買で得た金でホテルの赤字を埋め、須藤氏のように遺された家族が居る場合には、その援助をした」
「……そうですよ、いけませんか?!
悪いのは全て“自殺”なんです。
このホテルで自殺されるくらいなら、病気で苦しむ者に臓器を与え、その金で家族を救う……その方がいいでしょ?!
あなたもそう思いませんか?蓼科様……」
霧島はそれまでに一度も見せたことがないヒステリックな声で、目を血走らせながら、彼の“自殺”に対する恨みを訴えた。
「――だが、結局あなたは人を死に追いやっている」
蓼科は静かな声で言った。
「私だって、出来ることは何でもやったんだ!!
お客様の悩みを一晩中聞くこともあったし、相手に不自由している女性、ときには男性とのSEXだって喜んでしましたよ!!
でも、それでも、どうにもならない、生きる術を見失っている人に対しては、最大限にその命を生かしてから最期を迎えてもらうのが、せめてもの救いではありませんか?!」
「さぁ……私には何とも……」
「私の父は優秀なホテルマンだったと話しましたね。
でも優秀すぎるが故に、お客様が自殺したあと、自分を責めて責めて……結局自らも母を道連れに命を絶った。
その後、私は親戚の家をたらい回しにされた挙句に施設に入り、そこではいじめられ、散々な目にあいました……」
「…………」
蓼科には霧島の独白を黙って聞いていることしか出来なかった。
「……私は自殺を恨んでいる。
このホテルも自殺者を減らすためにやっている……だから今、此処で終わるわけにはいかないんだ!!」
霧島はそう言って、ベストの裏から拳銃を取り出し、蓼科に向ける。
狂気を帯びた二つの瞳が、彼を狙っている。
「今度は本物ですよ……?」
霧島はそう言って、蓼科の真横にあったマネキンに照準を合わせ、撃ち抜いた。
――バンッ……
その音に蓼科は思わず、耳を塞ぐ。
隣にあったマネキンは、頭を打ち抜かれ、首から上が粉々になって倒れている。
そして、霧島は今度は蓼科に照準を合わせる。
「やはり、あなたが探偵だと気付いたときに殺しておくべきだった……。
しかし、その出立ちといい、葉巻だの懐中時計だのの小物といい、あまりにも探偵を意識しすぎていたから、逆にコスプレなんだと判断してしまった……完全なる私のミスだ……」
「……なんでも形から入るのが、私のポリシーでしてね……」
「まぁ、いい。
ちょうど、新たな臓器提供者を探していたところなんです。
酒呑みだし、歳も歳だ。大した価格にはならないだろうが……あの若い助手とセットなら、それなりの値段になる、フフフ……」
霧島の目にはもはや狂気しか存在していない。
蓼科は絶体絶命のピンチだったが、冷静だった。何故なら、もうすぐ、救いの手が差し伸べられるのが分かっていたからである。
――バタンッ……
そのとき、突然、倉庫のドアが開かれた。霧島は反射的にそちらに銃を向ける。しかし、そこに居たのは…………。
「……しゅ、俊介くん…………」
口と身体が縛られている西園寺俊介。彼は涙ながらに霧島に何かを訴えるが、口に巻かれた布のせいで上手く機能せず、ただただ首を左右に振るのみである。
そして、そんな霧島の一瞬の隙をついて、俊介の影に隠れていた若村が、彼から銃を奪う。
「若村くん、でかした!」
蓼科はそう言って自身も霧島に飛びかかり、その動きを封じる。
「……うっ……」
うつ伏せに倒され、後ろ手にされた霧島は苦しそうな声を上げたが、蓼科は躊躇うことなく浴衣の懐に入れておいた結束バンドで彼の手の親指同士を結んだ。
こうすることで、例え100均の結束バンドでも手錠として立派な役目を果たす。
「さっすが、先生!!」
未だにメイド姿の若村が嬉しそうに言う。
「全く、君がなかなか来ないから、肝を冷やしたじゃないか」
「いや、だって……想像以上にコイツ強くて」
若村は崩れるように床に座り込む俊介を指さした。
「なら今度は空手教室でも通うか?」
「それ、いいっすね!」
もはやメイクは完全に取れ、メイドのコスプレをした変態男に見える若村と、緊張による脂汗で一際激しく光る蓼科の頭皮の下、身柄を拘束された男達は、そこらじゅうに散らばるマネキンと同じように魂の抜けたような顔をしていた。
[つづく]