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食後しばらくすると「トントン」というノックの音が蓼科の部屋に響いた。蓼科は読んでいた資料とノートパソコンをトランクの中にいまい、ドアを開けた。
「蓼科様、お待たせ致しました。ウィスキーをお持ち致しました」
ドアの前には柔らかな笑みを浮かべる霧島が居た。その手には有名な高級ウィスキーのボトルが握られている。
「いやー、お待ちしてました!さっ、どうぞどうぞ!」
蓼科は霧島を部屋へ通す。
「では失礼します」
霧島は窓辺にあるテーブルにウィスキーのボトルとグラスを置いた。そして、2人は向き合う形でアンティークのチェアに腰掛ける。
「いや、まさかこんな上等なものが頂けるとは!!」
蓼科はボトルを手にしながら関心したように言う。
実のところ彼はウィスキーは好きでも銘柄には興味なく、安酒で十分なのだが、そんな人間でも名前を知っているくらいなので、如何にこの酒が高級かということが分かる。
「えぇ、私も入手したはいいものの、一緒に呑める相手がいなくて、困っているところでした。これを1人で呑むのはいささか寂しいので……」
2人は互いに酌をし合いながら、世間話を続ける。
「ハハハ、霧島さんほどの男なら一緒に呑む女性には苦労しなさそうですが」
「またまた、ご冗談を……こんな山の中まできて晩酌の相手をしてくれる女性はいませんよ、フフフ……」
霧島は左の口角だけを上げながら不敵に微笑む。キラリと光る茶色の瞳に映るのは、その瞳と同じような色をしたウィスキー。
“乾杯”と言って2人はウィスキーを飲み始める。蓼科の口に広がるのは上質な香りと味。
「いやー、これは最高に旨い!」
彼が一気にグラスを開けると霧島がサッと次を注ぐ。元ホストの若村よりも速やかな動作である。
「蓼科様、私の顔に何かついていますか?」
蓼科の視線を感じた霧島が笑顔で質問をする。
「いや、霧島さんは何をやっても所作が綺麗だな……と関心していたんですよ」
「いえいえ、私などホテルマンとしてまだまだです。私の父はもっと優れたホテルマンでしたので、父を目指して様々な勉強をしていますが……追いつけそうにありません」
霧島はそう言って、ウィスキーを少し呑む。
「ほう、お父上もホテルマンだったのですか?」
蓼科はとぼけたふりをして質問をしてみる。
「えぇ、それはそれは優秀なホテルマンでした。様々なコンテストでも優勝していますし、私は父以上のホテルマンを見たことがありません」
「そうでしたか。今はそのお父上はどうされているのですか?」
「……死にましたよ。最高のホテルマンだったが故に、命を落とす羽目になりました……」
「これは、失礼な質問をしてしまい申し訳ありません」
蓼科は毛髪の少ない自身の頭を撫でる。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。お客様にこのような話を聞かせてしまって……」
「なーに、気にすることはありません」
蓼科は笑顔でグラスに口を付ける。霧島は申し訳なそうに頭を下げたまま動かない。
「霧島さん、どうか頭を上げて下さい。
そうだ、酒だけだと味気ないんで、何かつまみになるものはありませんか?」
蓼科の問いに霧島がようやく顔を上げた。
「私としたことが気が付きませんで……申し訳ありません。今すぐに何か用意してまいりますので、少々お待ち下さい」
霧島は早足で部屋をあとにした。
蓼科はその隙に霧島のグラスに睡眠薬を流し込む。まずは彼の動きを止めてからでないと調査は出来ない。
約10分後に戻ってきた霧島の手にはカルパッチョやチーズなど、オシャレなつまみが乗せられていた。
「いやぁ、この魚は絶品だ!」
蓼科は素直な感想を述べた。
「それは何よりです。久々に包丁を握ったものですから、少し不安でした」
「えっ、霧島さんが料理されたんですか?」
「はい。シェフの勤務時間は過ぎていますので……」
そう言われて蓼科は首に下げてある懐中時計を見ると夜の9時を指している。
「コックさんは住み込みではないのですか?」
「いえ、住み込みですが、お客様の夕飯を作り終えたあとは朝食を用意するまで自由にしてもらっています。働かせすぎはよくありませんからね」
「なるほど、いい上司ですな」
「いえいえ。あっ、念のために言っておきますと、私、調理師の免許を持っておりますので、どうぞご安心してお召し上がり下さい」
霧島の暖かい笑顔を見ながら蓼科はカルパッチョを口に運ぶ。一方の霧島は上品な仕草でウィスキーを呑む。
――そして、10分後――。
「霧島さん、霧島さん……」
蓼科は霧島の横に立ち、肩を揺すった。しかし彼は返事をしない。
クー、クー……と気持ち良さそうな寝息を立てて眠っている。先程仕込んだ睡眠薬が効いたようである。
蓼科は霧島が完全に眠ったのを確認してから携帯電話を手に取り、若村を呼び寄せた。
***
電話のあと、5分もしないうちに若村はやってきた。
「本当に寝ちゃってるんですね?」
メイド姿の若村が霧島の様子を見る。
「何をやっているんだ!?時間がない。まずはコレを付けろ!」
蓼科は若村に小型の無線機を渡す。
「あっ、そういえば……」
若村は無線機を付けながら霧島の胸ポケットをまさぐる。
「さっきから一体君は何をしているんだ?!その睡眠薬はせいぜい2時間しか持たない。一刻も早く調査を開始しないと……」
「…………あっ、あった!!」
若村の声に蓼科が振り返る。彼の手には黒い革製のキーケースが握られている。
「一体何だね?それは……?」
「このホテルの全室の鍵ですよ!これがないと調査始まんないじゃないっすか!」
「それもそうか……」
毎度ながらにこの助手には頭の上がらない蓼科である。
キーケースを開けてみると、確かにいくつかのキーが入っており、ご丁寧にもそれぞれ何処の鍵か明記してある。
蓼科は事前に入手したホテルの見取り図を見ながら、若村と手分けをして調査をしようとしたが、彼の行動はいつも予想の斜め上を行く。
「俺、厨房調べてきます!」
若村は迷わず厨房の鍵を取り、さっさと部屋を出てしまう。彼はどうにもシェフの正体が気になるらしい。
残された蓼科は少しの間見取り図と睨めっこし、トランクの中から懐中電灯などを取り出した。彼は地下を調べることにしたのである。
***
明かりのついていない地下へ向かう階段。蓼科は懐中電灯の光を頼りに、慎重に突き進む。
階段が終わると左右に道が別れるので、ひとまず彼は右へと進んだ。その一番奥にあったのが“倉庫”と記された部屋。
蓼科は霧島のキーケースの中から“倉庫”と書かれたものを選び、鍵穴に通す。
――ガチャ……
という音ともに鍵は回る。そしてそれを引き抜き、ドアを開ける。
真っ暗な部屋の中心部に光を当てると、……“人”がいた。
「――わっ!?……」
蓼科は一瞬驚きの声を上げるも、よくよく“ソレ”を見てみると“生きた人間”ではないことが分かり、安堵する。
そして1歩、さらに1歩と歩を進めるごとに“ソレ”の数がおびただしいものであることに気付く。
何処を照らしても“生きてはいない人間”が冷たい目で蓼科を見ている。否、“ソレ”には何かを見ることなど出来ないのだが、蓼科には無数の“ソレ”に見つめられているような気がして、恐怖のせいで息が詰まる。
「……はぁ、しかし……なるほどな、これが女子高生の言っていた“死体の山”の正体か……」
此処に“ソレ”があることは想像出来ていたものの、実際目の当たりにしてしまうと……気持ち悪いことこの上ない。
「若村くん、聞こえるか」
無線機のマイクに問いかけるが、応答はない。仕方無く携帯電話で連絡をとろうとしたときだった。
「……うっ?!」
突然、部屋全体の明かりが付けられ、暗さに目を慣らした蓼科にとって軽い衝撃が走る。
「若村くん、明かりはつけちゃダメだ……っ……?!?!」
蓼科が振り向いたそこにいたのは、若村ではなかった。
「蓼科様、何をしておられるのですか……?」
「……き、霧島……さん……」
「ホテルの中を冒険したいなら言って下さればご案内致しましたのに……残念です」
そう言う霧島は左の口角だけを上げた歪な笑みを蓼科に向ける。そして、その手に握られているのは……拳銃。
「……い、いや、こ、これには……その……理由と、事情が…………」
丸腰の蓼科は霧島の眼光に、ただただ怯えるのみだった。
[つづく]