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蓼科は食事を済ませると、革製のトランクの中からA4サイズの茶封筒を取り出す。
5日前、彼が例のマスターから買った情報が入っている。
それをパラパラと捲りながら、依頼してからたった1日でこれだけの情報が集められるマスターはもはや尊敬の域を超えた恐怖の存在だな……などと蓼科は考えていた。
蓼科が依頼したのはこのホテルの顧客リストだったのだが、サービスなのか何なのか、他の情報もいくつか書かれている。
その1つがホテルを利用した客の感想である。蓼科自身も聞き込み調査はしたが、情報としては似たようなものばかりであった。
【支配人が1日中話を聞いてくれたので救われた】
【支配人が時間をかけてマッサージをしてくれたので、身体が楽になった】
【今まで食べたことのない特別な料理を食べることが出来て最高だった】
……などなど、書かれている感想はどれもこれも支配人やホテルを賞賛するものばかりである。
しかし、そんな中で1つだけ気になるものがある。
【主人はホテルに行くと出ていったまま帰ってきません】
……というもの。
失踪者は工場を経営していたが、それが上手くいっておらず、多額の借金から逃げるように姿を消した。故に、ホテルとの因果関係は必ずしも明確ではない。
しかし、その人物の失踪により途方に暮れていた家族の元に、失踪者の知人を名乗り出る者が現れ、工場の土地や売れなくなった製品などを全て買い取ってくれたそうである。
そのお陰で家族は路頭に迷うこともなく、決して裕福とは言えないまでも、何不自由の無い暮らしをてに入れているらしい。
――“匂うな”……蓼科は最初に資料を読んだときから、そう直感している。
まぁ、誰が読んでも怪しい記述なのは明白だが、この失踪者に関する資料は、まだ続いている。
――トゥルルルル……
そのとき、蓼科の携帯が鳴った。
彼はスマホでは無く、従来型の携帯電話を使用している。
「もしもし」
『もしもし、じゅんちゃん?頼まれてた奴のこと調べておいたわよ』
「おー、さすが桃子!助かるぜ!」
『なーに言ってんのよ、曲がりなにりにも探偵なんだから、このくらいのこと自分で調べなさいよね』
電話の相手は蓼科の事務所の近所で小さなスナックを営む桃子というママである。 彼女は例のマスターほどではないが、情報収集能力が高いので、蓼科は困ったときに利用している。
何より情報料がそこまで高くないのが彼女に依頼するメリットである。
「――で、どうだったんだ?」
蓼科が先をせかすように言うと、桃子は気だるいような声で答える。この色気が漂う声も彼女の特徴の1つである。
『ホテル・ブルームーンって知ってる?』
桃子の唐突な質問に蓼科は一瞬の間を置く。
「…………あっ、あぁ、バブルの頃に流行った高級ホテルだ!
あそこに行けば落とせない女はいないって言われてたな。
まぁ、俺は行ったことはないが……」
『じゅんちゃんの場合はそもそも行く相手がいなかったんでしょ?』
「……う、うるさっ……!?」
『……てゆうか、そんなんどうでもいいわけ。その“ブルームーン”ってバブル崩壊と共に潰れたわけだけど、そこのオーナーの名前が“霧島優”……っていうの』
「き、霧島……」
『そう、じゅんちゃんの調べてる霧島錠の父親ね。
その他もろもろ調べた結果はメールしたから見といてね!』
「分かった」
蓼科はそう言って電話を切ろうとすると、桃子から「一つ忠告」と言われ、また電話に耳を傾ける。
『じゅんちゃんが今いるホテルも霧島錠も相当ヤバイから。
行動は慎重にしないと、じゅんちゃんもそこから帰ってこれなくなるかも……。
あんまり深く関わらない方がいいわよ!』
桃子はそれだけ言って、プツリと電話を切ってしまった。
「――危険と分かっていても真実を突き止めずにはいられない、それが探偵さ!」
蓼科は独り言を言いながら、トランクからノートパソコンを取り出し、桃子から届いたメールと、その他の資料を見る。
「――なるほど……そういうことか!!」
彼の頭皮がキラリと輝く。
――蓼科の中で全てが繋がった。
だが、証拠はない。
――あとは、このホテルの内部を調査するしかない……。
[つづく]