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 入り組んだ山道を車で30分ほど進む。その後、車から降り、細く足場の悪い森の中を20分程歩くと少しだけ開けた場所に出る。


 そこにあるのは小さな洋館のようなレンガ造りの建物で、門には“hotel invisible”という小さな看板が掲げられている。

 しかし、その小ささでは山から離れた場所からは見えないので、宣伝効果は無く、あくまで来訪者に対する目印的な役割にしか過ぎないのであろう。


 ちょうど辺りの日が沈んできたので、そこにある洋館はゴーストハウスのような不気味さを醸し出している。

 これがこのホテルが“幽霊ホテル”などと称される所以なのだろう。



 そしてこの不気味なホテルこそが今日、探偵・蓼科順平(たてしなじゅんぺい)が宿泊する場所である。


 蓼科はスマートな動きで門を通り抜け、大きな木の扉を空ける。

 そして、目の前にあるフロントに向かう。


 そこには身長180cmはありそうな背の高い男がいた。


「いらっしゃいませ、蓼科様。お待ちしておりました」


 男はそう言って深々と頭を下げる。

 ポマードできっちりととかされた髪がキラリと光る。


「いやいや、こちらこそ遅くなってしまって申し訳ない。……何分、想像以上に遠くてね。この老体には堪えました」


 蓼科はそういいながら、頭に被っていた茶色のハットを脱ぎ、頭を下げる。しかし、残念ながら蓼科の頭皮にはポマードでとかすような髪の毛はほとんど存在しない。


「それはそれはお疲れ様でございました」


 男はフロントから出てきて、蓼科がトレンチコートを脱ぐのをサポートする。その身のこなしはとても鮮やかで、蓼科が最近購入したばかりのトレンチコートはあっという間にフロントにあるハンガーラックにかけられる。


 その後、男は改めて蓼科の前に戻り、フロントの前にある小さなラウンジスペースへと案内する。


「よろしければこちらでコーヒーでもお召し上がり下さい」


 そう言う男の勧めに蓼科は素直に従い、座り心地の良さそうな一人用ソファに腰を下ろす。


 すると何処からともなくメイド風の美しい女性が現れ、テーブルにコーヒーを置いていく。


「……こ、こちらは当ホテルのオリジナルブレンドコーヒーでございます。お代わりも出来ますので、ご用命の際はこちらのハンドベルを鳴らして下さい」


 メイドの立ち居振る舞いがどこかぎこちないのはこの際気にはしない。


 しかし、何となく蓼科がコーヒーを飲むことを躊躇っていると、いつの間にか彼の横にきていたフロントの男がニコリと微笑む。ワイルドさと繊細さを併せ持つような彼の端正な顔は、笑うと何故か不気味に映る。


「ご安心下さい。そのコーヒーには毒など入っていませんよ、……探偵さん」


 と彼は低い声で囁く。


 蓼科は背中に氷柱を刺されたかのような気持ちになる。このホテルを予約したとき、蓼科は自身の職業を会社員だと偽っている。


 それなのに……何故、この男は自分のことを“探偵”だと知っているのか?だが、ここで動揺していては探偵失格である。


 蓼科は何事もなかったかのように、コーヒーを口へ運ぶ。


「いや、実に味わい深いコーヒーですな」


 彼はそういって、毛髪が後退しはじめている自身の頭を撫でながら笑顔を作る。


「ありがとうございます」


 男はそう言って深々と頭を下げた。その後「よろしければご一緒させて頂いてもかまいませんか?」と言ってきたので、蓼科は「どうぞ、どうぞ」と言って自分の向かいにある席を勧める。


 近くで見ると、男はまるで存在そのものが1つの芸術作品かの如く整った顔をしている。顎周りに生える髭もよく似合っている。

 年齢は30代後半といったところか。

 服装は白いワイシャツの上に赤いチェックのベストを重ね、更に首には黒い蝶ネクタイをしており、下は黒のスラックスと同系色の革靴を履いている。

 こんな妙な洋服を違和感なく着こなしているのは、彼の身長が高く、スタイルも良いからなのだろう。



「私に関する観察はすみましたか? 探偵さん……」


 男は鋭い瞳で蓼科を刺す。それは何処までも透き通っていて、何もかもを見透かしているようである。


「……先程から何をおっしゃっているのか分かりかねますな。私は探偵ではなく会社員ですよ、ハハハ」


 蓼科がわざとらしく笑うと男も笑った。


「いや、それは失礼致しました。服装といい、雰囲気といい、どうにもお客様が探偵に見えてならなかったものですから……。大変失礼致しました」


 男はまた深々と頭を下げる。


「いやいや、どうぞお気になさらずに」


 蓼科はそう言いながら胸ポケットに入れた懐中時計を出し、時間を確認する。

 夕方6時を少し過ぎていた。


 辺りの暗さと、このホテル自体の照明が抑えられていることもあいまって、蓼科はもう少し時間が過ぎているような気がしていた。



「あぁ……私、としたことがご挨拶を忘れておりました」


 向かいに座る男が静かに立ち上がり、しなやかな動きで蓼科の隣にやってきた。

 そして、胸ポケットから名刺を取り出す。


「当ホテルの支配人、霧島錠(きりしまじょう)と申します」


 蓼科は差し出された名刺を受け取る。


 そこにはただ“霧島錠”と書かれているだけで、電話番号どころかホテルの名前すらも書かれていない、変な名刺である。


 その後、男……改め、霧島は簡単にホテルの案内を始めた。


「当ホテルはご覧の通り小さな建物です。そして、従業員は私の他に先程のメイドが1名とシェフが1名のみでございます。

 それでも、お客様に心ゆくまでお寛ぎ頂くために、宿泊客は1日1名様のみとさせて頂いております」


「そのようですな。いやいや、私も予約を取るのに大変な苦労をしましたよ。

 あっ、葉巻を吸ってもよろしいですかな?」


 蓼科がそれを出すと、霧島は灰皿を用意し、更にはマッチで火を付けてくれる。その動きには一切の無駄が無い。


「当ホテルは今時珍しく予約は葉書のみで、インターネット等にも一切の情報を公開しておりませんので、皆様探すのに苦労をされるようでございます。

 しかし、その分、私共は精一杯のおもてなしをさせて頂きます」


 その言葉の1つ1つに霧島の並々ならぬ熱意が込められていることを蓼科は感じた。


 その後、蓼科が十分に一服したのち、霧島は彼を2階の客室へと案内した。



 2階には他にいくつか部屋があるようだが、現在客室として使われているのはこの一部屋のみとのことである。


 霧島がドアを開け、「どうぞ」と促すので蓼科はそれに従う。


 部屋は想像以上に広く、正面には大きな窓、左側に人が3人はゆったりと寝ることが出来そうな大きなベッド、右側にはソファとTVなどがある。

 家具や調度品はほぼアンティークで統一されており、天井にはまるでお城にでもありそうな美しいシャンデリアが吊るされている。

 しかし部屋全体のコーディネートが整っているため、決して派手には感じないどころか、初めてきた部屋だと言うのに、とても心地好い空気が流れている。


 ――女の子を連れて来たらさぞや喜ぶだろうな、と蓼科は思った。


「いやぁ、それにしても想像してた以上に素晴らしい部屋ですなぁ…」


 蓼科は少し大袈裟なくらいの声でそう言うと、彼の荷物をクローゼットに置いていた霧島が嬉しそうに笑う。


「ありがとうございます。そう言って頂けるとホテルマン冥利につきます」


 そう言って頭を下げる。


「――人生最後の1日を過ごすには申し分のない部屋ですな……」


 蓼科がわざとらしく含みを持たせた口調でそう言うと、霧島は左の口角を引きつらせる。


「蓼科様……?」


 それまで笑顔を絶やすことのなかった霧島の表情が僅かにだが曇ったのを、蓼科は見逃さなかった。


「なぁに、ちょっとした冗談ですよ!嫌だな、霧島さん。そんな顔で見ないで下さいよ!」


 蓼科は豪快に笑い、霧島の筋肉質な肩を叩く。それで霧島もようやく柔和な表情を取り戻す。


「あははは、そうですよね。私としたことが、お客様に一杯くわされてしまいました」


「いやいや、実に申し訳ない」


 蓼科は毛髪がほぼ残されていない頭皮を撫でた。


「いや、でも実際に、ホテルで自殺する人というのは後を断たないんですよ。

 ホテル側と致しましては宿泊代を頂けないのはもちろんのこと、その後変な噂が立ちますと客足にも響きまして……潰れてしまう……なんていうこともあるんです」


「なるほど、それは堪ったもんじゃありませんな」


「どうせ自殺されるのでしたら海に飛ぶ込むなり、樹海に入るなりして下さればいいのに……と思いますよね………フフフ……」


 それまでの柔らかい笑顔とは違う、霧島の不吉な笑い方に、蓼科は狂気のようなものを感じずにはいられなかった。


 ――この霧島という男には“裏”がある――


 蓼科の長年に渡る探偵の勘が彼の脳に赤信号を灯す。



 蓼科の不穏な様子に気付いたのか、霧島は柔和な表情を取り戻す。


「いやだな、蓼科様……そんな顔で私を見ないで下さい。これはほんの冗談、先程のお返しですよ」


「いやはや、そうでしたか。

 霧島さんの言うことがあまりにもリアルなもので、背筋の凍る思いをしましたよ」


 蓼科は霧島に同調するかのように笑う。空を回るような男2人の笑い声は、無乾燥なまま部屋に響き渡る。


 ――だが途端に霧島は真顔になる。


「……ホテルでの自殺が多いというのは事実なんですよ……」


 そう呟く。蓼科とて商売柄そんなことはよく知っているが、霧島は一般論を求めているわけではないだろうと考え、敢えて口を塞ぐ。


 「でもご安心下さい。当ホテルでは開店以来1名の自殺者も出ておりません。

 蓼科様、もしも……もしも自殺を考えるほどのお悩みがあるようでしたら、早まる前に、どうぞ私にご相談下さいませ。

 ご宿泊中であれば、私はお客様のポーターにもカウンセラーにもなります」


 そう言って笑顔に戻った霧島を見て、蓼科はホッと心を落ち着ける。


「それはありがたいですな。

 しかし幸いなことに、自分には自殺を考えるような悩みなんてありゃしません」


「それを聞いて安心致しました。他にも何かご用命がございましたら、何なりとお申し付け下さい」


「そうですな……なら、晩酌の相手をしてもらえませんか?1人で飲む酒というのは辛気臭くていけない」


「もちろん、喜んでお相手させて頂きます。お好きなお酒は何でしょうか?」


「まぁ基本的には何でも飲みますが、ウィスキーが一番でしょうか」


「丁度良かった!今日とびきり上等なものが手に入ったところだったんです。食後にお持ちしますので、今しばらくお待ち下さい」


 霧島は嬉しそうにそう言った。


 彼はその後、風呂や手洗いの場所、電話の使い方やら食事についての説明、避難経路の確認など事務的なことを済ませてから部屋を後にした。



***



――30分後。


 蓼科はバスルームに居た。


「ふぅ、やっぱ風呂はいいねー」


 長旅の疲労を癒すかの如く、彼は独り言を言う。湯けむりに満ちた広いバスルームにその声が響き渡る。

 マリリンモンローでも入っていそうな猫足のバスタブと、還暦を2年後に控えた蓼科との相性は最悪だが、彼はそんなことを気にするような性格ではない。


「それにしても、面倒なことになっちまったなー」


 今度はやや小さめな声で蓼科は言った。


 そして、目を閉じて“一週間前”の出来事を思い出していた。




[つづく]

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