拉麺
「へいお待ち!」
威勢の良い掛け声と共に俺の前に器が置かれる。
俺は待ちに待ったラーメンを目の前にして、口内に溜まった唾を嚥下した。
――焦るな、最高の食事は順序良く味わえば、至高の食事となる。
ふらふらと揺れる自制心を何とか押し止めながら俺は、すぅ、と鼻から息を吸い込んだ。
白い湯気と共に漂うその香りがすっと鼻を通り抜ける。
溢れる唾液。なのに乾く舌。脳が旨みを感知して早く食べろとばかりに口を刺激する。
だがやはりここでがっついてしまってはダメだ。俺は最高の食事が食べたいんじゃない。至高の食事を楽しみたいんだ。
俺は、今すぐ麺を啜り、スープを含み、メンマやネギをぶち込み、思いっきり口を膨らませて咀嚼したい衝動をなんとか抑えるとレンゲを手に持った。俺はスープから先に頂く派なのだ。
テカテカと、古ぼけた店内を照らす照明の光を反射するスープが目に眩しい。
急く気持ちを抑え、ゆっくりとスープの表層にレンゲを沈める。
レンゲが水面を超えるがスープの水面張力というささやかな抵抗に邪魔をされスープを掬うことが出来ない。が、当然そんなものは一瞬。
スープは限界を迎えると、一度流れ出した雪崩のように、レンゲへと殺到する。
琥珀色に輝くスープが渦を巻き、油が大きな水玉模様を作り出す。
――スープはレンゲの九割。
俺の独自ルールに基づいてレンゲを持ち上げる。
ポタリとレンゲから零れた雫がスープの湖へと波紋を広げた。
「……いただきます」
もうもうと熱さを象徴するように沸き立つ湯気を恐れずに、俺は一気にスープを口内へと流し込む。
途端に感じる痛み。熱さという原始的な武器が俺の口内に突き刺さる。だがその中から僅かな旨みがふっと顔を出した。
急速に消えていく痛み。それに反比例するように沸き立つ旨み。
濃厚な、しかし粘つくことはないスープは舌へと絡み、旨みという凶器で俺の口内を蹂躙する。
いつまでも味わっていたい、そんな思いに駆られるも俺は熱さが残っているうちにスープを嚥下する。
喉を通り、食道を通り、胃へと落ちる様が熱さを通してしっかりと感じられた。
「……ほぅ」
旨さにため息をつけば口内に残った香りが鼻腔を突き抜ける。余韻で落ち着いてきた脳が更なる旨みを求めて体へと指令を出した。
――全く、余韻を楽しませてもくれない。
俺は体の望むがままに箸を手に取った。
そして迷うことなくもやしの乗った麺へと突き刺す。
麺ともやし、両方を掴み持ち上げその美しいストレート麺ともやしのコントラストを楽しんだ。
普通なら後は適度に冷まし、口に頬張り麺とスープ、そしてもやしのハーモニーを楽しむのだろう。
しかし、俺はここで一手間加える。掴んだ麺ともやしを一旦スープの中へと人泳ぎさせるのだ。
再び空中へと顔を出す麺はより絡ませたスープにコーティングされ、黄金の輝きをその身に宿す。
その魅力は大災害のそれと同じもの。魅力に酔った俺たちはなす術もなくそれに包み込まれるしかない。
――待て。いや、待てない、待ちきれない!
俺は早くしろと鳴く腹の虫に本能を刺激され、思わず熱々の麺を頬張ってしまう。
一瞬にして移る麺の熱。
しかしそれを気にする暇もなく俺は麺を啜った。
熱い吐息。膨らむ頬。飛び散るスープ。
最後の一本まで口に収めた俺は下へ向けていた顔を天を仰ぐように上げる。
「はふっ、はふっ」
熱さを和らげようと息を何度も吐いては吸う。
口で息をしているはずなのに感じる香り。
俺はまだ熱さの残った麺を噛んだ。
ぷつぷつと麺が切れ、そして短くなった代わりに単位あたりの表面積の増えた麺に更なるスープが絡みつく。
何度も繰り返すうちに溢れる唾液。
しかしスープは唾液に薄められることなく、ずっとその存在を主張し続けた。
「んっく」
そして、まだ麺が形を残している内に俺は口の中のものを飲み込む。
暖かく、確かに感じる形が『食べている』、そして『生きている』という実感を俺に与えてくれる。
ラーメン一つで生きている実感を感じれるなんて安い人生だな。
そんなことを思う自分に苦笑しつつ、俺は次の麺を求めて手を動かした。




