1・1年3組
――西暦2097年9月20日(金)AM11:35 明星高校 1年3組教室――
「瞬矢君、これ、何て読むの?」
休み時間、オウカはクラスメイトの瞬矢に、先程の授業の最後に出た文字が読めず、教えてもらおうとしていたところだった。父の母国であるため、普通のロシア人よりは文化も歴史も詳しい。しかも腹違いの姉とは違い、優秀な成績で義務教育も終えた。だがそれはロシアでの話であって、日本語はまだあまり自信が持てない。
「これ?ああ、素戔鳴尊だね」
「スサノオノミコト?それって日本の神様?」
「そうだよ。天岩戸隠れっていう神話があるんだけど、素戔鳴尊の乱暴に怒って、姉の天照大神が天岩戸に隠れてしまったんだ。確か、日蝕が基になったって言われてるんじゃなかったかな」
「日蝕……」
オウカの右手の刻印は、日蝕―エクリプス・ソレイユ―の称号を持つ女性から託されたものだ。わずか数日の付き合いだったが、彼女が姉のために戦い、命を落としたことは、まだ記憶に新しい。
「あ……ご、ごめん」
瞬矢はオウカが継承者だということを知っているが、神話の内容に触れただけで、悪気などは一切なかった。だからこそ、一瞬だけ表情を曇らせたオウカに、謝ることしかできなかった。
「ううん、気にしないで。それにしても弟に怒って隠れるなんて、久美さんと京介君みたいだね」
だがそんな瞬矢に気を使わせまいと、オウカは話題を元に戻した。
「そういえばそうかも。だけど京介の場合、返り討ちに遭うんじゃない?」
「あ、そっか。久美さんが隠れるって、確かに想像できないよね」
オウカは瞬矢と同じ、1年3組に編入したのだが、日本語、特に漢字を読むことがまだできない。ちなみに京介、勝、紫苑、花鈴は6組、浩と琴音は7組だ。
オウカは夏休みに出会った瞬矢とクラスメイトになれたことを喜びつつも、紫苑、花鈴、琴音とは別のクラスになったことを残念がっていた。事前に知り合っていたこともあり、紫苑達に頼ることも多いが、やはり同じクラスの瞬矢を最も頼っている。だが当然、美少女留学生のオウカと話す機会の多い瞬矢に、男子から向けられる嫉妬や殺意は数多い。
「それにしても、なんで日本語ってこんなに難しいの?」
オウカが溜息を吐きながら呟いた。
「そう言われても、僕達はずっと日本語で授業を受けてるからね。そんなに難しいの?」
瞬矢は比較的外国語も得意の部類に入る。特に英語とフランス語は普通に会話できるレベルで、最近ロシア語の勉強も始めた。だがロシアはキリル文字と呼ばれるギリシャ文字から作られた文字を使っているため、日本でも幅広く使われているラテン文字言語に分類される英語、フランス語とは勝手が違い、まだ戸惑っている最中だ。だから外国語を学ぶことが難しいのはわかるのだが、それが母国語となると、さすがに理解し辛い。
「難しいよ。平仮名に片仮名、漢字にアルファベットまであるじゃない。刻印具の翻訳機能のおかげで何とか授業にはついていけるけど、変換できない文字だってけっこうあるし」
「確かに、なんでこう読むんだろう、っていう字は多いよ。でもそういう字はだいたい固有名詞になってるから、それで登録しておけばいいんじゃないかな?」
今の時代、刻印具の翻訳機能のおかげで、ほとんどの会話は自国語で成立するし、電子書籍なども刻印具で訳すことができる。明星高校の教科書は刻印具にダウンロードさせた電子書籍だが、その教科書は当然日本語だ。オウカは翻訳機能でロシア語に変換させているが、それを日本語に読み上げることはかなり難しい。特に古典は日本人でさえ普通に間違えるのだから、ロシア人のオウカにはハードルが高すぎると思う。
「さ、佐々木君!」
「ん?何?」
そんなことを考えていた瞬矢だが、突然クラスメイトに声をかけられた。
「ちょ、ちょっとこっち来て!」
「いいけど、どうかしたの?」
よくわからない。だが話しかけてきたクラスメイトは、少し怯えているようにも見える。気にはなったが、無視するという選択肢は瞬矢にはないので席を立った。オウカもついていこうかと思ったが、こちらは別の団体様に囲まれてしまった。
「あちゃあ……。もしかして、頼まれたの?」
その団体の中に、一人見覚えのある生徒がいた。あの生徒が相手なら、クラスメイトが怯えるのも無理もないと瞬矢は思った。
「ご、ごめん!2年でもトップクラスの人だから……!」
オウカを囲んでいたのは、2年だった。その中に刻印術実技試験6位の男の姿もある。2年生の実技試験は、1~5位までが生成者で占められている。五人とも既に高校生のレベルではないため、2年生の6位ということは、実質的に学年トップといっても差し支えがないだろう。
「確か槙田 泰成っていったっけ。ということはオウカの周りにいるのって、全員2年生?」
「そこまではわからないけど……」
「どっちにしても、放っておけないか。悪いけど、浩……、新田に伝えてくれるかな?」
「わかった。ごめんね」
「謝るなら、僕よりオウカにしたほうがいいよ」
クラスメイトに浩を呼びに行くよう頼んだとはいえ、相手が相手なので、さすがに嫌な予感が拭えない。瞬矢は虎穴に入る覚悟を決め、オウカの所へ戻った。
「なんだ、てめえは?」
予想通りの反応が返ってきたが、想定内なので驚きはしない。
「なんだと言われましても、僕の席はここですから。それより先輩、あまり強引なことはしないでください。嫌がってるじゃないですか」
「てめえには関係ねえだろ。ここがてめえの席だろうと、知ったことか。痛い思いをしたくなけりゃ、どっか行きやがれ」
やはり取り巻きも2年生だったようだ。槙田以外は顔も名前も知らないが、本人を含め、ガラが良いとは言えない。というか、はっきり言って悪い。
「そうはいきませんよ」
「チッ、ウゼえな。やっちまえ」
「いいのかよ?」
「俺がいれば、ガキの一匹や二匹消えようが、大した問題じゃねえよ」
「さすがは槙田だ」
「その言い草、もしかして、優位論者ですか?」
自分本位の考えは、どうしても刻印術師優位論者を思い起こさせる。ほぼ間違いないだろうと思いつつ、瞬矢は槙田に質問してみた。
「それのどこが悪いってんだよ。戦争を終わらせたのは刻印術師だし、神槍事件や魔剣事件でさえ、刻印術師が解決してんだ。時代は俺みてえな優秀な刻印術師を求めてんだよ」
槙田は悪びれもせず答えた。瞬矢の予想通りだったが、正解しても嬉しくもなんともない。ほぼ間違いなく、先輩方が出てくることが確定してしまった。
「もしそうだとしても、先輩みたいな人は求められてませんよ。求められるとしたら、飛鳥先輩達みたいな人でしょうね」
「あいつらの名を出すな!」
「うわっ!」
飛鳥の名に激昂した槙田は、瞬矢にスパーク・フレイムを発動させた。
「瞬矢君!」
「あいつらは法具がなけりゃ、何もできねえんだよ!つまり俺が、最強だってことだ!」
「危ないなぁ。教室でスパーク・フレイムを使うなんて、火事になったらどうするんですか」
だが瞬矢は、ガード・プロミネンスと自身の適性によって、かろうじて無傷ですんだ。威嚇程度に威力が抑えられていたという理由も大きい。
「こいつ……槙田のスパーク・フレイムで火傷すら負ってないだと?」
「相克関係だろ。とりあえず槙田、こいつは俺達がシメとくぜ」
「ああ。さて、続きといこうか」
「絶対にイヤです!私はあなたみたいな自分勝手な人が、一番嫌いなんですから!」
「お前がそうでも、俺は好きなんだよ。七師皇の娘なら将来を約束されたも同然だし、何より俺以上に相応しい相手なんか、世界中探してもいやしねえよ」
「ママが七師皇だからって、私には何の権限もありません!むしろあなたの行為は、ロシアとの国際関係を悪化させるだけです!」
「言ってくれるねえ。気が強いところも、俺の好みだ。調教のしがいがあるってもんだ」
「あっ!」
なるべくなら穏便に事を済ませたいと考えていたオウカは、反応が遅れてしまい、槙田が発動させたフラッシング・テラーによって、虚脱状態となってしまった。
「こ、こんなところでフラッシング・テラーを使うなんて!何を考えてるんですか!!」
さすがにこれは予想外だ。 フラッシング・テラーは医療系術式であり、PTSDの治療などに活用されている。だが悪用すれば、催眠効果を誘発することもできる危険な術式でもあるため、習得条件も使用条件もかなり厳しい。そもそも一介の高校生には資格がなかったと記憶している。だが槙田はその術式を行使したばかりか、オウカを自分のものにするために発動させた。
「うるせえよ。お前ら、早くやっちまえ」
「邪魔をするな!」
もう穏便に事をすませることはできない事態だ。瞬矢はフレイム・ウェブを発動させ、身に纏った炎の鎧で取り押さえようとしていた二人の上級生を無理矢理引き剝がした。
「ぐおっ!」
「フレイム・ウェブだと!?このガキ、ナメた真似しやがって!」
「思い出した。フラッシング・テラーで思想を刷り込むことで、無意識のうちに自分達の協力者に仕立て上げる手口……あなたは過激派の協力者だったんですね!」
過激派が尻尾を掴ませなかった理由の一つに、民間人にフラッシング・テラーを使い、自分から、結果的に協力する形になるよう暗示をかけていたためというものがある。そのためフラッシング・テラーを施された民間人は、過激派に協力していたという意識がなかった。当然違法行為だが、既に過激派は壊滅したといってもいいため、誰にフラッシング・テラーが施されたのかは連盟でもわからず、病院などで検査をしなければ判明しない。術師が死んでいれば問題ないが、生きている可能性もあるため、連盟や政府も疑わしいと思ったら検査をするよう呼びかけている。
「だからどうしたよ?南さんが死んだのは痛かったが、俺がいれば同じことができる。お国のために身体を張ろうってんだから、これぐらいのことでガタガタ抜かすなよ」
「そうはいきません!まさか校内に過激派の協力者がいたとは思わなかったけど、そうだとわかった以上、あなたを止めます!」
瞬矢は神槍事件については、報道されている程度のことしか知らない。だが過激派が、しかも生成者が大挙して明星高校を襲ってきたことぐらいは知っている。瞬矢自身も、夏休み中に一度優位論者に襲われたため、敵視している存在だ。
「ガキがいきがるなよ」
瞬矢の態度に腹を立てた槙田は、ライトニング・スワローとダンシング・プラズマを発動させた。どちらも雷系に属する術式であるため、水属性に対しても高い効果を発揮する。さらに発動させたニードル・レインに雷を纏わせ、相応関係によって雷の威力をさらに上げた。
「そんな使い方するなんて!」
まだ教室には、クラスメイト達がいる。ライトニング・スワローとダンシング・プラズマだけなら何とかなるが、ニードル・レインまで同時に発動されてしまえば、教室内に電流を纏った雨が降り注ぐ。そんなことになれば、本当に最悪の事態もありえる。すぐに瞬矢は、ラウンド・ピラーとアース・ウォールを同時に発動させ、結界を作り上げた。
「へえ。思ったよりやるじゃねえか。土なら同時に防げると、一瞬で判断するとはな。だがてめえ、水が苦手だろ?」
「な、なに……?」
「悪いな。俺は水にも特性があるんだよ。つまりは、こういうこった!!」
自分の特性を得意げに語った槙田は、続けてブラッド・シェイキングを発動させた。ライトニング・スワローとダンシング・プラズマを纏ったニードル・レインに干渉することで電離現象を加速させた雨は、瞬矢の結界を、今にも突き破りそうな勢いを見せている。
「こ、このっ……!」
だが特性なら、瞬矢も持っている。瞬矢はクリムゾン・レイを自分の作り上げた結界へ発動させ、土の結界を炎で包み込んだ。
「おいおい、自分で結界を燃やしてどうすんだよ。自殺でもしてくれるってんなら、大歓迎だがよ」
槙田も取り巻き達も、鼻で笑っている。
瞬矢の発動させたクリムゾン・レイは、内部から土の結界を燃やしている。だがその炎は、結界に含まれているアルミニウムを燃やし、酸化させた。その結果土の結界は、深紅の炎に照らされた酸化アルミニウムの結界となった。酸化アルミニウムは絶縁体であり、電気を通しにくい性質を持つ。そのため深紅に輝く結界は、槙田の発動させた積層術を防いだ。
「な、なんだと!?」
防御系に攻撃系を重ねて発動させることは、熟練した術師でも滅多にしない。攻撃系と防御系には系統相克が存在するため、適性の低い術式の強度と精度に大きく影響を及ぼすためだ。刻印術師はあまり系統相克を気にしないが、攻撃系と防御系だけは、その特性上、どうしても気にすることになる。
瞬矢は防御系より攻撃系に適性が高い。本来であれば槙田達の予想通り、アース・ウォールを使っている結界が燃え尽きるか、強度を著しく下げることになる。
だが瞬矢は、攻撃系と防御系を一体とする特性を持つ。そのため防御系に攻撃系を重ねることで、既存の防御陣とは異なる結界を作り上げることができるし、防御系を攻撃系に重ねることもできる。
「自分だけ特性を持ってるなんて、思わないでください!」
「このガキ!けっこうな結界を作ったみてえだが、その程度でいい気になるなよ!お前ら、やっちまえ!!」
「おうよ!」
「そうはさせない!」
だが瞬矢はその結界に、さらにスカーレット・クリメイションを発動させた。深紅の結界から発射された炎を纏った結晶体は、殺傷力こそ抑えられているが、取り巻き達に大きなダメージを与えた。同時にオウカにガード・プロミネンスとライトニング・スワローを発動させ、炎雷の結界を作り上げ、槙田の手から解放した。
「て、てめえ!」
「オウカに手を出すことだけは、絶対にさせない!」
槙田は瞬矢の積層結界攻撃術、とでも言うべき術式を防いでいるが、こんな使い方ができる術師を見たことも聞いたこともなかった。
「攻撃系と防御系を同時に使うとはな……。これがてめえの特性ってわけかよ!」
槙田の顔からは、既に嘲笑が消えている。自分より格下と見下していた瞬矢が、自分より希少な特性を持っていたことが、槙田にとっては心の底から気に食わなかった。
約半数の術師が特性を持つとされているが、もっとも多いのが他属性への適性だ。適性属性以外にもう一つの属性へ特性を持つ術師が圧倒的に多いが、二つ以上の属性に適性を持つ術師も存在する。その中でも全ての属性に適性を持つ真桜や三剣士のミシェル・エクレールは、他属性へ特性を持つ術師の中では最上位に位置づけられている。
だが特性は、他にも様々なものが確認されている。特に珍しいのは雅人の全系統適性、雪乃の属性相克の反転、菜穂の遠隔術式反射などがある。それは瞬矢も同様で、攻撃系と防御系を一体化させる、攻防一体と呼ぶべき特性はかなり珍しい。




