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刻印術師の高校生活  作者: 氷山 玲士
第一章 刻印の高校生編
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9・刻印融合術

――PM13:47 横浜 中華街――

 丁度お昼時を過ぎたためか、月桂樹店内も落ち着きを取り戻してきはじめた。

 そんな中、一人の男が現れた。男は用件を告げると座席ではなく、店の奥へ案内された。男に焦りの色が見えるが、それ以外は特に普段と変わらないやり取りのように見える。

 それを遠くから見ていた少年と少女は、そこが男の目的地だということを確信した。


「飛鳥、どう?」

「エレベーターから降りた。あの部屋が目的地みたいだな」


 飛鳥は校門で松浦を見かけた際、水性C級探索系術式ドルフィン・アイを発動させていた。水属性術式であるため、水がなければ映像がぼやけたり途切れたりするが、水は空気中にも存在する。状態が気体か液体かの違いだけならば、飛鳥にとってそれは障害にならない。


「じゃあそこに……!」

「いるだろうな。おっと、ドアが開いた。うわ、趣味悪ぃデザインだな。部屋の主は女か」


 室内の調度品、レイアウトから、飛鳥はそう判断した。だが悪趣味と呼んでも一向に差し支えのないデザインに、飛鳥は呆れていた。


「女?じゃあ松浦は、たぶらかされたってこと?」


 自分で言っておきながら、真桜は松浦の顔を思い出していた。ようやく復職したというのに、自身が刻印術師優位論者だということを隠そうともしていない担任を。いや、おそらくは隠せていると思っていたのだろう。だがそれができていなかったのは誰の目から見ても明らかだった。そのために3組だけでなく、授業を受け持っているクラスからも、松浦に対する批難が上がり、学校側もそれを考慮しはじめていた。

 真桜にとっても松浦は一切の好感を持てない、それどころか嫌悪感すら抱ける教師だった。根拠もなく、いや、過大評価の上で自分が優れていると誤認し、刻印具や一般の生徒を見下すその様は誰が見ても好感は抱けないし、滑稽にも見えるだろう。時折自分に、いや、女子生徒に向けられていた舐めるような視線も嫌悪する理由だ。おぞましいとしか言いようがない。思い出したことを真桜は後悔した。


「ある意味、常套手段だからな。それに優位論者がテロリストと内通してたなんて、別に珍しい話でもないだろ?」

「まあ、去年だってそうだったもんね。ほんと、優位論者ってロクなことしないね」

「まったく同感だ。お、やっと顔が拝めるか」


 だが女を顔を認めた瞬間、飛鳥が口を開いたまま固まっていた。


「飛鳥、どうしたの?」


 真桜も緊張の色を深め、飛鳥へ問い掛けた。だが帰ってきた答えは、真桜にとっても驚くべきものだった。


「あの女……まさかチャン 深紅シェンホン?生きていたのか……」

「その女って、マラクワヒーの!」

「ああ……。これではっきりした。張深紅の目的は俺達だ。さつきさんは……いや、大河も美花もさゆりも、学校のみんなも、あいつの復讐に巻き込まれたんだ……!」


 マラクワヒーは昨年夏、連盟の刻印術師によって壊滅させられた。だがそのきっかけを作ったのは、他ならぬ飛鳥と真桜だ。残党がそれを知っていてもおかしくはない。


「ってことは松浦の役割は、校内での私達の監視か。だとしたら今日のことは失敗だったかな。見られちゃったもんね」

「それで松浦が慌ててここに来たんだから、結果オーライってことにしとこう。行くぞ」

「正面突破だね。望むところだよ」


 飛鳥も真桜も、正面突破以外の選択肢は頭になかった。


――同時刻 横浜 中華街 張深紅私室――

「松浦、あなた……厄介なことをしてくれたわね」


 深紅は松浦に冷たい眼差しを向けていた。


「俺のせいじゃない!刻印宝具は一人一つが原則だろ!二つも持ってるあいつらがおかしいんだ!」


 だが松浦は、自己保身の言い訳を繰り返す。熱くなっていく松浦と対象的に、深紅はすっかり冷めている。部屋の温度さえも下げてしまうかのように。


「それはあなたが不勉強なだけよ。確かに珍しいことだけど、比較的有名な話なんだから。だけど今私が問題にしてるのは……これよ!」


 深紅が突然刻印術を発動させ、松浦の右肩へ刻まれていた印を剥ぎ取った。松浦に驚きと困惑がもたらされているが、深紅には心からどうでもいいことであり、むしろこのまま殺しておくべきだったとさえ思った。


「こ、これは!?」

「これはドルフィン・アイね。あなたはね、あの兄妹を私の部屋へ案内してしまったのよ。これは信じられない失態だわ」

「何を言う!ドルフィン・アイは水属性の術式だ!水もないような場所じゃ効果はない!あいつは術式の選択を誤ったんだ!そうに決まっている!」


 冷笑、という表現がぴったりだろう。侮蔑と嘲笑を含んだ冷たい視線が松浦へ突き刺さる。もはやこの男を利用する価値は一片もない。むしろこれから受けるであろう損害を考慮すれば、この男の命一つではとてもではないが足りない。深紅にとって部下は使い捨ての駒に過ぎないが、現在の部下はそれなりによくやってくれている。そんな部下達に、こんな男との連絡役、仲介役などというつまらない仕事にまで関わらせたことに対しては、さすがに悪いことをしたと思えてしまう。刻印術師優位論者の何人かと接触したことがある深紅から見ても、目の前の男はあまりにも無知、無能、無力だ。深紅はまるで諭すように、子供にもわかるように、あえて丁寧に説明を始めた。


「あなた、本当に救いがないわね。水は理論上、地球上のどこにでも存在しているわ。液体ではなく、気体としてね。それが何を意味するか、わかる?」

「ま、まさか……気体を通して俺を監視していた?そんなこと、高位の術師でもなければ……」

「出来るわけがない、と言いたいのだろうけど、現実に出来ているのだから、かなり高位の術師と見るべきでしょうね。なにしろあの二人はね、去年マラクワヒーを壊滅においやるきっかけを作った兄妹なのよ。私の見た所じゃ、征司君よりもあの兄妹の方が実力は上ね。だから征司君は負けたのよ」

「なぜそれを……!」


 それすらもわからないほど、松浦は動揺していた。先程自分が報告する際に、漏らしてしまっていたことを。


「もういいわ。あなたにはもう何の価値もない。いえ、マイナスの存在でしかない。私の最後のお願いよ。消えてくれる?」


 深紅は汚物でも見るような目を松浦に向け、距離を取った。


「な、何を言うんだ、深紅!君には俺が必要だ!俺は無価値なんかじゃない!君にとって唯一の存在なんだ!」


 見苦しく、聞き苦しく松浦が喚く。深紅はこんな男に体を許した自分が許せなかった。こんな男に幾度となく抱かれていたのかと思うと、嫌悪感を通り越し罪悪感すら抱いてしまう。もちろん自分自身に対してだが。


「目障りよ。消えなさい」


 口を開くことすら億劫に感じながら、深紅は火性B級干渉対象系術式スカーレット・クリメイションを発動させ、松浦の身体を焼き尽くした。自分の名前と同じ色の炎が、対象を焼き尽くしながら花火のように消えゆく様は、深紅のお気に入りだ。少し、ほんの少しだけ留飲を下げた深紅は端末を操作し、部下達へ指令を送った。


――同時刻 鎌倉市総合病院 廊下――

 大河、美花、さゆり、恭子、翔の五人は手術室の前にいた。今、さつきの緊急手術が行われている。時計に目をやると、まだ手術が始まってから十分ほどしか経っていない。だが五人にとっては、既に何時間も経過しているように感じられた。重い沈黙の中、最初に口を開いたのは翔だった。


「佐倉君、真辺さん。マラクワヒー、だったな。なぜ三上君達は、あそこまで敵意をむき出しにしているんだ?」


 同じことを考えていたさゆりも、翔に続いた。


「やっぱりさつき先輩が、こんなことになったからなの?」


 さゆりは刻錬館での出来事を見ていない。先程、大河と美花、恭子から聞いただけだ。


「ええ。さつきさんは飛鳥君や真桜とは、私達より長い付き合いなの」

「幼馴染ってやつなんだとさ。ガキの頃は、本当の姉弟みたいだったらしいぜ。今もあんまり変わってねえんだろうけどな」

「と言うことは三上君達は、姉である立花の仇を討つために、マラクワヒーのアジトへ行ったということなのか?」

「そうなるわよね、当然……」

「だけど大河も美花も、さっきは俺達も行く、みたいなこと言ってなかった?」

「ああ。本音を言えば、俺だって殴り込みたかったさ。俺も美花も、さつきさんには世話になってるからな」


 大河が悔しさに顔を歪めた。


「最初に私達に刻印術を教えてくれたのは、さつきさんなの。飛鳥君も真桜も危険だからって教えてくれなかったのに、さつきさんはただ見ているだけ、守られているだけっていうのも辛いものなんだって、飛鳥君と真桜を説得して、私達に刻印術を教えてくれたの。二年前のことよ」


 美花の告白に、翔もさゆりも驚いていた。特にさゆりは、二人がB級術式を難なく使いこなしている所を見たばかりだ。飛鳥と真桜の親友と聞いていたから、そこで刻印術を学んだのだろうと思っていたが、真実はむしろその逆。飛鳥も真桜も、大河と美花が刻印術に関わることを拒んでいたのだ。


「つまりさつきは、佐倉君と真辺さんのお師匠様になるってことなの?」

「さつきさんがどう思っているのかはわかりませんが、私達はそう思ってます。だから私達も、本当は一緒に行きたかった!でも!」

「あいつらはそこいらの刻印術師が束になっても、どうにかできるような奴らじゃない。だけど俺達は違う。刻印具がちょっと使えるってだけじゃ、あいつらの足を引っ張るだけだ」


 大河の呟きに、さゆりは戦慄を覚えていた。二つの刻印宝具を使いこなすだけではなく、真桜は複数のA級術式を行使し、飛鳥は征司に勝った。その事実だけでもさゆりの常識を覆すには充分すぎた。だが大河の呟きには、それ以上の何かが込められているように感じられる。一人の術師から生成される二つの刻印宝具。さゆりの脳裏を、幻と言われている生成術の名がよぎった。


「佐倉君、それはどういう意味なんだ?」

「それって、どれのことです?」


 少しぶっきらぼうに答えてしまったと大河は思った。だが翔も、抽象すぎると感じていた。


「すんません」

「すまない」


だから二人は同時に謝罪の言葉を口にしていた。それがおかしくて、二人は思わず笑っていた。


「刻印術師が束になってもどうにもならない、というセリフだ。俺は刻印術師じゃないが、それでもそのセリフを聞き流すことはできないぞ」

「私にとってはもっと切実よ。確かに二人共、人並外れたの才能を持ってるけど、刻印術は才能だけで使えるわけじゃない。それは知ってるでしょう?」


 さゆりも口を挟んだ。この中で唯一の刻印術師であるさゆりにとって、翔の質問は彼以上に聞き流すことはできない。


「すんません。それは口止めされているんです」


 だが大河の答えは、二人の予想外のものだった。口止めされているということは、連盟だけが関わっているわけではないと容易に推測できる。連盟以外となれば、他に考えられるのは日本国土防衛軍。つまりはこの日本という国そのものだ。

 さゆりの脳裏をよぎった生成術が、いよいよもって現実味をおびてくる。おそらく……いや、間違いなくあの二人は使えるだろう。そしてそれが可能ならば、自分などでは逆立ちしても太刀打ちできない。大河の言う通り、そこらの刻印術師が束になってもどうにかなるものではない。どちらか一人というだけでも信じがたい事実だが、それが二人共ということなど予想できるはずもない。さゆりはまだ見ぬ生成術の名に、言い知れぬ恐怖を感じていた。

 その生成術の名は、“刻印融合術こくいんゆうごうじゅつ”。


――PM13:53 横浜 中華街 月桂樹――

 月桂樹の花言葉は“名誉”と“栄光”。ギリシャ神話の太陽神アポロンの聖樹として神聖視され、古代ギリシャでは葉のついた若枝を編んで「月桂冠」とし、勝利と栄光のシンボルとして勝者や優秀な者達の頭に被せていた。中華思想においては、自身こそが世界、宇宙の中心であり、太陽神の聖樹の名誉と栄光を手にしていると、固く信じられている。月桂冠という世界を被る者、それは天使の神託を受けた祖国だとする戦時中の中華思想を、張深紅は深く信じている。だからこそターゲットを店内へ招き入れ、手厚く歓迎するために自分もこの場へやってきた。歓迎準備は万端だった。店主である深紅自らの歓迎だ。ターゲットも気に入ってくれるだろう。深紅はそう思っていた。

 だから部下達が成す術もなく排除されていく様を、深紅はただ黙って見ていることしかできなかった。ターゲットは自分だったのかもしれない、という思考を止めることができずにいたとしても、それは仕方のないことだろう。


「中華料理店だけあって、なかなかに“熱い”歓迎だったけどな、足りねえよ」

「同感。せめて、これぐらいはやってほしいよね!」


 そう言うと真桜は、火性A級広域対象系術式ムスペルヘイムを発動させた。酸素は燃焼し、分子は活性化し、原子は電離し、水槽を満たしていた水は一瞬で蒸発していた。今や店内は、プラズマの乱舞する灼熱地獄と化している。


「逃げられると思うなよ!」


 灼熱地獄から逃れようとしていた数人のマラクワヒー残党を無数の光が貫いた。真桜のムスペルヘイムで発生していた炎やプラズマの光を収束させた指向性のレーザー――飛鳥の光性A級広域対象系術式ヴァナヘイムだ。

 灼熱の炎の中で煌めく無数の光は同時に光の格子となり、ムスペルヘイムという空間を取り囲む檻となった。光と火、二つのA級広域対象術式の前に、深紅達は完全に閉じ込められた。


「嘘でしょ……。こんな化け物だったなんて、聞いてないわよ!」


 深紅が耐えきれずに悲鳴を上げた。飛鳥も真桜も、正面から堂々と乗り込んできた。それは深紅も予想していたし、必ずそうするという確信もあった。あの時は別の任務についていたため、二人とは直接戦わなかったが、組織を壊滅寸前においやった兄妹が正面から乗り込んできたという話を、生き残った部下から聞かされていたからだ。

 だからこそ深紅は、マラクワヒーが長年経営しているこの月桂樹の入り口はもちろん、店内のいたるところに自分の刻印を打ち込み、罠を張り、店内へ乗り込んできた敵を必ず殺すための仕掛けを施してきた。

 だが飛鳥にも真桜にも、深紅が数年かけて作り上げた刻印結界とでも言うべき多重展開広域刻印術式が、まるで効果がなかった。それならばと生成した槍状武装型刻印宝具“火尖槍かせんそう”も、あっという間に銀に変えられてしまった。二人の宝具の特性は、松浦を殺す前に聞き出している。近接戦闘と遠隔戦闘に特化しているがゆえに、二人で動いているのだろうと深紅は予想していたし、それは正しい。

 だが今、飛鳥の手にも真桜の手にも、握られている刻印宝具は一つだけ。

 光と雷が乱舞する灼熱地獄の中で正気を失った部下が、無謀にも飛鳥に襲い掛かった。だが飛鳥は手にしている銃の引き金を無造作に引いた。

 発動したのは飛鳥の水性S級対象攻撃干渉系術式ミスト・インフレーション。部下は体内の水分を膨張させられ、内部の圧力に負けた血管、皮膚から血飛沫を舞わせながら絶命した。同時に背後から斬りかかった部下も、飛鳥によって“斬り捨てられて”いた。飛鳥が手にしていた銃は、いつの間にか剣となり、再びミスト・インフレーションを発動させ、周囲に血の花を咲かせ続けた。

 真桜に襲い掛かった部下達もいる。真桜が手にしているのは杖のような、弓のような宝具だった。いずれにしても近接戦闘に持ち込んでしまえば勝機はあると考えたのだろう。だがその考えは、灼熱の世界の中でも決して溶けることのない銀に、いつの間にか足を固められてたことで霧散した。そんな部下達に、液体金属と化した銀の雨が、ダウンバーストと呼ばれる下降気流に乗って襲い掛かっている。

 真桜の風性S級広域対象干渉系術式シルバリオ・ディザスター。

 深紅が見たものは、銀の像と化した部下達だった。そこで深紅は、ようやく答えに辿り着いた。


「まさか……まさかあなた達……融合型刻印宝具の生成者だったの!?そんなこと松浦は……いえ、あの人だって一言も言ってなかったのに!!」


 飛鳥の銃剣状融合武装型刻印法具カウントレスと真桜の弓杖状融合装飾型刻印法具ワンダーランド。飛鳥と真桜の切り札の一つである融合型刻印法具は、二つの刻印法具を生成する者のみが、幻の生成術と呼ばれる刻印融合術を発動させることで、生成される。その能力は既存の刻印法具とは一線を画し、戦術兵器にすら匹敵すると噂されている。


「当たり前だ。俺のカウントレス、真桜のワンダーランドを見て生きている奴はいないんだからな」


 飛鳥も真桜も、ここまで本気で怒りをあらわにしたことはない。覚えている限りでは、これが2回目だ。前回は昨年夏、大河と美花が狙われた時。そして今回……


「もっと早く、こうするべきだったよ。そうすればさつきさんも……あんな怪我しなくてすんだんだから!」

「だな。だがあれだけのことをしてくれたんだ。お前はただでは殺さない。俺達の逆鱗に触れたことを、たっぷりと後悔しろ!」


 二人の怒りに呼応するかのように、光と灼熱の空間が密度を増す。その中では真桜のシルバリオ・ディザスターが次々と銀像を作り上げ、飛鳥のミスト・インフレーションが咲かせた血の花が、銀像を紅に染める。一種の芸術とも言える惨劇が深紅の目の前で繰り広げられていた。

 まさに悪夢だ。心の底から逃げ出したいと思っても逃げ道などない。最初から存在していない。深紅は恐怖と熱気にあてられ、ついには立っていられなくなっていた。美しかった顔は恐怖で歪み、髪は乱れ、失禁さえしている。だがそんな醜態を晒しても、今となってはそれを見ているのは飛鳥と真桜だけだった。


「そんな……全滅?ここにいたのは、あなた達の学校を襲った奴らとはレベルが違うのよ!?刻印術師だったのよ!人数だっていたのに……それをこんなにあっさりと……!これが……これが融合型刻印宝具の力だっていうの!?」

「知ったことか。後は地獄で考えろ」

「松浦や部下の人達が先に待っててくれてるから、寂しくはないよ」


 飛鳥も真桜も、底冷えのする冷たい眼差しを向けている。深紅はこの灼熱の世界で、心だけではなく体まで凍てつくような錯覚を覚えた。今の深紅にとって、目の前の二人は自分の半分も生きていない少年少女ではなく、自分に死を告げにきた地獄からの使者のように映っている。恐怖、悪夢、絶望……自分は助からないと、深紅は心の底から思った。

 だから次の瞬間、光と灼熱の世界が消えた時、深紅は何が起きたのか理解することができなかった。


「まったく……派手にやってくれたな、二人共」

「雅人さん」

「何故ここに?」


 雅人と呼ばれた青年は、日本刀のような剣を手にしていた。信じられないことだが、この男はヴァナヘイムとムスペルヘイムの多重結界を切り裂いたのだ。高位の術者であっても、あれほどの規模と精度の術式を切り裂くことは不可能に近いし、仮にできたとしても無傷でいられるはずがない。だがそれを成し遂げた男を、深紅は知っていた。


久世くぜ 雅人まさと……。何故ここに……」


 久世雅人は近接戦闘において、世界有数の使い手として有名であり、その日本刀状武装型刻印宝具“氷焔之太刀ひえんのたち”の形状からソード・マスターと呼ばれている。深紅が知っていても不思議はない。

 だがそれとこれとは別の問題だ。確かに雅人のことは警戒していた。刻印結界も雅人のような超一流の刻印術師の侵入を設定し、張り巡らせた。普通ならば敵うはずはないが、結界内ならば仕留められるという自信があった。だからこのような状況で現れるという事態は、深紅にとって想定外もいいところだった。そもそもこんな事態など、想定できるわけもないのだが。

 とっさにこの場を逃げ出そうと考えたが、身体が反応しない。理性では逃げなければと思っていても、本能では逃げられないとわかっている。その証拠に二人の殺気は、まだ自分に向けられている。ここを一歩でも、いや半歩でも動けば、即座に自分に死をもたらす刻印術が飛んでくる。深紅はそう悟らざるを得なかった。

 だが飛鳥、真桜、雅人の三人は、深紅に意識を向けながらも、既に深紅のことは眼中になかった。


「美花ちゃんから連絡をもらったんだよ。マラクワヒーの残党を潰すために二人で乗り込んだってね。万が一に備えて、あの二人に俺のプライベート・ナンバーを教えておいてよかったよ」

「美花が?」

「それで、どうするつもりですか?」


 飛鳥も真桜も、まだ戦闘態勢を維持したままだ。返答次第ではすぐにでも深紅を殺すだろう。


「その女、見覚えがある。マラクワヒー幹部、張深紅だな。そいつには聞きたいことが山ほどある。身柄は軍で引き取り、尋問した上で処分する。っていうのは建前だ。ついさっき連絡があった。さつきの手術は終わったよ。後遺症もないだろうって話だ」


 だが雅人が最後まで言い終わる前に、真桜の意識が戦闘から離れた。その顔は先程まで展開されていた灼熱世界の女王のものではなく、年相応の少女のものに変わっている。


「ほ、本当ですか!嘘じゃないですよね!?」

「こんな嘘をついても仕方がないよ。まだ意識は戻ってないそうだけど、さつきが目を覚ましたら、きっと怒り狂うぞ。またこんな無茶なことをして、ってね」


 飛鳥も意識が傾いた。自分達が聞きたかった言葉を、代わりに届けてくれたことが嬉しかった。


「そうでしょうね。それでも俺達は、こいつらを許せなかったんです」


 飛鳥は揺れていた。雅人に言われなくても、さつきが怒るだろうことはわかっていた。だからこそ飛鳥は、こいつらを許すことができなかった。

 飛鳥の気持ちは、雅人にもよくわかる。雅人も本音では、深紅を八つ裂きにしても足りない。だが雅人は、私怨で動くことの危うさを知っている。美花の話でそれを直感した雅人は、行き先をさつきの搬送された鎌倉市民病院から横浜中華街へ急遽変更した。そしてそれは間一髪のところで功を奏した。雅人は飛鳥の肩を叩くと柔和な笑みを浮かべ、飛鳥を諭すために口を開いた。


「気持ちはわかるよ。俺だってそうだからね。だけど俺は俺の任務を遂行する。それがさつきのためでもあるし、飛鳥と真桜ちゃんのためでもあるんだから」

「……わかりました。ここは雅人さんにお任せします」

「すいません、お手数をお掛けしました」


 そう言うと二人は、宝具を刻印に戻し、雅人に一礼するとその場を後にした。雅人はそれを見届けると、視線を深紅へと移した。その視線は、先程の二人に勝るとも劣らない冷たさを秘めていた。命拾いしたという甘い考えを抱いていた深紅は、すぐにそれが間違いだったことを思い知ることになる。


「張深紅、俺が間に合ったことを心の底から後悔しろ。あの二人に殺されていた方が、まだ幸せだったろうにな」


 ヘリのローター音と同調するかのように、深紅の心臓が大きく跳ねた。その鼓動に耐えられなくなった深紅は、そのまま気を失った。

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