14・刻印術師前世論
――PM9:43 神戸 ポートアイランド 刻印亭 客室――
貿易港という土地柄なのか、神戸は西洋風の建築物が多い。ポートアイランドもその例に漏れないが、連盟議会ビルの脇に一件の和風建築物が建っている。戦後に開業した料亭旅館であり、連盟が経営していることから『刻印亭』と名付けられている。人気は高いが部屋数はホテルほど多くはないため、総会談の出席者の中では、七師皇、三剣士が優先的に宿泊できるよう手配されており、なぜか飛鳥達明星高校生も宿泊している。
「なあ、飛鳥。なんで俺達だけ代表に呼ばれたんだ?」
「俺が聞きたい。どうせロクでもない用事だろうけどな」
「いくらなんでも、総会談中にそんなことはしねえだろ。他の七師皇だっているんだしよ」
「俺はそこまで信じられねえな。親父、入るぞ」
敦は飛鳥が考えすぎだと思っていた。だがそれも、部屋に入るまでだった。部屋に入った飛鳥と敦の眼前には、予想外の光景が広がっていた。
「な、なんだ……これは……」
「ミシェルさん!何事ですか、これは!?」
「見ての通り、七師皇の酒盛りだ。七師皇の良心と言われる林虎さんが早々に潰されちまったから、もう誰にも止められねえよ」
ミシェルの言うとおり、あまり酒に強くない林虎は速攻で潰され、狂乱の宴へと突入してしまった。他の四人が強過ぎるとも言えるが、自分だけでは相手にならないと考えたミシェルは、誰でもいいから来てほしいと切に願っていた。そこに呼ばれたのが、飛鳥と敦だったわけだ。
「じゃあなんで、俺達が呼ばれたんですか!?」
「いけに……飲み相手が欲しかったらしい」
だからつい、本音が漏れてしまった。
「今、生贄って言いましたよね!?しらばっくれてもダメです!」
さらりと漏れたミシェルの本音に、飛鳥が敏感に反応した。だが反応したところで手遅れだ。
「飛鳥、井上君。そんなところにいないで、こっちにきて飲め」
「このクソ親父!総会談が終わったばっかだってのに、何してやがんだ!!」
「固いこと言うな。終わったから羽目をはずしているだけだ。なにせ七師皇が揃うなど、一年に一度あるかないかだからな」
「ルドラの受称祝いも兼ねているぞ。本当なら三剣士を全員呼ぶつもりだったんだがな」
「そういや、雅人先輩とアーサーさんがいねえ……」
今更ながら、この場にいる三剣士がミシェルだけということに気がついた。だが他の二人がいない理由がわからない。
「雅人は軍務、アーサーは前世論の論文で手が放せないんだよ」
「任務と学業と言われてしまえば、我々も強要することはできないからな。かといってミシェルだけでは物足りない」
「ならばせっかくの機会なので、一斗の息子を呼ぼうということになったのだよ。君も同様だ」
そう思っていたところに、答えが投下された。同時に自分達が呼ばれた理由もだ。
「……すまん、飛鳥。お前が正しかった……」
「だろ?」
だが嬉しくもなんともない。ロクでもないとは思っていたが、本当にロクでもない。
「さすがは一斗の息子だ。いい読みをしている」
「諦めろ、飛鳥、敦。俺としても、お前らを逃がすつもりはない」
七師皇と三剣士がいるこの場から逃れる術などない。あれば全力で使っているだろう。
「……井上、お前、酒は強いか?」
「知らん。飲んだことないからな……」
「先に言っておくが、親父はアホみたいに強いぞ。この様子じゃ、他の七師皇もだろうな」
「つまり?」
「死ぬなよ、井上」
「……なんのアドバイスもなしかよ!」
飛鳥は何度か雅人や勇輝と飲んだことがあるが、どちらかと言えば強い方だろう。だが飛鳥も、一斗が酔い潰れた所は見たことがない。見れば室内には、空になった日本酒やビールの空き瓶が、所狭しと転がっている。
「どうした、二人とも。ああ、酒がなかったか。ミシェル、ビールを1ケース追加してくれ」
「日本酒も五本頼むぞ」
「まだ飲むんですか……」
「化け物どもめ……」
飛鳥も敦もミシェルも、目の前の五人が、本当に化け物に見えて仕方がない。この場にいない雅人とアーサーを恨みながら、二人は諦めたように席につき、ミシェルは内線で追加注文をする羽目になった。余談だが、この日用意してあった刻印亭の酒は、ほとんどが七師皇に飲み干され、危うく足りなくなるところだったらしい。
――西暦2097年7月31日(水)AM10:20 神戸 ポートアイランド 日本刻印術連盟議会本部 レストラン街――
「飛鳥も井上君も、けっこう辛そうね」
「大丈夫、二人とも?」
「あんまり……」
「すっげえ頭痛ぇ……」
「そんなに飲まされたの?」
「あのオッサンども……無茶苦茶しやがって……!」
敦は初めて酒を飲んだが、同時に狂乱の宴も初めてだった。中途半端に強かったらしく、途中で酔い潰れることもできず、明け方まで飲まされ続け、ミシェルがダウンしたことを理由にようやく解放された。そのミシェルは二日酔いがひどく、まだ刻印亭で寝ている。
「仮にも七師皇をオッサン扱いって、けっこうヒドくない?」
「仮、って言ってる時点で、お前も大概だろうが」
昨夜の狂宴は、まさに酔っ払い親父の集まりだった。おそらく誰に話しても、信じてはくれないだろう。敦だけではなく、飛鳥もかなり辛そうだ。
「落ち着いてよ、井上君。飛鳥君も」
「ところで雪乃先輩、昨夜いなかったみたいですけど、どこか行ってたんですか?」
飛鳥の具合はもちろん心配だが、飛鳥が飲まされるのは初めてではない。だからあまり心配はしていないが、それよりも昨夜、雪乃の姿が見えなかったことが気になった。
「ええ。ちょっと用事があったから」
「用事?夜更けに、しかも神戸でですか?」
雪乃の実家は鎌倉であり、神戸に親戚もいない。そのことは真桜も知っている。だから用事があると言われても、何のことかさっぱりだ。
「私、知ってるわよ。アーサーさんと会ってたんですよね」
「さ、さゆりさん!なんで知ってるの!?」
雪乃もアーサーも、ポートアイランドへは初めて来た。だから土地勘など、あるはずがない。だがさゆりは、中学時代に何度も足を運んだ。刻印亭の近くにきたこともあるし、連盟議会ビルにいたっては言わずもがなだ。
「お父さんを駅まで見送りに行った帰りに、偶然見たんですよ」
さゆりの父は、連盟議会の議員を務めている。今回の総会談では、一ノ瀬家はさゆりだけではなく、父と兄も参加している。そのため母や祖父、祖母は、実家の一ノ瀬神社で留守番中だ。そのため、兄の準一が残ることになっており、兄とともに父を見送った帰りに、刻印亭の一角で、アーサーと雪乃を目撃していた。
「へえ。でもなんでまたアーサーさんと?」
「確かアーサーさん、昨夜は論文がどうとかって言ってたよな?」
「ああ。それで親父達から逃げたんだから、間違いない」
「そうよ。私は真桜ちゃんの前世から、飛鳥君の前世も推測できると思ってたから、それをお話してたの」
さゆりに邪推されそうだったが、飛鳥と敦が恨みがましく割って入ってきてくれたおかげで、パニックになりかけていた雪乃の思考は冷却された。
「俺の前世?」
飛鳥も自分のことだったとは思ってもおらず、つい聞き返してしまった。
「あ、そっか。確かに真桜の前世がわかれば、飛鳥の前世もわかるわね」
「なんで?」
わからなかったのは飛鳥だけではなく、真桜も同様だったもよう。さすが、歴史が赤点スレスレだっただけのことはある。
「そりゃわかるでしょう。どう考えたって、前世でも夫婦だったとしか思えないもの」
「そうよね。それで委員長、飛鳥君の前世って、誰だって考えてるんですか?」
「源義経よ」
「義経ときたか。それって静御前が、義経の妻だからですか?」
「ええ。静御前が義経に近い人物なのは、『吾妻鏡』に記されている白拍子の舞からも推測できるの。だから私は、飛鳥君の前世は源義経だと思ってるし、アーサーさんも賛同してくれたわ」
「飛鳥の方が先にわかるなんて、なんか釈然としないなぁ」
真桜の前世が静御前だとすれば、飛鳥の前世が源義経ではないかという推測は、あまり難しいものではないだろう。
だが真桜からすれば、自分の前世がどうかという話だったわけで、先に飛鳥の前世がわかるなど、納得がいかない。
「そう言われてもな」
飛鳥としても、驚くしかない。飛鳥は歴史が得意なため、真桜の前世が静御前ではないかと聞かされてから、もしかしたら自分の前世は、と考えたことがある。だが自分の前世が歴史に名を残す人物だったなど、考えすぎだとも思った。
「まだ推測の段階よ。飛鳥君と真桜ちゃんが源義経と静御前だったとしたら、どうしても解けない疑問が残るわけだし」
「疑問って……ああ、なるほど。確かにわからないですよね」
「あれか。確かに日本と直接関係はないよな」
飛鳥の前世が義経、真桜の前世が静御前だったとしても、日本人だということに変わりはない。だが二人が生成する刻印神器ブリューナクは、ケルト神話の神槍であり、日本と直接つながりがあるとは思えない。
「理由はつけられなくもないけど、かなり強引だし、賛成する人はいないでしょうね。自分で言っておきながら、私も信じてないし」
「どういうことなんですか?」
「天之逆鉾って知ってる?」
「天之逆鉾?何なんですか、それ?」
「伊邪那岐命と伊邪那美命が、日本列島を生み出すときに使用したと言われる槍よ」
槍、という一言で、全員が納得した。が、確かに無理矢理だ。
「確かに強引ですね」
「夫婦ってことと、槍ってことしか共通点ないもんね」
「そうよね。でもあれって、あんまり関係ない気がするわ」
「私もそう思うけど、それこそ確認しようがないわ。でも飛鳥君と真桜ちゃんに会わなかったら、ここまで考え付かなかったでしょうね」
「それはありますね。私達も二人に会わなかったら、生成することなんてできなかったでしょうし」
「そんなことはないだろ」
「フランスで衝撃の事実が発覚しただろうが。本気で自分の耳を疑ったぞ」
「あれは驚いたわよね。一瞬、何のことかわからなかったし」
「戦闘中だってこと、一瞬忘れちゃったわよね。そんな余裕なんて、全然なかったのに」
「みんなはまだいいじゃない。私は現場にいなかったから、話を聞いたときは腰を抜かすかと思ったわ」
雪乃はフランスには行っていない。そのため事の顛末は、飛鳥達の帰国後に聞かされた。刻印神器ダインスレイフはもちろんだが、ブリューナクが生成発動を促していたなど、予想外にも程がある。腰を抜かすと思った、ではなく、本当に腰を抜かしてしまったのは内緒だ。
「俺達もそうだったな。自分達で生成しておいてなんだけどな」
「予想外というか、考えたこともなかったもんね」
「飛鳥君と真桜からそんな言葉聞くなんて、初めてじゃない?」
「初めてね」
「初めてだな」
「初めてだと思うわ」
「なんか、ひどくない?」
「それだけのことを、散々してきたじゃない」
「本当よ。何度驚かされたと思ってるの」
「最近はそうでもないと思うけどな」
「そりゃそうだろ。あれ以上のことなんて、そうそうあるかってんだよ」
「まったくその通りね」
「あったらあったで怖いけどね」
「痛いとこ突きますね。確かに反論しにくいけど……」
融合型刻印法具、刻印神器、そして二心融合術。目の前の二人は、全て生成することができる。これ以上の驚きはない。
「ん?ちょっと待った。委員長、飛鳥の前世が義経なら、真桜はどうなるんですか?」
「あ、そっか。もし静御前が実在してなかったなら、義経って結婚してなかったってことになりませんか?」
「いいえ。静御前は義経の側室だったそうなの」
「そうなんですか?」
「ええ。時代的に見ても、別に珍しいことじゃないわ」
「むしろ跡取りのことを考えたら、当時は当たり前のことか。ってことはその正室ってのが、真桜の前世ってことですか?」
「私はそう考えてるわ。平泉にある金鶏山には、義経妻子のお墓もあるそうよ」
「へえ。ってことは仲良かったってことですね」
「でも委員長。当時の女性は、ほとんどが名前が残ってないんですよね?それだと真桜の前世って、名前がわからないことになりませんか?」
「ええ。でも伝承はあるわ。その女性は郷御前と呼ばれていて、義経と共に平泉へ落ち延び、最期も共にしたと言われているの」
郷御前は川越 重頼という平安時代末期の武将の娘であり、母は源頼家の乳母でもあった。頼朝の命によって義経に嫁いだが、兄弟が対立した後、義経に従い、平泉で最期を共にしたとされている女性だ。
「なんかロマンチックですね」
「そうね。ちょっと羨ましいかも」
だがそのために、頼朝の臣下だったにもかかわらず、領地は没収され、父と兄は誅殺され、母は出家し、尼となった。それほどまでに頼朝は、義経を敵視していたと言えるだろう。
「ご馳走様。さて、これからどうする?」
「せっかくだし、神戸観光でもしない?」
「賛成。でもどこ行く?」
「そうねぇ……」
観光といっても、特に予定があったわけではない。神戸市内だけでもかなりの名所があるし、隣の明石市には日本の標準時として、100年以上前から動いている時計付き天文台がある。さらに西へ行けば、世界遺産にもなっている国宝姫路城もある。
「あ、一の谷行ってみない?」
「一の谷?」
さゆりが提案したのは神戸市内だった。当然、真桜にはまったくわからない。
「いいわね。確か史跡になってたわよね?」
だが雪乃は、当然のように知っている。一の谷は義経が逆落としを仕掛け、平家打倒の先陣を切った場所でもある。飛鳥の前世である可能性が高い義経に関する知識は、一通り頭に詰め込んでいるつもりだ。
「はい。でも逆落としの場所はまだわかってないみたいですけど」
「ああ、なるほど。義経縁の土地なのね」
久美は特に歴史が苦手というわけではないが、得意というわけでもない。だが一の谷の逆落としは有名だから、さすがに知っている。
「興味あるなぁ。ジャンヌさんも誘って行ってみようよ」
真桜もようやくわかったらしい。せっかく日本に来ているのだから、ジャンヌを誘ってみたいと思う気持ちはわからないでもない。飛鳥も同じ考えだ。
「そういうことならアーサーさんも来るだろうな。聞いてみようぜ」
「そうね。って、ミシェルさんとセシルさんはいいの?」
「ミシェルさんは二日酔いがひどいから、今日は動けないだろうな。セシルさんはわからんが」
「セシルさんも無理だと思うわ。確かイーリスさんに呼ばれてるって言ってた気がする」
「そういえばさつきさんも、イーリスさんに呼ばれるって言ってた気がするなぁ」
「ってことは、雅人先輩も無理か」
「聞いてはみるけど、多分な。何の任務に就いてるのかまではわからんが」
雅人の任務は、内容はわからないが、仕方がない。
だがさつきとセシルはイーリスから、と言うか、三女帝から呼び出しをくらっているらしい。
ちなみに三女帝とは菜穂、ニア、イーリスの三人のことで、イーリスが七師皇を継承する以前から、そう呼ばれている。七師皇は各国から与えられた称号と併用――一斗は七師皇、四刃王。林虎は七師皇、四神――されることが多い。
だが三女帝は称号ではない。実力は菜穂を含めて、七師皇に相応しい。だがその自由奔放な性格は、歴代の七師皇達も含めて、かなり手を焼かされた。最近でこそ落ち着いてきているが、若い頃はもっと大変だったらしい。同じ年齢、同じ性格、違うのは国だけという三人の女性をまとめて呼ぶために、15年前の総会談で林虎がそう呼んだのが、いつの間にか定着してしまったというだけの話で、ただの呼び名という以上の意味はないらしい。
「それじゃあジャンヌさんに連絡してみるね」
「アーサーさんには、私から連絡をしてみるわ」
「委員長、いつの間にアーサーさんの連絡先を聞いたんですか?」
「昨夜……じゃないわね。もしかして源神社に泊まった時ですか?」
「い、いいじゃない、そんなことは!」
真っ赤になった雪乃だが、答えを白状しているようなものだ。真桜はともかく、さゆりや久美が見逃すはずがない。勢いで誤魔化そうとする雪乃だが、どうやら分が悪いらしい。
「やっぱり雅人さんもさつきさんも無理だな」
「仕方ないか。あ、ジャンヌさんは行くって。先輩、アーサーさんはどうですか?」
「え?あ、ごめんなさい。まだ聞いてないの。ちょっと待っててね」
「邪魔が入ったわね」
「残念だけど、そうみたいね」
「邪魔って、何のことだ?」
「さあね」
「怖ぇ二人だな……」
敦も雪乃の様子がおかしいことは気がついていたが、自ら地雷を踏むほど馬鹿ではない。だがさゆりと久美は、そんなことはお構いなしだ。普段温厚なだけに、一度火がついてしまえばどうなるか、それは誰も知らない。知らないままでいたいと思いつつ、アーサーの返事を待つ敦がそこにいた。




