8・生成発動
――PM12:52 明星高校 刻錬館――
しかし真桜達の予想は外れていた。
刻錬館は総合体育館に近い施設だが、内部、特にプールサイドはリゾートや行楽地のような景観が模られている。眺めもよく海も見えるため、上級生の、特に女子に人気のある昼食スポットになっており、刻錬館にはそれなりの人数がいる。その中にはさつきと恭子の姿もあった。
「もう!何なのよ、こいつら!」
今日に限ってプールサイドに刻印術師の姿はない。刻印術に習熟している者がいないわけではないが、さつき以外は実戦の経験は一度もない普通の少女達であり、テロリストの相手は無理というものだ。必然的にさつきが矢面に立つことになるのだが、それは構わない。
問題なのはパニック寸前の生徒が多いことだ。出入口も塞がれてしまっている。既に十人以上のテロリストを倒したさつきだが、敵の正確な数がわからない。確認できるだけでも五人はいるようだが、それで全てというわけではないだろう。校内の状況がわからないために断言はできないが、どうやらこの刻錬館がテロリストの目的だとさつきは直感した。
だが理由がわからない。学校の施設としては立派な部類だろうが、テロリストが狙うような物があるとは考えられないし、施設としてなら横浜市内の総合刻印館の方が規模も大きく設備も充実している。
だが考えている暇は与えてもらえないようだ。場所がプールサイドということもあり、先程から水属性の術式が多い。今も水性C級広域系術式ニードル・レインが発動した。生徒を一ヶ所にまとめたことが幸いだったと言えるだろう。さつきは土性C級防御系術式アース・ウォールを展開した。本来は大地や岩を媒介にすることで100%の効果を発揮する防御術だが、そもそも刻印術はこういった事態を想定している。“刻印化”と呼ばれる刻印入出力技術によって、刻印具に事前に入力させておいた術式が現象や事象を伴って発動できる。この刻印化が実用化されたことによって水の中で火属性を、土がない空中や水中で土属性術式を使うこともできるようになり、応用性と汎用性は格段に増したと言える。
だが刻印術の強さは生来の適正にも左右される。さつきは風属性に適正を持っており、土属性は最も苦手としていた。しかもここは、水を用意する必要がないプールサイドだ。水属性への適正が低い者であっても、事前に用意されているというだけで負担も処理能力も軽減される。高い適正を持つ者は言わずもがな、だ。場所が場所だけに、自身の適正が適正だけに、さつきの腕を以てしても完全には防ぎきれていない。
「さつき!大丈夫!?」
「だいじょぶだいじょぶ!恭子こそ、怪我してないわよね?」
恭子達同級生は傷一つ負っていない。だがさつきの身体は、多数の水や風の刃に切り刻まれていた。そこへニードル・レインが突き刺さる。さつきはうめき声をこらえながらも、アース・ウォールの展開を続ける。同時にちらりと見えたテロリストへ風性D級攻撃系術式ゲイル・エッジを直撃させ、また一人戦闘不能へと追い込んだ。
「さつき!」
だがさつきのダメージも小さくはない。せめて止血だけでもと思い、傷ついた友人の手当てをするため、恭子はさつきから指定された場所を離れてしまった。それはさつきのアース・ウォールの指定領域外へ出てしまうという結果をもたらした。
「恭子!ダメ、戻って!!」
それを見た、いや、察知した瞬間、さつきから絶望的な悲鳴が上がった。
「え……?」
だが遅かった。恭子へ水性C級攻撃系術式アイシクル・ランスが放たれた。恐怖で足が竦み、今にも腰が抜けそうな恭子は、その場から一歩も動けない。だから恭子は思わず目をつぶってしまった。
瞬間、何かが突き刺さった音が聞こえ、意識も闇に飲まれようとしていた。だが頬を濡らすあり得ない何かが、恭子を闇の世界から引き戻した。
そして絶句した。
「さつき……?」
「恭子……怪我……してない、よね……?」
何かの正体はさつきの血だった。ほとんどは領域を広げたアース・ウォールによって防がれたが、一本だけはどうしても防ぐことができなかった。その一本がさつきの右肩を貫き、恭子の眼前で止まっていた。
「ごめんなさい、さつき。……ごめんなさい……!」
自分の軽率な行動が生み出した悲劇だと、恭子は瞬時に理解した。涙が溢れて止まらない。だが恭子には謝ることしかできない。だがそんな恭子を慰めるようにさつきは笑顔を浮かべ、そして最後の力を振り絞り、身体を貫いたアイシクル・ランスをただの水に戻すと、アース・ウォールを展開させたまま、自身の最も得意とする風性B級広域干渉系術式トルネード・フォールを発動させた。
領域を広げて発動させたために風の盾となった刻印術に業を煮やし、姿を見せたテロリスト数人を巻き込んだ風は、幾度も上昇と下降を繰り返している。巻き込まれたテロリストは平衡感覚と三半規管を狂わされ、既にどちらが上でどちらが下なのかわからなくなっている。そのために何度も高所落下を疑似体験していることだろう。
「立花さん!もうやめて!このままじゃあなたが!!」
「さつき!もういいから!だからやめて!!」
自分を心配してくれている同級生達の声も、さつきの耳には届いていない。さつきは歯を食いしばり、意識を無理矢理保ちながら、トルネード・フォールを維持している。
だが傷ついた身体で印子の消耗の激しい術式を使えばどうなるか、それは誰でも知っている。心身共に衰弱し、何らかの後遺症が残ることも珍しくはない。今のさつきは、それすらも受け入れる覚悟がある。もうじき飛鳥か真桜が刻錬館にやってくる。今の自分では足手まといにしかならないが、自分はそれまで、恭子達を守れればいい。
(それが……あたしの……役目だからね……!)
さつきは本気でそう思っている。だからだろうか。それとも別の理由があるのだろうか……
「えっ!?」
「な、なに?」
突然さつきの意思に反して、トルネード・フォールとアース・ウォールが解除された。同時にさつきの左腕に、二つの術式を発動させるための印子が集まっていく。そして左手の生来の刻印が、初めて発動した。
「嬉しいんだけど……こんなときに、生成、、できなくても……」
「生成……?まさか、さつき!」
さつきの左手にトルネード・フォールとアース・ウォールの、同調した風と土の印子が次々と集まり、一つの形を模っている。それが形となった瞬間、とてつもない風が辺りを吹き抜けた。
「盾?さつき……それが、あなたの……」
「これがあたしの……。ううん、全部後回しよ!お願い……力を……貸して!」
ボロボロの身体に鞭をうち、さつきは生成したばかりの盾状武装型刻印宝具から、先程と同じトルネード・フォールを発動させた。だが怪我をしているさつきが、長時間耐えられる理由はどこにもない。なにより手にする刻印宝具は、たった今、初めて生成できたばかりだ。まだ名前も知らない。
先ほどと同じ風の壁、しかし刻印宝具によって生成された先程よりもはるかに強い竜巻に、テロリスト達は退避せざるを得なかった。これでトルネード・フォールが解除されない限り、テロリストはこちらに来ることはできない。
だがさつきは重傷を負い、いつ意識を失ってもおかしくはない。それでもさつきは、トルネード・フォールを止めようとはしない。先程の覚悟に、嘘偽りはない。
「さつき!もういい……もういいよ!!」
「お願いだから!お願いだからもうやめてよ!死んじゃうよ……!!」
さつきはトルネード・フォールの制御にのみ、意識を集中している。それ以外の余裕はない。だから誰の声も聞こえない、届かない。恭子も同級生達も、そんなさつきを止められない。止めることができない。
逆にテロリスト達は、刻印宝具の生成時こそ驚いていたが、大きな怪我をした身体で消耗の激しい術式を使用しているさつきを、今では余裕をもって見ている。このまま放っておいても、向こうが勝手に自滅してくれるのだから、こんなに楽なことはない。テロリスト達は頬が緩むのを抑えることができなかった。
だからこそ、それが油断につながる。
「さつきさん!」
一人の少女の声が、プールサイドに響いた。友人達や親友の恭子の声さえ届かなかったさつきの耳にも、少女の声が届いた。その瞬間、さつきの身体から力が抜けた。
「遅い、わよ……。真桜……ごめん……。あと……は……おね、がい……ね……」
呟くように口を開き、さつきの意識は闇に包まれた。
「さつき!しっかりして!」
「立花さん!立花さんっ!!」
さつきが倒れていく姿は、まるでスローモーションを見ているかのようにゆっくりだった。だが真桜は確かに見た。さつきが自分を見て、微笑んでくれたことを。
トルネード・フォール、そして盾状刻印宝具はさつきが意識を失うと同時に消滅している。だが印子を限界まで消費し、全身を朱に染めたさつきは床に倒れたまま、ピクリとも動かない。だがその顔は安心しきったかのように穏やかだった。真桜を心の底から信頼している優しい笑み。そんなさつきの姿を見た真桜から、殺意にも似た激しい風が吹き荒れた。
風は一瞬だった。だが目を開けていられない程の強い風が静まると、真桜の左手には双刃の剣が握られていた。真桜は少し幼さの残る顔に怒りを宿し、どこまでも冷たい視線をテロリスト達へ向けた。その激しい怒気に気圧されたのはテロリスト達だけではない。大河も美花も、そして恭子を含めた上級生達でさえも恐怖で動けなかった。
「絶対に……絶対に許さない!!」
真桜は左手に握る“もう一つの刻印宝具ブレイズ・フェザー”を弓のように構え、右手のシルバー・クリエイターで生成した銀の矢を番えた。同時にブレイズ・フェザーの先端から弦が伸び、両端を結んだ。ブレイズ・フェザーは本来弓状であり、これが本来の姿と言える。真桜は風性C級探索系術式ブリーズ・ウィスパーでテロリストの人数と位置を正確に把握し、番えた矢を放った。
放たれた矢はプールの中央へ突き刺さり、プールの水が爆ぜ、宙に舞い散り、テロリスト達へ向かって降り注いだ。その水はテロリスト達へ命中すると同時に凍結を始めた。
水性A級広域対象系術式ニブルヘイム。ヨツンヘイム、アルフヘイムと同種の術式であり、水属性最高位の術式でもある。
真桜は本来、風属性に適正を持つ刻印術師だが、苦手とする属性がないという生来の特性がある。また広域対象系を最も得意としているため、風のアルフヘイムはもちろんのこと、土のヨツンヘイム、水のニブルヘイム、火のムスペルヘイム、そして光のヴァナヘイム、闇のヘルヘイムをも、難なく使いこなすことができる。弱点、というか欠点を上げるとすれば、真桜自身が探索系に適性を持たず、苦手としていることだろう。だがあくまでも苦手なだけだ。実際にはかなりの高精度で使用することが可能であり、対象を領域内のテロリスト達にのみ設定し、さつき達を対象から除外することなど、真桜にとっては造作もないことだった。
テロリスト達も無抵抗で術式を受けているわけではない。その証拠に、何度も術式を起動させている。しかし術が発動しない。
刻錬館は今、真桜のニブルヘイムの支配下にある。水だけではなく、床や壁、空気、印子に至るまで、全てが真桜によって支配されている。抵抗は無意味。同じ領域内にいるはずの高校生達には影響がないどころか、一滴の水さえ当たっていない。自分達だけが雨に濡れながら氷り付く様を見て、テロリスト達は悟らざるをえなかった。あの少女がターゲットの一人であり、自分達の手に負える相手ではなかったことを。
後悔、恐怖、絶望ともに、テロリスト達の視界は白く塗り潰された。
恭子は初めて、A級術式を見た。だから断言はできないが、それでも目の前の1年生が見せた術式が高精度、高難度のものだとわかる。広域系が難しいということは、理論と実習の両面で学ぶため、多くの生徒が理解している。特に実習では、E級広域系術式を実際に使用する。半径5メートル以上で優秀とされており、恭子は7メートルまでならなんとか制御することができる。
だが目の前の少女は、この刻錬館全てを支配下に置いている。しかもA級広域対象系術式という、E級広域系とは比べ物にならない制御能力と処理能力を必要とするにも関わらずにだ。だから刻印術師ではない恭子も、目の前の少女が、既に日本でも有数の実力を持つ刻印術師だと直感的に理解せざるを得なかった。
それだけでも信じられなかったが、少女の手に握られているのは、間違いなく刻印宝具。だが左右の手に一つずつ、などということはあり得ないし、聞いたこともない。さつきのようなハイレベルの術師が生成できないということも、決して珍しい話ではない。しかもさつきが先程初めて生成できたというのに、この1年生は左右どちらの刻印宝具も、手慣れた様子で扱っている。それが意味することは、わずか15歳の少女が、自分とは違う世界で、自分では想像もつかないような現実を生きているという恐るべき事実。
恭子はまだ状況が理解しきれていない。それは恭子だけではなく友人達も同様で、今まで学んだ刻印学の常識を、たった一人の下級生によって根こそぎひっくり返されたのだから無理もない。彼女達が正気に戻ったのは、その少女の心配そうな、悲しそうな声が響いた直後だった。
「さつきさん!」
真桜は宝具を刻印へ戻すと、さつきの下へ駆け寄った。さつきは完全に意識を失っている。だがその顔は、安堵に満ちていた。外傷は激しいが命に別状はなさそうだと見てとった真桜は、安堵の溜息を漏らした。
「あなた、三上さんよね?1年生の」
「え?あ、はい。そうですけど?」
だから上級生に声を掛けられた時、真桜は完全に油断していた。
「ありがとう、助けてくれて」
上級生達の声に強い緊張が混ざっているが、それも無理もないことだ。
「いえ、これぐらいは。それより遅くなってしまって、すいませんでした」
だから真桜は、先輩達が自分に声をかけてくるとは思っていなかった。それだけのことをしたのは、他ならぬ真桜自身なのだから。
「助けてもらったのに、そんなことは言わないよ」
「本当にありがとう。おかげで私達も、さつきも助かったわ」
緊張しつつも、上級生達は口々にお礼を述べてくれる。恐れられている、という実感はある。だがそれでも、声をかけてもらえるのはありがたかったし、嬉しかった。しかし真桜はそんなもの―上級生達の感謝が欲しかったわけではない。真桜が欲しかったものは、腕の中で気を失っている少女の、優しくも厳しい声だった。
「でも……もう少し早くこれたら……さつきさんもこんな大怪我をしなくてすんだのに……」
真桜の瞳から一筋の涙が零れた。同時に応急手当として風性C級支援系治癒術式ライフ・カームを発動させた。これで出血は止まるだろう。だが真桜にできるのはここまでだ。医療知識のない素人が治療術式を使うことは、自分自身への使用以外、緊急時を除いて禁止されている。どこに優先的に術式を集中させればいいのか、どの程度の強度で発動させればいいのか、その判断ができないからだ。薬も過ぎれば毒になる、という諺の通り、加減を間違えた治癒術式は逆に身体に悪影響を及ぼす。今がまさに緊急時そのものだが、出来ることといえばせいぜい止血と傷口の洗浄ぐらいだ。それ以上は何をどうすればいいのか、真桜の医学知識ではまるでわからない。だから真桜は、祈るようにさつきの手を握り続けていた。
「だけどあなたが来てくれたから、私達が助かったのは間違いないのよ。そんな顔しないで。さつきが悲しむわ」
「恭子先輩……」
涙を流しながらさつきの手を握る真桜の姿は、先程テロリストを一瞬で撃退した少女と同一人物とはとても思えない。だが恭子にとっては、今目の前で泣いている少女の姿こそが、真桜の本当の姿なのだと認識できた。慰めたわけではない。さつきが重傷を負い、もしかしたら後遺症が出てしまうかもしれない事態を起こしたのは、恭子自身だという自覚がある。だが命をかけて自分達を守ってくれたのはさつきで、助けてくれたのはこの少女だということも理解している。恭子は罪悪感を覚えつつも、真桜に努めて優しい言葉をかけることしかできなかった。
「それよりさつきを運びましょう。佐倉君、お願いできる?」
「もちろんスよ。保健室でいいんスか?」
「ええ。救急車を呼ぶにしても、まずは保健室で応急手当てをしなきゃいけないから」
大河は恭子の指示に従いさつきを抱き上げると、真桜、美花と目を合わせて頷き合い、保健室へ歩き出した。
――PM12:55 明星高校 校門――
「まさかあいつらが……。このままじゃまずいことになる!連盟どころか、国が俺を……!」
男は焦っていた。一月近く監視を続けてきた(つもりだった)はずなのに、あの兄妹が生成者だとは疑ってすらいなかった。だが征司は兄に敗れ、妹は複数のA級術式を難なく使いこなしていた。
それだけでも誤算だが、さらに驚くべき事実として、あの兄妹はただの生成者ではなかった。兄も妹も、2つの刻印宝具を使いこなしていた。複数の刻印宝具を生成するなどという話を、男は聞いたことがない。単にこれは男が不勉強なだけだが、力に溺れ、自惚れている男には判断も理解もできない。だからこれは自分のせいではない、世間が間違っているのだと言い聞かせ、足早にその場を立ち去ることにした。
自分を見ている者の存在には、最後まで気付かずに。
――PM13:14 明星高校 保健室――
「飛鳥?今どこなの?こっちは大変なんだよ!え?そっちも?うん……うん、わかった。すぐに行くね」
さつきを保健室に運び終えた直後、飛鳥からの電話が鳴った。さつきのことを伝えなければと思っていた真桜だったが、飛鳥の話を聞いた途端、飛鳥と合流することを決めた。さつきのことも、合流してから話した方がいいだろう。
「飛鳥の奴、何だって?」
「今駅に向かってるって。松浦を追ってるって言ってた」
「松浦を?なんでこんなときに……って、考えるまでもないか」
「ああ。やはりあいつがスパイだったってことだ。元々疑っていたんだから、三上君が松浦の態度に疑念を抱いていたとしても不思議じゃない」
もはや誰も、松浦のことを教師だとは思っていない。テロリストと内通していた裏切り者、というのがこの場の全員の共通認識だった。翔の言葉がそれを証明している。
「ということは真桜。飛鳥君、まさか……」
美花が恐ろしい事実に気が付いたように、真桜に顔を向けた。その表情は緊張で強張っている。
「当然そのつもりだよ。私だって許すつもりはないから」
予想通りだが、真桜に躊躇いはなかった。
「俺達も、と言いたいとこだけど、お前らの足手まといになりそうだな」
「さつきさんのこともあるものね」
今度こそは、と思っていた二人だが、目の前でさつきが傷つきながらも同級生を守っていた姿を目の当たりにした真桜は、自分達でさえ見たことがないような怒気、殺気を放っていた。いや、かつて一度だけ見たことがある。その時の記憶が薄いのは、その後の衝撃が大き過ぎただけの話だ。もしかしたら、という予感が二人の脳裏をよぎったからこそ、同行を断念したのだ。
「うん。悪いけどさつきさんのこと、お願いね」
「待て、三上さん!まさか君達は、たった二人でマラクワヒーを相手にするつもりなのか!?」
だがそのことを知らない翔は、真桜を止めようとしていた。世間一般で見れば、これは当たり前のことであり、常識でもある。むしろたった二人で、テロリストの相手をしようなどと考える真桜達がおかしいと言える。
「そのつもりです」
だが真桜は、微塵の迷いもなく答えた。
「危険だ!相手はテロリストなんだ。無茶なことはせず、ここは軍や警察に任せるべきだ!」
翔の言うことは正しい。テロリストの相手など、軍や警察、あるいは連盟に任せてしかるべきだ。たかが一高校生が関わるような、関われるような問題ではない。しかし真桜にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。だが翔の心配を無碍にすることも真桜にはできないし、するつもりもなかった。
「会長、心配はありがたいですけど、私も飛鳥も、こういうことは初めてじゃないんです。それにマラクワヒーは、私達と因縁のある相手でもあります。だから、私達が決着をつける必要があるんです」
「因縁だって……?」
「はい。さつきさんに大怪我をさせた責任も、ちゃんと取ってもらいます。ですからすいません、飛鳥を待たせてるので、これで失礼します」
「あっ!三上さん!離せ!離すんだ、佐倉君!」
真桜は一礼し、保健室を後にした。翔は慌てて制止しようとしたが、それは大河に止められた。
「行っちゃった……」
さゆりも恭子も、呆然と見送ることしかできなかった。
「君達は何を考えている!?優秀な刻印術師とはいえ、たった二人でテロリストのアジトへ乗り込ませるなど、正気じゃない!」
翔の台詞には強い批難が込められていた。だがそれも当然だろう。大河も美花も、親友が死地へ向かうことを黙って、どころか背中を押して送り出したのだから、批難されることも軽蔑されることも当然だ。
「無理ですよ、会長。ああなった二人を止められる人なんて、世界中探したってさつきさんぐらいなんですから」
だが大河も美花も、心の底では二人の無事を祈り、無茶をしないよう願っていた。
そして思い出した。さつき以外で、二人を止めることができる人物の存在を。