13・聖女の決意
――PM7:39 神戸 ポートアイランド 日本刻印術連盟議会本部 特別応接室――
「七師皇受称、おめでとう」
「ありがとう、と言っていいのかな。できれば辞退したかったところだが」
夕食後、新たに選抜されたルドラ・ムハンマドを含む七師皇が、連盟議会ビルの特別応接室に集まった。
「できるものじゃないって、知ってるでしょう?」
「そうね。ここにいる全員、一度は思うことなんだし」
「それを差し引いても、私に七師皇の資格はないがな」
神槍事件後、林虎は総会談にあわせ、七師皇の称号を返上しようと考えていた。だがそれを止めたのは、一斗を含む七師皇達だった。
「そう思えるなら、十分資格はあるでしょう。あの男と違ってね」
「アイザック・ウィリアムか。一斗、奴は神戸沖の軍艦について、何か言っていたか?」
開催国の七師皇へ挨拶に行くことは、珍しいことではない。来日時期の関係で連盟本部へ行けなかった代表もいるが、多くの国の代表が連盟本部を訪れ、一斗と面会している。新たに七師皇になったとはいえ、来日した時はまだイラン代表という肩書だったルドラも、それは同様だ。
「利益のためだそうだ。そもそもあの男は、七師皇という立場に未練はなさそうだったな」
「それは確かにね。未練があるなら、軍艦を停泊なんてさせないでしょうし」
「だから七師皇の地位と立場を捨て、勝手に動き出したということか」
「そうなる。大方、あの子達が狙いだろうがな」
「ひねりが足りんなぁ。王道すぎて驚く気にもならん」
「不謹慎だぞ、リゲル殿」
「だがリゲルの言うように、意外性がなさすぎる。七師皇を軽く見るなど、国際的にも孤立しかねないぞ」
「自分の利益が最優先だから、他のことには頭が回らないんでしょう。だけど一斗、それだけで私達を呼びつけたわけじゃないでしょう?」
「そうだな。直接関係する国は日本とフランスだが、対応次第では世界規模の問題に発展しかねん。私達としても、無関心ではいられる問題ではない」
「むしろ俺とニアは、無視なんぞできないぞ。アーサーもだが」
「そのことで彼女から提案があった。私の口より彼女自身の口から聞くべきだろう」
「彼女?」
「ジャンヌ・シュヴァルベね。だけど本当にいいの?」
ニアは連盟本部を訪れた際、ジャンヌと会っている。偶然ではあったが、その時にミシェルから聞かされた。その時は反対したし、今もさせたくはないと思っている。
だがジャンヌの意思は固く、自分が反対しても行動を起こすだろう。そんな目をしていた。
「それは皆の判断に任せたい」
「聞くだけ聞こう。あまり愉快な話ではなさそうだがな」
他の七師皇も、ただならぬ雰囲気を感じ取った。一斗は隣室に待機させていた菜穂に合図を送り、ジャンヌが来るのを待った。
「ほう、三剣士も来たのか」
菜穂に連れられて来たのは、ジャンヌだけではなかった。
「当然です。我々にも直接関係がある問題ですから」
「セシル、あなたも同席するのね」
「はい。私としても、ジャンヌの提案は受け入れがたいのですが……」
「彼女がジャンヌ・シュヴァルベか」
「ジャンヌ・シュヴァルベです。あれだけの事件を起こしてしまったというのに、寛大なご処置をいただき、感謝しています」
「君の責任ではない。刻印神器が意思を持っていることは周知だが、生成者の意思を奪うなど、前代未聞だ」
「フランスは大きな被害を出したが、それは自業自得というものだ」
魔剣事件は、二心融合術で生成された刻印神器ダインスレイフが、生成者の一人を殺し、もう一人の意思を奪い、一月以上もの間、生成者を飲まず食わずで生かし、ユーロ各地で凶行を繰り返し、飛鳥と真桜のブリューナクによって完全に消滅した事件だ。隣接するロシアやドイツでは、特に強い警戒をしており、七師皇のニアとイーリスも出動する準備を整えていた。だがミシェルからジャンヌの素性を聞かされ、不介入を決定し、軍の動きを抑え、フランスへの干渉も最小限にとどめるよう政府へも働きかけてくれた。
同時に二人は、ジャンヌを総会談へ出席させるよう提案した張本人でもある。ジャンヌが総会談へ出席できた理由は、七師皇からの要請だったという側面もある。
「それでジャンヌ、一斗はあなたの口から直接聞くべきだと言ったけど、どういうことなの?」
「それは……」
ジャンヌは自分の考えを、七師皇の前で口にした。もう後戻りはできない。もっとも、するつもりもなかったが。
「……私は反対よ」
「イーリスさん?」
最初に口を開いたのは、イーリスだった。
「セシルが反対するのも、当然よ。融合型が生成できるのならともかく、今のあなたは左手の刻印を失っている。しかもまだ、魔剣事件の後遺症が残っているでしょう?」
「よくおわかりで」
「私を誰だと思ってるの?これでもドイツを代表しているのよ」
イーリスは世界最上位の医療術師でもある。だがそのイーリスでさえも、刻印が消失するなどという事態は聞いたことがない。ここで本音を出さなかったのは、七師皇の一人として、感情に任せるべきではないと判断したからだ。
「私も反対だ。イーリスとは別の意味でだが、本音は彼女も同じだろう」
「ルドラ?」
そんなイーリスを援護したのは、ルドラだった。
「魔剣事件の詳細も、ブリューナクやダインスレイフの生成者も、私は今、初めて知った。だがブリューナクはともかく、ダインスレイフはフランスの暴走によって生み出された魔剣だ。これ以上彼女を巻き込むなど、人としてどうかと思うぞ」
ルドラの意見は、イーリスの本音と同じだった。だがルドラは、感情的になっているわけではない。人道的な観点から、ジャンヌを擁護している。
「私も同意見だが、我々が止めても、彼女は実行するだろう。ならば我々としては、できる限りの協力をするべきだと思う」
「私も林虎と同意見だ。ほぼ間違いなく、アイザックは我々が帰国するまで、手を出してこない。確実とは言えないし、リスクも高い。だが事後処理ぐらいは、国にいても手を貸すことができるだろう」
消極的な賛成意見を出したのは、アサドと林虎だ。異を唱えたわけではないし、そんなつもりもない。だが無言で見詰めるジャンヌの目が、そう言っている。
「それは……そうかもしれないけど……」
「ジャンヌ、あなたはなぜ、そんなことを考えたの?自分の命が惜しくはないの?」
「私が今生きているのは、あの人達のおかげです。あの日からずっと、私は彼女のために、この命を使う覚悟で生きてきました。私なんかの命で彼女を救えるなら、惜しくはありません」
「本当に迷いがないな。一斗、菜穂、お前達はどう思う?」
「嬉しいとでも思います?」
「そんなことのために、ジャンヌ君の命を救ったわけではないからな」
「だろうな」
「ということは、二人も本音では反対してるわけね」
「ええ。あの子達を守ってくれるのは嬉しいけど、それで命を落とされるのって、けっこうキツいのよ……」
「どういうこと?」
「俺の親友にして、さつきの兄 立花勇輝が、去年亡くなりました。あの二人を守って、です」
雅人が答えた。その言葉には、確かな重さがあった。
「なるほどな。あの子達は既に、重い十字架を背負っているわけか。ジャンヌ、知っていたのか?」
「はい」
「それでもあなたは、あの子達にまた十字架を背負わせるつもりなの?」
「そうかもしれません。ですが私が守りたいのは、USKIAからだけではありません」
「あの男か。それまでは死ぬつもりはないと?」
「それはわかりません。誰が相手でも、彼女を守れるのなら」
「ミシェル、あなたはどうなの?」
「賛成してるわけがありません。ですが俺には、代案を出すことができませんでした」
そもそも代案などがあれば、こんな話にはなっていない。この場の誰もが、それを理解している。
「……わかった。一斗、事後処理は引き受ける。必ず連絡しろ」
七師皇の長老として、アサドが結論を出した。総意というわけではないが、代案も出なかった以上、結論を出すしかなかった。
「わかりました」
「USKIAの方もね。狙われているのは、あの子達だけじゃないでしょう?」
「ええ。知ってるかはわからないけど、ある意味じゃ刻印神器の生成者以上に価値がある子がいるから」
「三条雪乃だな」
「その子って、確か設置型の生成者でしょう?若いのに優秀だと聞いてるけど、それほどなの?」
「彼女の刻印法具ワイズ・オペレーターは、探索系の投影や記録、刻印具の接続に入出力が可能だ。他にも有用な機能は多い」
「すごいじゃない。そんな能力、聞いたこともないわ」
「確かに価値があるな。だから彼女を、総会談に出席させたのか」
「それなら一緒にいた子達も、可能性はあるだろう。何故日本には、これほどまでに優れた若者が多いのだ?」
「ブリューナクに発動を促されたらしい。と言っても、生成発動させやすくなるだけで、本人の意思は絶対だそうだが」
「それもまたすごい話ね。あの子にもいい影響がありそうだわ」
「同じ刻印神器であるゲイボルグやレーヴァテイン、エクスカリバーでも、可能なんじゃない?」
「聞いてみないとわからんな。だがブリューナクは、二心融合術によって生成されている。その時点で、俺達の刻印神器とは別物だ」
「仮にできたとしても、頼りたくはないわね。あの子達が生成に成功したのも、強い意思があったからなのは間違いないでしょう?」
「状況が状況だったからな。三条君、一ノ瀬君、水谷君は神槍事件で、井上君は魔剣事件で生成したが、三条君以外の三人は、生死に直結する戦闘中だったそうだ」
「さつきもそうでした。生成発動の条件が整えられているとはいえ、平常時で生成発動させたのは俺と三条だけです。自分で言うのもなんですが」
「なるほど。一斗、お前が我々を集めた理由がよくわかった。ジャンヌの件もブリューナクの件も、どちらも通信などでは話しにくいことだ。今まで黙っていたのも、情報漏洩を恐れてのことだろう」
「ええ。資格を剥奪されたとはいえ、当時はまだ、アイザックは七師皇でしたからね。申し訳ないとは思いましたがね」
「確かにそれを知れば、アイザックが何をするかは容易に想像できる。俺でも同じことをしただろうな」
「私もよ」
「となれば、やはりこれは、日本とフランス、そしてUSKIAだけの問題ではないな」
「そうなるわね。アサドさん、こちらももう決定したと思いますけど?」
「そのようだな。ミシェル、今回のフランス代表はお前だが、他に知っている者は?」
「いません。俺とセシル中尉だけです」
「わかった。ジャンヌの件も含めて、一斗とミシェルに任せる。だが結果は必ず教えろ。事後処理を誤れば、四度目の世界大戦になりかねん」
「ありがとうございます」
「ジャンヌ、これだけは約束して。命を懸けるのはいいけど、決して粗末にしないで。あなたがいなくなれば、悲しむ人がいるってことを、忘れないで」
「イーリスさん……ありがとうございます」




