18・世界の頂点
――同時刻 ユーロ フランス オルレアン ジャンヌ・ダルク・ホテル 一室――
「……そういうことだったのね。それであんた達は、あのジャンヌって子に共感しちゃったのか」
「でもそれで……みんなを危険にさらしてしまって……」
「本当にごめんなさい……」
理由はどうあれ、仲間を危険にさらしてしまったことに、飛鳥も真桜も、強い罪悪感を覚えていた。
「それは別にいいけどな。あんな話聞かされてたら、普通は躊躇しちまうだろ」
「境遇も似てたしね。結果的にだけど、井上君が生成できたわけだし、それでいいんじゃない?」
だが三人は気にしている様子はない。
「でも、久美のクリスタル・ミラーは……」
「それは心配ない。水谷、生成してみろ」
「はい。あっ!」
卓也に促され、久美がクリスタル・ミラーを生成した。だが先程の戦闘で折れてしまったはずの面影が欠片もない。
「元に……戻ってる?」
「刻印法具は生成者の印子で生成しているからな。たとえ破損しても、生成者の印子があれば再生できるんだ」
卓也の言うとおり、破損した刻印法具の修復は、生成者の印子があれば、それなりに消耗はするが戦闘中であっても可能だ。戦闘中に再生成する余裕など、ほとんどないが。
「そ、そうだったんですか……」
「しかしまさか、ブリューナクが生成を促していたとはな。どうりで明星高校に生成者が多いわけだ。彼を入れれば四人じゃないか」
敦を見やりながら、雅人が呟いた。
「あたしや雅人も含まれるわけだから……六人か。あと何人かは生成しそうね」
さつきも半分呆れている。ブリューナクが関与していたなど、今の今まで考えたこともなかった。
だが納得できないわけでもない。さゆりも久美も敦も、そしてさつき自身もタイミングよく生成できたのだから。
「京介君が生成しちゃったりしてね」
「……お願い、それは本当にやめて」
久美がとても嫌そうな顔をしている。
「可能性としては志藤達の方が高いだろうな。それと先祖返りの友人がいただろう?」
「はい。新田浩です」
「そういや先祖返りって、ほぼ確実に生成できるって言われてますね」
先祖返りの刻印術師は、現在判明しているだけでも全員が生成者となっている。前世が刻印術師だったことはほぼ確実とされているが、形状から前世を特定することはできない。刻印法具は時代背景にあわせ、様々な形状が誕生してきている。特に設置型のような形状は過去にはなかったのだから、特定など不可能と言われている。
「だがその反面、普通の家庭で育ったわけだから術師の家系とは根本的に考えが違う。刻印術師は人の命を奪うこともそれなりにあるからな。だが普通の家庭が、そんなことを教えるわけがない」
「むしろ逆ですもんね。あっ、ならさ、浩君、風紀委員に入れちゃえば?」
「なんで?」
「大河と美花もだけど、先輩達も委員長以外は普通の人達じゃない。それでも神槍事件では経験せざるを得なかったんだから、メンタル・ケアってわけじゃないけど、相談とかはしやすいと思うのよ」
「ああ、それはいいな。実力に問題はないんだろう?」
「それはありませんね。この一ヶ月、飛鳥君に鍛えてもらったおかげで、今じゃ京介より実力は上ですから」
「相性悪いのに、けっこうすごいわよね」
「確かにそうなんだが……あの性格じゃな」
「性格がどうかしたの?」
「委員長みたいに争い事が苦手なんですよ。攻撃系の適性も低いし」
「土属性のくせに、水属性が苦手っていうのも珍しいよな」
「それはまた、本当に珍しいわね。相克関係あるのに、それでもダメなわけ?」
「あんまり役に立ってませんね。そのくせ風属性にはそこそこ適性あるっていうアンバランスさで」
「本当にアンバランスだな。それなら彼と同時に推薦するべきだろうな」
「へ?俺ですか?」
いきなり話を振られた敦は、間の抜けた返事をしてしまった。
「それは確定事項でしょ。連絡委員会には悪いけどね」
「ブリューナクの存在を知ってる人って、風紀委員だけだもんね。機密保持っていう意味合いもけっこう大きいのよ」
「それを言われると反論できねえな。言われなくとも話すつもりはないし、話せるわけもねえけど」
「そうね。うっかり口を滑らせたりなんかしたら……」
「雅人先輩とさつき先輩に粛清されることになるものね……」
「あんた達、あたし達をなんだと思ってるのよ」
「だってそうじゃないですか。飛鳥と真桜を狙った人達を、去年だけでどれだけ粛清したと思ってるんですか」
「しかもさっきは、二人でダインスレイフと互角に渡り合っていたじゃないですか。複数属性特化型は刻印神器に匹敵する、という噂が事実だったと確信しましたよ」
「そんな人達を敵に回すなんて命知らずは、うちの学校にはいませんよ」
「よくわかったわ。さゆり、久美。帰国したら覚えてなさいよ」
「なんでそうなるんですか!?」
「まあまあ、さつきさん。ところでお二人は、どこに宿泊するんですか?」
「みんなと同じホテルだよ。到着した途端、問題に直面するとは思ってなかったからね」
「着いて数時間で解決しちゃったものね。事後処理があるとはいえ、思った以上に早く片付いたから、逆にどうするか考えないとなのよ」
「先程フランスも、ダインスレイフの情報を公開した。制圧したのは刻印三剣士 久世雅人とミシェル・エクレール。ならびにそのパートナー 久世さつきとセシル・アルエットとなっていたぞ」
「やっぱりあたしの名前も出しちゃったのか。めんどくさいなぁ。って、なんで名村さんの名前が出てないのよ?」
雅人とミシェルの名前が出るのは当然であり、その流れからさつきとセシルの名前が出るのもわからない話ではない。だが卓也の名前がないことは、さつきにとって大いに不満だ。
「俺は教師だからな。学校行事の最中でもあるし、そんなことで時間はとれないさ。それよりどうやら、彼女が目を覚ましたようだ」
「みたいですね」
卓也はジャンヌの寝ている部屋にサウンド・サイレントを、雅人は火性C級探索系刻印術式キャンドル・リーフを発動させていた。もちろん、ミシェルとセシルの許可は得ている。
キャンドル・リーフは熱を発する物質を媒介にすることで視覚、聴覚情報を得ることができる術式であり、特に屋内で高い効果を発揮する。室内灯の光は少なからず熱を生み出すため、適性が高い者が使用すれば、その情報はさらに鮮明になる。
「雅人さん、探索系にも適性あったんですね」
「適性?ああ、そっか。あんた達は知らなかったんだっけ」
「何をですか?」
「久世の特性だ。オーストラリアのアーサー・ダグラスはともかく、久世もエクレールも、刻印法具や適性属性だけで三剣士と呼ばれているわけじゃない」
「そうなんですか?」
「雅人はね、非適性系統なしっていう特性があるのよ。その上で複数属性特化型を生成してるから、三剣士に数えられているのよ」
「非適性系統なし!?」
「無茶苦茶な……」
雅人は非適性系統がない。それはつまり、どの系統術式であっても高レベルで使用できることを意味し、それが探索系であっても例外ではない。
「それじゃあミシェルさんも?」
「ミシェルは光属性かつ非適性属性なしだ」
「真桜と同じなのね……」
「さゆりや委員長の特性もすごいのに、なぜか普通に思えて仕方がないわね……」
「それじゃなんでアーサー・ダグラスは、ともかく、なんですか?」
「あいつは聖剣エクスカリバーの生成者だ。本人は刻印法具だと言い張っているが」
「エクスカリバーって……刻印神器!?」
「三剣士って、そんなとんでもない存在だったんですね……」
「俺、死んでも三剣士を敵に回すようなことはしねえぞ……」
「自殺志願者でも、そんな馬鹿なこと考えないわよ……」
「で、その上に世界最強の“七師皇”と呼ばれる術師が名を連ねているわけ。三上代表もその一人よ」
七師皇とは日本の三上 一斗、中華連合の白 林虎、USKIAのアイザック・ウィリアム、ドイツのイーリス・ローゼンフェルト、エジプトのアサド・ジャリーディ、ロシアのグリツィーニア・グロムスカヤ、ブラジルのリゲル・ダ・シルバの七人を指し、複数属性特化型、もしくは融合型の生成者でもある。ロシアのグリツィーニアは魔剣レーヴァテイン、ブラジルのリゲルは魔槍ゲイボルグの生成者としても公表されている。
ちなみにグリツィーニアとドイツのイーリスは女性であり、古文書学校の生徒が初見のダインスレイフをレーヴァテインと勘違いした理由もここにある。
「レーヴァテインの生成者が女性って、ちょっと意外かも」
「そうでもないぞ。レーヴァテインは北欧神話のシンマラという女巨人が管理している。そのシンマラの夫は、ラグナロクにおいて世界を火の海に沈めるとされるスルトだ」
「え?じゃあレーヴァテインって、北欧神話最強の剣なんですか?」
「それが難しいところでな。スルトがラグナロクにおいて使用した剣がレーヴァテインだとは、どこにも記されていないんだ。シンマラが管理しているという以外、詳細は不明だ」
「でもロシアのレーヴァテインは剣なんですよね?」
「そうらしい。だが刻印神器と神話の武具が別物でもおかしくはない。現にブリューナクは、二本の剣にもなるからな」
レーヴァテインは“裏切りの枝”という意味の古ノルド語であり、剣や槍、杖、矢などの隠語でもある。刻印神器レーヴァテインが剣だからといって、北欧神話のレーヴァテインが剣とは限らない。
「そういえばそっか。槍が剣になるなんて、思いもしなかったし」
「じゃあエクスカリバーは剣、ゲイボルグは槍に間違いはないってことなんですよね?」
「その二つはね。雅人はエクスカリバーを見たことあるんじゃなかったっけ?」
「一度だけな。さすがに刻印神器だけあって、美しい剣だった。ただ鞘が無かったな」
「鞘が?剣なのに、ですか?」
「ああ。知っての通り、剣状刻印法具は鞘も生成される。ブリューナクでさえ、だ。だがエクスカリバーは、鞘が生成されない。これは神話のエクスカリバーが、モーガンという女に鞘を奪われてしまったことに由来しているらしい」
「だからエクスカリバーは剣状なのに、鞘がないってことなんですか?」
「アーサーはそう言っていた。だからあいつは、エクスカリバーを刻印法具、あるいは不完全な刻印神器と呼んでいる」
「鞘がないのは不思議だけど、そこまで蔑まなくてもいいんじゃないかしら?」
「エクスカリバーの鞘は、強力な治癒能力と不死身の肉体を与えるとされている。だがモーガンはその鞘を奪い、湖に捨ててしまった。そのためアーサー王は志半ばで命を落とした、と伝説にある。つまりエクスカリバーの鞘は、ただ剣を納めるためだけの器ではないことになる」
「なるほどね。確かにそんな能力があるなら、不完全という理由もわかるわ。でも鞘がないだけで、刻印神器に間違いはないんでしょ?」
「それはさすがにな。不完全だと言ってるのはアーサーだけだ。確かに鞘の能力はすごいが、現実的とは言い難い。そもそも既に刻印神器を生成している以上、その先はないだろう。たとえ二心融合術でも、生成できるとは限らないからな」
アーサーに限らず、三剣士は七師皇に匹敵する実力を持っている。
だが三人とも、まだ二十代前半と若い。そのためあえて、七師皇から外されている。それゆえに刻印三剣士という称号が与えられた経緯がある。そこに各国政府の思惑は反映されない。実力がなければ認められないのが刻印術師の世界なのだから、それは当然だ。
余談だが、各国にはそれぞれ、自国の最上位術師達に与えた称号が存在する。日本で有名なのは元日本刻印術連盟代表 香川 保奈美、日本刻印術連盟代表補佐 三上 菜穂、刻印管理局少佐 秋本 光理という三人の女性で、“三華星”と呼ばれている。
だが保奈美は現役を退いていており、そのためにその称号を、さつきに譲ろうと考えている。さつきは断り続けているが、今回の件を理由に、三華星の一人とされることはほぼ確実だろう。
「それは確かに。ブリューナクを剣にしても、カウントレスやワンダーランドの上位互換にしかなりませんし」
「なりませんしって……それだけでも十分無茶苦茶だろうが」
「まったくね。カウントレスとワンダーランドの上位互換って、どんな性能なのよ……」
「私達からすれば、融合型っていう時点であれだもんね……」
さゆりも久美も敦も呆れ顔だ。融合型刻印法具の上位互換など、今初めて聞いたのだからそれも当然だ。
「あれって何だよ……」
「気持ちはわかる。俺の法具も風属性だからな。融合型や刻印神器ともなれば、どんなものか想像もできない」
「先生まで……」
「落ち着け、二人とも。そろそろミシェル達が来る。今、部屋を出たからな」
雅人が飛鳥と真桜をたしなめながらも、ジャンヌの様子を確認している。ある意味これからが本題だ。
「おっと、思ったより話が弾んじゃったわね。で、何の話してたんだっけ?」
刻印神器、二心融合術、七師皇、刻印三剣士、先祖返りの話は、どれも刻印術師にとっては大きな関心ごとだ。だからと言って、さつきが本題を忘れることはあり得ない。飛鳥と真桜が関係しているとなれば、尚更だ。
「先輩……」
「ジャンヌさんのことですよ……。あの人が本気じゃなかったのは、とりあえずわかりました。でも……」
「先輩達が来てくれなければ、俺達は死んでましたからね……」
「それでいいわ。あたし達だって、本音じゃ許せないんだから」
全員が緊張している。これから会うのは魔剣ダインスレイフの生成者であり、自分達を狙ってきた少女だ。目を覚ましてすぐに、ジャンヌの本心を聞かされはしたが、それだけで納得できることではない。
やがてドアをノックする音が、室内に響いた。
「来たわね」
「待たせたな。聞いてもらったとおりだ」
「え?」
部屋に入るなり口を開いたミシェルが何を言っているのか、ジャンヌは理解できなかった。
「悪いとは思ったが、君の部屋にはサウンド・サイレントとキャンドル・リーフを仕掛けさせてもらった。二人の了解はもらってね」
「そういうこと、ですか。じゃあ……」
「あなたの想いや考えはわかったわ。でもね、許されることじゃないわよ」
「それはわかってます。特に飛鳥君と真桜さんのお友達には、どれだけ謝罪しても足りません。それでも私には、謝ることしか……」
自分を止めてもらいたかった。それがジャンヌの本音だ。だがダインスレイフの行動は予想以上だった。
「ジャンヌさん、一つだけ教えて。ドゥエルグを召喚し、私達を狙った理由は聞いたけど、もしブリューナクを……飛鳥と真桜を倒していたら、あなたはどうしていたの?」
「わからない……。ダインスレイフの目的は、同じ二心融合術で生成されたブリューナクを消滅させることだったから……。多分、他の刻印神器を狙ったと思うけど……」
「でもダインスレイフは、常にあなたの意識を奪っていたわけじゃないんでしょう?」
「ええ。私の意識を奪うために、私もダインスレイフも、かなりの印子を消費してしまうから」
「ならなんで、あんたはその時にフランス軍に出頭しようとしなかったんだ?」
「最初はそう考えたわ。でも直前になると、必ずダインスレイフはそれを察知してしまう。そのせいで多くの人の命を奪ってしまった……」
「本当です。ダインスレイフを生成してから何度か、彼女から連絡が入り、軍や警察が指定された地点へ急行しました。ですがほとんどが、生きて帰ってきませんでした。生き残った人がいないわけではありませんが、後にその人達も、全員殺されました」
セシルが補足した。事実として生き残った軍、警察関係者も、後に全てが殺されている。ダインスレイフが目撃者を、ましてや自分を狙ってきた者を生かしておく理由など、どこにも見当たらない。
「それがユーロの怪事件の正体なのね……」
「おそらくはな。昨日古文書学校に現れた時、ダインスレイフは人間を路傍の石ころと同じだと言っていた。巻き込まれちまった民間人は、たまたま近くにいただけだろう」
「呪いの魔剣、か。本当にとんでもないわね。でももう、ジャンヌさんの中にはいないのよね?」
「ええ。クリスと私の左手の刻印を道連れに、完全に消えたわ」
「本当に刻印がないわね。じゃあ右手の刻印は?」
「まだ試してないけど、ダインスレイフは私の融合型とクリスの複数属性特化型の二心融合型刻印神器だから、もう生成することはできないかもしれないわ」
ジャンヌは自分の左手を見ながら、寂しそうな顔をしている。刻印は生まれ持ったものであり、事故や戦闘などで切断されることがあっても、傷口に同じ刻印が現れる。刻印は人体ではなく、魂に刻み込まれた印だ。それゆえに、失うことなどありえない。
「試してもらいたいところだが、さすがに今の状態では無理か」
「回復するかもわからないし、刻印術師として再起できない可能性もあるわね」
だがジャンヌの左手の刻印は、ダインスレイフに食われてしまい、ブリューナクのバロールの光に消え去った。右手の刻印が残っているとはいえ、それもダインスレイフに侵食されてしまっているだろう。
「それならそれで構わない。仮に回復しても、私はもう、刻印術を使いたくは……」
「それもいいかもね。とりあえず、私からは以上かな」
「私もよ」
「俺もだ」
「え……?」
意外そうな、そして何を言われたのか、またしても理解できなかった。
「軽いわね、あんた達。死ぬ寸前だったっていうのに」
「ある意味、羨ましいんですよ。私達にはまだ、そこまで想える人はいませんから」
「彼氏いない歴イコール年齢ですからね。もっとも、そこまでお互いが想い合ってるからこそ、二心融合術ができるんでしょうけど」
「それだけじゃないと思うけどね。真桜、あんたはいいの?」
「色々話したいことはあったんですけど……いざとなったら何を話していいのかわからなくて」
「飛鳥もか?」
「ええ。話したいことはいっぱいありますけど、まだまとまらなくて」
「それはそれで困るぞ。この後ジャンヌは、軍に連行することになっている。おそらくお前らの旅行中には、もう会うことはないだろう」
「えっ!?」
「心配しなくても、彼女をどうこうするつもりはありませんよ。そんなことをしてしまえば、日本との関係が悪化するだけではすみませんから」
「巻き込んで利用して、挙句に無視するなんて、どれだけ傲慢なんだって話だからな」
「刻印神器推奨派か。ミシェル、フランス軍少尉としてではなく、刻印三剣士の一人として、お前はどうするつもりなんだ?」
「無論、全てを公開する」
「それって、ジャンヌさんの名前もですか?」
「真桜、あんたは反対なの?」
「反対というか……そうしちゃうと、クリスさんのことも公になっちゃうんじゃなかなって……」
「真桜さん……」
「それは伏せる。さすがにドイツのイーリスとロシアのグリツィーニアには隠せないが」
「七師皇の二人か」
「ロシアのグリツィーニアはレーヴァテインの生成者でもあるし、それは仕方ないだろうな」
「同じ女性だし、大っぴらにすることもないでしょうね」
「でもそれって、フランスにとって問題になりませんか?」
「なりますね。ですがそれでも、公表しなければなりません。刻印神器推奨派は、あなた方の国の国防軍過激派と似た思想を持っていますから」
「そもそも俺が黙っていても、雅人が黙っているわけがない」
「七師皇や三剣士は、国という垣根を越えることを、ISC憲章と世界刻印術総会談で認められていますが、同時に所属国家の利益だけを追求することを禁止されています。ブリューナクの件は結婚と同時に公表するという日本政府、並びに日本刻印術連盟の公式声明があったために問題にはなっていませんが、ダインスレイフはそうはいきません」
「当然だ。飛鳥と真桜ちゃんを危険にさらしたんだからな」
「先輩、さっきも言ってましたけど、それってどういう意味なんですか?」
「あたし達の弟妹みたいなものだからね」
「そういうことにしといてやるよ。そんなわけで、俺の権利で公表できることは公表する。七師皇からは突っ込まれるだろうがな」
「特にUSKIAのアイザック・ウィリアムは黙っていないでしょうね」
「面倒なことにな。本音を言えば、あと二ヶ月は公表を控えたいところだ」
「なんでなんですか?」
「七師皇は三年に一度、世界刻印術総会談で決定される。ちょうど今年がその年になっていてな。アイザック・ウィリアムは七師皇から外れると、もっぱらの噂なのさ」
「そ、そうなんですか?」
「じゃあ誰が七師皇に?」
「ルドラ・ムハンマド。アジア共和連合、イランに所属する刻印術師が有力だと言われている」
「イラン?なんか最近、聞いたことがある気がするな」
「私も。なんだっけ?」
敦もさゆりも、本当に覚えていないようだ。聞いたことがあるのは間違いないのだが、いつ、どこで、なのかがまったく思いだせない。
「二人とも、忘れちゃったの?イランで新たな刻印神器が生成されたっていう噂よ。名前は違ったはずだけど」
「ああ、思い出した。確か二週間前だったな。ネットでそんな噂が流れたの」
「でも結局、あれってデマだったんだろ?俺達やジャンヌさんみたいな事情があれば話は別だけど、アジア共和連合でそんなことがあったなんて、聞いたことないぞ」
「その噂なら俺も知ってる。だが確か、あれはデマっていうより内乱を抑えるための誇大広告だったはずだ」
「アジア共和連合は一つの国って思われがちだけど、元は中華連合に対抗するために、アジア各国がユーロやA.S.E.A.N.みたいに共同体として設立した各国政府の集合体だものね。確か戦前から色んな問題があったはずだし、今も解決してなかったはずよ」
「そうだったんですか?」
「あんたはもう少し、世界史を勉強しなさいよ」
「歴史って苦手なんですよ……」
真桜は歴史が苦手、というよりあまり興味がない。ゲームが関係すれば別だが、それ以外、特に授業はほとんどわからない。そのために知識が片寄っており、試験もけっこうギリギリだ。
「私も知りませんでした……。今まで気にしたこともなかったし……」
どうやらジャンヌも同様のようだ。
「確かに仲の悪かった国同士が共同体となったわけですから、今も内乱や内紛が多いのは知ってますけど、それでも中華連合に隙を見せることになるから、表向きはまとまっていたはずじゃありませんでしたっけ?」
「だな。むしろそんなとこで刻印神器なんか生成されたら、共和連合自体が瓦解しかねないですよ」
イスラエルとアラビア半島を除く中東アジア各国は、アジア共和連合という国家共同体を形成している。だが旧世紀から宗教問題や領地問題によって、大きな争いが発生していた。それは現在でも続いており、度々ニュースにもなっている。
「共和連合には日本の刻印術連盟と同じような組織、亜細亜刻印術協会がある。どの国に所属していようと、協会の意思を無視することはできないよ」
「それじゃ共和連合の刻印術師は、ほとんどがその亜細亜刻印術協会の管理下にあるんですか?」
「そうです。だからアジア共和連合は刻印術師が大きな問題を起こすこともなく、共同体として共存できていると言えます」
「そのトップが、イランのルドラ・ムハンマドだ。それだけの組織をまとめ上げているわけだから、七師皇としての資格は十分にあると言える」
「ますますUSKIAが黙ってないわね」
「だから今年の世界刻印術総会談は、かなり荒れるだろうと予想されている」
「ルドラ・ムハンマド、もしくは今の七師皇が辞退する可能性ってないんですか?」
「それは無理だ。七師皇は世界最強の刻印術師の称号であり、それに相応しい実力の持ち主達だからな。たとえ拒否しても、周囲が勝手にそう呼ぶ以上、どうすることもできないだろう?」
「まあ、確かに。でもそれじゃ、なんでアイザック・ウィリアムが外れるんですか?」
「アイザック・ウィリアムは、自国の利益を追求しすぎているからな。他の七師皇からも問題視されている。もちろん俺達もな」
「幸い今年の世界刻印術総会談は、日本開催です。七師皇と三剣士が存在する国は、今のところ日本しかありません。それに加えてブリューナクまであるのですから、よほどのことがなければ大きな問題は起こさないでしょう」
「え?それじゃミシェルさんも来るんですか?」
「行くよ。場所は……どこだったっけか?」
「神戸の連盟議会本部だ。だが三上、それがどうかしたのか?」
「もし可能なら……ジャンヌさんを連れて来てもらうことってできませんか?」
「ジャンヌを?」
「なぜですか?」
「ジャンヌさんとクリスさんは、私達の合わせ鏡みたいな存在なんです。飛鳥は私の、大切な半身ですから。正直今でも、ジャンヌさんの気持ちをわかることはできてませんけど、少しでも助けになりたくて……」
「真桜さん……ありがとう」
「約束はできないが、努力はしよう」
「ありがとうございます、ミシェルさん」
「礼はジャンヌを連れて行くことができたらにしてくれ。雅人、お前の名前、借りるぞ」
「構わない。それが真桜ちゃんの望みなら、俺もできることはする。代表も無碍にはしないだろう」
「おいおい、奥さんの前でそんなこと言っていいのかよ」
「可愛い妹の頼みを聞くぐらいで、文句は言わないわよ。むしろしなかったら、あたしが怒るわ」
「妹?お前、兄妹はいなかったはずだろ?」
「そういえば話したことはなかったな。飛鳥とさつきは従姉弟で、真桜ちゃんと俺は再従兄妹だ」
「えっ!?」
「そ、そうだったんですか!?」
「あれ?言ったことなかったっけ?」
「初耳だぞ……」
「死んだ母さんと立花の伯母さんが姉妹で、今の母さんと久世の伯父さんが従兄妹なんだよ」
「それでいてこの二人に血の繋がりがないとか、わけわからんな」
「まあ、複雑な関係ではあるわね。気にしたことはないけど」
「でも……なんか羨ましいな。私は両親を早くに亡くしたから、家族はクリスだけだったの。親戚はいたけど、財産だけ奪って、私達のことなんか見向きもしなかったわ。でも私達が刻印法具を生成してから、急に馴れ馴れしくしてきて……」
「ジャンヌさん……」
「日本に移住、とまでは言いませんけど、一度来てください。俺達に何ができるわけでもありませんけど、もしかしたら何かのきっかけぐらいはできるかもしれませんから」
「ありがとう、飛鳥君。私、きっと日本に行くわ。すぐには無理だけど、いつか必ず。その時は、日本の街を案内してね」
「はい!約束ですよ!」




