11・国立古文書学校
――西暦2097年5月12日(日)現地時間PM14:00 ユーロ フランス 国立古文書学校――
フランス国立古文書学校の歴史は、公文書及び図書館の学芸員養成を目的とし、図書館員だけではなくアーキビストと呼ばれる専門家を育成する。アーキビストとは永久保存価値のある情報を査定、収集、整理、保存、管理し、閲覧できるよう整える専門職のことであり、フランス国内の文化財だけではなく、記録価値のあるものならばどんな情報でも取り扱う。日本では認知度が低く、学者や博物館員、図書館員などがわずかに扱う程度だが、最近では徐々に浸透しつつある。
現在の古文書学校も基本となる教育方針は変わっていないが、戦後からは刻印学、刻印術師の育成も行っている。そのためフランスの刻印術師は、よほどの事情がない限り、この古文書学校を卒業している。
「ってことだが大河。お前に向いてるんじゃないのか?」
「何がだ?」
「アーキビスト?っていう職業だよ」
「馬鹿言ってんじゃねえぞ、飛鳥。扱う情報がどんなもんか、お前、知ってんのか?」
「昔の紙資料とか、粘土板とかなんだろ?ああ、最近じゃ刻印も含まれるか」
というように、飛鳥もアーキビストについての知識はほとんどない。
「それだけじゃないわよ。写真とか記録映像とか、通信記録とかもあるみたいよ」
さすがにかすみは知っているようだ。だがあまり自信がなさそうなところを見るに、おそらく一夜漬けの類だろう。
「そんなものまで?すごいわね」
「確かに大河にぴったりね。あ、待って。やっぱり向いてないわよ」
「なんでだよ?」
納得したようだが、突然さゆりが否定した。敦も向いてると思っていたため、少し疑問に感じたようだ。
「だって大河、自分が納得できなかったらダメでしょ。それが真実の情報でも、自分が納得できなかったら、その情報を闇に葬り去りかねないわよ?」
非常に説得力がある。大河が1年度の二学期末考査で、歴史のみ追試を受けたという事実は、この場の誰もが知っている。その追試も赤点ギリギリでかろうじてクリアしていたのだから、確かに大河ならやりかねない。
「するか、んなこと!お前らも納得してんじゃねえ!」
さすがに大河は納得がいかない。全員が大きく頷いたことも、さらに納得がいかない。
「だって佐倉君、学年末じゃプライド捨てたって言ってたじゃない。プライド捨てなきゃいけないような仕事って、ある意味じゃ地獄じゃない?」
「俺だって、明確な証拠があれば納得するわ!人をロクでなしみたいに言うんじゃねえよ!」
「じゃあさ、なんで昨日、クレスト・テイルのミス認めなかったの?証拠云々以前に、あれ、大河君のせいだったよ?」
「そ、それは……!」
機内で真桜は大河、敦、美花、さゆり、久美と共に、クレスト・テイルでパーティを組み、レアアイテムをドロップするというモンスター討伐をしていた。そのモンスター、どうも何かの挙動でアルゴリズムが変わるらしく、近接物理、遠隔物理、魔法のいずれかしか効果がなくなる仕様だったらしい。敦とさゆりは近接物理、真桜と久美は魔法、美花は回復支援用にキャラを育てており、遠隔物理系のキャラを育てていたのは大河だけだった。
だが遠隔物理以外の攻撃が無効化された瞬間、ダメージソースは大河しかいなくなるにも関わらず、なんと矢の補充を忘れてしまうという、ゲーマーにあるまじきミスをしでかしていた。その結果敗戦し、機内で大河が袋叩きにされていたことを、飛鳥は思い出していた。
無論、飛鳥には何のことかさっぱりだ。唯一判明しているのは、大河のミスがなければ勝てていた、ということだけだ。
「あれは確かに大河君のせいだったわね。矢の補充忘れるなんて、ありえないでしょ?」
「い、いや……俺はちゃんと用意したぞ。予想以上にあいつが硬かったから、矢が足りなくなっただけで……」
「何言ってやがる。どう見ても百本もなかっただろ。あんなレアモンス狩ろうってんだから、その倍でも足りねえぞ」
「ホントにあとちょっとだったもんね。確か真桜が、ドロップ素材から杖を作りたかったんだっけ?」
「うん。その杖、時々CP消費しないし、攻撃魔法の威力が倍になるし、さらにクリティカルだと五倍になるんだよ。それなのに!」
真桜のゲーマー魂に火が付いてしまったようだ。こうなったらしばらくは止まらない。しかも今回は、そんな予想外の性能の杖を作ろうとしていた真桜を、全員が援護している。ちなみにCPとはクレスト・ポイントの略で、マジック・ポイントのようなものなのである。
「何?そんな壊れ性能なのか?」
「真桜が作りたかった杖って、ケイオス・ケインだったのね。そりゃ怒るわよ」
「……すんませんでした」
ゲームの話とはいえ、ここまで責められればかなり落ち込む。明星高校でも流行っているが、レアアイテムや装備を持っている生徒を見つけ、それを巻き上げている生徒も多い。当然、風紀委員でも何度か取り締まっている。飛鳥はたかがゲームのことで、そこまで本気になる生徒の気持ちが一切わからなかったから、見つけるたびに、またか、と呆れ果てたものだ。
「真桜、その辺にしてやれよ。別に金輪際手に入らないってわけじゃないんだろ?」
「まあ、そうだけど……」
「また今度、倒せばいいだけなんだろ?機会がないなら別だけど」
「まあ確かに、倒せるって手ごたえはあったし、それだけでも収穫だったかも知れないわね」
「そうね。あいつ、私達だけで倒せるかわからなかったんだし」
「そう、ね。うん、そうだよね。ごめんね、大河君。八つ当たりしちゃって」
どうやら飛鳥の説得が功を奏したようだ。大河が安堵の溜息を吐いている。
「助かったぜ、飛鳥……」
「気にするな。借りを三つほどチャラにしてもらうから」
「三つもかよ!?ひでえ奴だな、お前!」
だがせっかくの機会なので、借りを三つチャラにすることも忘れていない。大河にはかなりの数の借りがあるのだから、せっかくの機会を利用し、少しでも減らしておきたい。
「……さりげなく取引が成立してるわね。私も何のことかさっぱりわからなかったけど……」
かすみもあまりゲームをしないため、そこまでコアな話にはついていけなかった。だから傍から見ていたわけだが、呆れると同時に羨ましく思える。自分もやってみようかと密かに思ってしまった。真桜に知られれば、どっぷりと染められることになるだろうが。
「田中さん。もうすぐ授業終わるみたいだから、準備手伝ってもらえる?」
「あ、ごめん。すぐ行くわ。ごめんね、行ってくるわ」
後半は真桜達に向けてだが、前半は生徒会副会長の向井に対してだ。
日曜日でもある今日は、本来ならば古文書学校も休みだが、刻印術師にとってはあまり関係がない。古文書学校では非適性属性の克服を重要視している。適性属性だけを伸ばしても、いずれ限界がくることはわかりきっているのだから、むしろ在学中に、少しでも非適性属性を克服してもらおうと考えているようだ。そのため、日曜日でも術師の学生は大勢登校している。
「大変だな、生徒会も」
「かすみと向井君しかいないから、自治委員会も手伝ってるんでしょ?」
「らしいな。そういやこの学校って、生成者いるのか?」
「もう卒業してるけど、二人いたらしい。男女の双子だったらしいぞ」
「へえ。じゃあ今はいないんだ」
「多分な」
「多分って?」
「こいつらみたいに、素性を隠してる奴がいないとも限らないだろ」
「うるさいよ」
未成年の生成者は少ない。日本では飛鳥、真桜、さつき、雪乃、さゆり、久美の六名――雅人は成人しているため除外――だが、これは多い方だ。事実として、フランスでは二名しかいない。
「それはそれとして、私達もしない方がよさそうね」
「っぽいわね。外交問題なんかに巻き込まれたくないし」
他国で刻印法具を生成すれば、それはそのまま外交問題につながる。競技、要請、明確な自衛などの理由があれば話は別だが、それ以外で生成してしまえば、即座に大問題と化す。
だが生成者からすれば、刻印法具は切り札だ。テロリストならいざ知らず、普段はよほどのことがなければ生成しない。
「あれだけ生成しといて、よく言うな」
敦は呆れている。明星高校では雪乃を含めた五人が生成者だと知れ渡っていることもあり、風紀委員の巡回中に何度か生成している。だがそれは、ほとんどが威圧を目的としているだけで、よほどのことがなければ生成しないよう心がけている。学校側もそれを黙認してくれているため、おそらく校外へは漏れていないはずだ。
「できればしたくないんだよ、本当は。能力がバレたら対策も立てられるし、先月みたいな馬鹿が出てこないとも限らないからな」
「あれは面倒だったわね」
「ホントにね。委員長がいなかったら、確実に長引いてたろうし」
「三条委員長のって、そんなすごいのか?」
「すごいよ。ある意味じゃ私達のより価値高いし」
「お前らのよりって……そりゃよっぽどじゃねえか」
「そういえば今って、委員長しか残ってないけど、問題起こしてる馬鹿っていないわよね?」
「普通はいないだろうけど、一気に四人も減ったって考える馬鹿はいそうだな。だけど先輩達もいるし、大丈夫だろ」
「下手な術師よりよっぽど強いからな、先輩達も」
「実戦経験が半端じゃないって話だもんな。お、見ろよ。どうやら来たみたいだぜ」
先月の事件は、さすがにニュースにもなったため、全校生徒が知っている。それどころか当事者の数も多かった。特に1年生は、事件の日に捕まった生徒を除いても三十人近くが騙されていた。さらに刻印具の検査をしなかった生徒も数名いたため、潜在的に不正術式を所持している生徒がいることは疑いようがない。
それもまだ尾を引いているし、気にならないかといえば嘘になる。だが雪乃はもちろん、遥や香奈達が遅れをとるとも思えない。
そんなことを話しながら考えていると、古文書学校に在籍している刻印術師達がやってきたようだ。
「おいおい、けっこうな数が来たぞ」
敦の言うとおり、けっこうな数の生徒が集まってきた。
「みなさん、フランスでは刻印術、刻印学を学ぶのはほとんどが刻印術師のため、日本では術師はもちろん、術師ではない者も刻印術や刻印学を学ぶことが興味深いそうです」
「あれ?でも私達が泊まってるホテルって、刻印具がけっこうなかった?」
「あれは刻印術の知識がなくても使える一般用の生活型だ。日本にもけっこうあるだろ?」
「あ、そっか」
「ようこそ、フランスへ。歓迎します」
古文書学校の生徒の一人が挨拶を述べた。おそらく、彼が代表だろう。
「僕はアルベール・コリーンヌ。古文書学校主席だ」
「次席のカトリーヌ・ヴィオレットよ」
「私はアンネ・リヴィエール」
「シュエット・スフェールだ」
「シャルロット・オリゾンです。よろしくお願いします」
続いて四人が自己紹介を済ませた。だがなんとなく、雰囲気がおかしい。
「ねえ、飛鳥。なんかちょっと、様子が変じゃない?」
「俺もそんな気がしてたんだよ。向井か田中がいれば聞けるんだが……」
とそこへ、丁度というべきか、慌ててというべきか、かすみが走り寄ってきた。
「た、大変よ!」
「何がだよ?」
「さっき古文書学校の先生に聞かされたんだけど、去年の卒業生に男女の双子がいるのね」
「ああ、生成者の双子だな」
「知ってたの?じゃなくて、その先輩達、すごく温厚な人達だったそうなんだけど、そんな人達が生成者になっちゃったから、自分達もすぐに生成できるって思い込んじゃってるの!」
頭を抱えたのは飛鳥だけではなく、久美もだった。まさかフランスくんだりまで来て、四月から現在進行形の問題に直面することになるとは思わなかった。
「田中、まさかとは思うんだが……」
「多分、正解。双方五人ずつ用意して、一対一で戦うんだって。今の在校生に生成者はいないらしいけど、そんなわけで古文書学校の先生達も手を焼いてるらしいの。だから天狗の鼻を折るために、こちらに生成者がいたら生成してもいいって言われたわ」
「つまりその線でいくと、俺、真桜、さゆり、久美は確定ってことか?」
「ええ。今、向井君がこちらの都合を伝えてるところだけど、ちょっと押され気味なのよ」
再び頭を抱えた。今度は真桜とさゆりも頭を抱えている。さすがにこんな事態は想定外だ。しかも異国の地でもあるため、強行突破もできない。
「ちょっと向井んとこ行ってくる」
「俺も行くぜ」
「じゃあ私も」
「行くわ」
「めんどくさいなぁ」
と言いながら、五人は向井の下へ歩いている。
「ねえ、大河君……」
「言いたいことはわかるよ。あいつら、ケンカっ早いからなぁ」
「止めた方がいいのかな?」
「多分、無理だろ。強行突破なんかしたら、それこそ国際問題だ。穏便にすませるためにゃ、あいつらの挑発に乗るしかないだろうな」
「穏便に済んでくれればいいんだけどなぁ……」
などと思いながらも、美花も穏便に事が済むとは思っていない。むしろ荒れに荒れるだろうと思い、大河と二人で大きな溜息を吐いた。
「向井!」
「三上君!?どうしたの?」
「田中から、お前が押され気味だって聞いたから来てみたんだよ」
「それはありがとう。本当にありがとう。でもね!」
「でも?」
「その五人がそちらの代表か。いるじゃないか、向井。我々の相手になりそうな奴らが」
「……はい?」
「もしかして私達……」
「代表選手と……勘違いされた?」
「そうだよ!僕はいないって言ったのに、君達が来ちゃったら台無しじゃないか!責任は自分で取ってよ!」
「……すまん、向井」
「そうするしかなさそうね……」
「しゃあねえ。つうか、俺も代表なのか?」
「どう考えても、数に入ってるだろ。当てにさせてもらうぜ、井上」
「お前が先鋒やって五人抜きしてくれれば、一番楽なんだがな」
「ちょっと待って!それじゃ話が進まないよ!勝ち抜き戦じゃないんだから!君達は戦う順番だけ決めといて!あとは僕と田中さんがやるから!」
「お、おう……」
「ごめん、かすみ!」
「もういいわよ。せっかくだし、あなた達の実力、見せてもらうわ」
「使いたくないんだけど、あんまり時間かけすぎちゃうと、この後の予定に響きそうよねぇ」
「使うとすれば、無難な方だろうなぁ」
「私達はそうだよねぇ」
予定になかったとはいえ、学校の親善試合みたいなもので、融合型刻印法具を使うわけにはいかない。本音を言えば刻印法具も使いたくない。だがせっかくの修学旅行の予定をズラしたくもない。ロクでもない理由なら尚更だ。
「で、順番どうするよ?ちなみに俺は、トップバッター希望だ」
「なんで?」
「俺だけ違うんだぞ?挟まれたら別の意味でプレッシャーになるわ!」
「それもそうか。じゃあ次は俺が……」
「「「ダメ!」」」
前から真桜、左からさゆり、右から久美に、いともあっさり止められた。三重奏で止められた飛鳥は、思わず怯んでしまった。
「な、なんでだよ?」
「飛鳥君は大将」
「それ以外ないよね」
「で、副将は真桜ね」
「な、なんで!?」
「大将の奥様が副将になるって、よくある話じゃない?」
「三上真桜、副将承りました!」
さゆりも久美も、真桜の操縦が上手くなっている。真桜はあっさりと副将を拝命した。
「じゃあ私が次いくね」
「ええ。私は真ん中で、のんびりやらせてもらうわ」
先鋒 敦、次鋒 さゆり、中堅 久美、副将 真桜、大将 飛鳥、といったようにオーダーは決定したらしい。
「みんな、無理はしないでいいからね。危なさそうだったら、棄権してもいいから」
「そうはいかねえな。こんなことになっちまったが、負けるつもりでやる奴はいねえよ」
「同感。できれば使いたくないけど、状況次第ね」
「わかった。それじゃ伝えてくるよ」
向井が古文書学校側に、こちらのメンバーを伝えている。勝利数の多い方が最終的に勝ちだが、学校の威信と同時に、刻印術師としてのプライドもかかっている。術師ではない向井にはわからないが、ここまできたらどちらも収まりがつかない。向井の溜息と同時に、中庭が騒がしくなりはじめていた。




