10・花の都
――現地時間PM5:30 ユーロ フランス パリ シテ島 ノートルダム・ホテル ロビー――
「へえ、ここがノートルダム・ホテルか」
「セーヌ川の真ん中の島のホテルなんて、素敵じゃない」
パリを流れるセーヌ川にあるシテ島。そこに新たに建てられたノートルダム・ホテルが、明星高校の宿泊先だった。ノートルダム寺院は少し離れているが、パリの街並みが一望できるこのホテルは、この花の都ではまだ新参者だが既に高い人気を博している。
「モンマルトルのホテルも素敵だってネットにあったけど、こっちのホテルの方がパリの夜景がよく見えそうね」
「パリのど真ん中だもんな。凱旋門やエッフェル塔も上の階に行けば見れるらしいぜ」
「それは絶対見たいわね」
「うん。でもその前に、荷物置いてきたいよね」
「だな。まずは部屋に入りたい。それと飯だな」
「本場のフランス料理は楽しみだが、作法なんか知らねえぞ」
「学生ってことで大目に見てもらえるだろ」
「そうそう。それより早く部屋に行こうよ」
「部屋割りはっと……なあ、いいのか、これ?」
「どうかしたの?」
「見ろ」
「……なるほど。確かに大きな疑問よね」
大河が部屋割りを確認するため、送信されたデータに視線を落としたが、さすがに驚いた。大河の開いている部屋割りデータを覗き込むが、その疑問はもっともなものだと、全員が納得した。
「私と久美、美花とかすみ、大河と井上君はわかるけど……」
「飛鳥君と真桜が同じ部屋って……いいの?」
「え?ホント?」
全員が巨大なクエスチョン・マークを生成している。当然だ。
世間的に見れば飛鳥と真桜は兄妹であり、現在は一つ屋根の下に二人で暮らしている。だが二人に血の繋がりは一切ないし、それどころか婚約者同士だ。明星高校関係者なら誰でも知っている。そんな二人が同じ部屋など、普通の旅行ならまだしも、修学旅行という学校行事でやってしまっていいのかと、誰が思っても不思議でもなんでもなく、むしろ当たり前の疑問だ。
ちなみに美花と同室の田中 かすみ(たなか かすみ)は生徒会書記であり、現在は副会長の向井とともにチェックインの手続き中だ。
だがそんな疑問をよそに、真桜は喜色満面の笑みを浮かべている。見るものすべてに幸せをお届けできそうな、そんな笑顔だ。
「確かうちのクラスって、男女とも十九人ずつだったわよね?」
「だな。必然的に男女一人ずつあぶれる計算になるが……」
「まさか、兄妹ってことで同室にされたのか?」
「あ、名村先生!ちょっといいですか?」
「ん?どうかしたのか、一ノ瀬?」
さゆりは担任の名村 卓也の姿を見つけ、声をかけていた。
「この部屋割りなんですけど、これ、いいんですか?」
「部屋割り?ああ、三上達のことか。さすがに学校も悩んだんだぞ。2年生は男子が九五人、女子が九七人だからな。他のクラスは四人部屋で対応することで落ち着いたが、どうしても部屋数が足りなくてな。二人のことは学校も承知の上だが、世間的に見れば兄妹なんだし、同じ家に住んでいるんだから、同じ部屋でもいいだろう、ということになった。事前に報せなかったのは、まあ、その……なんだ。体裁というやつだな」
説得力があるようなないような、無茶苦茶な理由だった。部屋数が足りないとか、事前に調べておくべき情報だろうに。
「体裁はわかりますけど、事前に教えてもらってた方がよかったと思うんですけど?」
「同感。男女が同室なんて、仮に兄妹でも普通なら驚きですし問題ですけど、この二人相手にそんなこと言う勇者なんて、うちの学校にはいませんよ?」
「そう言わないでくれ。校内的にはともかく、校外的には年頃の男女を、兄妹とはいえ同室にするのは躊躇われたんだからな。代表からアドバイスをもらわなければ、ホテルそのものを変えることになってたかもしれんし」
「……そうきたか」
卓也は窪田、松浦、西谷の後任として四月に着任したばかりの刻印術師だ。明星高校の術師教員は、たった一年で三人も反逆者を出していたため、後任となる教師の素性や性格、思想などは徹底的に調査され、その結果、卓也が選ばれた。明星高校のOBでもあり、在学中は風紀委員にも所属していた。同時に神槍事件では、連盟の派遣した術師の一人として明星高校に赴いている。生成者でもあるが、それを見た生徒はまだ誰もいない。
そんなわけで連盟代表とは面識がある。だがさゆりや久美同様、まだ正体を知らないようだ。
「先生……もしかして代表が世間体を気にしたんですか?」
「そうだが、それも当然じゃないのか?」
「……あのクソ親父が世間体なんて気にしたこと、一度もありませんよ」
「むしろ世間は世間、我は我、っていうおバカさんだもんね」
「それに見てくださいよ、これ」
「どれだ?」
大河の開いている部屋割りデータには、一つだけ落とし穴があった。四人部屋に集められたのは男女ともに二組ずつだが、去年のクラスメイトや部活仲間ということで、比較的仲のいい者同士だ。だが問題はそこではなく、人数だ。
「ここもここも、まだ入れますよね?なんで見逃したんスか?」
大河の指摘通り、四人部屋は男女とも三名ずつだった。どう計算しても余裕がある。
「……おかしい。四人部屋はいっぱいになっていたはずなんだが……」
「欠席者がいるとか?」
「そうかもしれん……。いや、きっとそうだ」
だが欠席者はいない。成田空港で点呼を取り、全員出席していることは確認済みだ。そもそも男女とも四人部屋を取った理由は、男女共に人数が奇数だからであって、一部屋ずつ確保すればいいだけの話だ。それを二部屋確保している時点で、何かがおかしい。
「先生、もしかして四人部屋を二部屋ずつ、計四部屋確保した方がいいって、代表のアドバイスじゃありません?」
「よくわかったな。息子と娘がお世話になってるからと言って、奥様が綿密に手配してくださったぞ」
「……やっぱりな」
「お母さんまで絡んでたのね……」
「つまりこの部屋割り、決めたのは母さんなんですね?」
「そうなる、のか?」
「確定だな。四人部屋が埋まってた理由も、お袋さんが数ごまかした結果だ」
「教師でもないのに、うちの学校のこと知ってるのも怖いよね……」
「じゃあ、もしかして……飛鳥君と真桜が同室になったのって……代表が決めたからなの?」
「それ以外ねえな。さすがにこんな大掛かりなドッキリは初めてだけどよ……」
「あのクソ親父……!すいません、先生。帰国したらきっちりシメときますから!」
「本当にすいませんでした!」
飛鳥も真桜も、頭を下げるしかない。確かに同室になれたことは嬉しいが、それとこれとは別問題だ。まさか学校を巻き込んで、こんな大それた真似を仕出かすなど、思ってもいなかった。さすがに卓也だけではなく、さゆりも久美も敦も呆れ果てている。
「ついに名村先生も毒牙にかかっちまったか……」
大河の呟きは向井とかすみの集合合図にかき消されてしまったが、美花もまったく同意見だった。さゆりと久美がまだ毒牙にかかっていなかったことは意外だったが、それも遠くないことだろう。
「……今の話はなかったことにしよう。多分、それが一番いい」
「……ですね」
「そうしましょう」
「異議無し」
不可侵条約は無事に締結された。そして一行はルーム・キーを受け取り、割り当てられた客室へと向かった。
――現地時間PM5:45 ユーロ フランス パリ シテ島 ノートルダム・ホテル 客室――
「うわぁ!綺麗な部屋だね」
「だな。しかも思ってたより見晴らしもいい」
飛鳥と真桜は割り当てられた部屋に入っていた。今更部屋割りの変更などできるわけもないし、何よりそんな命知らずな真似をする者はいない。クラスメイトの何人かは話を聞いていたはずだが、卓也達同様なかったことにしたようだ。おそらく今頃、他のクラスでも似たような疑問が出ているだろうが、突っ込まれることはないだろう。
「お、見ろよ、真桜。エッフェル塔が見えるぞ」
「ホント?わあっ!」
パリの日の入りは、日本よりも遅い。この時期では夜九時過ぎ頃だ。そのためまだ青い空が、そしてエッフェル塔がよく見える。ノードルダム・ホテルは地上五十階建てであり、最上階は展望レストラン、四七から四九階はスウィート・ルームとなっている。
教職員合わせて二百人近い関係者が宿泊するため、必然的に部屋数もかなり上の階層にまで、しかも二人部屋はほとんど明星高校が押さえてしまっている。運のいい生徒は四六階という、かなり景色のいい部屋に宿泊することができる。
だがこの部屋割りを決めたのは一斗と菜穂だ。飛鳥と真桜の部屋が一番いい部屋だということに疑いの余地はない。
「この光景に免じて、今回は見逃してやるか」
と飛鳥が呟くのも無理なるかな、だ。
「そうだね。せっかくだし、お土産も少しいいもの買っていく?」
真桜も同感のようだ。
「だな。フランスっていったらワインだろうから、少し高いやつ買っていくか」
一緒に風呂に入ることもあるし、一緒に寝ることだってある。高校生だからということで肉体関係こそまだないが、直前までいってしまったことは何度かある。キスにいたってはほぼ毎日だ。そんな二人が同室を嫌がるなどということはありえない。むしろ望むところだ。雰囲気に流されてしまうかもしれないが、それもいいかもしれない、などと二人が思っても不思議ではないかもしれない。
「あれ?誰だろ?」
だがそうは問屋が卸さない。部屋のインターホンが鳴り、モニターには大河、美花、敦、さゆり、久美、かすみの姿が映し出された。
「大河達か。どうかしたのか?」
「どうかしたのか、じゃないだろ。六時から飯だってよ」
「その前に二人の部屋を見せてもらおうと思ってね」
「私達の部屋を?なんで?」
「だって二人の部屋って、スウィートを除けば一番いい部屋ってネットにあったのよ。どんな部屋なのか、気になるじゃない」
「そうそう。私達の部屋も眺めはいいんだけど、それとこれとは話が別」
「そういうことか。別に見るぐらいならいいけど」
「どうぞ、どうぞ」
友人達を待たせることもなく、二人はオート・ロックを開けた。
「邪魔するぜ」
「内装は変わらないのね」
「そらそうだろ。一応、普通のツインって話だし」
「あっ、でもいい眺めじゃない。エッフェル塔が見えるわ」
「ホントだ!いいなぁ」
「私達の部屋、反対側だもんね」
「俺達の部屋も反対だな。しかも下の階だし」
「男子はあんまり景色に興味ないじゃない。女子が上の階っていうのは当然よ」
「まったくないってわけでもないぞ。夜景の写真ぐらい撮りたいしな」
「最上階のレストランの一角で、許可されてなかったっけ?」
「されてるけどよ、この時期、日が沈むのは九時か十時なんだよ。それを考慮して消灯は十一時らしいけど、けっこうライバル多いぜ?」
「そんなに遅いの?だからまだこんなに明るいんだ」
「腹は減ってるけど、夕食って感じはしないな」
「それにしてもいい部屋だな。こんな部屋に男女二人……いや、何でもない」
敦が言いたいことは誰しもが思うことだ。だが言葉にした瞬間、物言わぬ骸と化すだろうことは想像に難くない。途中で口を閉じたことは正解だろう。
「ん?井上、何か言ったか?」
「夜景が綺麗だろうなって言ったんだよ」
「ああ、だろうな」
どうやら飛鳥にも真桜にも聞こえなかったようだ。二人も浮かれているようで、少し注意力散漫になっているのかもしれない。
「そろそろ時間だし、レストランに行こうぜ」
「それはいいんだけど、全員収容できるの?他にも泊まってる人いるんでしょ?」
「七時までは貸し切りなの。最初に伝達事項があって、後は食べ終わった人から自由時間になるわ。門限は十時よ」
「ってことは三時間はパリの街を散策できるってことか」
「でもフランス料理って、けっこうなメニューじゃなかったっけ?」
「本格的なフランス料理は明日からね。五つのレストランを、日替わりで回ることになってるわ」
「それもそれでキツいな」
「でも夜はここのレストランじゃなくて、外で食べてもいいんでしょ?」
「ええ。明日以降は夕食はどこで食べてもOKよ」
生徒会書記だけあり、かすみは次々と疑問に答えている。おそらくスケジュールも頭に入っているだろう。
「それもそれで悩むな。まあ、明日考えればいいか」
「そうね。そろそろ行きましょうか」
「だな。その後でどっか行こうぜ。けっこう観光名所多いからな」
「賛成」
「だな」
まだパリに到着したばかりなのだから、何をするか、どこに行くかはこれからだ。明日はパリの学生達との交流会、三日目はオルレアンへ行く予定になっている。
期待に胸を躍らせ、今日は夕食後にパリの街を散策する予定を立てながら、八人は最上階の展望レストランへ向かった。




