6・不正術式
――閉門前 明星高校 校長室――
「……1年生が二二人、2年生が七人、3年生が三人、全部で三二人か。いくらなんでもこれは多すぎますな、校長」
「まったくです。なぜこんなことに……」
校長室では校長の新倉 利信と神奈川県警刻印課の朝倉 健吾警部、そして生徒会長の護と風紀委員長の雪乃が同席していた。刻印課とは刻印術による犯罪行為を取り締まる部署のことだが、事件によっては他部署との連携が不可欠なため、警察内でも優秀な刻印術の使い手が選抜されている。無論、朝倉警部も優秀な刻印術師だ。
朝倉警部は本来神奈川県警本部の刻印課に配属されていたが、未成年だけで六人も生成者がいる鎌倉市を重要視した県警上層部の意向によって、四月から鎌倉署に出向している。未成年の生成者が鎌倉市だけに集中している現状を見れば、これは左遷などではなく、ある意味では栄転と言えるだろう。事実、鎌倉署に出向した刻印課の警察官は朝倉だけではなく、他にも数名いる。
「署の記録を見ましたが、明星高校は昨年も三名の不正術式を行使した生徒が逮捕されていますね。関係があると思いますか?」
さすがに関係を疑わずにはいられない。もっとも校長は、関係があるとは思っていない。人数が多すぎることもあるが、以前逮捕された三人の内二人は刻印術師優位論者であり、もう一人はその生徒を通じて不正術式を入手していただけなのだから。
「まったくの無関係とは言えませんが、おそらくは関係ないかと。警部さんもご存知の通り、我が校は昨年、テロリストに幾度となく襲撃されておりますから」
「存じています。確か生徒会と風紀委員会が中心となって、テロを防いだと聞いていますが?」
朝倉の視線は、護と雪乃に移った。
「どちらかと言えば風紀委員会ですね。ご存知の通り、生成者が五人もいますし、事件の際は助けてくれた卒業生もいますから」
「立花……いや、今は久世さつきさんだったな」
「はい。旦那さんの久世雅人さんにも、何度も助けていただきました」
朝倉警部がどこまで知っているのかはわからない。だがさすがに、話せないこと、話してはならないことが多すぎる。
「だが風紀委員会が防いだことも事実だろう?私は記録でしか知らないが、昨年の春の事件も神槍事件も、君達の活躍が大きかったと聞いている」
「そんなことはありませんでしたけど」
どうやら朝倉は、詳細を知らされてはいないようだ。信用がないわけではなく、大きすぎる問題に警察上層部が情報を下ろさなかっただけだろうが、朝倉の目には明らかに不審な影が浮かんでいる。
「先程も言いましたが、久世先輩達が来てくれなければ、どうしようもありませんでした。神槍事件で学校を襲ってきたのは一流の術師、生成者でしたから」
「それは聞いている。私が気にしているのは、それほどの事件だったにも関わらず、鎌倉署はおろか、県警本部にすら詳細が伝わっていないことだ。何かあったとしか思えないんだがね?」
「そう言われましても……」
「我々はあの場を何とかすることで精一杯でしたから、何があったのかを気にする余裕も、考える余裕もありませんでしたよ」
「警部さん。神槍事件は我々教師も、詳細を知りません。知る余裕もありませんでしたからな。なにせ、一流の生成者の大軍、と言っても過言ではない人数に襲われたのです。我々よりも軍の方が詳しいはずですよ」
「……確かにそうですな。失礼しました。それではもう一度お聞きしますが、明星高校としては心当たりはないのですね?」
「ありません。確かに人数は多すぎますが、1年生はともかく、2,3年生は生成者が五人もいることは知っていますから、余程のことがなければ自ら不正術式を行使することはないはずです。先程話に出た久世雅人君も当校の卒業生ですが、彼が風紀委員長だった頃は、ほとんど問題は起きませんでしたから」
「ソード・マスター久世雅人ですか。当時は彼以外に生成者はいなかったのですか?」
「おりません。確かに当時から、国内でも有名ではありましたが」
「う~ん……」
雅人は明星高校在学中から高い実力を示していた。その時に連盟幹部だった一斗によって、ソード・マスターの称号を与えられ、世界有数の刻印剣士に祭り上げられた経緯がある。ある意味では一斗の罠だが、雅人の実力が世界有数であることもまた事実。
雅人は一度、一斗と術式試合をしたことがある。結果としては雅人の敗北だったが、近接戦ではかなりの接戦に持ち込むこともあった。敗北した理由は、術式の使い方と練度が大きかったためだ。一斗は世界最強の刻印術師の一人であり、その一斗に、まだ高校生の身でありながら、接近戦で互角に近い戦闘力を示すだけでも、相当の実力者だ。現在ではさらに実力を増している。その実力を恐れた生徒が多くても、それは少しも不思議ではない。
そして現在では、五人の生成者全員が風紀委員会に在籍している。不正術式は正規のライセンスで行使するより威力も制度も落ちるため、刻印法具によって強化された生体領域の前では、適性の低い属性術式であっても、かなりの威力を防ぐことができる。生成者相手に不正術式を使うなど、捕まえてくれと言っているようなものだ。神槍事件によって生成者の恐ろしさを身をもって体験した2,3年生はそのことをよく知っているし、五人も生成者がいることも知っている。にも関わらず、2、3年生合わせて十名もの逮捕者が出てしまった。朝倉でなくとも頭を悩ませる。
「連盟は何も言ってないんですか?」
飛鳥と真桜は、両親が連盟代表だ。もう飛鳥か真桜から連絡がいっているだろうし、当然警察も問い合わせをしているはずだ。
「無論問い合わせているが、さすがに連盟も慌てていたようだ。すぐに対策を施すと言っているそうだが、そう簡単にはいかないだろうな」
「やっぱりですよね。当分は私達も巡回を強化するつもりですが……」
「いつ、どこで襲ってくるかわからないからな」
「警察としても、しばらくは校内を巡回させてもらうことになるでしょう。一人二人ならばともかく、人数が多すぎますからね」
「やむをえませんな。朝倉警部。申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「お任せください」
――同時刻 明星高校 風紀委員会室――
「だってさ。どうするの、早乙女さん?」
「マズいな……。これで堂々と校内を歩きまわれる口実ができてしまった」
風紀委員会室には風紀委員だけではなく、さつきや私服警察官の姿もある。警察官は早乙女 淳也警部補。まだ警察官になって数年だが、優秀な術師でもある。朝倉の部下であり、現在は鎌倉署に出向している警察官だ。
だがその早乙女が顔をしかめている。
「そんなことだろうとは思ったけど、だけどなんであの警部さん、そんなことしてたの?」
「金だろうな。それと刻印法具の情報もかもしれない。法具の情報は高く売れるからね」
「やっぱり狙いは生成者か。飛鳥と真桜は当然として、雪乃達は最近生成できたばかりだもんね」
「さつき先輩も対象に含まれてません?最近まで秘匿されてたんだし」
「雅人先輩もだろうな。俺達だって結界内でしか見たことはないわけだし」
「でも早乙女さんにとっては上司になるわけですし、また面倒なことになりませんか?」
「確実に面倒事ね。でもあの警部さん、ちょっとおかしくない?」
「そうよね。神槍事件に興味持ちすぎだわ」
「理由はわからなくもない。俺も知りたくないと言えば、嘘になる」
早乙女の予想に反して、この場の全員が真相を知っている。それどころか当事者だ。
ちなみに京介、勝、浩の三人は危険だからと強制的に帰されており、この場にはいない。盗み聞きもしていない。もっともしていたところで、飛鳥とさゆりが発動させている探索系術式から逃れることはできないが。
「おっと、どうやら終わったようね。早乙女さん、そろそろ行かないとマズいんじゃないの?」
風紀委員会室と校長室はそれなりに距離がある。にも関わらず、校長室の会話が丸聞こえだ。雪乃がポケットサイズの端末を生成し、エアマリン・プロフェシーとサウンド・サイレントを発動させ、同時に生成させていたモニターの一つを風紀委員会室に設置させ、風紀委員会室に校長室の音声を届けていた。設置型は必要な機能のみを生成させることもできる。設置型という名の通り、場に設置することも可能なために、このような使い方もできるわけだ。
「ああ。おそらく明日からは俺達も巡回することになると思うが、あまり人数を割くとも思えない。それにここの生徒が、これ以上不正術式を買っているとも考えにくい。何か別の手を打ってくる可能性も高いだろう……」
「そこは心配いらないわよ。あたしや雅人も顔を出すようにするし」
「助かるよ。新婚早々に申し訳ないが、君達は頼りになるからね。それじゃすまないが、俺は行くよ」
そういうと早乙女は風紀委員会室を後にした。
「で、飛鳥。叔父様はなんて?」
さつきの顔つきが変わっている。その目はこの場を去った早乙女に向けられているが、視線には信頼や信用といった類のものは一切ない。むしろその逆だ。
「朝倉と早乙女の粛清許可を出してます。けっこう手の込んだことしてくれてましたけど、委員長が術式の逆探知までしてくれましたからね」
「すごいわよね、ワイズ・オペレーターって。もしかして叔母様の特性も参考にしたのかしら?」
雪乃は最初に接続させた刻印具から不正術式だと見抜いたが、同時に術式の逆探知も行っていた。
飛鳥と真桜の母、菜穂の特性を、ワイズ・オペレーターなら再現できるかも知れないと思い、新たに水性S級干渉探索系対象感知術式クレスト・レボリューションを開発していた。クレスト・レボリューションは術式の刻印に干渉し、対象を書き換えることによって術者に跳ね返す術式だ。神槍事件で使用したシャーク・ロードの完成型でもあるため、攻撃力も高い。
そのクレスト・レボリューションは、不正術式の刻印にも作用する。最初に捕らえた二人の術式にクレスト・レボリューションを使用した結果、雪乃が捉えた姿は、明星高校に向かっている朝倉と早乙女の二人だった。
最初にやってきたのは近くの交番の警官だったが、不正術式を使った生徒の数が増えれば、事件性は大きくなる。当然だが、刻印課が関与してもおかしくはない。それを狙って朝倉と早乙女がやってきたわけだが、その頃には既に、さつきを含む全員が二人の正体を知っていた。現職の警察官が関与していたなど、さすがに想定外だったが、雪乃はワイズ・オペレーターで証拠を記録しておくことも忘れてはいない。それを一斗に直接見せればどんな結果になるか、それは考えるまでもないだろう。
「そうみたいですよ。でもどうするんです?執行人は誰でもいいそうですけど、雅人さんが立ち会うことが条件になってるって、お父さん言ってましたよ?」
「そうなの?あたしとしてはここで始末するつもりだったんだけど」
「さつきさんも卒業したばかりだから、証拠があっても警察を抑えるのが難しいって言ってました。なにせ現職の警察官が不正術式なんかを売ってたわけですからね。不祥事にも程がありますよ」
「雅人さん、管理局にも所属してるから、軍の管理下で、っていう意味もあるみたいです」
さつきが明星高校を卒業したのは先月だ。今も風紀委員会室に溶け込んでいるように、現2,3年生とは交流があった。直接の後輩でもあるのだから、警察が連盟の判断に疑問を持ったとしてもおかしくはない。
そういう意味では雅人も同様で、さらにはさつきと結婚したばかりなのだから、警察を牽制する理由としては弱い。だが雅人は明星大学の学生でありながら、日本国防軍刻印管理局にも所属している。さつきの夫、明星高校のOBとしてではなく、軍人として立ち会わせることで、連盟と軍によって警察を抑えようというのが、一斗の考えだった。
「でもよ、それってマズくねえか?三条の法具、けっこうあいつの前で使っちまってるぞ」
「そうだな。このままじゃ、少なくとも三条の法具の情報は漏れる。しかも武装型が多い刻印法具の中じゃ珍しい、非戦闘系の設置型だからな。高く売れるだろうし、あいつが狙われる可能性だってでてくる」
だがそれは、今という状況下では望ましくない。良平や遥の懸念も当然で、雅人がいなければ執行できないのならば、雪乃のワイズ・オペレーターの情報は確実に漏れる。早乙女は自分を信用させるために、同時に朝倉を貶め、自分だけが利益を得るためにやってきたわけだが、それを逆手にとったことが裏目に出てしまう。
「雅人を呼んで、それまでは足止めしとくしかないかしらね。多重結界でも使う?」
「それが無難でしょうね。それより執行はどうします?俺がやってもいいですけど?」
「あんたの手を煩わせるぐらいなら、あたしがやるわよ。多分、雅人も同じことを言うと思うけど?」
飛鳥としても、朝倉と早乙女を見逃すつもりはない。そのために自分が執行してもいいと思っていたが、主の手を煩わせるなど、さつきからすれば論外だ。
「だろうなぁ」
既にさつきと雅人が、飛鳥と真桜の盾として忠誠を誓っていることは、この場の誰もが知っている。開封の儀式からブリューナク生成までの間、雅人もさつきも本当の従者のようだった。それほどまでに鮮烈な光景だった。
そして同時に、勇輝の死も思い起こされる。3年生はわずか数日程度の付き合いだったが、それでも勇輝の人柄によってすぐに打ち解け、これから色々と教えてもらおうと思っていた矢先の出来事だった。岩に腰をかけたまま、笑って死んでいた先輩の顔は、今でも鮮明に思い出せる。飛鳥と真桜に、無様な死に様を見せたくはなかったのだろうと、後に雅人から聞かされた。
「一応学校の問題ですから、卒業生の手を煩わせたくないんですけどね」
「それも一理あるけどよ、雅人さんやさつきさんにその理屈が通じるとでも思うのか?」
まさに大河の言う通りだ。学校の問題など、雅人やさつきにとっては些細なことだ。飛鳥と真桜を狙った時点で敵なのだから、その敵を排除するのは盾である雅人とさつきの役目だ。
「でもこんなことまでされてるわけですから、今日中に粛清しとかないと、後々まで尾を引きますよ?」
飛鳥のアイシクル・ランスがリンクス・マインドを貫いていた。早乙女が設置した術式だが、ここに来た時点で犯人だとわかっていたわけだから、これぐらいのことは想定内だ。
「逃がすわけにはいかないか。仕方ない。飛鳥、真桜。雅人に連絡入れるから、足止めお願い」
だがそこに、雪乃が慌てて駆け込んできた。
「久美さん!大変よ!まだ京介君達が校内に残ってるの!しかもあの警部さん達が近付いてるわ!」
「京介が!?帰したはずなのに!」
久美だけではなく、全員の顔色が変わっている。京介達は朝倉と早乙女が犯人だとは知らない。だから警戒などするはずもない。どう考えても危険だ。
「しかもあいつらが近付いてるって、ヤバすぎるだろ!」
「ああ。丁度今、飛鳥がリンクス・マインドを破壊したばっかだからな。警戒されちまったんじゃねえか?」
「悪い、久美。責任は取る」
迂闊な行動をしたとは思わない。リンクス・マインドを放置することなど、考えられない。だから飛鳥はリンクス・マインドの刻印をアイシクル・ランスで貫いたわけだが、それが原因で友人の弟達が犠牲になるなど、あってはならない。さつきや雅人が何と言おうと、飛鳥は自分が執行する決意を固めた。
「いいえ、飛鳥君のせいじゃないわ。帰らなかったあの子達が悪いのよ。だからここは姉として、私が責任を取るわ。さつき先輩、私が執行人になります」
だが飛鳥を止めたのは、他でもない久美だった。飛鳥だけではなく、さつきも驚いている。
「本気?」
「はい。弟の不始末は、姉である私がつけます」
「その気持ちはよくわかるわ。オッケ、それじゃ任せた」
さつきは飛鳥を弟のように思っている。だが同時に、飛鳥は主でもある。主の不始末をつけることなど、さつきにとっては不満でも負担でも、ましてや迷惑でもない。
「待って、久美。それなら一人は私が引き受けるわ。私も帰るように言ったのに、ちゃんと伝えられなかった責任があるし」
「それこそさゆりの責任じゃないわよ」
「そうかもしれないけど、もう無関係じゃないもの。それにようやくS級も完成したし、ね?」
「なるほどね。それじゃ久美とさゆりにお願いするわ。飛鳥も真桜もいいわね?」
一流の術師が相手なのだから、いかに生成者とはいえ、久美一人では荷が重いだろうことは誰もが理解している。神槍事件では、自分達もやったことだ。
飛鳥は久美が立候補した理由に納得できたから、自分はサポートに回るつもりだった。だからさゆりまでもが立候補してくるとは思っていなかった。確かにさゆりも、かなりキツく言い聞かせていた。ほとんど脅しに近かったと言ってもいい。だがそれでもきちんと伝わらなかったという事実が、さゆりを駆り立てたのだろう。さつきとしても不本意だが、同時に納得できる理由でもある。
「二人がいいなら」
「できればやってほしくないですけど……」
飛鳥も真桜も、友人達にそんなことはしてほしくなかった。だが時間の問題だということも理解している。
「ごめん、さゆり。京介達には後できつく言い聞かせておくわ」
それは久美も同様だ。弟の不始末に、もう親友と言ってもいい少女を巻き込むなど、考えてすらいなかった。だが自分一人だけでは荷が重いどころか、返り討ちに合う可能性が高いこともわかっている。だから頭を下げることしかできない。
「その前にトラウマ負うことになるから、あんまりキツいこと言わなくても大丈夫じゃない?」
だがさゆりは、そんなことは気にしてすらいない。そう遠くないうちに自分も行うことになるのだから、それならば早いに越したことはないとも考えている。
「そんな物騒な術式開発してたの?」
「そうじゃなくて、目の前で粛清することが、だろ?」
「はい。私と久美は初めてですけど、生成者が執行人になることは珍しくありませんから」
「弟君の幻想を打ち砕こうっての?目の前で?」
「すっげぇトラウマになるぞ、それ」
「さすがに京介の前でっていうのは私も抵抗がありますけど、あの子は刻印法具の表面しか見てませんから」
「裏も見てもらおうってことか。確かにそうだな。法具生成がいいことばかりってわけじゃないからな」
「生成者には義務も発生するもんね。執行もその一つだし」
「それが面倒だよな、生成者ってのは。メリットっつったらA級と、連盟の上の役職に就きやすくなるぐらいしかねえんじゃねえの?」
「そうかもしれませんね。それより急ぎましょう。下手したらあいつらが人質になるかもしれません」
「そうね。あの子達、余計なことしてなきゃいいけど……」




