3・術式試合
――西暦2097年4月11日(木)AM8:00 明星高校 校門前――
「先輩、お待ちしてました」
予想通り、久美の弟 京介が校門前で待ち構えていた。久美も申し訳なさそうな顔で校門の陰から姿を見せている。
「……お前か。久美の弟ってのは」
「ん?ああ、あなたが先輩の言ってた婚約者ですね。悪いですけど、今日でそれは返上してもらえませんか?三上先輩は今日から、俺の婚約者になるんですから」
「お断りよ!」
真桜は飛鳥の背中に隠れている。本当に強引な性格だと飛鳥は思った。
「姉貴には言ってあるんだがな。お前が真桜に手を出すようなら、俺は容赦しないと」
「そういえばそんなこと言ってたような?でも先輩。俺に勝てるとでも思ってるんですか?所詮、親が勝手に決めた許婚同士なんでしょう?」
「……お前、もしかして刻印術師優位論者か?」
「あんなテロリストと一緒にしないでもらえませんか?刻印術師優位論なんて、時代錯誤も甚だしい」
どうやら京介は優位論者ではないようだ。だからといって、根拠があるわけでもなさそうだが。
「ならお前が俺に勝てるっていう根拠は何だ?」
「姉ちゃんが法具生成するまでは、俺達にほとんど力の差はなかったからですよ。なら法具の生成ができない先輩が、俺に勝てる道理はないってことです」
久美は確かに高レベルの術師だ。その久美と同等ならば、それだけで京介の実力が高いことはわかる。だがそれこそ、何の根拠にもなっていない。
「……久美。いいよな?」
だから飛鳥は決断した。本当に力の差を、残酷なまでに大きな力の差を見せつけなければ、この後輩が引き下がることはないだろう。
「昨日も言ったけど、好きにして。お父さんもお母さんも納得してくれたから」
水谷家では昨夜、家族会議が開かれた。だが京介は会議の途中で席を立ってしまった。だから久美は、飛鳥がどれほど驚異的な存在なのかを、ごくごく一部だけを説明してみせた。さすがに両親も驚いていたが、同時に納得もしていた。人様の手を煩わせることは心苦しいが、家族が口を出すより、他者に圧倒的な力の差を見せ付けられた方が京介のためになるだろう。その結果再起不能になっても、それは京介の責任だ。それが水谷家の家族会議の結論だ。
「こんな場所じゃ他の生徒の迷惑になるからな。場所を移すぞ。ついてこい」
「いいですよ。金輪際、三上先輩に近づかないでもらえるんですよね?」
「寝言は寝てから言えよ」
さすがに去年の渡辺誠司程ではないが、かなりの自己陶酔型のようだ。飛鳥は誠司のことを思い出しながら、漏れ出しそうな殺気を必死で押さえていた。
「飛鳥君。十分だけ刻錬館を確保できたから、そこでお願い。会長も立ち会うそうよ」
久美が刻錬館の術式試合の手続きを済ませていた。早朝であっても、部活のために開放されているわけだから、手続き自体はいつでも可能だ。始業前に許可が下りたのは、相手が飛鳥だからすぐに終わるだろうという護の判断だ。
「いたのか、姉ちゃん。それに会長まで立ち会うなんて、大袈裟じゃないのか?」
「そういうシステムなのよ。生徒会と連絡委員会の双方が立ち会わない限り、術式試合は絶対に許可されないの。この手続きを無視したら、退学だってありえるんだから」
久美の説明に誤りはない。だが早朝はあまり時間が取れず、放課後は週に一度しか、その日はない。毎週水曜日の放課後に、術式試合の日程が組まれるのであって、木曜日である今日はそんな予定はない。早朝ならばある程度の融通は利くが、それでも始業まで二十分ほどしかない。
術式試合は短時間で勝負はつきにくい。相克関係がある相手であっても、それは有利に立てるというだけであり、短時間で勝負がついた例はほとんどない。事実、毎週水曜日の術式試合を管理している連絡委員会は、日程によっては最長で二時間としている。それでも決着がつかないことも多々あった。
「ごちゃごちゃ言ってないで、早くついてこい。あんまり時間はないからな」
「十分もあれば余裕ですけどね」
「自身持つのはいい。それが慢心じゃないことを祈るぞ」
飛鳥は京介には一瞥もくれず、刻錬館へ歩き出した。
――AM8:10 刻錬館――
「すまない、待たせたな」
「すいません、会長。私の馬鹿な弟のせいで、ご迷惑をおかけしてしまって!」
開口一番、久美が護に頭を下げた。
「へえ、水谷の弟なのか」
「井上君?もしかして、連絡委員会の代表なの?」
連絡委員会からは委員長が来るとばかり思っていたが、やってきたのはまさかの同級生、しかも久美とは去年からのクラスメイト井上 敦だった。
「本当は矢島に頼むつもりだったんだが、あいつ、まだ登校してきてないんだ。困ってたところに丁度向井君から連絡がきて、井上君が来てることを教えてくれてね」
「そういうこと。矢島委員長、けっこうな問題児だからな」
連絡委員長の矢島 俊樹は現生徒会きっての問題児だ。と言っても素行が悪いわけではない。運動神経は抜群だが成績に難がある。同じ風紀委員の武同様、追試をクリアすることによってかろうじて進級することができた体力バカであり、朝もいつも遅刻ギリギリだ。
「ところで三条は?」
「委員長は来ません。当事者も含めて、三人の風紀委員がいますから」
「なるほど。それでは水谷さん。君にも立ち会いをお願いするよ」
「わかりました」
ただでさえ生徒会長の手まで煩わせてしまったというのに、これ以上生徒会の一員でもある雪乃の手まで煩わせたくない。掛け値ない久美の本音だった。
「おい、飛鳥。手加減してやれよ」
「そのつもりはないな。何せ真桜に手を出したんだからな」
「……あの噂、本当だったのか」
「水谷……お前の弟、自殺願望でもあるのか?」
敦は飛鳥の実力をよく知っている。去年の入学直後に、前風紀委員長にして現ソード・マスター夫人のさつきに推薦された飛鳥に嫉妬し、勝負を吹っ掛けたことがある。刻印術師でもある敦は、明星祭が終わった後に飛鳥と術式試合をしたことがあるのだ。だが結果は惨敗。確保されていた時間は三十分だったが、実際の戦闘時間は一分にも満たなかった。あまりの実力差に、プライドを粉々に打ち砕かれたが、神槍事件後に飛鳥だけではなく、真桜までもが融合型刻印法具の生成者だと知り、さすがに肝を潰したものだ。
「なんとでも言って。それより時間ないんだから、早く終わらせちゃいましょう」
「そうだな。それでは双方。準備はいいか?互いが術師である以上、B級の使用は許可するが、危険だと判断した場合は試合を止めるのでそのつもりで」
「わかりました」
「必要ありませんけどね」
「では、はじめ!」
護の合図で試合が始まった。だが以外にも、先に口を開いたのは飛鳥だった。
「先に教えておいてやるよ。俺の適性は水だ」
「余裕ですね、適正を教えるなんて。でもいきなり言われても、それを信じられると思いますか?」
「試してみろよ」
「そうさせてもらいますよ」
京介はクリムゾン・バレットを発動させた。だが飛鳥は術式を発動させず、生体領域だけで防ぎ切った。
「俺のクリムゾン・バレットを防御術式もなしに防ぐなんて、本当に水属性のようですね。でもこれは小手調べですよ」
続いて京介が発動させたのはアイシクル・ランス。C級とはいえ攻撃力は高い。だが飛鳥は、またしても生体領域で防いだ。
「なっ!」
「まだまだ甘いな。その程度じゃ俺の生体領域は貫けない」
「だったら、これでどうだ!」
京介は姉と同様、水属性に適性を持つ。飛鳥とは同じ属性になるわけだが、それでも生体領域だけで簡単に防がれるとは思っていなかった。手加減していたつもりはない。むしろ自分の属性を暴露した飛鳥に、プライドを傷つけられていた。だから発動させた術式は、京介が唯一習得しているB級術式ブラッド・シェイキングだった。
「ブラッド・シェイキングか。久美と実力差がなかったのって、いつの話だよ」
「な、なんで……!ブラッド・シェイキングが効かないんだ!?」
飛鳥は一度も刻印術を発動させていない。それはつまり、B級術式であるブラッド・シェイキングさえも、生体領域だけで防いでいたということだ。
「呆れた奴だな。B級を生体領域だけで防ぐかよ」
「それだけ力量差があるということだろう。今更だが」
「ですね。でもあいつ、手加減しないって言ってたはずなんですけど」
「B級すら生体領域のみで防いでいるんだから、それだけでも十分だろう。問題があるとすれば、彼が攻撃に移ったときだ」
「あ~……確かに。けっこうキレてるみたいですしねぇ」
真桜と久美はもちろん、護も敦も驚いてはいない。この程度で驚いていては身が持たないことをよく知っている。
「すぐに終わらせるって言ってたよな?この程度で、よくもそんな大口叩けたな。お前こそ、これ以上真桜に近づくな。さもないと、次は!」
少しだけ漏れてしまった殺気とともに、飛鳥は火性B級広域対象術式ヒート・ガーデンを発動させた。
「ヒート・ガーデン!?水属性に適性をもつ術師が……何でこんな精度で!?」
京介はスプリング・ヴェールを発動させたが、あまり効果がない。相克関係を覆されている。
「そ、そんな……!なんで……俺のスプリング・ヴェールが……!!」
「京介。そろそろ降参しないと、怪我じゃすまないわよ?」
「ね、姉ちゃん!?」
「言っとくけどね、これでも飛鳥君は手加減してくれてるのよ。私だってクリスタル・ミラーを使わないと、相克関係を維持できないんだから」
「そ、そんな……!」
「どうするんだ?姉貴はああ言ってるが?俺も、もう真桜に手出しをしないって言うんなら、これ以上するつもりはないが?」
「あ、諦められれるわけないだろ!運命なんだぞ!」
「一瞬目が合っただけで運命を感じるんなら、誰だって運命の相手だろ。思い込みが激しすぎるんだよ、お前は」
飛鳥はヒート・ガーデンを収束させ、炎の蔓を次々と作りだした。ヒート・ガーデンは領域内に炎や雷の植物のようなものを作り出す。そのためにガーデン――庭と名付けられており、術師の意思で庭はその姿を変える。その蔓が次々と京介に絡みついている。
「う、うわあああっ!!」
「それまでだ。三上君の勝利とする」
護が試合を止めた。これ以上はさすがに危険だと判断したわけだが、それは正解だった。
護の宣言と同時に飛鳥はヒート・ガーデンを解除していたが、あのままでは取り返しのつかない事態を招いていただろうことは容易に想像できる。
「京介、大丈夫?」
「ま、まだやれる!なんで止めたんですか!?」
だが京介は諦めていない。納得がいっていないだろうこともよくわかる。
「あのままじゃ君は大怪我をしていたからな。危険だと判断したら、試合を止めると言っておいたはずだ」
「そ、そんなことは……!」
「現にスプリング・ヴェールは役に立ってなかっただろ。相克関係を覆されてた以上、どう考えても勝機はなかったぞ」
「だ、だけど!」
「いい加減にしなさいよ、京介!相克関係を覆されるほどの力量差を見せ付けられたのに、どこが納得できないのよ!?」
護だけではなく敦も危険だと判断していた。それも当然で、相克関係が役に立っていなかった以上、それは力量差もさることながら、容易に大きな傷を負わせられるということを意味する。
久美が怒るのも当然だ。力量差は明白。それは京介も理解できている。だが真桜を諦めるなど、できはしない。だから京介は容認できなかった。
だがこれ以上真桜に干渉されるようなら、飛鳥は本気で京介を再起不能にするだろう。いや、命すら奪うかもしれない。それどころか雅人やさつきまで出てくる可能性だってある。あの日の光景は、今でも鮮明に思い出せる。
「待て、久美。俺が手加減したのは事実だが、せめてこれぐらいは使っておくべきだっただろう。その方が納得できただろうからな」
だが久美を止めたのは他でもない、飛鳥だった。同時に飛鳥は、右手からリボルビング・エッジを、左手からエレメンタル・シェルを生成した。真桜もそれに続き、左手からブレイズ・フェザーを、右手からシルバー・クリエイターを生成した。
「おお、初めて見たな。それがお前らの刻印法具か。ホントに二つも生成できるなんて、すげえな」
敦はまだ実物を見たことはなかったために、二人の刻印法具を見るのは言葉通り初めてだ。本音を言えば融合型も見てみたいが、二つの刻印法具だけでも驚きに値する。事実、京介は目を丸くしている。
「こ、刻印法具!?それも……二つも!?」
「これが俺達が婚約した理由の一つだ。まだ何か言いたいことはあるか?」
「……あります!三上先輩!って、あれ?」
声を上げた京介だが、なぜか黙ってしまった。何かに気づいたようだが、何かあっただろうか。
「先に聞きたいんですけど、お二人とも三上先輩、なんですよね?」
「ああ、そうだ。戸籍上じゃ兄妹だけど、血の繋がりはないし、俺達を育てるために親が再婚しただけだからな」
「そ、そういうことですか……。ビックリした……」
「それより、何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
知らない者からすれば、兄妹で婚約者など、理解し難い。だから京介の疑問は当然だ。
「あ、はい!三上先輩!俺を弟子にしてください!」
「……は?」
時間が止まったようだった。全く意味がわからない。そもそも京介が真桜に手をだしたからこんなことになったわけであって、飛鳥は恋敵と言える。それを弟子にしてくれてとは、どういう了見なのだろうか。
「だから俺を弟子にしてください!俺も先輩と同じ、水属性です!だから俺に刻印術を、法具生成を教えてください!」
思い込んだら一直線。どうやら真桜のことはもう眼中にないようだ。
「いや、俺もまだまだ修行中だから、弟子なんてとるつもりはない。それに法具生成は、教えたぐらいじゃできないぞ」
「そんなことはありません!教えてもらえればきっと生成できます!」
「京介!いい加減にしなさいよ!!」
「ね、姉ちゃん!?そ、それは勘弁してくれ!!」
当然というか、当たり前というか、久美が顔を真っ赤にしながらクリスタル・ミラーを手にしている。弟の暴走が恥ずかしさの限界を超えたのだろう。自らの手で弟を再起不能にする気満々だ。
「あんたはいつもいつも……!なんで人の話を聞かないのよ!教えてもらったぐらいで生成できるなら、今頃は誰だって生成できてるわよ!」
「あれが水谷の法具か。杖とはまた意外だな」
敦にとっては他人事だが、対岸の火事ではない。むしろこの場にいる以上、いつ飛び火してくるかわかったものではない。そのために現実逃避している、と言えなくもない。
「呑気なこと言ってる場合じゃないだろう」
「そうは言っても、姉弟ゲンカは俺達の管轄じゃありませんし」
「まあそうなんだが……水谷さんは法具を生成しているわけだし、無関係というわけにもいかないだろう」
「落ち着いてよ、久美。弟君、怯えちゃってるじゃない」
「怯えさせてるのよ!このまま再起不能にしてやりたいのを、必死で我慢してるのよ、これでも!」
「実の弟相手に容赦ないな……」
飛鳥も真桜も、少しだけ京介に同情してしまった。どうやら根本的に悪い子ではなさそうだが、思い込みがあまりにも強すぎる。久美だけではなく、水谷家が手を焼くのもよくわかる。
「水谷。さっきも言ったが、俺もまだ修行中だ。人に教えられるような立場じゃないし、教えたところで生成はできない。それにあまり時間も取れない。それでもいいなら教えるが、条件がある」
「ほ、本当ですか!?」
「真桜には絶対に手を出すな」
「それはもう!絶対に手出しなんかしません!」
京介はあっさりと前言を撤回した。運命の人ではなかったのだろうか、小一時間程問い詰めたい。
「もう一つは人の話をよく聞くこと。自分の考えや価値観を押し付けないこと。相手の都合も考えずに自分の理屈や都合だけで動くようじゃ、優位論者と同じだ。容易に思想を捻じ曲げられて手先にされるぞ」
「わ、わかりました……」
こちらの方が京介には応えたようだ。おそらく、いや、ほぼ間違いなく自分は優位論者だと思われていた。あんなテロリストと同列に見られるなど、屈辱以外の何物でもない。だからといって、身に覚えがないわけでもないが。
「それから俺達が生成者だということを誰にも喋らないこと。2年生や3年生は知ってるが、これが術師の暗黙のルールだってことは知ってるだろう?」
「それは当然です。絶対に話しません!」
「最後に、あまり姉貴に心配かけるなよ。けっこうキツいからな、兄弟を失うってのは……」
「は、はい……」
飛鳥だけではなく、真桜の顔にも寂しさが滲んでいる。
久美も護も、神槍事件後に聞いたことがある。さつきの兄 勇輝が飛鳥と真桜を守り、命を落としたことを。二人も兄と慕っていたが、勇輝は飛鳥と真桜の盾でもあった。だから笑って死んでいったと、先輩達は言っていた。今でも夢に見るそうだ。それほどまでに、勇輝の死に顔は穏やかだったらしい。
だから飛鳥は、自分に心配をかける京介を気にかけたのだろう。
「そろそろ時間だ。水谷、時間がとれたら姉貴に伝えるから、それまで大人しくしといてくれよ」
「は、はい!」
すさまじく疲れる。まさに猪突猛進だ。正直、あまり関わりたくない。だがここまで関与してしまった以上、責任はとらなければならない。時間はとれないが、弟子にすると言ってしまったのだから。
「それでは失礼します!」
京介は上機嫌で刻錬館を去って行った。後に残されたのは当事者三人と立会の二人だった。
「……水谷、お前んとこの教育方針、間違ってないか?」
「……言わないで。ずっと前から気にしてたんだから……」
「もう私のことなんか眼中になかったみたいだけど、あれでよかったの?」
「早まったかもしれない……」
「飛鳥君、ちゃんと責任は取ってよね……」
誰もが疲れた顔をしている。じきに始業時間だが、それすらも頭から抜け落ちているだろう。だから始業ベルがなった途端、誰もが慌てて刻錬館から走り出した。




