4・プライド
――PM16:35 明星高校 刻印刻錬館――
刻印刻錬館、それは刻印具の使用を前提とした競技館のことであり、かつての体育館と武道館、屋内プール、そして刻印術専用設備の複合施設のことだ。戦後設立された多くの学校に建てられている。その中に剣道部と空手部が使用している施設がある。本来ならばどちらかの部が活動中のはずだが、週に一度はどちらの部も使用しない日がある。それはこういったときのために、である。
「それで飛鳥、相手って誰なの?」
飛鳥の付き添いできた真桜も、さつきの話は聞かされている。当然だが、激しくやる気がない。
「そこまでは教えてくれなかったな。放課後に刻練館に来いとしか言われてない」
「それでいて待たされるって、相変わらずアバウトな人だよね」
「それも今更の話だけどな」
さつきは多少だが、時間にルーズなところがある。前もって時間を決めておけば大丈夫だが、突発的な呼び出しや待ち合わせに遅れてくることは日常茶飯事だ。
「人がいないと思って、好き勝手言ってくれるわね、あんた達」
「うおっ!」
「さ、さつきさん!?いつの間に……」
いきなり背後からかけられた声に、似たような仕草で驚く二人。相も変わらず、息ぴったりだ。
「今来たところよ。それよりごめんね、アバウトで。今更で」
悪びれたところが一切ない謝罪の言葉。しかしこんなことも、彼らの間ではいつものことだ。
「自覚があるんなら時間通りに来て下さいよ。こっちは三十分も待たされたんですよ?」
飛鳥も慣れたもので、皮肉った台詞を華麗にスルーする。
「ごめんごめん。ちょっと生徒会や風紀委員会との話し合いが長引いちゃってね」
「そういうことなら仕方ないですけど、せめて連絡ぐらい下さいよ……」
「そう言わないでやってほしい。我々が彼女を引止めてしまったにまったんだからね」
「はあ……」
声に気がつき、さつきの後ろを見ると、そこにいたのは男子生徒二人と女子生徒が一人。ネクタイを見ると、全員が緑に白のストライプの入ったネクタイをしているから、生徒会役員だとわかる。
「自己紹介が遅れたね。俺は御堂 翔。この学校の生徒会長だ」
「私は島谷 恭子です。連絡委員会の委員長をしています。よろしくお願いします、三上君、三上さん」
「僕は相田 玲一、保険委員長です。よろしく」
まさかの生徒会長と連絡委員会、保健委員会の委員長達だった。自治委員長とか図書委員長とかがいないのは直接関係がないからだろうか?などと考えるのも無駄なことだろう。
「あ、はい。こちらこそ!」
「よろしくお願いします。それでさつきさん、俺の相手って、まさか生徒会長?」
明星高校最強となる学生は、生徒会長か風紀委員長のどちらかになることが多い。ここ数年は風紀委員長のようだが、だからといって生徒会長の実力や成績が低いわけではない。むしろ成績は学年でもトップクラスだ。
「それこそまさかでしょ。って、まだ来てないの?」
「まだもなにも、俺達は誰が相手なのか、一切知りませんよ」
「仕方のないことなんだけどね。事前に相手が誰かわかってしまえば、対策を立てることもできるから」
恭子の説明は、一応の納得はいく。だが恭子は、少し納得がいっていない。入学直後の1年生と2年生では、実力に大きな差がある。飛鳥の実力を示すためだとさつきは言っていたが、それにしては相手に選んだ生徒が問題だ。
「それはわかりますけど、ならなんでまだ来てないんですか?」
「三上君の相手は風紀委員の2年生なんだが、何て言えばいいかな。刻印具の扱いと習熟度では2年生でもトップクラスの実力者なんだけど、その……ちょっと素行に問題があってね」
「素行に問題って……そんな人が風紀委員をやってるんですか?」
真桜が素朴な、そして重大な問題に疑問を呈した。確かに素行の悪い風紀委員というのは聞いたことがない。探せばいるかもしれないが、少なくとも真桜は知らない。
だがその疑問も、さつきの説明で氷解してしまった。
「多少は目をつぶるわよ。なにせ去年、刻印具を使ったケンカで重症者が出たんだから……」
「重傷者!?」
「あれは大変だったわね……。結局風紀委員と何人かの刻印術師が収めてくれたからあれ以上被害はでなかったけど……」
「ああ……。下手したら死人が出てたかもしれないからな……」
「……何があったのか気になりますけど、聞かない方がいいんでしょうね」
「そうしてくれると助かる。俺達にとっても、思い出したくない騒ぎだったからね」
本当に何をどうすれば、校内でそんな事態が発生するのだろうか。しかも重症者が出たというのに、そんなニュースを見た覚えもない。気になるがおそらくロクでもない理由なのだろう。飛鳥はそう結論付けた。
「それにしても遅い!あの馬鹿、何やってるのよ!」
この話題はこれまで、とばかりにさつきが軌道修正、というか本題に戻った。そうしてもらわなければ飛鳥も真桜も困るし、それは翔、恭子、相田も同様だろう。
「連絡とってみたらどう?」
「それしかないだろうな。頼むよ、立花」
「わかったわよ」
さつきはしぶしぶと飛鳥の対戦相手となる予定の風紀委員へ連絡を入れた。
「武、何してるの?え、帰るところ?馬鹿言ってんじゃないわよ!今日の放課後、新入生の実力テストをするって言ったでしょ!」
素行に問題がある、と聞いたばかりだったが、まさかいきなり予定をブッチぎられるとは思ってもいなかった。急用でも入ったのなら連絡を入れてくるだろうから、おそらくサボりだろう。
「今すぐ、可及的速やかに、光の速さで刻錬館まで来なさい!わかったわね!……まったくもう」
「酒井君、帰ろうとしてたの?」
「そうなのよ。新入生の相手なんて馬鹿馬鹿しくてやってられないんだって」
気持ちはわからなくもない。入学したばかりの1年生をいきなり風紀委員に推薦し、あまつさえ実力を見るためのテスト相手に指名されるなど、どう考えても楽しい話ではない。
「日を改めるっていう選択肢はなかったんですか?」
「あるわけないじゃない。今日だってここ抑えるのに苦労したんだから」
「ここは普段、剣道部と空手部が使ってるの。だけど週に一度はどちらも部活をお休みしてもらって、今日みたいな模擬試合も予定に入れて、スケジュールを組んでるのよ」
「つまり次回以降の予定は、全部うまっちゃってるってことですか?」
「ええ、そうよ。今日も本当は予定があったんだけど、来週にずらしてもらったわ。だから来週は来週で、けっこうなタイトスケジュールになっちゃったのよ」
刻練館のスケジュール調整は連絡委員会の仕事らしい。聞いてるだけで頭が痛くなるが、それで恭子がここにいる理由に納得ができた。せっかく組んだスケジュールを無理矢理変更させられたのだから、彼女にも見届ける権利はある。
「というか、別に急ぐようなことでもないでしょ」
「お黙り。あんたみたいな優秀な人材は、早めに確保しときたいのよ。ウチって刻印術とか刻印具の授業も他の学校より多めにあるから、けっこう問題起きやすいのよ」
「……せめて刻印具ぐらい規制したらいいじゃないですか」
もっともな理由だ。刻印具があるから刻印術の問題が起きるのであって、規制してしまえば問題は解決する。根本的かどうかは甚だ疑問だが。
「じゃあ、どうやって授業受けろっていうのよ?」
「そうでした……」
今の時代、刻印具はノートや教科書、メモ帳代わりにもなっている。そのため学生は100%、携帯型刻印具を所有している。していなければ授業を受けられないのだから、それも当然の話だ。
「どうやら来たみたいだよ」
そんな無駄話をしていると、ようやく二人の男子生徒が刻練館にやってきた。一人は髪をツーブロックにした、少し大人びた雰囲気がある少年で、もう一人は無駄に伸ばした髪を金色に染め、無造作に後ろでまとめた少年だった。
「遅いわよ!光の速さで来なさいって言ったでしょ!」
「む、無茶言わないでくださいよ、委員長。これでも急いで来たんですから」
「葛西君も来たのか」
「昌幸!あんたも武と一緒に帰ろうとしてたんでしょ!なんで連れてこなかったのよ!」
「いや、その……」
こちらの少年は、どうやら葛西 昌幸というらしい。だが気の毒にも、鬼に睨まれたように怯んでしまった。実際今のさつきは鬼の形相に近いのだから、この表現もあながち間違っていない。
「だってタルいじゃないスか、新入生の相手なんて。秋ならともかく、入学したばっかの奴なんて、たかがしれてるし」
髪を金色に染めた少年があっけらかんと答えた。どうやらこちらが飛鳥の相手のようだ。
「反省の色なし、か。なら直接思い知ってもらったほうがいいわね。飛鳥、遠慮はいらないわ。何なら、あれを使ってもいいけど?」
「無茶苦茶いいますね。使えるわけないでしょ。だけど俺の実力を思い知ってもらうっていう意見には賛成ですよ」
さすがに飛鳥もカチンときた。中学までで教わる刻印術は、生活に密着したものや歴史的背景が多く、研究用や開発用、医療用などの専門的術式は高校からとなる。独学で覚える者もいないわけではないが、術式の組み方や使い方に関しては雑になりやすい。それゆえに、高校入学の時点で対人戦闘に長けた刻印術を使える生徒はかなり少ない。
「威勢がいいのは結構だけどよ、あんま調子に乗ってんじゃねえぞ?」
「別に調子に乗ってはいませんよ。それより、やるならさっさと始めましょう」
対人戦闘に長けた新入生は確かに少ない。だが少ないというだけで、皆無というわけではない。そして飛鳥と真桜は、その少ない生徒に分類されている。しかも実戦経験済みだ。さつきを除く先輩方が知らないのは当然だが、それでもプライドを傷つけられたことに違いはない。そんなつもりではなかったが、挑発口調になってしまったのもやむを得ないだろう。
「上等だ。吠え面かかせてやるぜ!」
「それじゃ御堂、恭子、相田。立ち会いよろしくね」
「ああ、わかってる」
「二人共、頑張ってね」
「怪我しないようにね」
「それじゃ一応ルール説明ね。攻撃性刻印術の使用はC級まで。B級以上を使用したら即失格の上停学。体術の使用は禁止だけど、刻印術を使用した攻撃は有効。勝敗は戦闘不能になるか降参するまで。ただし危険があると判断したら、試合を止めるから。質問は?」
「ありませんよ」
「俺もありません」
答えると二人は、それぞれの刻印具を取り出した。飛鳥の腕時計状装飾型に対して、対戦相手は警棒状装飾型のようだ。
「それじゃあ2年生 酒井 武と1年生 三上飛鳥の術式試合を開始するわ。はじめ!」
さつきが試合開始を宣言した。だが両者共に動かない。飛鳥はともかく、挑発された武が動かないのは不自然に感じられる。
しかし当の武は、既にそんなことは一欠けらも記憶に残っていなかった。開始の合図を聞いた瞬間から、何故かわからないが冷たい汗が止まらないからだ。
「行くぜ!ショック・フロウ!」
意を決した武は、刻印具から火性C級攻撃系術式ショック・フロウの術式を起動させ、飛鳥へ襲い掛かってきた。
しかし飛鳥は動じていなかった。
「ウインド」
「うおっ!」
最大風速二十メートルの突風を発生させることができる風性E級干渉系術式を足下に受け、武はバランスを崩し転倒した。
「野郎!」
飛鳥は武が転倒した隙に距離をとっていた。追撃をかける余裕はあったにもかかわらず、飛鳥は追撃ではなく退避を選択した。飛鳥から感じられる圧力は変わっていない。しかし自分のことなど、いつでも倒せると言われているように感じた武は、開始当初に感じた圧力と自分自身の戸惑いを怒りでねじ伏せた。
飛鳥の言い分としては出会い頭の一撃で勝利しても意味がないためであり、決して武を見下していたわけではない。しかし相手がどう受け取るかの判断ができていなかった。まだ高校生になったばかりの少年では、それも仕方のないことだろう。
「飛鳥ってば、相手を怒らせちゃうなんて」
「故意に怒らせたわけじゃないわよ。武になめられたと感じたから、ウインドで吹っ飛ばしてできた隙を衝いても、それじゃ意味がないって思ったんでしょ」
「多分そうだろうね。あのまま決着がついてしまってたら、彼の実力は不明なままで、酒井君が負けたのも油断と相性で済まされる可能性だってある」
「だからって武がなめられてるのは変わらないですよ。傍から見てる俺だってなめられてるって感じてるんですから」
武の友人である昌幸は、顔を歪めながら今の攻防を見ていた。武は少し不用意にショック・フロウを発動させたが、それを差し引いても初撃がE級などありえない。
「飛鳥はそんなことはしません。むしろなめてるのは、先輩達の方じゃないですか。新入生だからっていう理由だけで相手にもしなかったんですから」
「そうかもしれないけど……それとこれとは別問題だ」
そう言いながら昌幸は、真桜を一瞥すると武へと視線を戻した。ここも一触即発状態ではあるが、昌幸が真桜にケンカを売るような真似はしないだろう。逆ならあり得るが。
「クリムゾン・バレット!」
「スプリング・ヴェール」
武の放った火性C級攻撃系術式クリムゾン・バレットを、飛鳥は水性C級防御系術式スプリング・ヴェールで無効化した。先程のショック・フロウとは違い、今度は正面から無効化されたことに驚いた武に対して、飛鳥が攻撃に移った。その瞬間、先程の圧力がさらに増したように感じられた。
「ストリーム・ウィップ!」
「うおっ!クリスタル・スフィアッ!」
「クリスタル・スフィア?光属性すら無効化できるC級高位の土属性の防御系……。あんな高等術式を使えたとは……」
「センスありますからね、あいつは。って、嘘だろ!?」
「クリスタル・スフィアを……突き破った?」
翔、恭子、相田、昌幸の四人は驚いていた。信じられないといった表情をしている。しかし真桜とさつきは驚くどころか当然といった顔でそれを見ている。
水属性は土属性に対して相性が悪い。土は水を堰き止める、という相克関係があるからだ。しかも飛鳥が使用したストリーム・ウィップはD級、武のクリスタル・スフィアはC級の中でも上位に位置する防御術式だ。普通ならば飛鳥のストリーム・ウィップはクリスタル・スフィアに無効化され、飛鳥も多少のダメージを負うはずだった。しかし今、自分達の目の前では、水属性のD級術式がB級にすら匹敵する土属性のC級防御術式を突破していた。
武は再び驚愕した。鞭と化したストリーム・ウィップをどう避けたのか、自分でも覚えていない。同時に目の前の下級生が、とてつもなく大きく見えた。ゆっくりと、しかし確実に試合開始と同時に芽生えた感情が、急激に成長を始めている。恐怖、あるいは畏怖といった感情が。
逡巡していた時間は一瞬だったが、武にはとてつもなく長い時間に感じられた。そしてついには恐怖に耐えきれず、武は切り札としている術式の言霊を呟いてしまった。
「エ、エア・ヴォルテックス!?B級の風属性高位術式じゃないか!」
「武!それはやりすぎだ!!」
「止めるわよ、さつき!」
恭子も翔も相田も、そして昌幸も、まさかのB級術式発動に焦っていた。四人は武を止めるために、急いで自分の刻印具を起動させた。
しかしさつきは無言でそれを制した。
「大丈夫よ。まさかエア・ヴォルテックスを使えるとは思わなかったけど、あの程度でどうにかなるような奴じゃないわ」
「何言ってんですか!A級にすら匹敵する殺傷力を持つ術式なんですよ!もう勝ち負けの問題じゃない!あいつの命がかかってるんですよ!」
昌幸の言う通り、エア・ヴォルテックスは対象周囲の空気を操る風性B級広域干渉系術式と呼ばれ、酸素を減少させて窒息させたり、逆に酸素濃度を上げて酸素酔いを起こさせたり、二酸化炭素を一酸化炭素に分子変換したりすることも難しくはない。
確かにエア・ヴォルテックスの難易度は高い。だが干渉力はそれほど高くもなく、効力の調整も比較的容易であるためにB級に分類されているだけであり、殺傷力の面ではA級に匹敵どころか、ある意味では上回る。それほどまでに危険な戦闘用術式だった。
ところが真桜もさつきも心配していないどころか、止めようとすらしていない。B級術式の使用は反則とさつき自身が説明したにも関わらずにだ。だがその理由も、すぐにわかることとなる。
「ご心配には及びませんよ、先輩。ほら」
「え?なっ!」
「光の膜?まさか、オーロラ・シェード?」
光性C級防御系術式オーロラ・シェード。B級、術者の力量によってはA級術式すら無効化することができる高位防御術式だ。自分達も初めて見た。一流の刻印術師でさえ、光属性を自在に扱える者は少ないのだから、高校生レベルではまずお目にかかれない。しかし一番驚いていたのは、パニックになり怯えてしまっていたとはいえエア・ヴォルテックスを発動してしまった武だった。
飛鳥は武がエア・ヴォルテックスを使ったことも意に介さず、風性D級攻撃系術式ガスト・テイルを発動させた。
「武!」
昌幸が武へ駆け寄っていった。一瞬しか効果がないとはいえ、瞬間最大風速五十メートルの突風を無防備で浴び、壁に叩きつけられた武は気を失った。
「勝負あり、ね。でも……」
「飛鳥!やりすぎよ!」
「わ、悪い!すいません、先輩!大丈夫ですか!?」
確かにやり過ぎだろう。自分の目で見ても、明らかに武は錯乱していた。そんな相手にガスト・テイルを使えばどうなるか、それほど難しい問題でもない。
「動かさないで!無理に動かさないで、安静にさせるんだ」
「は、はい!」
相田と昌幸はゆっくりと武を動かし、床に寝かせた。
「どうだ、相田?」
「見た限りじゃ、軽い脳震盪ってところかな。じきに目が覚めると思うよ」
「そうですか……」
ほっとした溜息をついたのは昌幸だった。
「しかしまさか、オーロラ・シェードを見られるとはな……」
誰にともなく、翔が呟いた。
「私、あんな術式があるなんて知らなかったわよ」
「僕もだよ。光属性っていったら、フラッシュやシャイン、イルミネイトぐらいしか出てこない」
恭子と相田がそう答えるのも無理はない。光、そして闇系属性は難易度が高く、扱いも難しい。相田のあげたフラッシュ、シャイン、イルミネイトは刻印具にも組み込まれているために、知らない方がおかしな光属性術式だが、逆にそれ以外の、特に戦闘用術式に関しては、軍や警察レベルでさえも実戦レベルで使いこなす者は少ない。
「昌幸、あんたはどう思う?」
「武がこんなにあっさり負けるなんて、思ってませんでしたよ。マジで驚きました」
彼も飛鳥をあなどっていたことを素直に認めた。認めざるを得ない実力を見せ付けられた、と言った方が正確だろう。だが渋々と、というわけではなく、むしろ感心していた。
「うう……」
「武、気が付いたか」
どうやら武が目を覚ましたようだ。相田の見立て通り、脳震盪を起こしていただけのようだ。
「あ……はい。そうか、俺……。三上だったな、わりぃ……」
何が起きたのか理解するために少し時間がかかった。それも当然だが全てを理解した瞬間、武はいきなり飛鳥に謝罪した。自分が飛鳥を見くびっていたこと、禁止されていた術式を使ってしまったことを。
「いえ、こちらこそ、すいませんでした」
だが飛鳥もそれは似たようなものだ。
「なんでお前が謝るんだよ。俺は禁止されているB級を使っちまったんだ。いくら混乱しちまってたからって、絶対にやっちゃいけねえことをやっちまったんだぞ」
「最後のガスト・テイルは、俺の判断ミスですから」
「規定内の術式だし、酒井君も大丈夫みたいだから、それは君が気にすることじゃないよ」
このまま謝罪合戦(?)に発展しそうな二人を止めたのは相田だった。飛鳥は当然、武にも大きなダメージはなさそうだと判断したから、口を挟んでいた。
「ですが……」
だが飛鳥は、そう思わなかった。最後のガスト・テイルは、確かに加減した。だが武は完全な無防備だった。目立った外傷はないかもしれないが、派手に頭を打ったのも事実だ。
「飛鳥、今日の所は帰りなさい。あなたも少し混乱しているし、今日の所はあたしがやっとくわ」
そんな飛鳥の心情を理解していたさつきは、飛鳥を落ち着かせるためにあえてきつく、厳しい言葉をかけた。
「……わかりました。失礼します」
「あ、待ってよ、飛鳥。すいません、先輩。失礼します」
刻錬場を出ていった飛鳥を、慌てて真桜が追いかけた。
「まったく、あの子の悪い癖だわ」
さつきは溜息をついた。試合であれ戦いになれば、飛鳥は決して手を抜かない。自らが定めた、自らに課した、自らが施した封印があっても、その時に出来得る限りで。その結果がこれだ。
「武、お前、大丈夫なのか?」
頭を押さえて座り込んでいた武に、昌幸が声をかけた。
「ああ。まさかあんなにあっさり負けるとは思ってなかったぜ。姐さん、もしかしてあいつ、刻印術師なんスか?」
「なんでそう思うの?」
武がそう思うのも無理はないとさつきは思った。それを証明するかのように、武は口を開いた。
「あいつと戦ってた時、俺は怖かった。クリスタル・スフィアを破られたことなんかじゃなくて……試合中ずっと感じてた、底知れない“何か”が……。とてつもない化け物が、あいつの中に潜んでいる……そんな感じがしたんスよ……」
「底知れない“何か”?もしかして酒井君、その“何か”に怯えて、エア・ヴォルテックスを使っちゃったの?」
「意識してってわけじゃないスけど、結果的には」
まだ未熟だが、武は刻印術師に匹敵する実力がある。センスもいいし、才能もある。おそらくその才能が、直接対峙したことによって飛鳥の秘められた力に気付いてしまったのだろう。“何か”の正体を知っているさつきでさえ、飛鳥や真桜と対峙すると、底知れない圧力に押し潰されそうになる。何も知らない武が恐怖を感じても不思議はないと思う。
「隠しても仕方ないか。だけど公にするわけにもいかないから黙っててよね」
「じゃあやっぱり……」
「ええ。あの二人は刻印術師よ。それも、あたしなんかが足下にも及ばないハイレベルのね」
「だからさつきの知り合いだったんだ」
「ええ。ウチとあの子達の家は、家族同然の付き合いだから」
「だけど委員長だって、同世代の中じゃかなり上のランクだったはずじゃ?」
「ああ。立花は少なくとも未成年の中じゃ、トップクラスの術師だ。確かに三上君も優れていると感じたが、そこまで大袈裟なものじゃないと俺も思うが?」
昌幸の言葉を翔が捕捉した。確かにさつきはハイレベルの刻印術師だ。飛鳥、真桜と一緒に修行もしていたし、実戦も経験している。同世代では間違いなく、五指に入る実力を持っているだろう。日本刻印術連盟がが保有しているパーソナル・データも、それを裏付けている。翔は刻印術師ではないが、JFS―ジャパン・フューチャリング・シールズという刻印具製造メーカーの重役を父に持ち、自身も既に開発に携わっている。だからさつきが、そこまで言い切ることが理解できなかった。
だがさつきは本心から思っている。いや、知っている。自分が飛鳥と真桜の足下にも及ばないということを。
「あの子達の本気を見たら、そんなこと言えなくなるわよ。さて、それじゃさっそく、飛鳥の加入手続きをしなきゃ。武、昌幸。明日からしばらくは、飛鳥の面倒見てやってね」
「わかりました」
「了解と言いたいとこですけど、今日の明日でそれは勘弁してくださいよ」
「確かに酒井君は、明日は検査でしょうね」
「マジスか……」
「あれだけ派手に頭打ったんだから、それも当然だろ」
「というか、もう予約は入れてあるよ。はい、これ。めんどくさがったりせず、ちゃんと行くんだよ」
「かったりぃ~……」
相田から転送された検査予約表を見ながら、武は心からそう思った。
――PM18:03 源神社 母屋 居間――
「飛鳥、大丈夫?」
「大丈夫っちゃ大丈夫だけど、やっぱりな……」
「飛鳥の悪い癖だもんね。でも私は、あれで良かったんじゃないかなって思ってるよ」
「良かった?あれだけ派手にやらかしといてか?」
飛鳥にとっても真桜にとっても、武が禁止されているB級術式エア・ヴォルテックスを使ってきたことは大した問題ではなかった。問題なのは飛鳥がやり過ぎてしまったことの方だ。見た限りでは大事には至らなかったようだが、頭を強く打っていた以上、後遺症が出ないとも限らない。本意ではない試合だったとはいえ、最初は見くびられていたとはいえ、後から考えればどちらも大した問題ではなかったのだ。
だが真桜は、そんな飛鳥を気遣ったわけではない。まったくないわけではないが、飛鳥は実力を見せた。それがあの試合の意味だったのだから。
「飛鳥が手を抜いて戦ってたら、勝っても負けても問題になっただろうけど、本気で戦ったじゃない。だから先輩達も、最後は認めてくれたんだよ。多分、酒井先輩も。だから大丈夫だよ」
「ありがとう、真桜」
飛鳥は真桜の肩を抱き、真桜も飛鳥の肩に頭を乗せて寄り添い合った。