4・使命
――西暦2097年1月12日(日)正午 東京発大阪行きリニア・トレイン内――
星龍が鎌倉に上陸してから五日、刻印管理局は星龍の証言を信じるに足るものと判断し、刻印術連盟へ向かうことを許可した。連盟代表に直接伝えなければならないということだけは聞き出せなかったが、それ以外は全て話した。刻印具も簡単に調査されたが、特に不審な点も見当たらない。その件については管理局局長自らが星龍に謝罪までしている。
そして今日、星龍はようやく刻印術連盟へ向かうことを許可された。だが一人ではない。同行者は飛鳥、真桜、雅人、さつき、そして管理局局長 上杉 竜一中将、雅人の直接の上司にあたる伊達 一馬中佐だ。
「上杉さんと伊達さんが同行されるなんて、思ってませんでしたよ。管理局はいいんですか?」
「彼は我が国だけではなく、中華連合や香港の命運をも握っているからな。管理局としても彼の護衛は最優先だ」
「本来ならば君達の手を借りるつもりはなかったんだが、そういった事情で同行してもらうことにした。君達と久世准尉がいれば、よほどのことがあっても彼を守ることができるだろうからな」
飛鳥と真桜は、夏休みに雅人から上杉と伊達を紹介された。既にさつきは面識があったらしいが、その時は驚いた。伊達はともかく、上杉とは春に会っていたからだ。あのときは自分達より雅人とさつきの婚約披露の意味合いが強かった。だから少し話した程度で、上杉が管理局局長だとは知らなかった。だが上杉と伊達は飛鳥と真桜を知っていた。既に一斗から管理局に二人の情報が渡されていたこともあるが、前代表 香川保奈美から聞かされていたという事情もある。それを差し引いても、日本の切り札ともなり得る二人の身辺調査、及び警護を怠るなど、ありえない。雅人は現在もその任に就いている。
そして今回、事の重大さを理解した上杉は、雅人だけではなく飛鳥、真桜、さつきにも協力を要請した。三人とも既に一流の術師であり、融合型、及び複数属性特化型の刻印宝具生成者でもある。並の術師や生成者が束になってもどうすることもできないであろう戦力を集めることで、星龍の護衛を鉄壁のものにするためだ。上杉も伊達も一流の刻印術師であり、刻印宝具も生成できる。過激派が相手ならば部下達に任せておくこともできる。
だが相手は過激派だけではなく、中華連合もだ。星龍の情報は念入りにガードしているが、それでも絶対と断言することはできないし、してはならない。過信は慢心につながる。それによって自己を滅ぼすことも、よくあることだからだ。過激派も中華連合強硬派も、目的のためならば手段を選ばない。ゆえに星龍を暗殺するために、どのような手を使ってくるか想像もできない。だからこその布陣だった。
「でも私達も一緒でいいんですか?理由は理解できますけど、私達軍属じゃありませんよ?」
「わかってるさ。それでも君達に協力を要請する必要があった。正直に言えば、リニア・トレインじゃなく車で向かいたかったところだ。だがそんな時間はとれなかったからな」
「学校がありますからね。というかあたし、来月受験なんですけど?」
「戦前じゃあるまいし、今時入試で落とされる学生なんて聞いたことないぞ」
さつきのセリフを、伊達が笑って返した。
「それでも不安になるものですよ」
「卒業と同時に結婚するのにか?」
「それとこれとは別です。もし落ちたら、責任とってもらいますからね」
「怖い怖い。ところで王君。リニア・トレインの乗り心地はどうだね?」
「素晴らしい列車ですね。乗り心地もいいし、ほとんど揺れも感じない。中華連合にはここまでの列車はありませんから」
「鉄道技術は我が国の自慢の一つだからな」
「確か前身が新幹線とよばれる列車で、一度も死亡事故を起こしていないのでしたね」
「本当に詳しいな、君は」
「ごめんなさい、私、それ知りませんでした……」
「同じく……。有名だったことぐらいしか……」
飛鳥と真桜は肩身が狭い思いだ。自国の鉄道技術が優れていることは知っていたが、そこまでのものだとは考えたこともなかった。
「逆に日本人ではないから、そこまで興味を持つことができるのだろう。私も自分の国の歴史や技術で知らないことは多いよ」
「意外とそんなものだろうな。飛鳥、真桜ちゃん、そこまで気にしなくてもいいよ」
「ところで局長。代表は何と?」
「王君の情報に興味を持っている。直接伝えなければならない、というセリフに興味を持ったようだからな。今頃は首を長くして待っていることだろう」
「……そういう人ですよね」
「今回は何もしないって信じたいよね……」
「……不安を煽るのはやめてくれないかね」
上杉も伊達も、一斗の人となりはよく知っている。さすがに年上の上杉は無茶をされたことはないが、伊達は年下ということもあり、何度か被害を受けている。雅人に至っては言わずもがなだ。だから伊達のセリフには実感がこもっていた。
――PM2:00 京都 刻印術連盟 執務室――
幸い、襲撃者はいなかった。無事に連盟本部へ辿り着いた一行は、すぐに執務室へ通された。
「待っていたぞ、マイ・ドーター!」
だが開口一番のセリフがこれでは、来たことを後悔するしかない。飛鳥は間髪いれずに拳をねじ込んだ。だがその拳は虚しく宙を切った。
「飛鳥!元気そうでよかったわぁ!事件に巻き込まれたって聞いてたから、心配してたのよぉっ!」
その拳を受け流しつつ、飛鳥に抱きついたのは菜穂だった。
「は、離れろ!離れろよ、母さん!!」
「お父さん!いい加減にして!」
真桜も一斗に抱きつかれている。必死で引き離そうとするが、力が強くて振りほどけない。
「さつきちゃん!雅人君も元気そうでよかったわ!それで式はいつなの?」
「……叔母様、いい加減に話を進めさせてもらえません?叔父様も」
「……局長、この二人を連れてきたこと、失敗じゃありませんか?」
「……言うな。私もそう思ったところだ」
呆気にとられていたのは星龍だ。連盟本部のある護刻院神社に足を踏み入れた時から緊張していた。ようやく任務が果たせると思った。だがその緊張も一気に吹き飛んだ。
「まったく、飛鳥も真桜も連れないな。それで上杉局長。彼が?」
「そうだ」
「中華連合陸挺軍中尉、王星龍です」
上杉は一斗に詳細を伝えていない。情報が漏洩することを恐れたのだ。
「なるほど。局長が詳細を伏せていた理由はこれですか。納得できました」
「ここに招いたということは、穏健派の方ですね。どうりで」
「さすがにお見通しでしたか。過激派から彼の身を守るためには、必要なことでしたのでね」
「当然でしょうね。でもまずは座りましょう。お茶も必要でしょうから」
今更ながらに執務室に入ったばかりだということを思い出した。菜穂がお茶の用意をするために一度退席し、同時に全員が席についた。しばらくして菜穂がお茶を運んでくると、ようやく話が進み始めた。
「ところで局長、何故彼をここに?」
「彼に与えられた任務だそうだ。他のことは話してくれたが、代表に伝えなければならない情報だけはどうしても話してくれなかった」
「彼は鎌倉、材木座海岸に上陸し、その後我々刻印管理局が尋問させてもらいましたが、彼に敵意がないことがわかり、今日こうして、この場にお連れさせていただきました」
上杉の話を、伊達が捕捉した。
「それで飛鳥達を護衛に、というわけですな。確かに妥当な人選です。では王君、だったね。私に話とは?」
「待ちなさいよ、一斗さん。まだ自己紹介が終わってないわよ」
「おお、そうだった。これは失礼した。私が日本刻印術連盟代表、三上一斗だ」
「私は三上菜穂。一応この人とは夫婦をやってるわ。それからあなたを護衛してくれた飛鳥と真桜は、私達の子供よ」
「そ、そうだったのですか……。ご子息、ご息女にまでお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「い、いえ!そんなこと、気にしないでください」
「そうですよ。どうせ放っておいても、この子達の方から首を突っ込んでくるんだから」
逆に恐縮してしまった真桜だが、菜穂のどっちを援護しているのかわからないセリフには、さすがに納得がいかない。
「母さん、俺達はそこまで馬鹿じゃないぞ」
飛鳥も同様で、すかさず菜穂に言い返す。
「どの口が言うのかしらね。春からいったい、どれだけの事件に巻き込まれたと思ってるのよ」
しかし菜穂の方が一枚上手だ。巻き込まれたというより、自ら進んで事件に突撃したと言っても過言ではないのだから、さすがに二の句を継げない。
「叔母様、その話はあとでゆっくりしてください。今は……」
さつきが呆れながらも止めに入る。さっきからまったく話が進まないのだから、それも当然だ。
「いけずねえ」
「いけずでも何でもないだろ。何のためにここまで来たと思ってんだよ……」
「三上代表……その話はあとでゆっくりしてもらえないか?」
上杉もさすがに口を挟んだ。噂には聞いていたが、正直ここまでとは思ってなかった。このままでは日が暮れるどころか、夜が明ける。
「仕方ありませんな。それで私に直接話したいこととは?」
「え?ええ。ご存知だと思いますが、現在の中華連合政府は、いわゆる強硬派と呼ばれる勢力です。ですがその強硬派は、日本軍とつながっているのです」
さっきから圧倒されっぱなしだが、星龍はここにきた理由を忘れてはいない。一瞬忘れかけたが、それは考えない。考えたら負けだ。だから即座に本題を切り出した。
「何っ!?」
「日本軍とだと?」
だが星龍の一言に、上杉と伊達は驚きをあらわにしている。飛鳥も真桜もだ。
「はい。私も正確に把握しているわけではありませんが、パイプとなっている人間は判明しています。名は南徳光」
「南徳光ですって!?」
「ならば中華連合とつながっているのは過激派か!」
雅人とさつきは、星龍が刻印術師部隊との接触を恐れていたことを思い出した。だから過激派、特に刻印銃装大隊が関係しているだろうことは予想できた。だがさすがに、南徳光の名が出てくるとは思っていなかった。
「なるほど。過激派の目的を達成するためには、中華連合強硬派に便乗するのが手っ取り早い。南の考えそうなことだ」
さすがに一斗も驚いている。同時に過激派の目的も理解できた。むしろ全てに合点がいった。星龍が連盟代表に直接伝えなければならない、という星龍の言葉も納得だ。
「そうね。証人も手に入ったことだし、これで安心して粛清できるわね」
「ああ。さっそく手配しよう。雅人君、君にも手伝ってもらうぞ」
そして同時に、南と宮部を含む、過激派を粛清する理由ができた。裏付けは必要だが、事実ならば言い逃れはできない。
「喜んで」
一斗に指名された雅人は、躊躇わずに引き受けた。親友の仇を討つ機会がようやく訪れたのだから、断る理由などない。
「あたしはいいんですか?」
「だってさつきちゃん、受験生じゃない。こんなことで人生を棒に振ることもないわ」
さつきも兄の仇を討ちたかった。とはいえさつきは受験生だ。落ちることなど考えにくいが、過激派ごときのために、これからの人生を棒に振る必要など一切ない。そんなことを勇輝は望まない。菜穂はそう言っている。だからさつきは、渋々と引き下がるしかなかった。
「やはり白将軍の仰ることは正しかった……。これで私の任務も無事に果たせた……」
星龍の任務は日本刻印術連盟へメッセージを届けることだ。そして今、自分達の知っている全てを伝えた。ようやく任務を果たせた。星龍は心の底から安堵の溜息を吐いた。
「白将軍とは、中華連合穏健派の白 林虎将軍のことかな?」
「ご存知なのですか?」
「世界刻印術総会談の席で何度かお会いしている。そうか、だから私のところに行けと言われたのか」
白林虎は中華連合の刻印術師代表として、昨年スイス、ジュネーブで開催された世界刻印術総会談に出席していた。一斗もその時に会っている。穏健派と言われる派閥に属する林虎は、日本や香港、ロシア、アジア共和連合、そしてA.S.E.A.N.との融和を望んでいる。対立など百害あって一利なし、とも言っていた。特に犬猿の仲と言われているアジア共和連合、インド代表とは何度も会談していた。インド代表も中華連合代表が自国との共存を図っていることを歓迎し、それに応えていた。日本代表である一斗も、香港代表と共に会見したことがある。だから林虎の言質は信用に足ると判断していた。
「親父、知ってたんなら、なんでその時に動かなかったんだよ?」
「世界刻印術総会談は毎年七月に開催される。その時はまだ中華連合との繋がりはわかってなかったからな。こちらとしても動きようがない」
もっともな話だ。繋がりがわかっていれば、既に粛清は終わっている。それほど上手く、過激派は立ち回っていた。
「白将軍も、その時は特に不審には思われていなかったようです。強硬派と南という日本人の繋がりも、直接ではなかったようなので」
「そうだろうな。南はここ数年、日本から出国していない。自分が監視されていることは知っているから、そんな愚を犯すとも思えん。間に誰かがいるのは間違いないだろうな」
「だけどどうすんだよ?その誰かがわからなきゃ、どうしようもないだろ?」
「見当はついている。だがそれは私達が何とかするから、お前達は学業に専念しなさい」
「お父さんの口からそんな言葉が出てくるなんて……」
「明日は嵐か?それとも大雪か?」
「帰れなくなっちゃうじゃない。期末近いのに、それは困るわよ」
「俺も留年なんてしたくないですよ」
高校生三人組がとても嫌そう……いや、迷惑そうな顔をしている。今まで一斗から学業の話など一度も出たことがない。さすがに刻印術、刻印学の話はよく出たが、学校の成績など気にしたこともない。特に飛鳥は、昔は勉強が嫌いだった。今でこそ真桜や大河、美花がいるからそれなりの成績をキープしているが、大河と出会う前は自主的に勉強したことなど一度もない。そして一斗も、それを注意したことなどない。真桜もさつきも、そして雅人もそのことをよく知っている。だからとてもとても不安になっていた。
「……君達が私のことをどう思っているのか、よ~くわかった。リクエストにお応えしようか?」
「したらぶっ殺す!」
「言うようになったな、飛鳥。少しは腕を上げたんだろうな?」
「地獄で後悔させてやろうか?」
まさにいつも通りの親子喧嘩。夫婦喧嘩は犬も食わぬ、と言うが、果たして親子喧嘩は何というのだろうか。などとどうでもいいことをこの場の全員が考えても、誰も文句は言わないだろう。
「止めなさいっての。星龍さん、どうしていいのかわからないって顔してるわよ」
この場で状況を理解できていないのは星龍だけだった。それも当然で、いきなり目の前で親子喧嘩が繰り広げられたら、さすがにどうしていいのかわからないだろう。しかもほとんど言い掛かり……ではないだろうが、それに近いレベルだ。
「ごめんなさい、星龍さん!いつものことですから、気にしないでください」
「え?あ、ああ……」
だが真桜は、父と兄――婚約者――が大事な客の前で喧嘩を繰り広げる姿など、恥ずかしくて仕方がない。顔は既に真っ赤で、目の端には涙を滲ませながら、星龍に平謝りだ。星龍が前言を撤回しようかと考えても、誰も責められまい。
「申し訳ありません、局長、中佐……」
それは雅人も同様で、自分は見慣れているが管理局のトップと上司の前でいきなり喧嘩が始まれば、謝るしかない。
「過激な親子だな……」
だが上杉も伊達も、呆れながらも笑っていた。刻印術は予想外、想定外、常識外の現象を起こすことも珍しくない。そのため術師には、常に冷静な行動力と判断力が求められている。上杉も伊達も一流の刻印術師だ。しかも伊達は体験者でもある。いちいち動じていても仕方がないと考えただけのことだった。




