3・風紀委員会
――西暦2096年4月19日(木)AM8:10 明星高校 校門――
「飛鳥!真桜!」
翌日、登校した二人に、ミドル・ボブの活発そうな少女が声をかけてきた。
「さつきさん、おはようございます」
「おはようじゃないでしょ。入学してから一度も挨拶にこないし、あたしのこと忘れちゃったのかと思ってたわよ?」
少女の名は立花 さつき。刻印術師の家系であり三上家とも親交が深いため、二人とは本当の兄弟のように育った、いわゆる幼馴染である。この明星高校に通っていることも当然知っていたし、なにより先月から入学式直前までの京都滞在には、途中までさつきも同行していた。
「だってさつきさん、風紀委員会の委員長なんでしょう?忙しいだろうと思ってたから、行きにくかったんですよ」
「そんなに気を使うような仲じゃないでしょ。お姉さん、悲しいよ?」
「だからお姉さんはやめて下さいって」
飛鳥が露骨に嫌そうな顔をする。
「なんで?あたしにとっちゃ、あんた達は弟や妹みたいなものよ?別にそれくらいいいじゃない」
「いや、だって……」
「ねえ……」
確かにさつきは、飛鳥と真桜にとって姉と言ってもいい存在だ。昔はよく遊んだし、面倒も見てもらった。だがこの年になると、逆に恥ずかしくなるものだ。
「兄妹揃って可愛くないわねぇ。昔はお姉ちゃんお姉ちゃんって、よくあたしの後ついて来て可愛かったのに。って飛鳥、何してるのよ?」
「……記憶を消す術式を検索中です」
飛鳥は本気でさつきの記憶を消せないか思案していた。忘れたい過去も封印したい黒歴史も、さつきは全て知っているのだから、そう思う気持ちもわからなくはない。だがしかし。
「ほほう。風紀委員長であるあたしの目の前で、刻印具の不正使用をしようっての?いい度胸じゃない」
そう、さつきは風紀委員長なのだ。記憶を消す術式は存在することは存在する。しかし医療目的でさえも厳しい制限が課せられており、当然ながら一般での使用は禁止されている。刻印術師だろうとそうでなかろうと、片手の指では足りないほどの法律、条例違反によって殺人未遂に該当する量刑を科せられることとなる。不正使用云々以前の問題であり、それを見逃す理由は一切ない。
さつきは首に提げていたホイッスル型の刻印具を起動させるために、思いっ切り息を吸い込み、間髪いれずに息を吹き込んだ。
「さつきさん、今のは……」
音は響かなかった。どうやら音ではなく印子によって報せるタイプのようだ。真桜はそんなどうでもいいことを考えてしまった。だがその考えはすぐに中断された。いつの間にか自分達の周囲を、多数の生徒が取り囲んでいたのだ。
「げっ!」
「ふ、風紀委員!?なんで、こんなにいっぱい!?」
風紀委員は明星高校でも刻印具の扱いに長けた生徒達であり、中には刻印術師もいる。予想外や想定外のトラブルに対応するために、二人一組で行動することを義務付けられているが、それは別におかしなことではないし、むしろ当然のことだ。
明星高校はネクタイの色で学年が判別できる。緑が3年生、赤が2年生、そして青が1年生。現れた風紀委員のネクタイの色は緑だったので、全員が3年生だ。さつきだけは白のストライプが入ったネクタイをしているが、それは生徒会役員の印だったと記憶している。
今この場には、総勢五名の風紀委員がいる。偶然とは考えにくい。とすればまさか……
「あんた達の行動パターンなんて、お見通しなのよ。二人共、って言いたいところだけど、刻印具をいじってたのは飛鳥だけだから、真桜は見逃してあげるわ。みんな、そいつを確保!」
「了解!」
「やばい!逃げるぞ、真桜!」
「無理だってば。ここは諦めて連行されなよ」
「白状だぞ!うわっ!は、放して下さい!」
逃げることもままならず、あっさりと飛鳥は確保され、そのまま風紀委員会室へ連行されてしまった。
「それじゃ真桜、また後でね~」
さつきは満足した顔でそれを見送り、眩しい笑顔を真桜に向けた。
「飛鳥に変なことしないで下さいよ」
「わかってるって。あたしだって命は惜しいからね。それじゃね」
さつきも退散し、一人取り残された格好になった真桜は、ふとある考えに思い至った。
「……もしかして私、見逃してもらったの?」
――AM8:16 明星高校 風紀委員会室――
「……」
「飛鳥」
「……」
「飛鳥ってば!」
「……」
無抵抗のまま風紀委員会室へ連行された飛鳥は、足を組み、肘をつき、右手の甲に顎を乗せ、不満げな顔を惜しみなく晒していた。
「まったく、いつまでむくれてるのよ。いつまで経っても子供なんだから」
だが、さすがにこれは聞き捨てならない。
「誰のせいですか、誰の!」
「刻印具の不正使用しようとしたのは誰よ。あたしからしたら当然の行動よ」
確かに記憶を消す刻印術の不正使用は違法だが、飛鳥が本気でそんなものを使うとは、さつきは思っていない。だがとてもいい口実になったと思っていたから、少し機嫌がいい。
「だからって数の暴力に訴えなくてもいいでしょうが!」
対して飛鳥は、わけもわからず、いきなり多人数に襲いかかられたのだから、とてつもなく機嫌が悪い。
「あんた相手に、少数でどうにかなるわけないでしょ」
「買い被り過ぎですよ。それで、こんな朝っぱらから、何か用ですか?」
買い被りかどうかはともかくとしても、朝っぱらからこんなことをしでかしたのだから、何か用があるのだろう。
「用って言うか、あんた達を風紀委員会に推薦しようとしてただけよ。こんな大事になったのはあんたの自業自得」
「自業自得って……って風紀委員に推薦!?なんで!?」
いきなり投下された爆弾発言に、飛鳥は椅子からひっくり返りそうになった。
「なんでって、あんた達だからよ。それのどこに問題があるの?」
まさかの質問返し。しかも理由が飛鳥達だからとは、意味不明、理解不能にも程がある。
「大アリです!だいたい入学したばっかの俺達を推薦するなんて、問題以外の何物でもないでしょ!」
「前例は覆すためにあるのよ。要は実力があればいいわけだから」
「つまり前例なんかないんでしょう!だいたい風紀委員って実力重視でしょ!いきなり実力もわからない新入生なんか入れたら、あちこちで問題が起きるに決まってるじゃないですか!」
確かに驚いたが、本音ではここまで拒否しているわけではない。たださつきの思い通りになるのがイヤなだけなのだ。さつきからしてみれば、そんなものはすぐに見抜けるし、なだめるのも難しくはない。
だがこの件に関しては、さつきの力押しでどうにかなる問題でもない。だがらさつきは、真面目な顔になり、真面目な話を始めた。
「あのね飛鳥、あんたや真桜の実力が人並外れてるのは、あたしが一番よく知ってるのよ。さっきだってあんたがその気になれば、逃げるのは難しくなかったでしょ」
「それは……」
さつきの言う通り、逃げるだけならば難しくはない、というか簡単だった。あえて全滅させて問題児の称号を得るのも悪くはなかったかも知れない。だがさつきには、飛鳥が強硬手段に訴えることはないという確信もあった。伊達に長年姉――のようなもの――をやっているわけではない。その程度のことはすぐにわかるぐらいの付き合いだ。
確かに飛鳥は強い。同世代だけではなく、世界中の刻印術師の中でも、既に上位の実力を持っているだろう。今のさつきでは、どうあがいても飛鳥に勝つことは出来ない。何故なら飛鳥には――正確には飛鳥と真桜には、世界有数と言っても過言ではない奥の手があるのだから。
「穏便に事を済ませようとしてくれて助かったのはこっちの方。あんたの言う通り、確かに問題は起きる。だけどそれは、解決していけばいいだけの話じゃない。あんたにはその義務もある。違う?」
「違いませんが……だからって大っぴらにするわけには……」
前例がないから問題が起きるわけだが、最初というのはそんなものだ。飛鳥にとっては、昔からそんなことの繰り返しだ。さつきもよく知っている。
「それもわかってる。何度も言うけど、あんたの実力を見せればいいのよ。宝具じゃなく、刻印具でね。当然持ってるんでしょ。超改造したパーソナル・モデルを」
「つまりあれですか。それを使って、風紀委員の誰かと試合しろと」
飛鳥にもさつきが何を考えているのか、よくわかった。確かにそれが一番手っ取り早い。もっとも、飛鳥としては納得しているわけではないが。
「時間も場所も相手も、もう決まってるわよ」
「いつの間に!?というか俺の意思は!?」
その表現がこれほどハマる状況もそうそうないだろう。自分の与り知らぬ所で、しかも明星高校屈指の猛者揃いの間で議題に上がっていたなど、夢にも思わなかった。
「あるわけないじゃない。さっきの刻印具不正使用の件、これでチャラになるんだから安いもんでしょ」
「……わかりましたよ」
退路は最初から塞がれていた。いや、存在すらしていなかった。飛鳥には頷くことしかできなかった。




