1・中華連合
――西暦2096年12月4日(火)放課後 明星高校 風紀委員会室――
「わっかんねぇぇぇぇぇっ!」
風紀委員会室に大河の絶叫が響いた。
「うるせえぞ、佐倉!何叫んでやがんだ!」
「明日の試験で納得できないとこがあるから、ついに暴発しただけですよ」
良平の文句に、飛鳥が丁寧に答えた。今明星高校は、期末試験の真っ最中だ。
「だからって叫ぶことないじゃない。何がわからないのよ?」
親切に声をかけてくれたのはまどかだった。
「これッス。第三次大戦の原因となった事件」
意外にも大河は成績優秀者だ。一学期の試験でも、学年総合7位だった。飛鳥の成績も悪くはないが、大河にはどうしても勝てない。そんな飛鳥が唯一大河に勝てる教科が歴史だった。
「チベットと香港の独立運動でしょ。どっちも当時の中華連合に叛旗を翻したって言われてるけど、それにいろんな国が同調して、そこから泥沼の戦争が始まった。それのどこが納得いかないの?」
「だって結局、チベットは独立に失敗したじゃないスか。それもけっこう早く鎮圧されちまってるし。いくら当時の政府に反感があったからって、なんでこんな無謀なことしたのかが全然理解できないんスよ」
「そう言われてもねぇ……。そんなの当事者じゃなきゃ、正確にはわからないわよ。確か記録は全部抹消されちゃってたはずだし」
「それです!きっと何か裏があったはずなんスよ!だから香港は独立に成功して、チベットは失敗した!だからこの独立運動は、当時の中華連合が仕組んだ自作自演だって思うんですよ!」
「そ、そう……。そういう可能性も、あるかも、ね……」
大河が自説を力説している。飛鳥にとってはいつものことだが、慣れないまどかが引いてしまうのも当然だ。こんなことだから歴史だけはいつも赤点ギリギリで、場合によっては追試を受けることになるのだ。
「森先輩、ほっといていいですよ。こいつ、頭いいくせに、自分が納得できないからって理由で、いつも歴史はボロボロなんですから」
「……すごい納得できるわね」
盛大な溜息を吐いたまどかは、かつてなく飛鳥に共感を抱いていた。
「でも佐倉君の言うことももっともなのよね」
「委員長?」
飛鳥にとってはまったく予期せぬ来客だった。野生の勘が逃げろと伝えている。
「記録は全て抹消されたって言われてるけど、本当に全部抹消することなんか不可能に近いわ。当時だってインターネットで世界中がつながってたんだから、ネット上に記録が残ってることだってあるはずだし、誰かがコピーして持ってる可能性だってあり得るもの」
「あ~……マズいわ、これは……。あのさ、雪乃……」
まどかが警戒心をあらわにした。だが時すでに遅し。自分よりも賛同者の口の方が早かった。
「ですよね、委員長!俺は中華連合が隠してるって思うんですよ」
「いくらなんでもそれは単純すぎるわ。私は香港政府が証拠を握ってて、それを使って独立したんじゃないかって思うの」
「ああ、それもあり得ますね。確か香港って軍事力も経済力も大きくなくて、A.S.E.A.N.でも大した発言権はないのに、中華連合との関係は良好だって話ですもんね。でもそれなら、ロシアって線もあり得ますよ。中華連合がモンゴルを諦めた理由も、それで説明できますから」
「ありね。意外なところじゃそのA.S.E.A.N.っていう可能性だって捨てがたいわ。香港が独立したから勢力を拡大できて、今でもアジア共和連合と小競り合いが続いてるもの。そのアジア共和連合は、中華連合とも仲悪いし」
「始まっちゃった……。これは長いわよ……」
「まさか委員長って……歴史マニア?」
「マニアっていうより、とことん追求するタイプなのよ。雪乃も歴史がダメなんだけど、理由は佐倉君と全く同じでね……」
飛鳥はこんな身近に大河の同士がいるとは思っていなかった。既に二人は周りが見えていない。これではどんな説得も意味をなさないだろう。
「……退散しましょうか」
「異議なし」
良平を置き去りに、飛鳥とまどかは委員会室を後にした。一人残された良平は、後にこう語る。
「あれは地獄でした……。俺には全く興味ない話なのに、二人共熱く語るし、何より目が怖かったんですよ……。反論なんてしようもんなら、鬼の形相で睨みながら理由の説明を求めてくるし……。なんで誰も助けてくれなかったんだよ!!」
――西暦2096年12月10日(月)放課後 明星高校 風紀委員会室――
「元気だせって、大河。そこまで落ち込むことないだろ」
「うるせえ!」
「雪乃だって悪かったわけじゃないでしょ。なんでそんなに機嫌悪いのよ?」
「ほっといて……」
期末試験後最初の月曜日、試験の結果が発表された。明星高校は学年上位二十名の成績優秀者が掲示板で公表されることになっている。2年のトップは生徒会長の護、次いで副会長の優菜と、生徒会のワン・ツー・フィニッシュだ。1年生は真桜のクラスメイトであり優菜と同じ副会長の向井が学年トップだった。だが大河も雪乃も、そんなことはどうでもよかった。
「なんで歴史なんてあるのよ……。必要ないじゃない……」
雪乃のセリフが全てを物語っていた。大河は学年21位(前回7位)、雪乃は学年24位(前回10位)と、一学期に比べて大幅に順位を落としていた。二人とも歴史が赤点と、見事に足を引っ張る形となり、追試という不名誉な試験まで受けなければならないのだから、成績優秀者としては落ち込むしかないだろう。
「それでも上位に食い込んでるのがすげえよな」
「まさか委員長が大河君と同じタイプだったなんて、ちょっと意外かも」
「俺としちゃ、佐倉が成績優秀者だってことが驚きだ。この手のタイプは脳筋って相場が決まってるからな」
身も蓋もないが、もしテンプレートがあるならば、確かに大河は脳筋に分類されるだろう。文武両道というわけではないが、スポーツもある程度はそつなくこなす男だ。
「それを言ったら雪乃はどうなるのよ。勉強の虫?」
「酒井先輩も氷川先輩も、さりげなくひどくないですか?確かに大河は見た目脳筋で、自分が納得できないことはとことんまで追及するバカで、その結果順位まで落とすようなアホですけど、そこまで言うことはないと思いますよ」
「お前が一番ひでえよ」
「傷口抉りすぎでしょ。二人共落ち込んじゃったじゃないの」
大河と雪乃は陰鬱なオーラを身に纏っている。それもかなり強烈だ。近寄り難い雰囲気が醸し出されている。
「どうするのよ、これ。二人共、今日は使いものになんないわよ?」
「飛鳥、責任とりなさいよね」
「俺のせいか、これ?」
「どう見たって飛鳥君のせいでしょ。どうする、遥ちゃん?」
「仕方ない。今日は俺と鬼塚、酒井と葛西、正岡と真桜ちゃん、氷川と水谷、常駐は一ノ瀬を中心に森と川島、真辺。飛鳥、お前は責任取って一人で回れ」
「……マジですか」
遥が手早くペアと常駐を決めた。飛鳥に責任を取らせることも忘れてはいない。
「お前なら一人でも余裕だろ。ほら行くぞ。夏休み前ほどじゃないが、この時期も大変なんだからな」
伊達に副委員長を任されているわけではない。遥の号令で風紀委員達は一斉に校内へ散らばって行った。
――西暦2096年12月19日(水)AM6:30 早朝 源神社 母屋 居間――
「お待たせ、飛鳥。できたよ」
「待ってました。おっと、テレビ テレビっと」
去年の今頃、一斗が連盟の代表に選出され、年が明けてすぐに京都の連盟本部へ出向してしまった。それからもうすぐ一年。朝のお勤めを終えた飛鳥は、朝のニュースを見ながら、真桜の作った朝食を食べる。普段とまったく変わらない風景だ。まだ高校生だというのに、既に長年連れ添った夫婦のような雰囲気すら漂う。それでいて新婚のような甘ったるい空気も流れている。第三者がこの場にいたら、胸やけを起こすだろうことは想像に難くない。だから飛鳥も真桜も、いきなりの臨時ニュースには驚くことしかできなかった。
「臨時ニュースをお伝えします。先程中華連合において、元首をはじめとした政府主要政治家が相次いで殺害されたとのことです。元首および主要政治家が、何者かに殺害されたとのことです。詳細は不明ですが、単独犯ではなく、グループによる犯行の可能性が高いそうです。これを受けて中華連合は、近日中にも暫定政府を立ち上げる。全てはそれから、との声明を発表しています」
「中華連合のトップが殺された!?飛鳥、これっていったい……?」
「わからない……。だけど連合元首は穏健派のトップだったはずだ。考えたくはないが……」
「戦争……?」
「……暫定政府次第かもしれないな」
脳裏をよぎったのは、春に壊滅させたテロリスト、マラクワヒーの残党達だ。二人が乗り込んだ横浜中華街の料理店は、中華連合工作員の拠点だった。そのためマラクワヒーは、中華連合の先兵ではないかと軍は結論付けた。
だがその結論を出したのは過激派――日本国防陸軍刻印銃装大隊だ。だから決めつけるのは早計だが、中華連合は他国との共和を図ろうとする穏健派と、戦時中のように力で他国を屈服させようと考える強硬派がせめぎ合っている。暫定政府が穏健派なら問題はない。だが強硬派だった場合、途端に世界情勢は動き出す。強硬派は独立した香港の奪還を目論んでいるのだから。
「早く犯人が捕まればいいんだけど……」
そう言いながらも真桜は、犯人が捕まることはないだろうと思っていた。飛鳥も同じことを考えながら、冷めた味噌汁を喉に流し込んだ。
――明星高校 1年2組 教室――
「おはよう、飛鳥君」
「おはよう。何かあったのか?」
「今朝のニュースだよ。どうもキナ臭くなってる感じがしてな」
飛鳥が教室に入ると、話題は今朝のニュース一色だった。そういえば駅でもそんな話をしている人達が多かった。だからそれは不思議なことではない。
「もう続報出てるのか?」
「続報っていうより、現地の反応ってとこだろうな」
「中華連合でも、これを機に強硬派が台頭してくるんじゃないかって心配してるみたいね」
「それはそうだろうな。で、どんな反応なんだ?」
「微妙だな。ほれ」
大河は端末に表示された画像を見せた。円グラフがいくつか見える。これが中華連合の反応ということだろう。
「確かにこれは微妙だな。強硬派の支持者が思ったよりも多い……」
「にしたって多過ぎるわね。どこの統計なの、これ?」
「上海」
「待てよ!上海って強硬派の拠点があるって言われてる都市じゃないか!そんなとこの統計なんて、意味あるわけないだろ!」
上海は中華連合最大の都市であり、魔都とも呼ばれている。昔から海外との交流が盛んだが、魔都と呼ばれるようになった理由の一つとして、まだ清と呼ばれていた時代、イギリスから密輸されていたアヘンの密輸から勃発したアヘン戦争が挙げられる。
結果として清は敗戦し、上海は不平等条約によって条約港として開港した経緯がある。アヘン以外の麻薬の密輸、官憲の汚職、外国人の犯罪などの要因も重なり、上海は発展という光と同時に、犯罪という闇も抱えることとなった。そのため多くの刻印術師が治安維持、回復を目的に上海へ移住しており、現在も子孫が暮らしていると言われている。
そして現在、上海は強硬派が支配している。
「そうでもないぜ。何年前だったか忘れたけど、四川や釜山でも強硬派に同調する事件が起きてるし、広東とか福建なんかもっとヤバい。他にもあるみたいだぜ」
「そうなの?知らなかったわ。それじゃ戦争になっちゃうんじゃ……」
「真桜もそれを心配してたな。大河、暫定政府ってまだ発表されてないんだよな?」
「さすがにこんなすぐには無理だろ。早くても昼過ぎだろうな。明日になってもおかしくねえし」
「だよな。穏健派が暫定政府に就いてくれればいいんけど、もし強硬派なんかが就任したら……」
「ああ……最悪、戦争だな。喜ぶのは過激派ぐらいなもんだ」
過激派の目的は軍事政権の樹立だが、トップと目されている男を筆頭に、多数の刻印術師優位論者が名を連ねている。もし過激派による政権が樹立されてしまえば、刻印術師優位論者がこの国の実権を握ることとなってしまう。刻印術師優位論者は刻印術を第一に考えているため、既にテロリストと見なされている。一般人を巻き込むことなど、何とも思っていない。大戦を終結させ、国を守っている自分達の言葉は絶対であり、逆らうことなどありえないというのが、優位論者の言い分だ。さらに厄介なことに、多くの優位論者は思想を持たない。ただ自分が周囲とは違う、特別な人間だと思い込んでいるだけであり、自己満足な優越感、自尊心、選民意識を満たしているだけだ。
「ほんとにな。しかも同調してる優位論者も多いから、そんなことになったら内戦になってもおかしくないぞ」
「でも過激派って、夏休みの事件で連盟に監視されてるんでしょ?」
「してるらしいな。だけど全員はさすがに無理だし、市ヶ谷の駐屯地にいたってはどうしようもないらしい」
「場所が場所だし、厄介だよな」
「とっとと壊滅させたいとこだけどな。っと、時間か。一時限目って何だっけ?」
「数学よ」
「サンキュ」
始業ベルに話は中断された。だがクラスメイトも、不安を隠せない。隣国の事件は他人事であっても対岸の火事ではない。ましてや今回は、無関係と断言することなどできない。嫌な空気が流れているが、飛鳥は務めて考えないようにした。
まだ状況は不透明であり、展開も不明だ。杞憂に終わる可能性がないわけではない。むしろ終わってほしいと大多数の人が願っている。
――放課後 明星高校 風紀委員会室――
だが多くの人の願いも虚しく、事態は悪化していた。
「おいおい、何が後日正式発足だよ。完全にアウトじぇねえか」
「本当よね。よりにもよって強硬派が中華連合のトップになるなんて」
「それどころか、殺された要人達の代わりも全部強硬派ッスよ。どう考えても、暗殺犯は強硬派でしょ」
「それ以外ないわよねぇ。過激派が調子に乗り出すわよ、これは」
風紀委員は巡回中であり、今日の常駐は大河、さゆり、昌幸、エリー、香奈の五人だ。香奈のセリフに、一同揃って苦い顔をしている。
「そうなるとヤバいのは、飛鳥と真桜ちゃんだな。二つも刻印宝具を持ってるってことは、過激派も知ってるんだろ?」
昌幸の心配も当然のことだ。その飛鳥と真桜は、今日は遥、まどかとともに巡回している。
「みたいッスね。さすがに融合型のことは知らないみたいですけど」
「でも過激派のトップって、連盟の元代表でしたよね?まったく知らないってこともないと思うんですけど?」
「あ、そっか。その可能性もあるわね」
「だけどよ、それこそ連盟が黙ってないんじゃねえのか?」
「そうだろうけど、それって下手したら内戦になるわよ。それこそ過激派の思う壺だと思うけど」
「俺もそう思います」
過激派――刻印銃装大隊司令南徳光中将は、元刻印術連盟代表だ。四年前、飛鳥の母、真桜の父、そして優菜の家族をテロに見せかけて殺した張本人とも言われている。
だが四年前に突然代表を辞任し、刻印銃装大隊を設立してから、連盟との繋がりは一切ない。南は連盟の粛清対象だが、国防陸軍中将という肩書きがあるため、連盟もうかつに動くことができないという事情もある。
「難しいところですよね。あっ!」
「どうしたの、さゆり?」
「刻錬館裏で暴動です!多分1年生だと思いますが、数人の生徒に囲まれています!」
「また刻錬館かよ。ホントに騒動が多いな、あそこは」
「前世紀からの伝統みたいね。さゆり、一番近いのは?」
刻錬館は戦前は体育館と呼ばれていた施設でもある。そのため裏は人目に付きにくい。明星高校は海岸に面しているとはいえ、その海岸もほとんど人影がない。あまり整備されていないため、立ち入り禁止になっている。だからなのか、昔から多くの生徒が呼び出されては、金品を奪われている。それは今も同様だ。
「飛鳥と戸波先輩、真桜とまどか先輩がほぼ同じ距離ですね」
「襲ってる生徒って、何人ぐらいいるの?」
「五人です」
「どっちが先に着くかわからんけど、両方に連絡しとくべきだろ。いっそのことあの二人を同時に相手してもらって、来世でも消えないトラウマ負ってもらうのもアリだ」
「エグいこと考えますね。とりあえず連絡いれときます」
過激派に中華連合、どちらも自分達にどうこうできる問題でも相手でもない。また、目の前の問題も看過できない。ならば目の前の問題を解決することを優先するのも当然のことだ。
「連絡完了。さて、どっちが先に到着するかねぇ」
飛鳥と真桜へ連絡を入れ終わると、大河は人の悪い笑みを浮かべた。




