12・新学期
――西暦2096年9月1日(月)AM7:00 材木座海岸 外れ――
今日から二学期が始まる。だが始業開始時間には早いし、部活の朝練にも早い。だがここにいる二人……大河と美花にとっては、そんなことは問題ではなかった。
昨日さつきから、征司の粛清が終わったと連絡をもらった。本当ならば自分達も立ち会いたかった。だが危険が大き過ぎると言われ、断念せざるを得なかった。だから二人はここに、勇輝の最期の場所となった海岸の外れへ、早朝から足を運んだ。
「勇輝さん、仇は……なんて言い方すると怒るだろうけど、さつきさんが討ってくれました。俺達じゃ頼りないけど、雲の上から飛鳥と真桜を見守ってやってください」
「私達ももっと頑張ります。刻印術師だとかそうじゃないとか、そんなことはもう考えません。私達は勇輝さんに教えてもらったように、飛鳥君と真桜だけじゃなく、目の前の人達ぐらいは守れるように、強くなります。だから勇輝さん……ちょっとだけでもいいですから、私達のことも見守っててくださいね」
二人が手にしているのは、春に連盟から贈られた刻印具。何度か使い、さらに扱い易いように調整もされた。予想以上の性能に、開発した連盟の技術者も満足してくれていた。世間一般で見れば、二人は充分に使いこなしていると言えるだろう。
だが大河も美花も、自分の力不足を痛感していた。せめて刻印術師だったらと思ったことも、一度や二度ではない。勇輝に教わった中で唯一、そこだけは理解できなかった。
だがようやくわかった。刻印術師だとかそうじゃないとか、そんなことは大した問題ではない。自分達に求められていたのは飛鳥や真桜の盾でも鎧でも、ましてや剣でもない。これから先、飛鳥と真桜には数々の問題、難題が降りかかるだろう。雅人やさつきが力を貸すのは当然だが、あくまでも従者だ。実際に従者というわけではないが、心掛けの問題だ。そこに飛鳥と真桜の心情が入る余地はない。
だから勇輝は、大河と美花に、飛鳥と真桜の友人……親友という対等の存在になることを求めていた。
「美花、行こうぜ」
「うん。勇輝さん、また来ますね」
大河と美花は、そこにいるであろう亡き師に向かって一礼し、校舎へ歩き出した。勇輝が息を引き取った岩……そこには勇輝が刻んだ印が、朝日を浴びながら煌めいていた。
――11:47 明星高校 風紀委員会室――
渡辺征司が自主退学した、という告知が多目的電光掲示板に掲示された。だが征司が起こした数々の問題を知らない生徒はいない。過激派とつながっていたという噂まで流れている。
そのために、征司は連盟に身柄を拘束された、とか、もう粛清されいる、とか、自主的にじゃなくて、学校から退学処分を受けたから復讐のために何かを企んでいる、などという根拠がないわけではない噂が全校に流れるのも、さほど時間はかからなかった。真実にかすっている噂もあるが、征司が“自主退学した”ことだけは、誰一人として信じている生徒はいなかった。
だが風紀委員にとっての関心は、そこではなかった。
「色々あった夏休みも終わって、今日から二学期よ。あたしの任期もあと一ヶ月。それはつまり、生徒会選挙まであと一ヶ月もないってことよ」
まさに色々だった。特に勇輝の死は、刻印術と共に生きる若い刻印術師達に大きな衝撃をもたらした。しかし一番衝撃を受けたのは、今演説をしているさつきに他ならない。そのさつきもショックから立ち直ったわけではない。だがいつまでも引きずっていては、それこそ勇輝に笑われるだろう。
「生徒会選挙もだけどよ、そろそろ新任風紀委員の推薦時期じゃないのか?」
安西が目下最大の問題を、あえて口にした。
「そうよね。私達はあと半年だし、受験勉強もあるから、どうしても1年生にも入ってもらわないと。飛鳥君と真桜ちゃんがいるから忘れがちだけど」
今の時代、どこの学校も定員に達することが稀となっているため、入試そのもののハードルは、戦前と比べればかなり下がっている。最低限の学力、時間厳守、内申がよっぽどでなければ、受験すれば大抵の学校は合格できる。だが卒業後の人生、社会活動の方が長いこともあり、入学のハードルを下げた代わりに、進級や卒業のハードルは上がっている。
明星高校は明星大学付属のため、毎年八割以上の生徒が明星大学へ進学している。無論、他の大学へ進学する生徒もいるし、家庭の事情で進学を断念する生徒もいないわけではない。ちなみに最低限の学力とは、大学によって多少の差はあるが、高校を卒業できる程度の学力を指し、聖美が言う受験勉強も、その実は卒業するための追い込み勉強―毎年必ず、該当者が現れる―と言い換えることもできる。だからというわけではないが、年内は3年生が残留することも多い。後任の委員に引き継ぐためや新任された委員の指導のためだ。
「だけど、今年の1年はこの二人だけじゃなく、他にも有望株がいるじゃないか。それも三人」
藤間が続いた。確かに飛鳥と真桜がいるために忘れられているようだが、風紀委員は推薦枠しかない。成績が優秀であっても、刻印宝具を生成できたとしても、推薦がなければ風紀委員になることはできない。自薦はNGであり、門前払いされた生徒も過去に存在する。定員は二十名だが、明星高校が設立されて以来、定員に達したこともない。
そんな中、今年の1年生は飛鳥と真桜という逸材中の逸材が一度に風紀委員入りしているため、ある程度の人材確保は成功したと言える。飛鳥を加入させる時こそ騒ぎになったが、今となっては反対していた自分がおかしかったのだというのが、風紀委員の共通認識となっている。
だがいかに逸材とはいえ、二人では対処し切れないのもまた事実。だから新規委員の候補は毎年頭を痛める問題となっており、早急な対策のため、2年生は当然、1年生もチェックされている。
「まさか、それって……」
「佐倉、真辺、一ノ瀬だな。確かにあの三人は確定だな。どうだ、立花?」
そんな飛鳥と真桜の友人であり、さつきと勇輝の弟子と紹介された大河と美花、真桜のクラスメイトのさゆりに目を付けることも、自然の成り行きというものだろう。
「あたしも異論はないわ。問題はあたしの後任ね」
「え?飛鳥君か真桜ちゃんで決まりじゃないんですか?」
雪乃が驚いた顔をしている。傍観していたわけではない。だが考えたくなかったというのが、2年生全員の共通する思いだった。
「そんなわけないでしょ。後任はしっかり2年から出すわよ。やりたければ立候補でもいいけど?」
「姐さんの後任かつこいつらの前任なんて、死んでもごめんス」
「右に同じく。雅人先輩の頃よりハードル高すぎですよ」
だからさつきの発言に、武も昌幸も、2年生の誰もが全力で拒否する姿勢を見せていた。
「そうかしら?」
「前後が生成者で、しかも常軌を逸した化け物揃いだからな……」
「私達、3年でよかったよね……」
3年生は心の底から安堵しているようだ。特に刻印術師ではない藤間と瑞穂は、死んでも留年してたまるかというオーラを醸し出しているようにも見える。
「そこまで言うことないじゃない」
だから化け物扱いされたさつきも飛鳥も、そして真桜も不満をあらわにしていた。
「事実だろうが!夢にまで出てきたんだぞ!」
「私も……。さゆりちゃんも同じじゃないかしら?」
「あれはトラウマになるよな……」
安西の叫びを合図にしたかのように、聖美と志藤が呟いた。昨日鶴岡八幡宮で、さつきの開発した、本人曰く“未完成”のS級術式を目撃したばかりなのだから、それも無理もない話だ。
「な、何があったんですか、いったい……」
香奈がとても不安そうな表情を浮かべている。だが先輩方は答えない。
「立花、見せるなら後任が決まってからにしてくれよ」
志藤、安西、聖美が怯えている。しかもおふざけではない。けっこうな割合で本気が混じっている。
「佐々木先輩の気持ちが手に取るようにわかるんスけど、どうしたらいいスか?」
だから武の疑問というか質問は、瞬時に2年生全員に共有されていた。
「どうにもならんな。むしろこいつらを従えて任期を全うしたら、全力で尊敬してやるよ」
これは本当に、安西の本音だった。
「だな。それより、2年には候補いないのか?術師は三条だけだろ?」
「え?あ、はい。そういえばそうですね」
「2年は元々、術師の絶対数が少ないんじゃなかったっけ?」
2年生は、全体的に刻印術師が少なく、最も多い1年生の半数しかいないらしい。そのため風紀委員も、雪乃しかいない。だがだからといって、レベルが低いわけではない。むしろ3年生より、総合成績は上だと評価されている。
「確かに少ないな。3年が俺、立花、安西、武田、2年が三条、1年が飛鳥と真桜ちゃん。って四人もいたのかよ」
「半分以上が3年生だったのね。そうすると残るのは雪乃、飛鳥君、真桜ちゃん……さゆりちゃんを入れてもやっと四人か。いくら酒井君や香奈が優秀でも、これじゃちょっとキツいわね」
「……2年生に指令。二週間以内に誰かを推薦すること」
同じことを考えたさつきは、2年生に指令を下した。
「ぶっ!?マジッスか!?」
だがそれは、2年生にとっては予想外すぎた。風紀委員会に推薦するわけだから、誰でもいいわけではない。むしろ春からの事件を考慮すると、優位論に傾倒しているような奴は真っ先に候補から外れるし、まかり間違って推薦なんかしてしまえば、自分達の命が危ない。
「マジよ。委員長になるなら免除してあげるけど?」
「どっちも地獄だが……」
「まだ誰かを推薦した方が楽よね……」
2年生委員はこれから待ち受けるであろう地獄の日々に、揃って目を回していた。




