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刻印術師の高校生活  作者: 氷山 玲士
第二章 刻印の宿命編
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8・立花 勇輝

――西暦2096年8月12日(日)AM12:00 材木座海岸 外れ――

 材木座の海岸線に複数の人影が現れた。深夜とはいえ人がいないわけではない。だがその人影は海の中から現れ、上陸した先は地元民でもあまり足を運ぶことがない海岸の外れだった。そのため誰にも見咎められずに済んだわけだが、これはここへ上陸するための最低条件だったのだから当然ともいえる。少し外れただけで暗く、静かな場所になるのだが、影達にはそんなことは関係なかった。

 だが密会に適しているかと言えば、そうでもない。目の前には明星高校の刻錬館が見える。昼間であれば人気のない材木座を一望することもできるため、刻錬館のプールサイドは生徒達の間で人気スポットだった。上陸した男達もそのことは知っているが、侵入するつもりではない。


「隊長、上陸完了しました」

「よし。足下に気をつけろよ」


 影達は背負っていたボンベとシュノーケルを外し、刻印具から風属性の術式を発動させ、濡れた髪や服から海水を吹き飛ばした。


「ふう。この季節だと潜水も楽ですな。刻印具のおかげで濡れ鼠にならずに済みますし、何より夜風が気持ちいい」

「同感だ。こんな任務なんかじゃなく、リゾートで満喫したいぐらいだな」

「隊長もそう思いますか。どうです?任務が一段落したら、タヒチ辺りにでも行きませんか?いい女もいるでしょうし」

「それもいいな。だがまずは任務だ。この任務が終わらなきゃ、南国リゾートなんて夢のまた夢だからな」


 軽口を叩きながらも周囲の警戒は怠っていない。人目を憚るような任務は、臆病なぐらいが丁度いい。彼らはそれをよく理解している。


「なら俺が、血の池地獄へ招待してやろうか?」


 だから男の声が聞こえた瞬間、彼らは一様に驚いていた。

 声の主はわずか数メートル先の岩場に腰をかけていた。この程度の距離で、誰も発見できないなどということはあり得ない。探索系術式も使っていたし、何より上陸した時には誰もいなかったことは、全員が確認している。


「残念だったな。こないだ捕まえた連中から、あんた達の部隊専用刻印具をありがたくいただいた。共用設定だったことが仇になったな。ちと時間はかかったが、主要な連中の印子は覚えさせてもらった。俺は干渉系が得意だからな。刻印具に干渉して、覚えた印子に網を張るぐらいはするさ」

「干渉系……そうか。地形に干渉し、自分を周囲に溶け込ませていたのか」

「ご名答。さすがは刻印銃装大隊第三小隊隊長 藤田ふじたのおっさんだ」

「あの立花勇輝に名前を知ってもらえていたとは、光栄だな」


 声の主は勇輝だった。だが他に人影はない。だが藤田と呼ばれた小隊長は、油断なく辺りに気を配っている。伏兵の気配がなくとも、勇輝が相手ではこちらも無傷で済むはずがないからだ。


「それにしても立花。こんな夜更けに何をしている?子供が出歩いていい時間じゃないぞ?」

「俺は大学生だぜ?確かにまだ二十歳にはなってないが、高校を卒業したら成人だろ。それに海岸で飲む酒が美味いことぐらい、おっさんの方が知ってるんじゃねえのか?」

「それは失礼した。だが確かに、夏の夜に海岸で海を見ながら飲む酒は美味いな。俺達も付き合いたいぐらいだ」


 だから藤田は勇輝と雑談を交わしながらも、決して警戒を緩めていない。


「いいぜ。対価はあんた達の命でな!」


 藤田の予想通り、勇輝はスパーク・フレイムを起動させた。だがここは海岸。水は火を消す、という相克関係上、火属性術式にとっては最も相性の悪い場所だと言える。

 だが勇輝が狙ったのは男達ではなかった。


「うおおおおっ!」

「があああああっ!!」

「なっ、なんだと!?」


 藤田は咄嗟に、スプリング・ヴェールを発動させた。勇輝の姿を確認した瞬間から、いつでも発動できるよう待機させていた術式だが、それが功を奏した。


「へえ。さすがはおっさん。ま、俺もあの程度でどうにかできると思ってたわけじゃないけどな」


 干渉系術式は指定された対象へ直接的、間接的に干渉する術式のため、閉鎖空間や密閉空間でも、状況や構造がわかっていれば発動させることができる。勇輝が発動させたスパーク・フレイムは、藤田達が背負っていたボンベ内の酸素を燃焼させ、内部からボンベを破壊した。破壊されたボンベの破片は炎を纏い、男達へと突き刺さった。そして破片が突き刺さった瞬間、連続してスパーク・フレイムが発動し、男達の体内を焼き尽くしていた。藤田はスプリング・ヴェールのおかげで事なきを得たが、残っているのは自分の前にいた二人の部下だけだった。


「なんつうエゲツない使い方しやがる……。しかも海岸で使ってこれかよ」

「俺はあいつらと違って力不足だからな。補うために、これぐらいはするさ。しかも相手が藤田のおっさん率いる第三小隊なら、不意打ちぐらいはしないとこっちがヤバい」

「俺の部隊を高く評価してくれるのはありがたいが、こっちはおかげでこのザマだ。油断していたつもりはないんだがな」

「不意打ちだって言ったろ。つかおっさん。刻印銃装大隊がこんなとこに何の用だよ?」

「いきなり不意打ちで部下を殺すような奴に、答える必要があるとは思えんが?」

「そりゃそうだ。なら当ててやるよ。明星高校への侵入路確保のためだろ?」


 藤田は顔色を変えない。勇輝がこの場にいる時点で、自分達の目的を知られていると思っていた。だが部下達はそうではなかった。


「やっぱりな。まだ夏休みだからな。下準備するための時間はいくらでもある。二学期になったら飛鳥と真桜を殺すために、明星高校へ侵入するつもりだったんだろ。俺の妹や後輩達を人質にしてな!」


 勇輝の予想は当たっている。そのために自分達は調査に来た。

 だが藤田は答えない。代わりに部下が答えた。右手に構えた短銃状刻印具で。


「アイシクル・ランスか。さすがに場所が場所だから、発動速度も精度も高いな。だが俺もな、理由もなくここで待ってたわけじゃねえんだぜ」


 アイシクル・ランスを発動させた男に対して、勇輝はアース・ウォールとバリオル・スクエアを発動させた。土は水を堰き止める。この原則は浅い海岸線であっても同じことであり、わずか数センチの海面下から盛り上がる大量の土砂に、あっという間に男は呑み込まれた。


「土だと?さっきは火属性を……。まさか、お前の適正属性は!」

「正解だ。俺は土属性さ。っつっても、火の攻撃系にも“特性”があるからな、間違いってわけじゃないぜ」


 答えると同時に発動したスカーレット・クリメイションによって、また一人部下が焼滅した。

 “特性”は生来の適性がある属性や系統以外の、本人だけの術式特性のことを指す。勇輝は土属性、攻撃系、干渉系に生来から高い適性を持っているが、それとは別に火属性、特に攻撃系に高い特性を持っている。勇輝はこの特性があるため、相手を選ばず戦うことができる。他にも真桜が非適性属性を持たない、菜穂が遠隔系術式を反射するという特性を持っている。適性属性・系統と違い個人差が激しく、特性のない術師も多いため、研究が続けられている分野だが、血統に由来するのではないかという説が有力視されている。余談だが、飛鳥とさつきは特性を持っていない。


「……干渉系はこういう使い方もあるわけか。どうりで部下達があしらわれるわけだ……!」

「少し遅くないか、おっさん?残ったのは、あんた一人だぜ?」


 藤田は遅まきながら理解した。勇輝が土性B級広域干渉系幻惑術式グランド・ミラージュを使っていたのだと。

 グランド・ミラージュは幻惑術式とも言われる術式で、殺傷力はないが処理能力が高いため、B級に分類されている。だが高位の術師が使用した場合、感覚が狂わされることがあると藤田は聞いていた。油断はしていないし、隙も見せてはいない。

 だが勇輝は、藤田達が上陸する前から岩場で待ち構えていた。つまり自分から、勇輝の罠に飛び込んでいたということになる。干渉系というからには、電波や印子を利用した通信機も役に立たないだろう。つまり藤田には逃げ場はない。逃げるためには勇輝の意識か命、どちらかを奪わなければならない。そして目の前の男は、それが最も難しい男だと、藤田には認識されていた。


――西暦2096年8月13日(月)AM12:05 源神社 真桜私室――

 飛鳥達の夜は早い。神社は早朝の境内の掃除から始まる。朝の6時は絶対の起床時間で、場合によっては5時になることもある。それは夏休みであっても変わらない。だから飛鳥も真桜も、既にそれぞれの部屋で床に入っていた。


「さつきさん?せっかく寝入ったところだったのに、こんな時間になんなんですか?」


 時間は日付が変わったばかりだ。こんな時間に連絡がくるとは思わなかった真桜が、さつきに文句を言っても仕方がないだろう。だがさつきの声には、いつものような元気がなかった。


「真桜?兄さん知らない?」

「勇輝さん?いえ、知りませんけど?どうかしたんですか?」

「わからない……。夜遊びとかけっこうしてるから普段は気にしないんだけど、今日に限って連絡を寄越してきて……」


 初めて聞くさつきの不安げな声に、真桜も一気に目が覚めた。


「勇輝さんに何かあったんですか?」

「それもわからないのよ……。ただ何かあっても、飛鳥と真桜から目を離すなって……」

「私達から?それだけなんですか?」


 取るに足らない問題、と判断したわけではない。むしろその逆だ。刻印宝具がなければ、真桜も飛鳥も、雅人でさえ勇輝に勝つことは難しい。勇輝も二人に負けまいと努力を積み重ねたために、今では連盟所属の術師の中でも上位に位置づけられている。実力も人望もあり、そう遠くない内に刻印宝具も生成できるだろうと言われている実力者。雅人と北条時彦の影に隠れがちだが、勇輝はそう評されていた。雅人やさつきが前面で守る盾ならば、勇輝は後方も守る鎧のような存在だ。弱みは決して見せない強さを持つさつきの兄。

 そんな勇輝がさつきに連絡を寄越すなど、よっぽどのことがあってもありえないはずだ。


「雅人もすぐに探すって言ってくれたんだけど、どうしても不安でさ。ごめん、こんな夜遅くに……」


 普段のさつきなら、こんな姿を真桜に見せることはしない。真桜も初めてだ。だからそれが、事の重大さを認識させることになった。


「待って、さつきさん!私達も探します!だから、一緒に行きましょう!」


 だから真桜は、躊躇いなく答えた。さつきの、そして自分達の兄を探すために理由はいらなかった。


――AM5:17 材木座海岸 外れ――

 戦い始めてどれぐらい経っただろうか。太陽が東の空から顔を出し、星はその強い光の中に消えていく。

 だが勇輝も藤田も、そんなことを気にしている余裕はなかった。


「へへっ……やるな、おっさん」

「経験なら俺の方が上だからな。さすがにここまでの奴は、俺も初めてだが」

「ってことは俺は、おっさんが倒した術師の中じゃナンバー1ってことか?」

「そういうことになるな。まったく、末恐ろしいぜ」


 二人共、かなり息が荒い。長時間戦い続けているため、体力だけではなく、印子の消耗も激しい。だがどちらにも、退けない理由がある。だから軽口を叩きながらも、互いに隙を伺っていた。


「光栄なこったな。だけどよ、俺程度でこんな調子じゃ、後に控えてる奴らにゃ瞬殺されるぜ?」


 勇輝は本心で、雅人やさつきだけではなく、飛鳥や真桜にも劣ると感じている。その自分が飛鳥と真桜を守るためには、本当の意味で体を張るしかないが、その覚悟もなしにこんなことをしているわけでもない。それに刻印法具を生成した飛鳥、真桜、雅人、さつきは、本当に別次元の強さを発揮するのだから、生成することができない自分にここまで手を焼いているようでは、確実に瞬殺されることも間違いない。


「まったくだな。だがお前も、グランド・ミラージュに印子を割いてこれじゃないか。現に俺の部下は瞬殺されちまったしな。ったく、こんな任務、引き受けるんじゃなかったぜ」


 藤田の言うとおり、勇輝は一度も、グランド・ミラージュを解除していない。こんな長時間、広域系を展開し続けたという話は、藤田も聞いたことがないし、おそらく実際に行った者もいないはずだ。


「軍人の辛いとこだよな。俺も親友から、たまに愚痴の連絡がくるぜ」


 大学生と軍人という二足のわらじを履いている親友 雅人は、ごくごく稀に、勇輝を飲みに誘っていた。雅人は酒に強いが、勇輝は弱い。だが酒は好きなので、誘われれば喜んでついていき、ベロンベロンになった姿で雅人に送られて帰ったことも、一度や二度ではない。そんなことを思い出しながら、勇輝は軽く表情を緩めた。


「ソード・マスターか。大学に通いながら軍隊にも入るとは、あの男も無茶をしやがる」


 国内外でも有名な雅人の称号は、当然だが藤田もよく知っている。もしこの場にいたのが雅人なら、既に勝負は決していたこともよくわかっている。


「まったく同感だ。だがそんな奴相手でも、俺のグランド・ミラージュは効果あったみたいだけどな」

「あれは終わったと思ったぞ。何故あそこで、グランド・ミラージュを解除しなかった?一人でも俺を倒せると思ったのか?」


 どれぐらい前かはわからないが、一度雅人がここへ来た。勇輝を探していることは容易に想像がついたが、藤田としては死を覚悟せざるを得なかった。

 だが雅人は、勇輝にも藤田にも気付かないまま走り去った。勇輝がグランド・ミラージュを維持したままだったからだと理解できたが、同時にソード・マスターの目すら欺く眼前の術師に、改めて脅威を抱いたものだ。


「まさか。普通なら解除してたさ。だけどな、おっさんとの決着だけは、俺がつけなきゃいけないような気がしたんだよ。なんとなく、だけどな」

「なんとなく、か。説得力はないな」


 それはそうだろう。なんとなく決着をつける、と言われても、こちらとしても納得はいかない。だが理由がなければ、勇輝はグランド・ミラージュを解除していたはずだ。こちらの方も、藤田には大きな疑問だった。


「水を差すなって。そうだな。強いて言えば、見えちまったから、かな」

「見えた?何がだ?」

「グランド・ミラージュを長時間使いすぎたんだろうな。おっさんの背後に、一瞬だけど子供の顔が見えたよ。いい顔で笑う子だった。だけど俺は、その子から笑顔を奪うことになる。そんな罪を、親友に背負わせるわけにはいかねえ、ってとこかな」


 勇輝が雅人の介入を認めなかった理由は、確かにあった。そして勇輝は、その子を知っている。最初こそ塞ぎ込んでいたようだが、次第に明るくなり、笑うようになった。藤田を信頼していることもよくわかった。

 勇輝が人を殺めたのは、今回が初めてではない。飛鳥と真桜を狙う輩を、雅人やさつきと共に、何度か倒している。罪悪感がないわけではないが、主を傷つけるような連中を、生かしておく理由もないから、今までは割り切っていた。

 だが今回だけは、とてもではないが、割り切れる自信がなかった。


「……見ちまったのか、あの子を」

「やっぱりなのか。だからあの子は……。なあ、おっさん。なんであんたはこんなことしてんだ?あいつらが何を考えてんのか、あんたが知らないわけはないよな?あいつらは絶対、あの子の笑顔を奪うだけじゃ済まさないぜ?」

「そんなことはわかってるよ!だけどな……俺にとって、あの子は……優菜は娘なんだよ!」

「つまりあの子は……あんたの人質ってワケか。だったら尚更、あいつらを許すわけにはいかねえな。おっさん……あんたが退かないなら、俺も退くつもりはない。俺にも退けない理由がある。あんたが娘のために戦うってんなら、俺は主のために戦う!どちらかが倒れるまで、俺は死んでもグランド・ミラージュを解除しねえぞ……!」


 連盟本部で得た情報は事実だった。藤田は刻印術師ではない。そのために同じく術師ではない優菜の身元引受人となっていた。藤田も数年前、家族を事故で失っていたから、自ら名乗り出た。だがそれが藤田の運命を決めてしまった。誰も望んではいなかった運命を。

 グランド・ミラージュは干渉系幻惑術式に分類される術式であり、大気や地形に干渉し、対象を視覚的に幻惑させるという使い方が一般的だ。

 だがグランド・ミラージュのような干渉系幻惑術式は、視覚だけに影響を及ぼすわけではない。高位の術者が使用した場合、五感全てに干渉し、感覚を狂わせることも出来る。たとえば足首まで水に浸かっている、という感覚を、砂の上を歩いている、というようにすることも不可能ではない。そこまでの効果を出すためには、精神系にも干渉しなければならないため、長時間の使用は禁じられている。

 だが勇輝は藤田を止めるため、既に数時間、展開させたままだ。長時間の使用が禁じられている理由はいくつかあるが、その中でも術者に危険を及ぼすため、という理由がある。精神干渉によって起こる対象との精神同調―対象の感情が術者に流れ込み、術者の精神を破壊しまうというものがある。まさに勇輝は、この精神同調を起こしていた。

 だから藤田の娘―優菜の姿が見えてしまった。

 だから何故藤田が刻印銃装大隊―刻印術師優位論者の手下などに甘んじているのか、わかってしまった。

 だから勇輝は、藤田との戦いを無意識の内に避けるようになってしまった。

 その結果、さらに長時間発動させてしまうという、悪循環に陥ってしまっていた。

 だがもう、これ以上は無理だ。これ以上グランド・ミラージュを展開し続けてしまえば、こちらが先に倒れてしまう。そうなってしまえば主に、飛鳥と真桜に危険が迫る。だから勇輝は、覚悟を決めた。藤田と最期を共にする覚悟を。


「行くぜ、おっさん!」

「来い!小僧!」


 勇輝は右腕に土性B級対象干渉系術式スチール・ブランドを発動させた。対象を金属分子で覆い、硬度を上げる術式だが、扱いが極めて難しく、自身の身体へ使用することは普通ならばない。人体へ使用した場合、鋼鉄の像と化すことも珍しくはなく、対人攻撃術式としては高い効果を発揮するが、防御術式として使用するにはあまりにもリスクが高すぎる。

 だが勇輝は、躊躇いなく自身の右腕に発動させた。これで右腕は鋼鉄の槍と化した。だがあまり長時間は行使できない。金属分子が身体を侵蝕し、勇輝自身の身体を鋼鉄に変えてしまうからだ。

 同時に藤田も、エア・ヴォルテックスを発動させた。酸素は電子を引き付けやすい性質をもっており、電子を奪われることによって細胞やDNAの構造を破壊することも可能なため、高濃度の酸素は生物にとって強力な毒となる。金属も同様に、酸化現象によって錆びて朽ち果てる。つまり勇輝のスチール・ブランドにとっては、この上なく相性の悪い術式だと言える。

 狙ったわけではない。藤田は自身の習得している中で、もっとも殺傷力の高い術式を使っただけで、それが結果的に、勇輝の発動させた術式の天敵だったというだけだ。一瞬だけ驚いた藤田は、すぐさま術式の条件を切りかえるために、刻印具を操作した。

 勇輝も、術式の相性が悪いことは理解していた。確かに藤田の刻印具は性能も高いし、よく馴染んでいる。だが勇輝にとって、そんなことは関係なかった。藤田が集中する一瞬の隙、そこを突く事ができれば、それでよかった。


「へへ……。デカい術式を使ったのが失敗、だったな……」

「みてえだな……。ガハッ……!」


 勇輝の右腕が藤田の身体を貫いていた。だがその腕は、錆びてボロボロになっている。


「つっても俺も……ギリギリ、だったけどな……。馴染みすぎだろ……そいつ……」

「そりゃ、もう十年……使ってるから、な……」

「納得、だぜ……。最期に聞くことじゃ……ねえけどよ……渡辺征司は、どうしてる……?」

「あのガキ……か……。さあ、な。夏越祭の後から……見てねえよ……。もう、処分でも、されちまって……るんじゃねえか?」

「やっぱ……切り捨てられ……たか……」

「だろう、な……。俺からも……最期に頼みが、ある……」

「神崎優菜、のこと、だろ……?わかってる、よ……。だから先に……地獄で待っててくれ……よ……」

「ああ……。血の池地獄で……いい女と酒を用意して……待ってる、ぜ……」


 そう言い残し、藤田は崩れるように地面に倒れた。


「頼んだ、ぜ……おっさん……」


 藤田の血で染まった右腕は、エア・ヴォルテックスを浴びていたこともあり、既に中ほどから朽ち果てようとしていた。だがそんなことは、今の勇輝にはどうでもいいことだ。

 正直、心残りはある。飛鳥と真桜が、この先どこまでいけるのか、どんな世界を、未来を導いてくれるのか見たかった。だがそれは、叶わぬ夢のようだ。


「飛鳥、真桜……悪ぃ……。俺は、ここまで……だ……。さつき、雅人……後を……若と姫を……頼んだ、ぜ……」


 最期の姿であっても、主に無様な姿は見せられない。エア・ヴォルテックスの高濃度酸素にさらされ、スチール・ブランドに侵蝕された身体に鞭を打ち、倒れることだけは拒否しながら、勇輝はゆっくりと目を閉じた。


 太陽が真上に昇った頃、水泳部に所属している保険委員長の相田からさつきに連絡が入った。内容は勇輝の死を報せるものだった。

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