7・四年前の真実
――PM18:30 鶴岡八幡宮 社務所――
無事に夏越の舞を奉納した真桜は、さつきと共に社務所を訪れていた。宮司や禰宜、関係者への挨拶はもちろんだが、今回はもう一つ目的がある。
「お待たせ、飛鳥、雅人」
「さつき、真桜ちゃん、宮司さん達への挨拶はいいのか?」
「もう済ませました。と言っても事情が事情でしたから、むしろ恐縮されちゃって、居心地悪かったですよ」
真桜が苦笑している。同じ市内の神社ということで、馴染みの深い人達も当然いる。だが全員が年上、というか親子程も離れている。そんな人達に頭を下げられては、真桜でなくとも居心地が悪くなるというものだ。
「それで兄さんや大河達はわかるけど、なんで御堂達がいるワケ?」
さつきの言う通り、翔、志藤、安西、聖美、恭子の顔も見える。だが全員、少し疲れた顔をしているのは何故だろうか?
「そこの二人を捕まえてくれたんですよ。協力者みたいです」
飛鳥の視線の先には、二人の男が拘束されていた。床に倒れているところを見るに、気を失っているのだろう。
「舞の最中に行われた戦闘はあんた達か。おかげで助かったけど」
「さすがに一流の刻印術師の相手はキツかったな。ほとんど風紀委員総出だったからな」
「え?2年も来てるの?」
2年生の刻印術師は、一人しかいない。毎年9月に、風紀委員は新規委員の推薦がある。その場では何人かの刻印術師も推薦されていたのだが、都合がつかなかったという事情がある。だが刻印法具を生成しなければ、術師であろうとそうでなかろうと、刻印具のおかげで大きな実力差はなくなってきている。3年生は現在大学1回生の先輩達と何度も議論を交わし、その結論に達していた。
「ああ。境内で待たせてある」
「2年に会ったのは初めてだが、思ってたより筋は悪くない。鍛えがいがありそうだな」
「程ほどにしてやってくださいよ?先輩の相手なんて、俺達だってキツいんですから」
「本当ですよ」
「まだ高校生なんだから、あんなもんだろ。八幡宮の人達にも、さっきまで全員で謝ってたもんな。相手が相手だから許してもらえたけど、夏休みが終わるまでは、全員で八幡宮のボランティアをするんだって?」
勇輝は雅人の同級生であり、風紀委員でもあった。志藤と安西が知っていても不思議ではない。
「さすがにそれぐらいはしないと、こっちの気が収まりませんよ。そもそも俺達が多人数で一人を取り押さえてる間に、勇輝先輩は既に制圧済みだったじゃないですか」
「お前らの上達具合を見ておこうと思ってな」
「それで手出しせずに傍観ですか。相変わらずひでえなぁ」
「それはいったん横に置くわよ。それで飛鳥、彼女は?」
「隣の部屋にいます。探索系を集中的に貼り付けてありますから、これで逃げられたら脱帽するしかないですね」
優奈のいる部屋には、飛鳥のドルフィン・アイだけではなく、さゆりと安西のモール・アイによる監視もされている。他にもいくつかの探索系を使っているから、よほどの実力者でもなければ、逃げることは不可能だ。
「あの子、うちの生徒だろ?葛西に消費型を投げてきたのも、確かあの子だよな?」
安西は優奈に見覚えがあった。だが安西は、昌幸に直接刻印具を投げた現場を目撃したわけではないので、若干自信がなさそうだ。
「そうです。ですが先程捕まえた時もそうですが、あの人は本心であんなことをしたわけじゃないような気がするんです」
「どういうことだ?」
聞き返した翔は、少し後悔した。飛鳥だけではなく、真桜、雅人、さつき、勇輝の顔色が曇ったからだ。
「抵抗はされませんでしたし、それ以前に俺を見て泣いてましたから、何かしらの葛藤があったんじゃないかと」
飛鳥だけではなく、現場を取り押さえた勇輝や大河、志藤、そして安西も、無抵抗で少女が取り押さえられたことを知っている。普通ならば逃げるところだが、飛鳥を見た瞬間、涙を流し、手にしていた刻印具を落とし、こちらの指示に従い、この社務所まで大人しくついてきたぐらいだ。
勇輝達が取り押さえた二人は、明らかに少女を狙っていた。想定されていた中でも最悪の行動に出られたため、人目を気にする余裕がなかったのだろう。だが一人は勇輝が、もう一人は大河と風紀委員が総掛りで取り押さえ、この場に連行した。
「三上君を見て?彼女は君のことを知っていたということなのか?」
翔の疑問は当然のものであり、飛鳥にとってもっとも触れられたくないものでもあった。
「……俺の母さんと真桜の父さん、四年前に事故で死んでるんです」
だから飛鳥の告白に、翔だけではなく、誰もが衝撃を受けていた。
「事故って……じゃあお前らが兄妹になったのは……」
「そうです。私達はお父さんとお母さんが守ってくれたから助かったんですけど、術師じゃなかったお父さんと飛鳥のお母さんは……」
真桜も涙を浮かべながら、あの日の出来事を簡潔に語った。
「そんなことがあったのか……」
「それであの子だけど、その事故を起こした側の唯一の生存者なのよ」
「なっ!!」
だがさつきの語った事実は、さらなる衝撃をもたらした。
「じゃあ……飛鳥と真桜ちゃんを恨んで、こんなことしたってのか?」
「多分だが、違う。俺もさつきも、そして勇輝も、あの事故の真相を代表から聞かされている。今の代表じゃなく、事故があった当時の代表からだ。あの事故は飛鳥と真桜ちゃんを殺すために、過激派が仕組んだことだったんだ」
「過激派って……あの国防軍のですか!?」
過激派は、世間でも大きな問題を起こしているということで、度々ニュースでも取り上げられている。だから恭子が驚くのも当然だ。
「親父から聞いた話と食い違いがある……?なんで……」
だが飛鳥も驚いていた。一斗から聞かされていた話と、若干の食い違いがあったのだから、無理もないことだが。
「元代表も真相を知らせることは躊躇われたんだろう。なにせあの事故があったのは、飛鳥と真桜ちゃんが、連盟で婚約発表をするために向かった日だからな」
「婚約発表?四年前に?え?そんな話、聞いたことありませんよ?」
「それになんでそれが、兄妹になったんですか?」
聖美と志藤の疑問は当然だ。確かに二人が婚約者だということは、飛鳥が風紀委員に加入した日に、さつきから聞かされた。だがそれが四年前、しかも連盟で発表する予定だったとは知らなかったし、そんな噂も聞いたことがなかった。
「本来なら飛鳥も真桜ちゃんも、あの日から全国の刻印術師の間で名が知れ渡っていたはずだ。なにせ当時、小学六年生だったにも関わらず、A級術式はおろか、二つの刻印宝具まで使いこなしてたんだからな」
雅人の言葉は事実であって事実ではない。
真桜の母であり飛鳥の義母である菜穂は、雅人の父 久世 信人の従妹にあたる。真桜は久世の血縁者であり、そのため雅人とは再従兄妹の関係になる。真桜の父 久住 怜治は飛鳥の父 一斗と親友同士であり、菜穂とは高校、大学の同級生でもあった。また飛鳥の母 三上 優美は勇輝とさつきの母 立花 愛美の妹でもある。つまり飛鳥と勇輝、さつきは従兄弟同士という関係だ。その関係で三上、立花、久世、久住は家族ぐるみでの付き合いがあった。そのため雅人もさつきも勇輝も、飛鳥と真桜が宝具生成だけではなく、刻印融合術を発動させたことも知っている。と言うより、一番最初に目撃している。
だからこそ三人は、飛鳥と真桜を守る盾となることを誓った。雅人とさつきの婚約関係もそこに一因がある。二人が相思相愛だったことが最大の理由であることは、言うまでもないが。
「マジか……」
「どんな化け物だよ、それ……」
「ですが先輩。なんでそんな奴らが、今まで無名に?」
だが事情を知らない先輩方の目から見れば、まさに前代未聞。A級術式を使いこなす小学生の話など聞いたこともないし、A級という時点で刻印宝具の生成ができているということにもなる。そんな話があれば、あっという間に全国の刻印術師の間で話題になってもおかしくはない。彼らの疑問は至極当然であり、普通の反応だ。
「隠したからさ。当時の代表だけじゃない。真相を知った連盟も動き、実行した過激派へ報復まで行っている。だがそれで諦めるような連中じゃない。必ずまた、二人の命を狙ってくる。だから三上代表と奥方は、二人を同時に育てるために再婚されたってワケだ」
「そしてそれに立花、久世の両家も同調した。元々家同士の付き合いが深かったこともあるが」
「だから飛鳥君も真桜ちゃんも、今まで名前すら知られてなかったのね……」
理由はなんとか理解できた。飛鳥と真桜の存在は、まだ世間には知られていない。だがまだ高校生でありながら、複数の刻印法具を生成するのだから、過激派にとってはこの先十分に、障害になりえる存在でもある。だがまさか、わずか12歳でA級を使いこなしていたとは、思いもしなかった。
「ですが先輩。あっちの子が起こした側唯一の生存者って、どういうことなんです?裏にいるのが過激派なら、あの子だって被害者でしょう?」
飛鳥と真桜の事情はわかった。だが神崎優奈の事情は、まだ何もわからない。三人の風紀委員術師がまだ驚いているためか、代わって翔がその疑問を口にした。
「ああ、そうだ。彼女……神崎優菜の父上が運転する車に刻印が施されたのは、偶然なんだからな」
「偶然?」
「ひどい話でね。足がつかないよう民間人の自家用車に細工して、それで飛鳥と真桜の乗った車にぶつけたのよ。あの日は飛鳥と真桜が主役だったから、三上代表達のスケジュールは簡単に知ることができた。それを逆手にとってね」
「ひ、ひでえ……」
「じゃああっちの部屋にいる子は……わけがわからないまま、ご家族を失ったって言うの?」
「そうよ。これは三上代表から聞いた話なんだけど、事故の直後は飛鳥も真桜も、そして神崎優菜も気を失っていたの。そこを正体不明の勢力に襲われたそうよ。飛鳥と真桜だけじゃなく、三上代表達も諸共に葬り去りたいって過激派が考えても不思議じゃないけどね」
淡々と語っていたさつきだが、途端に口が重くなった。これ以上は確実に、飛鳥と真桜を傷つける。だがそうだとわかっていても、この場にいる同級生は協力してくれたのだから、聞く権利があるはずだ。それは雅人と勇輝も感じていたようで、勇輝も重い口を開き、飛鳥と真桜でさえ知らない真実を語り始めた。
「これも口止めされていたんだがな、飛鳥の母上も真桜の父上も、そして神崎の家族も、事故の直後はまだ生きていたんだ。だがその、襲ってきた連中に殺された。傷ついていた代表と奥方は、飛鳥と真桜を守ることで精一杯。神崎優菜が生き残れたのは、限りない偶然の結果だと言っていた」
勇輝のセリフに飛鳥は目を見開き、真桜は涙を浮かべている。同時に真桜が、勇輝へ詰め寄った。
「嘘……ですよね?お父さん、事故で死んだって……そう言ってたじゃないですか!」
「殺された?過激派に?しかも民間人を使ったテロで?」
真桜が泣き崩れた。飛鳥も呆然としている。
「ごめん……。こうなるってわかってたけど、どうしても言えなかった……。言えば神崎優菜の命が危なかったし、何より遺言だったそうなの。絶対に二人には真相を知らせるなって。飛鳥のお母さんも真桜のお父さんも、それだけは絶対にするなって……」
さつきは泣き崩れた真桜を、両の腕で優しく包み込み、罪悪感の滲みでた顔で答えた。
「お父さん……」
真桜はさつきにすがりつきながら泣いている。さつきも真桜を慰めながら、涙を流している。そんな二人を見た雅人も勇輝も、湧きあがる罪悪感を抑えることができない。表情に出ている。
「あっちの……神崎先輩の命が危なかったって、どういう意味なんスか?」
空気が重い。予想以上の話に、真夏だというのに冷たい汗が止まらない。だがここで話を終わらせることはできない。それが親友の傷口を抉ることだとわかっていても、大河に聞かないという選択肢はない。聞かなければ何もできないとわかっているからだ。
「犯行に使用された車は処分された。だから次は、生き証人である彼女の口を封じること。たとえそれが、何も知らない子供であってもだ」
「な、何なんだよ、その理屈は……。使い捨ての駒みたいじゃねえか……!」
「まるで刻印術師優位論者だ……。それが過激派の……」
「そう、正体だ。だが過激派の中心と目されている人物はともかく、取り巻きは術師ではない者も多いと言われている。真偽のほどはまだわからないが、それが事実なら、ただの優位論者ではないことになる」
「それに代表達を襲った連中が全滅したことに気付かないほど、過激派もマヌケじゃない。だから彼女は、連盟が身柄を引き取った。天涯孤独になっちまった、っていう理由もあるけどな」
もともと優奈には、親しい親戚はいなかった。理由はわからないが、そのために天涯孤独となり、施設に送られるところだったが、あの事件の重要参考人ということもあり、当時の連盟代表が身柄を引き取り、刻印術師ではない家庭に預けられていた。
「事実、三上代表は何度か神崎優菜と面会しているわ。真相を知っている代表でさえ複雑な話なんだから、何も知らない神崎優菜が嘘八百を吹き込まれて、それを信じちゃったとしても、別におかしくはないわ」
室内に重苦しい沈黙が流れた。四年前の事故は事態の深刻さを重要視した連盟と、真相を隠したい過激派の思惑が重なり合い、報道されることはなかった。だから誰も、大河や美花でさえこの話は知らなかった。それどころか当事者である飛鳥や真桜でさえ、真実は知らされていなかった。知っていたのは雅人、さつき、勇輝だけであり、それも当時の代表から直接聞かされなければ、知らないままだっただろう。
「それで雅人さん、勇輝さん。これからどうするんですか?」
沈黙を最初に破ったのは大河だった。煮えくりかえるような怒りを押し殺しつつも、視線は志藤達と共に捕らえた過激派へ向けられている。
「こいつらは管理局に引き渡す。何の情報も持ってないだろうが、それでも一応な」
「俺は四年前の事件との関連性を洗い直す。さつきも雅人も、あまり派手に動かすわけにはいかねえからな」
雅人が飛鳥の、さつきが真桜の盾であると同時に、勇輝もまた二人の盾だ。二ヶ月前まで宝具の生成ができなかったさつきが真桜の盾足り得た理由は、同性だったという理由が大きい。
自分には力が足りない。しかし親友や妹にまで先を越されたという屈辱感や敗北感など、勇輝には無縁のものだ。むしろ飛鳥と真桜の盾としては最低限だろう。勇輝はそう考えている。
だが同時に、刻印宝具を生成できない自分では、役に立てないだろうことも自覚している。だから勇輝は、得意とする干渉系術式を磨き上げた。その結果、雅人、北条時彦に次ぐ実力者と称されてはいるが、それだけでは足りないことも、理解している。
「俺も手伝います」
「私もです。お役に立てないかもしれませんけど」
その勇輝の手伝いに、大河と美花も名乗りを上げた。まだ出会う前だったとはいえ、親友の過去を知ってしまった以上、何もしないでいられるわけがない。
「そんなこたぁねえよ。頼りにしてるぜ、大河、美花」
勇輝も、二人のことはよく知っている。だからすぐに、答えを返した。
「私も手伝います。これでも探索系は得意ですから」
そしてそれは、さゆりも同様だった。
「俺達はどうする?ここまで聞いちまった以上、無関係でも無関心でもいられるとは思ってねえけどよ」
「決まってるだろ」
「決まってるわよね」
「勇輝先輩、俺達も手伝います。何もしないなんてことは、さすがにできませんからね」
志藤、安西、聖美も同じ考えだ。まさか過激派が出てくるとは思わなかったし、自分達の手には余る問題だということもわかっているが、大切な後輩を守るためなのだから、可能な限り手を貸してやりたい。あの話を聞いてしまった以上、それは尚更だ。
「揃いも揃ってお人好しだな。いいぜ。久しぶりにお前らの相手もしてやるから、覚悟しとけよ」
「望む所ですよ」
弟子、そして後輩達を巻き込むつもりは、勇輝にはない。それは雅人もさつきも、同じ気持ちだ。だが彼らの意思を無視することも、勇輝にはできなかった。止めても勝手に手を出してくるだろうし、彼らが標的にならないという保証はどこにもない。それならせめて、自分の目の届く範囲ぐらいは守らなければならない。それが勇輝の本心だった。