12・複数属性特化型
――西暦2097年10月31日(木)PM17:40 明星高校 風紀委員会室――
「今日の巡回は終わりだな。何か問題あったか?」
明星祭まであと二日とせまったこの日も、風紀委員は巡回を終え、風紀委員会室に集まっていた。
「今のところ、問題はないですね」
「こんな追い込み時期で問題があったら、それも困りますけどね」
新体制がスタートしてから一ヶ月が経ち、1年生も慣れてきていた。これは風紀委員会に限らず、生徒会をはじめとした各委員会も同様だ。
さすがにこんなギリギリの時期に問題を起こそうという馬鹿はいない。特に悪質な妨害を試みた場合、全校生徒を敵に回すことになるのだから、いかな優位論者であっても、明星祭直前のこの時期だけは大人しい。
「違いない。それにしても三条先輩、面白いことしてたよな」
「あれはまだ練習らしく、明日の作業で完成させるって話だぞ」
雪乃のクラスは、プールでの展示を行うため、今日も準備に勤しんでいた。
「先輩達、練習だけで息切らしてたけどね」
「要求される技術が高いし、繊細な作業になるからな」
だが雪乃と同じクラスには風紀委員の先輩達も在籍している。刻印術師ではないのに刻印術実技試験では上位トップ10に入る優秀な成績を収める先輩達が、全員息を切らせて目を回しているのだから、他のクラスメイト達はさらに大変そうだった。
「あそこまでいくつも術式を組み合わせて、調整して、先輩達の術式に干渉したりしなかったりっていう微妙な加減までするんですから、とんでもない処理能力ですよね」
雪乃ありきの企画ではあるが、その雪乃が一番平気な顔をして作業をしているのだから、これまたとんでもない話だ。部分生成したタブレット型のワイズ・オペレーター――雪乃はオラクル・タブレットと呼んでいる――を生成しているとはいえ、クラスメイト全員の術式を一人でサポートしているのだから、最早何と言っていいのかわからない。
「考えるだけで頭痛くなるからな」
「どっちにしても、私達の法具じゃできないけどね。処理能力のケタが違いすぎるわよ」
敦やさゆりの刻印法具も処理能力は高い方だが、それでも設置型とは比べるべくもない。理屈ではわかるのだが、実際にやれと言われても絶対にできないし、したいとも思わない作業なので、雪乃がやっていることは純粋に尊敬に値する。
「だよね。あれで複数属性特化型や融合型じゃないんだから、ホントすごいよね」
「そういえば、複数属性特化型と単一属性型って、どう違うんですか?」
ここで花鈴が疑問を挟んだ。話にはよく聞くが、実際にはどういった違いがあるのかは、意外と知られていないのだから、ある意味では当然だろう。
「そのままだ。二つの属性を持つ刻印法具が、複数属性特化型って呼ばれている」
三つ以上の属性に適性を持つ刻印術師は存在する。身近では真桜がそうだ。だが刻印法具は存在しない。もしかしたら存在するのかもしれないが、現時点では確認されていない。なので敦は、二つの属性という表現を使ったわけだ。
「一つは必ず生成者の適性属性で、もう一つの属性が何なのかは、生成してみなければわからないらしい。例えばさつきさんの盾状複数属性特化武装型ガイア・スフィアは風と土の刻印法具だが、さつきさんは土属性への適性が低い。だが生成中は法具の特性もあり、生来の適性属性である風に匹敵する精度と強度で土属性術式を行使できるようになったそうだ。これが複数属性特化型最大の特徴で、異なる形状や属性を融合させる融合型を凌ぎ、刻印神器にすら匹敵すると言われる所以でもある」
さつきがエンド・オブ・ワールドやプロテクト・レボリューションという火、土、風、水の四属性を使ったS級術式の開発に成功した大きな理由が、複数属性特化型を生成したことだった。
刻印法具を生成する前でも、さつきは全ての属性をそつなく使いこなしていた。だが土属性だけは、極端に苦手としていた。もちろん高いレベルで使っていたのだが、強度不足は否めない。だがガイア・スフィアを生成して以降、その土属性の強度が大幅に上がっていた。
「融合型を凌ぐって、そんなにすごいんですか?」
「融合型や刻印神器も、単一属性だからな。確かに処理能力は上がるが、時々限界を感じる時がある」
飛鳥のカウントレスは水、真桜のワンダーランドは風と、本人の適正属性と同じなので、融合型刻印法具は本人の適正属性に統一されることは間違いないだろう。そして刻印神器だが、ブリューナクは光に属している。水と風が天空を、火と土が大地を支配していると言われているため、天空=光、大地=闇属性と親和性があるとされているから、その説でいけば二心融合術によって生成されたブリューナクが光属性になるのはわからない話ではないし、事実として飛鳥と真桜は、光属性にも高い適性を持っている。
だがこの説には、意図的に無視されている点もある。どの属性も光と闇、どちらの性質も持っている。天空は光だけが満ちているわけではなく、夜になれば闇が支配する。大地の闇は、光を灯すことで周囲を照らす。これは光と闇に適性を持つ術師からすれば当たり前のことで、最近まで多くの学者が目を逸らしていたことの方が信じられないことだった。
「さつき先輩のプロテクト・レボリューションなんて、複数属性特化型の処理能力があるからできた術式だものね」
「しかもあれで武装型だから、とんでもないな」
ガイア・スフィアは武装型に分類される刻印法具なので、処理能力は設置型より低い。だが複数属性特化型は、二つの属性術式を同時に行使しても、複数のもう一つの意味である並列処理によって発動速度も術式強度も落ちることがない。同じ術式であっても、並列処理能力によって単一属性型よりも早く、強く発動することができる。
だからこそ複数属性特化型は、単一属性であり、意思を持つため並列処理ができないとされる刻印神器に匹敵すると言われている。
「じゃあワイズ・オペレーターって、複数属性特化型っていう可能性もあるんですか?」
「ああ。俺は複数属性特化型じゃないかって思ってる」
「私もよ。高すぎる処理能力のせいで、その特性が隠れちゃってる気がするわ」
2年生はワイズ・オペレーターが複数属性特化型ではないかと、かなり前から疑っていた。
「雪乃先輩の苦手の土も、防御系や干渉系は私以上の精度と強度で使ってるから、かなり怪しいわよね」
「雪乃先輩が隠すなんてことはしないだろうから、本人も気付いてないのかもね」
「じゃあ委員長と久美姉が、クレスト・レボリューションの習得を諦めた理由も?」
「そう考えれば、納得がいくってことよ。他に設置型を見たことがないから、って理由もあるけど」
飛鳥と久美は、同じ水属性に適性を持つ術師ということで、雪乃からクレスト・レボリューションの習得を勧められていた。最初は雪乃が多大な苦労の果てに開発したS級術式を覚えることに抵抗があったが、クレスト・レボリューションに魅力がないわけではなかったので、結局はお言葉に甘えることにさせてもらっていた。
だが単一属性型である久美のクリスタル・ミラーはもちろん、融合型である飛鳥のカウントレスでも見事に暴走させ、真桜や雅人、さつきがいなければ死人が出ていたのではないかと思える事態を引き起こしていた。
このことも、ワイズ・オペレーターがただの設置型ではないのではないかと疑っている理由だ。
「……」
「どうかしたのか、敦?」
「いやな、俺もワイズ・オペレーターは複数属性特化型だと思ってるが、仮にそうだとして、もう一つの属性は何だと思う?」
複数属性特化型は、二つの属性を備えているからそう呼ばれている。ワイズ・オペレーターが水属性なのは知っているが、それではもう一つは何なのかという敦の疑問は、よく考えなくても当然のものだった。
「風じゃない?」
「確かに相性はいいし、雪乃先輩も高いレベルで使いこなしてるよね」
間髪入れずにさゆりが答え、真桜も同意した。
「俺は土だと思うんだがな」
「さつきさんも同じ理由で、すごい精度で使ってるわよね」
飛鳥の答えには、美花も同意見のようだ。
「大河は?」
「使用頻度が低いってことで、火に一票だ」
「ああ、確かにあり得るわね」
そして大河の答えには、久美が理解を示した。
「なるほどな」
「その様子じゃ、敦先輩はその三つじゃないって思ってるんですか?」
だが敦は、そのどれでもないと思っていたし、実は瞬矢も違うんじゃないかという気がしていた。
「ああ。俺は光だと思う」
「光?なんで?」
「クレスト・レボリューションだけじゃなく、エアマリン・プロフェシーの特性を考えると、どうしてもな。先輩は水属性術式だって言ってるけど、どっちも単一属性術式とは思えねえ」
属性と系統は、組み合わせによる相性がある。
火属性は攻撃系と広域系、水属性は防御系と探索系、風属性は支援系と攻撃系、土属性は探索系と防御系、闇属性は広域系と干渉系、そして光属性は干渉系と支援系が特に強いため、無属性を除いた属性の、同じく無系統を除いた系統術式が、最も強度と精度が高いとされている。
もちろん個人差はあるし、必ずしもそうとは限らないが、クレスト・レボリューションに関して言えば、水属性干渉探索系として開発されているこの術式は、雪乃の適性属性だけではなく、敦が推測している光とも相性がいい。
「そういえば飛鳥君、実際に試してみた時、何か違和感を感じなかった?」
「久美も感じてたってことは、俺の気のせいじゃなかったってことか。それが何かって聞かれたら、答えにくいが」
飛鳥と久美は、あまりの処理能力の高さゆえに、クレスト・レボリューションの習得を断念したわけだが、水属性術式という割には、どうしても別の何かに阻害されているような感じを受けていた。術式の処理を誤っていたという理由もあるだろうが、それだけではないような気も、今となっては確かにする。
「その何かってのが、光属性ってことか?」
「思い返してみれば、光属性の術式を使った時みたいな感覚が何度かあった気がする」
「私は使わないからわからなかったけど、そういうことになるのね」
飛鳥は光属性にも適性があるため、使用頻度は意外と高い。だが久美はそんなに高いわけではないので、光属性の基本中の基本であるフラッシュやシャインぐらいしか使ったことがなかった。
「となるとクレスト・レボリューションは、雪乃先輩が意識してなかっただけで、無属性の術式ってことになるわね」
「その線でいくと、エアマリン・プロフェシーも怪しいだろ」
エアマリン・プロフェシーは、領域内に水の幕による防御結界を展開させる。雪乃の属性相克を反転させる特性を最大限に活用していることもあり、防御力は高い。だが開発当初は間違いなく水属性術式だったが、最近ではさらに防御力と探索力を上げるために、別の属性も組み込んでいるように感じられる。
「怪しいっていうより、ほとんど確定じゃない?」
開発当初こそ完全生成したワイズ・オペレーターで臨んでいたが、これには生成したばかりで特性を掴めていなかったという理由もある。実際雪乃は、神槍事件が終わった辺りからオラクル・タブレットをメインに生成しており、あとは必要な時だけ生成するようになっていた。
「じゃあワイズ・オペレーターは、水と光の複数属性特化型ってことなんですか?」
1年生はオラクル・タブレットしか見たことがない。だが見た目は携帯型なのに、携帯型をはるかに上回る処理能力を誇るオラクル・タブレットは、それだけでも設置型の処理能力を有している。だからエアマリン・プロフェシーもクレスト・レボリューションも使いこなすことができていると言えるだろう。
「可能性は高いだろうな」
「明星祭が終わったら、雪乃先輩に聞いてみようよ」
「そうね。それで試してもらって、確定させた方がいい気がするわ」
ほぼ間違いなく、ワイズ・オペレーターは複数属性特化型だろう。部分生成されたオラクル・タブレットだけでも、普通の刻印法具かそれ以上の性能を持っているし、雪乃のS級術式の特性を考えればそれ以外は考えられない。真桜も久美も、明星祭が終わる前に聞きに行くぐらいのことはするつもりだろう。
「ただでさえ珍しい設置型なのに、それが複数属性特化型の可能性があるなんて……」
「そういえば噂でしか聞いたことありませんけど、設置型を生成する融合型の生成者もいるんですよね?」
「ああ。多分だが処理能力がさらに向上して、もう一つの法具の能力が上乗せされた感じになるんだろうな」
飛鳥も直接見たことはないが、ドイツの七師皇 イーリス・ローゼンフェルトのサテライト・ヴァイゼが、設置型と装飾型の融合設置型刻印法具だということは知っている。だが刻印法具の形状は、七師皇であっても公表はしていないため、知っているからといって周囲に吹聴するようなことはマナー違反とされており、場合によっては情報漏洩の罪を着せられることになる。
「その融合型って、やっぱり武装型が多いんですよね?」
「多いな。刻印神器も武装型に分類されてるから、それ以外じゃ真桜の装飾型ぐらいしか知らないな」
飛鳥のカウントレスもそうだが、ブリューナク、エクスカリバー、レーヴァテイン、ゲイボルグ、そしてダインスレイフといった刻印神器も武装型に分類されている。だが真桜のワンダーランドは装飾型であり、形状を知る者からすれば有名は話だ。
「え?ワンダーランドって、装飾型なんですか?」
「武装型だと思ってましたよ」
こちらに関しても、1年生は知らなかったらしい。
「シルバー・クリエイターと融合させることで剣としての能力が失われて、杖っぽくなるわよね。弓としては普通に使えるみたいだけど」
「ブレイズ・フェザーと、あんまり使い勝手は変わらないかな。飛鳥のカウントレスもそうだけど、融合型はどちらかの形状に近いものになるみたい」
「それでも武装型の範疇だと思いますけど?」
真桜の武装型刻印法具ブレイズ・フェザーは弓状だが、双刃の剣としても使用できるため、近接戦でも使いやすいが、ワンダーランドに融合させることで、確かに剣としての能力は失われてしまう。だが真桜は、シルバー・クリエイターの銀を生成する特性によって、消えた特性を補っている。
「そんなもんなんだよ、刻印法具ってのは」
「確かに、さゆりが銃、敦君が手甲っていうのはわかるけど、私のが杖だったのは、自分でも意外だったわ」
「さつきさんも似たようなこと言ってたなぁ。一つだけ確かなのは、適性属性の法具が生成されるってことらしいけど」
刻印法具の形状は、各人によって異なる。だがどんな形状で生成されるかは、生成してみなければわからない。剣が得意な術師が携帯型を生成したり、後方支援向きの者が剣を生成したりすることも、決して珍しいことではない。だが真桜の言うとおり、適正属性の刻印法具が生成されることは間違いない。
「それにしても融合型はともかく、複数属性特化型と単一属性型生成者の違いって、何なんでしょうね?」
「それも生成してみないとわからないのよね」
融合型の生成者は両手に刻印を持つが、複数属性特化型と単一属性型の生成者は左右どちらかの手にしか刻印を持たない。だから可能性としては誰でも複数属性特化型を生成できると言われているが、複数属性特化型の生成者は少なく、日本では久世雅人、久世さつき、三上一斗、三上菜穂の四人だけであり、雪乃を含めたとしても五人だ。
「アーサーさんや三条先輩は、前世が大きく関係してるんじゃないかって言ってたな。刻印神器をはじめとした融合型生成者も、同じじゃないかって考えてるらしい」
「そういや、また近いうちに来るって言ってたな」
「三剣士が簡単に出国できるとは思えないんだけどな」
世界刻印術相会談に合わせて来日したオーストラリアの刻印三剣士 アーサー・ダグラスは、刻印術師前世論を研究している大学生でもある。その際雪乃の仮説に興味を示し、夏休み中は二人でよく研究をしていた。だが刻印三剣士の称号は、七師皇と同じく世界刻印術相会談の定義であり、世界最強を意味するものでもある。七師皇と同様、三剣士も簡単に出国することはできない。
「そうでもないと思うわよ、私は」
だが美花は、あっさりと飛鳥の考えを否定した。
「私もそう思います。大河先輩も、そう思いませんか?」
「来るだろうな。さすがに年内は無理だろうが、学者としてっていう理由なら、オーストラリアだって止められねえだろ」
琴音と大河も同意見のようだ。だが学者という理由以外にも、何かを察している雰囲気が感じられる。
「っていうか委員長、もしかして気付いてないんですか?」
「何を?」
紫苑に呆れた目をされた飛鳥だが、何のことだか皆目見当がついていない。
「無理よ。飛鳥も敦も、“一流の男性術師”なんだから」
さゆりが溜息を吐きながら、飛鳥と敦を扱き下ろすのも無理もない話だ。
「あの噂、本当なんですねぇ」
「だから何のことだよ?さりげなく、俺もカウントされたが」
一流の男性術師は、他人の恋愛感情や恋愛事情にすさまじく疎い、という噂がある。三剣士でさえこの例に漏れないので、信憑性はかなり高いと思わざるをえない。だが敦は、さりげなくカウントされたことに納得がいっていないようだ。
「でも敦君だって、アーサーさんがそう遠くないうちに日本に来るとは思ってるんでしょ?」
「多分、お前らとは違う理由で、だけどな」
「そっちの方がわからないわよ」
「ですよね」
(あの日……エクスカリバーが呟いた一言が、どうしても気になるのよね。敦君はそのことが気になるみたいだけど、やっぱり気付いてないのね)
久美は自分を助けてもらうために、エクスカリバーを生成してもらったことをよく覚えている。だがその時にエクスカリバーが呟いた一言が、今でも忘れられない。エクスカリバーの予感とはいったい何なのだろうか。それは同じくその場にいた敦も気になっているが、今の話とは関係があるのかすらもわかっていない。
「どうかしたの、久美?」
「何でもないわよ。やっぱり一流の男性術師で例外なのは、七師皇ぐらいかなって思ってね」
七師皇は他人の恋愛に対して、鬼のような超反応を見せる。日本の七師皇 三上一斗も同様で、その証拠も既に掲示されている。
「俺達はあのオッサンども以下なのかよ……」
「それもそれで屈辱だな……」
だが飛鳥と敦(三剣士含む)は、本当に気づいていない。そもそも何の話をしているのかもわかっていない。風紀委員は呆れたような憐れむような目をしながら、全員で一斉に大きな溜息を吐いていた。
――同日 PM21:30 某所――
「時彦様、明日の件ですが、やはり唐皮が最初に到着する見込みです」
「そうですか。確か全国の警察から、生成者を召集するという話でしたね?」
「左様でございます。もっとも、さほど多いわけではないようですが」
「人手不足は、どこの業界も変わりないようですね。ところで、他の二つはどうなんですか?」
「盾無は予定通り、赤糸威は遅れる可能性がございます」
「距離がありますから、それはやむをえません。やはり唐皮の到着を遅らせるしかありませんね」
「あの者達を動かしますか?」
「役には立たないでしょう。そもそも、再起不能になっていると聞いてますよ?」
「ご存知でしたか。失礼しました」
「いえいえ。逆に再起不能になっているからこそ、できることもありますからね。ですがまだ、その時ではありません。時多さん、唐皮の輸送ルートはわかっているのですか?」
「はい。ですので、到着を遅らせることは、さほど難しいことではありません」
「それは頼もしい。ですが、あまり派手にはしないでくださいよ?」
「承知しております。やりすぎてしまえば、間に合わなくなってしまう可能性がありますので」
「お願いします。それから、こちらの方はどうですか?」
「一人は伴侶の関係から目星をつけておりますが、もう一人は難しいと言わざるをえません」
「確かに、あちらの伴侶はここにいますからね」
「呼んだ?あら、時多さん。いらしていたのね」
「夢魅様、ご無沙汰いたしております。深夜訪問の無礼、お詫び申し上げます」
「構わないわよ。それより時多さんが来たってことは、やっと一つ目を動かせる算段がついたってことなんでしょう?」
「左様でございます。もっとも、我々が行うのは手回しだけで、あとは彼が、すべからく実行してくれるでしょう」
「その結果、彼の命が失われても、ね」
「それは大した問題ではありませんよ。僕達の目的を達成するためには、どうしても“あれ”が必要です。そうすれば三上や七師皇に、これ以上大きな顔をさせずに済みます」
「そっちより三剣士でしょう?特に久世雅人は、本当に邪魔よね」
「ですが久世雅人は、三上一斗や三上菜穂に匹敵、もしかすれば凌ぐかもしれない実力者となりつつあります。おそらくは久世さつきも、同等に近い実力を有している可能性もございます」
「そんな彼らがあの二人を守護しているわけですからね」
「いっそのこと、神槍の生成者をマスコミにリークでもしてみる?」
「それは危険かと存じます」
「そうよね」
「ええ。うかつな行動はこちらの尻尾を掴まれる恐れがあるばかりか、命取りになりかねません。最低限の接触はやむをえませんが、僕達につながることはないよう、細心の注意をお願いしますよ」
「御意」
時多と呼ばれた初老の男は、ゆっくりと闇に溶けるように、その場から消えた。
「さすがは時多さん。手回しがいいわね」
「USKIAにも、いえ、アイザック・ウィリアムにも感謝したいところですよ」
「まったくね。まさか刻印後刻術に、あんな副作用があったなんて」
「万が一の事態を想定して、時多さんに彼の身柄を確保してもらっていましたが、それが功を奏すとは、思っていませんでしたからね」
「だけど問題はあるでしょう?」
「ないわけではありませんが、彼の望みはあの男との再戦です。ですから、それまではこちらを裏切るような真似はしないでしょう」
「再戦ねぇ」
「どうかしましたか?」
「一度負けた相手に、時と場所を変えて戦うことに、何の意味があるのかしらね?」
「それは僕にもわかりませんよ。直接戦ったわけではないから、なのかもしれませんが」
「どうでもいいわよ、そんなこと。こちらに噛みつかないならね」
「時多さんと彼が、なんとかしてくれるでしょうね。ところで夢魅さん、お風呂じゃなかったんですか?」
「ええ。あなたも一緒に入る?」
「そうさせていただきましょう」




