10・連絡委員会
――西暦2097年10月9日(水)PM15:00 明星高校 連絡委員会室――
翌日の放課後、連絡委員会と自治委員会で出し物の抽選が行われた。だが連絡委員会は、予想通り荒れそうだ。
「おい、伊東。なんでこいつらがここにいるんだ?」
「公正さを保つための立会人だよ」
と説明しつつも、連絡委員会室に集まった各部の部長、キャプテン達は、一様に批難の眼差しを壮一郎に向けている。
「富永は副会長だからわかるが、なんで一ノ瀬もなんだよ?」
飛鳥が指名したのはさゆりだった。他にも瞬矢とオウカの姿もある。だが連絡委員達からすれば、生成者が立ち会いにくることなど予想外だ。
「何か不満でも?」
「不満ってわけじゃないが……」
レインボー・ヴァルキリーに正面から不満をぶつけるという命知らずなことは、さすがにこの場の誰もするつもりはないようだ。
「ストレートに言っちまえば、問題を起こさないための抑止力だ」
明星高校のクラブは、運動部と文化部あわせて50以上ある。同好会レベルの活動しかしていないクラブもあるが、理事長が学生時代同好会に所属し、ついにクラブに昇格することができなかったというトラウマを抱えているらしく、就任すると同時に明星高校から同好会は消えた。
「きたねえことを……」
この場にいる50人以上の部長達は、当然だが高いレベルで刻印術を使う。そのために何度か風紀委員のお世話になったこともあるのだから、壮一郎が先手を打ったのもわからない話ではない。だがそれはそれだ。
「うるせえよ。抽選結果次第じゃ、乱闘になる可能性だってあるだろが」
「そんなわけで、私が風紀委員長に指名されて来たわけ。この子達は富永君同様、立会人の経験を積んでもらうためね」
「というわけだ。おら、さっさと抽選するぞ」
連絡委員はかなり納得がいっていないようだが、本当に結果次第では乱闘になるだろうから、抑止力がいない状況で抽選などしたくはない。委員長である壮一郎だけではなく、副委員長も同じことを考えていた。
「れ、連絡委員会って、けっこう荒っぽいんですね」
だがこの荒っぽさに慣れていない駆は、若干怯えているようにも見える。
「そうでもないわよ。ほら、文化部は大人しいでしょ?」
だが荒れているのは運動部だけで、文化部は静かなものだ。それがいいのかどうかは、また違う話になるが。
「あ、本当だ」
「運動部と文化部で、見事に反応がわかれてるんですね」
「どこの学校も似たようなものだと思うわよ」
例外はあるだろうが、基本どの学校も運動部が活発で、文化部は静かだろう。
「悪ぃな、一ノ瀬」
「それはいいんだけど、連絡委員会って、恭子先輩の頃よりだいぶイメージ変わったわよね」
「あの人は温厚だからな。つか、なんでお前が知ってんだ?」
「ああ、なるほどな」
「一ノ瀬先輩、その人って誰なんですか?」
「島谷恭子さんっていって、伊東君の前の前の連絡委員長よ。今はさつきさんと同じく、明星大学に通ってるわ」
元連絡委員長 島谷恭子は、さつきの親友であり、現在はさつきと同じ明星大学に通っている。昨年度のヴィーナス・コンテスト グランプリでもある美少女で、温和で温厚な性格も人気を集めていた。
「え?女の人が委員長をやってたんですか?」
この荒れ模様を見た瞬矢は、まさか女子生徒が連絡委員長をやっているとは思わなかった。目の前では運動部と思しき生徒達が、かなり血の気をはらんで見えるのだから、そう思うのは仕方がないだろう。
「そうよ。伊東君も言ってるけど、美花や雪乃先輩みたいに温和な人だから、連絡委員長っていう役職は大変だったと思うわよ」
恭子は在学中、演劇部に所属していた。大学でも演劇のサークルに入っている。
だからというわけではないが、血気盛んな運動部を抑えることは、恭子にはかなり難易度の高い問題だった。幸いと言うべきか、人気が高かったこともあり、かなりのクラブが協力的な面もあった。だからその後を引き継いだ矢島が地獄を見たのは、ある意味では必然だろう。もっともその苦労は、ほとんどが敦や壮一郎に降りかかっていたわけだが。
「実際そうだったからな。だからといって、文化部と運動部から交互に選出しなきゃだから、どうにもできねえし」
連絡委員長は、は文化部と運動部から交互に選出される。一昨年が演劇部の恭子、前期が総格部の矢島だったので、今年は文化部からとなる。
「え?でも伊東委員長って、剣道部じゃありませんでしたか?」
だが連絡委員長に就任した壮一郎は、入学当初から剣道部に所属している。
「俺は歴史研究部と掛け持ちしてるんだよ」
だが壮一郎の答えは、簡素なものだった。歴史研究部と掛け持ちしているのなら、一応条件はクリアされている。
「そもそもなんですけど、連絡委員会ってどんなことしてるんですか?」
「あ、そっか。オウカちゃんは知らなくても無理ないわよね」
だがロシアからの留学生であるオウカは、まだ明星高校の委員会やクラブのことをよく知らない。クラブ活動に関係していることはわかるが、それだけではないこともこの一か月で見てきたので、連絡委員会が何をしているのか、正直なところ、よくわかっていない。
「だな。連絡委員会ってのは刻練館や校庭の部活スケジュールの調整や、術式試合の管理、立ち会いをしてるんだよ。ただその性質から、部長やキャプテンが委員長になることはできないんだ」
「自分が所属してるクラブを、優先的にスケジュールに組み込むからですか?」
「そういうこと。だから連絡委員会は、部長やキャプテンの他に、もう一人入ることになってる」
「部長やキャプテンは、大会や練習試合のことで出席できないことが多いからですね。井上先輩がそんなことを言ってました」
「本来ならあいつがなるはずだったんだが、風紀委員会に引き抜かれちまったからな。俺だってやりたくてなったわけじゃないんだよ」
次期連絡委員長最有力、どころか、九割方確定していた敦だが、修学旅行で刻印法具を生成し、ブリューナクまで見てしまったため、風紀委員会に半ば強制的に引き抜かれた。矢島は最後まで抵抗したが、生成者を放っておくほど風紀委員会は酔狂ではないし、卒業生のソード・マスターとマルチプル・ヴァルキリー、さらにはエグゼキューターまでもが出てきたため、最終的には涙を飲んでいた。
だが同級生の連絡委員達からすれば、穏やかな話ではない。
「そうなんですか?それじゃ連絡委員会って、どうやって委員長を選出してるんですか?」
「前委員長の推薦と各部からの信任投票だ」
「それで伊東先輩が委員長になられたんですね」
もっとも前委員長から推薦自体が、各クラブとの協議の結果でもあるため、信任投票はあまり意味がない。
「ちょっと待ってください。今年は文化部から選出されるんなら、なんで敦さんが次期委員長って言われてたんですか?」
だがオウカの疑問ももっともだ。既に退部しているが、敦は空手部に所属していた。空手部はまごうことなき立派な運動部なので、連絡委員長の候補にすらなれないはずだ。その敦がなぜ次期委員長と言われていたのかがわからない。
「直前でどっか適当な文化部に入ればいいだけだ。井上自身も、その覚悟は決めてたらしい」
だが壮一郎は、あっさりと答えた。
「そんないい加減な……」
この答えには瞬矢も予想外だったようで、少し呆れている。
「裏技って言うべきでしょうね。連絡委員会は一番の大所帯だから、次期委員長って夏までにはだいたい決まっちゃうのよ」
「そうなんですか?」
「一ノ瀬の言うとおり。特に夏休みはかなり過密スケジュールになるから、夏休み前から引き継ぎをしつつ、スケジュールを組むことが最初の仕事ってことになってるんだ。で、俺は井上の次に術式試合の立ち会いやスケジュール調整に携わってたから、井上の後釜という貧乏くじを引かされたわけだ」
連絡委員会の仕事は多岐に渡る。校庭や刻練館、講堂を利用するクラブのスケジュール割り当て、術式試合の管理と立会い、各部の予算管理と承認、生徒会との折衝などが主な仕事で、他にも細々とした仕事がいくつかある。
「貧乏くじって……」
「この様を見れば、そう言いたくなる気持ちもわかるわね。富永君、大丈夫?」
「は、はい……」
既に抽選を終え、結果も出た。だが激しく狼狽している駆の態度を見てもわかるように、目の前では連絡委員の先輩方が今にも取っ組み合いをはじめ、刻印術の撃ち合いでもはじめそうな勢いを見せている。
「とりあえず、止めるとしますか」
「悪ぃな」
「な、なんだ!?」
「これって……もしかして、マテリアル!?」
「ってことは、一ノ瀬か!何しやがる!」
マテリアルは土性A級自然型広域系術式であるため、使い手は限られる。そのため全員が、発動させた術師がさゆりだと瞬時に理解できていた。
「何しやがる、じゃないでしょ。なんで乱闘寸前の騒ぎに発展してるのよ?」
そのさゆりは、生成したレインボー・バレルに頬杖をつきながら呆れ果てていた。
よく見れば大人しいと思っていた文化部でさえ、刻印具をスタンバらせている。刻印術が浸透している今、腕力がものをいう時代は終わり、非力な女性や老人でも、暴漢に襲われるといった事例は減ってきている。身を守る最低限の刻印術は、適正属性や系統によって異なるから、襲う側としてもリスクが大きいし、もし相手が相克関係の属性に適性を持っていれば、襲う側の身が危ない。だからといって、抽選結果を無視していいというわけではない。
「今年は校庭が使えないから、運動部のフラストレーションがマックスに近いんだよ」
「ああ、そういうことか。けっこう前からわかってたんだから、いい加減諦めなさいよ」
「そうは言われても……」
どうやら運動部、それも屋外のクラブはいまだに諦めきれないようだ。各クラブが明星祭で何をするかは、毎年だいたい決まっている。たまにバッティングする年もあるが、基本は変わらない。だが今年は、その基本から改変を余儀なくされているため、屋内運動部や文化部まで巻き込んで騒動に発展してしまった。
「そもそも当選した部から力づくで権利を奪い取ろうだなんて、風紀委員が介入するにも十分すぎる理由なのよ。これでも止まらないつもりなら、動けなくするだけじゃなく、意識を刈り取るわよ?」
だからといって、無法を許すつもりはさゆりにはない。マテリアルの強度を上げ、連絡委員の皆様方を威圧し始めた。
「結局、力づくで抑える羽目になったか。で、結果は?」
さゆりに圧倒される形で場は沈静化したが、無事にとはとても言い難い。このままではよろしくないと感じた壮一郎は、何か手を打つ必要性を感じていた。
――PM15:47 明星高校 生徒会室――
「ごめん、かすみ。ちょっとやりすぎたかも」
連絡委員会の抽選は、さゆりのマテリアルで若干名意識を失い、保健委員までも駆り出される事態となっていた。
「それはいいんだけど……なんでマテリアルなんか使ったのよ。クレイ・フォールでも十分だったでしょう……」
だからかすみは頭を押さえながら、生徒会長用の椅子で大きな溜息を吐きながら頭を抱えていた。
「結果的に乱闘にはならなかったし、あいつらも反省してるから、勘弁してやってくれ」
「はぁ~っ……。それで富永君とオウカちゃん、佐々木君は?」
壮一郎が擁護しているが、かすみは再び溜息を吐いた。立ち会った1年生三人の姿が見えないことも理由だ。
「富永のダメージがデカいから、佐々木とグロムスカヤさんが様子を見てくれてる。刻印法具やA級を見たの、初めてだったらしいからな」
「はぁ~~~っ……」
「ご、ごめん、かすみ……」
三度かすみは、溜息を吐いた。瞬矢とオウカが平気なのは、慣れているからなのだろう。だが駆は身近に生成者もおらず、A級も見たことがなかった。かすみにも覚えがある。初めて飛鳥と真桜の刻印法具とA級術式、しかも積層術を見たときの恐怖と衝撃を。
「田中、自治委員会の結果持って……って、どうしたんだ?」
そのタイミングで迅と飛鳥が戻ってきた。迅の手には、自治委員会の抽選結果が握られている。
「連絡委員会で何かあったんだろ。俺が行くべきだったかな」
「来たのがお前でも、大した違いはなかったと思うぞ。田中が頭を痛めてるのは、富永がショックを受けてることだからな」
「何したんだよ?」
かすみが頭を抱えている理由が、連絡委員会で問題が起きてしまったためだろうことはわかる。だが誰が来ても同じ結果になったという壮一郎の言葉は、若干だが引っかかる。
「ちょっと、マテリアルをね……」
「A級使ったのかよ!?」
「いや、マジでそれは問題じゃないんだよ」
さゆりの答えに驚く迅だが、壮一郎やかすみからすればそれは本当に大した問題ではない。
「富永って、A級見たことないのか?」
「あるわけないでしょ。刻印法具だって初めてよ」
飛鳥の質問に、頭を抱え疲労感を滲ませたかすみが答えた。
「まあ、なんだ……いずれ見ることにはなっただろうから、勘弁してくれ」
その姿に罪悪感を覚えた飛鳥だが、今回もいつものごとく謝ることしかできない。
「そうなんだけどね……。それで、連絡委員会は納得してくれたの?」
だがかすみも、ある意味ではこんな時のために会長に推されたわけであり、悲しいかないつかこんな日が来ることも予想できていた。さすがに予想より早かったが、明星祭までに何度か来ると思って覚悟を決めていたので、まだダメージは少ないと思われる。その証拠に、かすみは連絡委員会の状況を聞いてきた。
「一応はな。その代わりってわけじゃないが、かなりフラストレーション溜め込んでるから、近いうちに発散させなきゃならん」
「つまり?」
運動部のフラストレーションが溜まりに溜まってるのは、かすみも知っている。だがどうやって発散させるかが問題で、壮一郎とともに日夜頭を悩ませていた。
「私達が各部ごとに、まとめて相手をすることになったわ」
「それって、風紀委員対各部の対抗戦ってこと?」
だからさゆりの提案、というか打開策は、かすみにとって想定外だった。対抗戦程度でフラストレーションが発散できるとは思えないし、逆に溜め込むだけな気がして仕方がない。
「違う。風紀委員はサンドバッグだ」
「サンドバッグ?」
サンドバッグとはチェーンやロープで吊らされた砂や水、柔らかい素材を詰めた袋のことで、打撃やタックル等の格闘技の練習に使われる器具のことだ。1920年代、日本にボクシングが伝わってきた際、当時の練習生が砂を詰めて練習していたため、その名残で今もサンドバッグと呼ばれている。かすみの脳裏に浮かんだのはこちらだが、壮一郎は別の意味で答えていた。
「こっちは身を守ることだけに専念して、あとは時間いっぱいまで各部が刻印術をぶっ放しよ」
サンドバッグには別の意味があり、手も足もでないような状況で袋叩きにされたり、無抵抗な者によってたかって殴る蹴る等の暴行を加える行為を、通称“袋にする”とか“サンドバッグにする”と言う。壮一郎やさゆりはこちらの意味で答えていた。
「マジか?」
当然、迅にも驚きだ。
「マジよ」
「また無茶苦茶な代案出したわね……。そんなの、生成者でもないと耐えられないでしょうに……」
四度、かすみの溜息が生徒会室に木霊した。生成者ならば耐えられるどころか、そもそも通用しないだろう。だがあまりにもメリットがなさすぎる。かすみは軽く絶望していた。
「ちなみに時間は?」
「10分よ」
「まあ、それぐらいならいいか」
「え?いいの?」
だから飛鳥がOKするとは思っていなかったから、少し驚いた。
「そこまで運動部のフラストレーションが溜まってるんなら、少しぐらいは発散させとかないと後々にも響く。最悪、宿泊研修まで引きずるだろうからな。それなら、今の内に発散させておくべきだろう」
「でもよ、それじゃ風紀委員、っていうかお前らのフラストレーションが溜まらねえか?」
迅だけではなく、かすみも壮一郎も同じことを考えている。そしてそちらの方が危険度は高い。
「こっちも防御系の構築や研鑚を兼ねるから、何とかなるだろ」
「風紀委員がいいなら、スケジュールを調整してもらって、早いうちに刻練館でやってもらいたいところだけど、本当にいいの?」
飛鳥を疑っているわけではないが、本当にいいのか再度確認せざるをえない。
「説得するさ。多人数相手の防御系を構築しとく必要があるし、かなり重要だから反対はされないと思う。たださすがに、生成はすることになると思うが」
「それは仕方ねえ。万が一にも、怪我なんかされたらたまらんからな」
「そんなヘマはしないつもりだけどな。とりあえず、後で聞いておく。返事は明日以降になると思うが、いいか?」
「それは当然よ。でもやるのは、2年生の生成者だけにしておいてよ」
だがかすみは、かすかに見えた希望の光が消えないことを祈っていた。
「そのつもりだよ」
その言葉通り、一週間後には希望したクラブ全てとの手合わせ(?)が終わった。相手が生成者、しかも攻撃してこないということで、どのクラブも日頃の恨みとばかりに、遠慮なく刻印術をぶっ放してき」たが、五人には傷一つ付けるどころか、結界すら破れなかった。だがそれはどのクラブも想定内だったようで、むしろ溜め込んだ鬱憤やストレスの解消になり、気持ちよく明星祭の準備に取り掛かることができそうだ。
対照的に立ち会った会長のかすみや生徒会、そして風紀委員の1年生達は、かなり呆れていた。飛鳥達は本当に防御系の積層術をいくつか試していたのだから、いくらなんでも余裕がありすぎだ。流れ弾が飛んでくることもあったが、それは話を聞きつけた雪乃のエアマリン・プロフェシーによって、完全に防御された。立ち会う意味があるのか、という疑問をよそに、これでひとまず丸く収まったわけなので、かすみは考えることを放棄し、明日から明星祭に向けての追い込みに入ることを誓った。
――西暦2097年10月18日(金)PM17:00 明星高校 風紀委員会室――
最後のクラブの打ちっぱなし(?)が終わり、生徒会と風紀委員会は風紀委員会室へ集まっていた。
「みんな、お疲れ様」
最初に労いの言葉をかけたのは、話を聞きつけた雪乃だった。
「先輩こそ、わざわざありがとうございました」
「すいません、三条先輩。私達の都合に付き合わせてしまって……」
雪乃にとって高校生活最後の明星祭だというのに、生徒会の都合に付き合わせてしまったわけだから、かすみが申し訳なさそうな顔をしているのもわかる。
「気にしないで。あんな無茶なことされたら、私だって黙ってるわけにはいかないから」
雪乃は、多ければ数十人単位で発動される積層術を、わずか五人で受けようなどと考える後輩達が心配だった。刻印法具を生成してはいたが、結界が破られる可能性は決して低くはなく、防御に専念していたとしても、万が一が起こる可能性はあると思い、立会いを申し出てくれた。
「でも先輩のS級って初めて見ましたけど、すごい強度の結界ですね」
S級といえば攻撃・戦闘系術式が多く、ほとんど代名詞となっているため、防御系や探索系を主体としたS級術式は珍しい。だから生徒会が雪乃のエアマリン・プロフェシーを初めて見たとしても、おかしいとは思わない。
「防御するだけだったからよ」
水性広域探索防御系として開発したエアマリン・プロフェシーだが、今までの事件の教訓を活かし、雪乃は無性広域探索防御系対象結界術式として再調整をしていた。初めて開発したS級術式は愛着も強いため、細かい調整や設定変更を行う生成者は少なくないが、名称だけは変わらない。
そのエアマリン・プロフェシーを、各クラブが四方八方から乱射していた刻印術の流れ弾から生徒会を守るために展開していた。
「そうなんですか?」
「エアマリン・プロフェシーは俺達の防御系どころか、A級より強固だからな。しかもさっきのでも、本来の強度には程遠い」
「えっ!?」
「あれでもって……マジなんですか?」
「それは井上君の勘違いよ。エアマリン・プロフェシーは領域内の刻印術を解析して、それに適した強度で展開できるよう調整しているの」
「そうだったんですね。って、簡単に言いますけど、それってとんでもなく大変じゃないですか」
雪乃は開発したS級術式の調整を、日夜繰り返している。そのため開発当初より強度は増しており、他にもワイズ・オペレーターの特性を活かした調整も施している。だがさすがに、領域内の刻印術を解析し、それに応じた強度で展開できるようにしていたとは思わなかった。
「刻印具じゃどれだけ頑張っても無理だよな」
「刻印法具でも無理だ。処理能力に特化した設置型でもなければ難しいと思うぞ」
ワイズ・オペレーターは設置型刻印法具であり、飛鳥のカウントレスや真桜のワンダーランドといった融合型よりも高い処理能力を持つ。だが飛鳥も真桜も、そこまで処理能力を使う術式を開発したことはないし、特に真桜はそこまで細かい作業が苦手だ。
「オラクル・ヴァルキリーっていう称号は伊達じゃないってことか。でも先輩の法具って、確か設置型でしたよね?」
「ええ、そうよ」
「どうかしたのか?」
「先輩の法具、あれってどう見ても、携帯型にしか見えませんでしたよ?」
「あ、それ、私も気になってました」
雪乃はワイズ・オペレーターを生成する際、ほとんどタブレット型の小型端末しか生成しない。だから壮一郎や真子のように、雪乃の刻印法具が携帯型だと思っている生徒は多い。
「ワイズ・オペレーターは部分生成ができるのよ。設置型は大きすぎてどうしても行動が制限されるから、けっこう助かってるわ」
「部分生成!?」
「そ、そんな法具、初めて聞きましたよ!」
刻印法具は武装型、携帯型、装飾型でその総数の九割以上を占めており、一部分だけを生成するといったことはできない。だから世間一般では、部分生成できる刻印法具の存在はほとんど知られていなかった。
「設置型や生活型には、稀にそんな特性があるらしい。生成者自体が少ないから、あんまり知られてないみたいだけどな」
設置型と生活型、そしてそれに分類される融合型と複数属性特化型の生成者は少ない。日本でも設置型を生成するのは雪乃だけで、生活型も三華星の秋本光理、さゆりの兄で教育実習生の一ノ瀬準一の二人のみだ。それが融合型や複数属性特化型に分類されるとなれば、世界中を見渡しても片手の指で足りるだろう。
「確かに、生活型なんて聞いたことないからな」
「設置型も、日本じゃ三条先輩だけなんでしょう?」
「今のところはな」
誰がどんな刻印法具を生成するのかは、生成しなければわからない。今後日本でも設置型や生活型を生成する術師が現れないとも限らない。だから飛鳥は、今のところ、という表現を使っている。そしてそれは、全員が理解していた。
「みんなも生成者だからすごいはずなんだけど、武装型だから珍しいって感じはしないわね」
武装型は全生成者の半数を占めると言われている。神槍事件で明星高校生達が遭遇した生成者も、ほとんどが武装型だった。
「それ、先輩達にも言われたわ」
「実際、その通りだからな。こいつらは別だが」
「まあ融合型も、日本じゃこいつらだけだしな。そう考えるとこの学校、かなりとんでもないな」
武装型、装飾型に分類される融合型を生成する飛鳥と真桜だが、それでも日本では二人しかいない。その飛鳥と真桜、設置型の雪乃はここの生徒だし、複数属性特化型を生成する雅人とさつきも卒業生だ。あまりにも片寄りすぎている。
「まったくだ。で、伊東。運動部は?」
その理由は、神槍ブリューナクによって生成を促されたためだが、さすがに話せることではないので、飛鳥は話題を運動部の件へ戻した。
「今日の連中は後で聞くが、昨日までに終わらせたクラブは、ちゃんと準備に取り掛かってるよ。お前らに通用しないこともわかってたから、問題もないだろ」
「私の防御系は貫かれるんじゃないかって思ってたんだけどね」
「姉ちゃん、防御系苦手だもんな」
久美と京介は、姉弟揃って防御系への適性が低い。京介は飛鳥の課題をこなすことで、何とか平均ラインに差し掛かろうかというところまで習熟したが、久美は飛鳥達と共に鍛え直したことで、平均どころか適性が高いと言えるレベルまで習熟していた。それは敦とさゆりも同様で、非適正属性や系統の習熟度は、刻印法具を生成してから一気に上がっている。
「あれを見て、それを信じろって言われてもな」
「まあ無理よね。それにしても、とんでもない精度だったわね」
雪乃を含めた六人の中では、久美の防御系が一番精度が低い。だが先程展開されていた防御系の精度と強度は、刻印法具を生成していたことを差し引いても、生半可な術式で破ることはできないものだった。
「私は、もうちょっと工夫しなきゃかな」
「私もね。思ってたより強度が低かったし」
「俺は広域系をどうにかしなきゃだな」
だが真桜やさゆり、敦は納得がいっていないようだ。
「あれで満足できねえのかよ……」
「けっこう貪欲ね……」
「これぐらいはしとかないと、なんだよ」
「満足したら、そこで成長は止まっちゃうしね」
呆れる生徒会を横目に答えた飛鳥と久美だが、やはり満足している様子はない。
「まあ、確かに」
だがその答えは、真子にも納得できた。
「生成したら終わりじゃなく、むしろ始まりなんですね」
「それはそうよ。生成してからの方が、はるかに大変だわ」
雪乃も日夜、刻印術の習熟と研鑽に努めている。生成者の数はそれほど多いわけではないので、S級術式の開発や技術研鑽、習熟などはだいたい一人で行う。
だが明星高校の関係者には、飛鳥、真桜、雪乃、敦、さゆり、久美、雅人、さつき、卓也、準一と10人も生成者がいる。しかも名のある一流の生成者ばかりなので、互いが切磋琢磨することで、何倍もの早さで腕を上げていた。
「先輩やこいつらを見てますから、それはわかりますね。それじゃ俺は、連絡委員会室に戻ります」
それは壮一郎にもよくわかった。明星高校の運動部は、卓也が四刃王になる前から練習を見てもらっていた。といってもスポーツ関係ではなく、主に刻印術関係だが。
それはそれとして、今日までの立会いの後片付けのため、風紀委員会室から出て行った。
「ええ。みんなにもよろしくね」
「私達も、生徒会室に戻りましょうか」
「だな」
「そうね。では三条先輩、失礼します」
「ええ。準備、がんばってね」
「はい。失礼します」
かすみもいつまでも風紀委員会室にいるわけにはいかないと思い、生徒会を促し、挨拶をしてから委員会室を後にした。




