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刻印術師の高校生活  作者: 氷山 玲士
第一章 刻印の高校生編
10/164

10・終わりと始まり

――西暦2096年5月24日(木)PM16:18 鎌倉市市民病院 病室――

 病室の中ではさつきが点滴や輸液の管につながれ、人工呼吸器をつけられたまま眠っている。刻印術と刻印具の併用、技術の発達によって、ここ数年で医学は目覚ましく進歩した。数日もすれば傷一つ残さずに完治するだろう。

 だがさつきは目覚めていない。顔色はいいし、傷もだいぶふさがっている。今にも起きてきそうなさつきを、飛鳥と真桜は一日に一回は必ず見舞うようにしていた。


「今日もダメか……。いつになったら起きるんだろう」

「だいぶ印子も回復してきてるみたいだし、あと二、三日ってとこじゃないか?」

「それにしたってもう三日だよ。いくら大丈夫って言われてても、やっぱりって思っちゃうよ」


 真桜は視線をさつきに向けた。この三日間、さつきは眠り続けている。さつきが眠り続けている理由、それは印子の消耗が激しいためだった。幸いにも深刻な事態になる前に真桜が間に合っていたようで、後遺症の心配はないと言われた。しかし失われた印子の回復のため、数日は眠ったままだろうと言われている。


「まだ三日、なのかもしれないな。一ヶ月近く眠ったままっていう話も、そんなに珍しくないし」

「それはそうだけど……」


 真桜はさつきの手を握りしめ、祈るように呟いた。


「よう、来てたのか」

「酒井先輩、葛西先輩。今日は当番じゃなかったんですか?」


 飛鳥に声をかけ、病室に入ってきたのは武と昌幸、そして副委員長としてさつきの代理をしている志藤だった。


「今日も現場検証みたいでな。もう閉門だ」

「志藤先輩も来られたんですね」

「武田先輩と安西先輩も来てるよ。売店に寄ってくるって言ってたな」


 思ったより大人数で見舞いにきたようだ。そう言えば大河と美花も、後で顔を出すと言ってた気がする。


「そうなんですか。それで志藤先輩、現場検証って?」


 そんな飛鳥の考えを知ってか知らずか、真桜が志藤の台詞に疑問を感じていたようだ。現場検証は昨日で終わったと聞いていたのだから、無理もないが。


「食堂、校庭、刻錬館でA級術式が使用されたからな。大事をとって検証を続けてるだけみたいだ」


 その場所に思い当たることが多々ある二人は、揃って目を逸らしていた。


「まったくお前らは……兄妹揃って化け物かってんだよ」

「化け物とはひどいですね」


 武の一言はさすがに許容できない。だがそう言われても仕方のないことをしでかしたことも事実だ。


「だってそうだろ。刻印宝具を生成できるだけでも驚きなのに、まさか二つも持ってるなんて、誰が想像できるんだよ」


 昌幸が追い討ちをかける。まったくその通りであり、複数の刻印宝具生成者は滅多に、どころかお目にかかれることが幸運と言えるレベルの希少さだ。それが目の前に二人もいるなど、常識ではあり得ない。


「姐さんがお前らを風紀委員に推薦した理由が、本当によくわかったぜ。つか推薦しない理由が皆無じゃねえか」

「妹さんも風紀委員に入ってもらったほうがいいんだろうな、これは」


 武も昌幸も冗談半分で答えた。残り半分は本気だったが。


「いえ、先輩……その話は……」


 だが真桜としては、それは既に済んだはずの話だったし、今更という気持ちがないわけでもない。


「いいじゃない。元々あたしはそのつもりだったんだから」


 だから真桜は、その声が聞こえた時、飛び上がりそうになった。真桜だけではなく、全員の目がベッドへ向けられる。そこには目を開き、無邪気ともとれる笑みを浮かべたさつきの顔があった。


「さつきさん!」

「良かった!もう大丈夫なんですね!」


 真桜がさつきに抱きつき、涙を流した。そんな真桜の背中を、さつきはまだ力の入らない腕に鞭を打って動かし、優しく撫でた。


「おはよ。なんか心配かけちゃったみたいね」

「本当ですよ!あんな無茶するなんて」


 真桜が泣きながらさつきに文句を言う。さつきは少しバツの悪そうな顔をしたが、笑って誤魔化すという選択肢を選んだ。


「立花、もういいのか?」

「まだ力は入らないけど、なんとかってところかな」


 代表して、というわけではないだろうが、志藤がさつきに声をかけた。


「それで志藤、現場検証って言ってたけど、何があったのさ?」

「それは立花の方がよく知ってるんじゃないのか。御堂も島谷も相田も、あの後でひっくり返りそうになってたからな」


 志藤は笑って答えた。もっとも話を聞いた時、自分は派手にひっくり返ったのだから、人のことを笑えた義理ではない。


「あんた達……また……」


 どうやらさつきは、それだけで全てを理解したようだ。伊達に長年の付き合いではないが、さつきは頭痛を抑えることができなかった。


「う……」

「いえ……その……!」


 その時、ドアをノックする音が聞こえた。真桜は手元のリモコンを操作し、ドアを開けた。


「やあ、飛鳥、真桜ちゃん」

「雅人さん。お久しぶりです」

「あの時はご迷惑をおかけしました」

「雅人じゃん。久しぶり」


 現れた青年に三者三様の声をかけ、同時に雅人が驚きの声を上げていた。


「さつき!目が覚めたのか!」

「ついさっきね。雅人にも心配かけちゃって、ごめんね」

「いいさ、別に。俺の都合で振り回してるようなものなんだから」

「今回は特に迷惑かけちゃったね。この子達の後始末、大変だったんじゃない?」

「大したことじゃないさ。さつきが目を覚ましてくれたなら、それでいい」


 さつきと雅人の間に、なんというか、甘ったるい空気が流れている。武にはそれが気に入らないようだ。


「で、何なんだよ、こいつは?」


 友好的、とはとても言えない物言いに、雅人も苦笑し、飛鳥と真桜、さつきは人の悪い笑みを浮かべている。


「そうか。2年生は知らなかったんだっけな。この人は久世雅人さん。俺達が入学した時の風紀委員長だ」


 答えたのは志藤だった。彼としても、雅人がこの場に現れたことに対する驚きはない。


「久世雅人って、まさかあの久世雅人!?」


 昌幸が驚きをあらわにした。彼は雅人のことを知っているようだ。


「その久世雅人です。やっぱり有名人なんですね」

「当たり前だろ!っていうかお前、ソード・マスターとも知り合いだったのかよ!?」

「その呼ばれ方、あんまり好きじゃないんだがな。そもそも代表が勝手に言ってるだけで、俺はそんな自覚は持ってないし」

「そんなことありません!近接戦闘においては名実ともに国内最強の一人!火と水という相反する属性を行使する刻印宝具“氷焔之太刀”を使いこなす世界有数の刻印剣士!ソード・マスター以外の称号なんて、あり得ませんよ!」


 昌幸はすっかり興奮している。そんな親友の豹変ぶりに、さすがの武も少し引き気味だ。


「別に知り合いでもおかしくはないな。なにせ久世先輩は、立花の婚約者なんだからな」


 しかし志藤のピンポイント爆撃を受けた武と昌幸は、時間にして三秒ほど固まってしまった。飛鳥と真桜は、そんな二人を見ながら必死に笑いをこらえていた。


「こ、婚約者?ソード・マスターが?委員長と?」

「はい?いや、待て!なんで志藤先輩がそんなこと知ってんスか!」

「というか、逆に知らなかったのか?少なくとも3年生の間じゃ、有名な話なんだがな」


 武の疑問に志藤が軽く答えた。だが武にとってその言葉は、ヘビー級のパンチにすら匹敵する威力を持っていた。


「知らねえし!マジスか、姐さん!?」

「ホントよ。卒業と同時に、結婚する予定なの」

「……」


 綺麗に顎を撃ち抜かれた直後にタオルが投入された……ような気がした。武は床に手をついたまま立ち上がろうとしない。これ以上の戦闘は不可能だった。さすがに気の毒に思ったのか、飛鳥が話題を変えようと雅人に話を振った。


「それにしても雅人さんが風紀委員長だったなんて、知りませんでした」

「でも雅人さんが風紀委員だったんなら、よっぽどの命知らずしか問題を起こさなかったんでしょうね」


 真桜がそう思うのも無理はない。だが雅人もさつきも、そして志藤もそろって苦い顔をしていた。


「そりゃそうさ。なにせ先輩が卒業した瞬間、それまで鬱憤を溜め込んでた不良共が一気に暴発しやがったんだ。あれはキツかったな……」

「まさかそれって……去年重傷者を出したっていう……。雅人さんが遠因だったんですね」

「だから騒ぎが収まるまで、俺も大学を休む羽目になったよ。あいつには悪いことをしたな」

「あいつって?」

「久世先輩の後任、立花の前任の委員長だ」


 その立場だけで、世間から多大な同情をいただけるであろうポジショニング。前任の委員長が誰かは知らないが、飛鳥も心の底から同情していた。


「雅人さんの後任ってだけでもすごいプレッシャーだろうに……」

「何度も泣きそうになってたからな、先輩。それでもちゃんと任期を全うしたぞ。それだけでも称賛に値すると俺は思う」

「全く同感です」


 風紀委員長という役職を任期一杯務めあげたのなら、それだけで優秀だとわかる。だが前後の比較対象があまりにも悪過ぎる。前任は世界有数の刻印剣士。後任は同世代トップクラスの実力者。だがその刻印剣士は、どうやら人外扱いされたように感じたようだ。


「志藤も飛鳥もひどいな。人をなんだと思ってるんだ」

「鬼の風紀委員長」

「氷炎地獄のソード・マスター」


 志藤も飛鳥も、躊躇いなく答えたのだから、雅人としては苦笑するしかなかった。そこへ再び、ドアをノックする音が響いた。


「失礼しまーす」

「けっこう人がいるな」

「あっ!さつきさん!目が覚めたんですね!」


 入ってきたのは大河、美花、さゆり、武田、安西だった。先輩達への挨拶もそこそこに、三人はさつきの下へ駆け寄った。


「遅かったな、二人共」


 志藤が同じ風紀委員二人へ話しかけた。


「売店であの子達と会ってね、せっかくだから一緒に来たの。って雅人先輩!?お久しぶりです!」


 答えたのは武田たけだ 聖美さとみという名の女子生徒だ。だが聖美の目に入ったのは志藤ではなかった。


「ああ、久しぶり。武田も安西も、元気そうだな」

「先輩もお元気そうで何よりです。それはそうと、あいつはどうしたんですか?」


 聖美と安西の視線の先には、試合に敗れたボクサーと見間違うほど真っ白に燃え尽きた武の姿があった。


「なんて言ったらいいか……」

「久世先輩が立花の婚約者だと知って、計り知れないショックを受けただけだ。ほっといても問題はないだろ」


 言葉を選ぶ雅人に対し、志藤が冷たく、そして面白そうに答えた。


「ああ、なるほどね」

「まあ酒井のやつ、立花に惚れてたっぽいからな。さすがにライバルが雅人先輩ってのは、考えたこともなかっただろうけど」

「久世先輩がライバルなんて、ありえんだろ。普通に委縮するって」

「そこまで言わなくてもいいと思うんだが……」

「雅人さん」


 後輩達の間での自分の評価が気になっている雅人へ、美花が声をかけた。


「美花ちゃん。久しぶりだね。あの時は連絡をくれてありがとう」


 誤解を招きそうな表現だが、間違った表現というわけでもない。さつきがムッとした顔をしたのも当然のことだ。


「いえ、こちらこそ飛鳥君と真桜を止めてくれて、ありがとうございました」

「それが俺の仕事だからね。それよりみんな、すまないが、ここは俺達だけにしてもらえないか?」

「先輩達だけ?なんでなんスか?」


 まだ来たばかりの安西が、疑問を返した。だが雅人の答えに納得せざるを得なかった。


「上からの通達があってね。機密情報もあるから当事者以外に漏らすことは出来ないんだ」

「当事者っていうと三上君兄妹とさつきですか?」

「ああ。さつきも目を覚ましたばかりだし、あまり騒ぐのもよくないだろう」


 もっともな話だ。しかもさつきは、まだベッドから起き上がることすらできていない。騒がず安静にしていた方がいいに決まっている。


「それもそうですね。では俺達は先に帰ります。葛西、酒井を忘れずに持って帰れよ」


 納得した志藤は、昌幸に武を押し付けることも忘れてはいなかった。伊達に副委員長をやっているわけではない。


「俺がですか!?しかも物扱い!?」


 押し付けられた昌幸としては、たまったものではないが。


「では雅人先輩、失礼します」

「ああ。みんなも気をつけて」

「おだいじにね、さつき」

「はいはーい。まったね~」


 飛鳥と真桜を除く全員が、ゾロゾロと病室を後にした。雅人はそれを見届けると、念のために風性D級支援系術式サウンド・サイレントを施した。音は空気の振動によって伝わる。サウンド・サイレントは対象内外の空気の振動を遮断する術式であり、現在では騒音や喧噪を防止するために多くの料亭、ホテルなどにも使われているポピュラーな術式だ。当然、盗聴防止にも大きな効果を発揮する。


「盗聴防止ですか。そんなことしなくても、みんな盗み聞きなんかしないと思いますけど?」

「俺も疑ってないよ。だけどそれだけ、重要度が高い内容なんだ」


 雅人の顔からは、既に笑顔が消えている。その顔は一流の刻印術師、軍人のものだった。


「飛鳥、真桜ちゃん。二人が乗り込んだ横浜中華街の料理店 月桂樹だけど、あそこはマラクワヒーではなく、中華連合の工作員の拠点だったことが判明した」

「中華連合!?」

「まさか、マラクワヒーの背後にいたのは……!」

「中華連合だと、軍は結論付けた」


 雅人の答えに、二人は緊張が高まっていく。だがさつきは別のことを考えていた。雅人の答えが腑に落ちなかったからだ。


「だけど雅人、確か中華連合って、今は穏健派と強硬派が互いを牽制しあってるんじゃなかったっけ?」

「そうだ。うかつに動けば、自分達の首を絞めかねない、そんな拮抗した状況になっている。だから海外に手を出す余裕はないはずなんだ」


 どうやら雅人も同じことを考えていたようだ。だが真桜は、まだそこまでの考えに思い至っていない。


「だけど軍は、中華連合がマラクワヒーの黒幕だって断定したんですよね?それっておかしくないですか?」


 真桜の疑問に、飛鳥が脳裏をよぎった単語を口にしていた。


「雅人さん、まさか過激派が?」

「ああ。結論付けたのは過激派だ。そして連盟はその過激派こそが、マラクワヒーの日本国内における支援者だと睨んでいる」


 雅人は飛鳥の単語を受け取り、色々な言葉を付け足した。


「自作自演……目的を達成するためには手段を選ばないってことか。それって確かなの?」

「ああ。張深紅から吐かせた。コードネームはミスターMC」


 おそらく深紅の尋問はもう終わっているだろう。だとすれば深紅の存在も、既に消されているとみて間違いない。だが問題はそこではない。


「コードネームか。正体は……当然不明ですよね?」

「ああ。どうもミスターMCは、一人ではないようだ」

「どういうことです?」


 飛鳥の疑問は当然のものだった。正体を隠すためにコードネームを名乗ることは世間の常識だ。だが一人ではないという意味は、まるでわからない。


「機関、あるいは組織の代理人としてのコードネームなのか、まったく無関係な組織が偶然同じコードネームを使用しているのか、それとも他に何かがあるのか、それはわからない。張深紅も、そこまでは知らなかったみたいだ」


 可能性だけでもかなりあるということを、飛鳥は初めて知った。しかも情報元の深紅が知らなければ、これ以上の調査は難しいだろう。


「ということは張深紅も、そのミスターMCと直接会ったことはないんですね?」

「それはわからない。張深紅は何人かの過激派や優位論者と会っているから、その中にミスターMCがいたとしてもおかしくはない」

「つまり本当の意味で正体不明ってことか……。中華連合強硬派に日本軍過激派、それに刻印術師優位論者……どこにいてもおかしくはないし、簡単に火が点きそうだな」

「ああ。知らなかったとはいえ、結果的に荷担した形になった渡辺征司も、連盟に身柄を拘束されている。いずれは復学させるらしいが、しばらくは監視下に置かれることになった」


 ここで雅人は征司に対する処遇を伝えた。だが飛鳥も真桜も、そしてさつきもいい顔はしていない。


「復学予定の監視って、甘すぎる処置じゃないですか?」

「そうよね。松浦と窪田が荷担してたのは確実なんでしょ?」

「それは間違いない。だが渡辺家の話では、彼は刻印宝具の生成ができるまでは、そこまで目立つような子じゃなかったらしい。これは彼の通っていた小学校でも同様の証言を得られたから、間違いないだろう。確かに窪田から熱心に刻印術師優位論を吹き込まれていたが、当初はあまり興味がなかったことも確認できている」

「それじゃあ宝具生成できてから、ってことなんですか?それにしたって極端過ぎる気がしますけど?」


 真桜の疑問はもっともだ。だがそれについても、雅人から答えがもたらされた。


「どうも渡辺征司は、渡辺家が刻印術師の中でもあまり高くない立場の存在だということに、密かにコンプレックスを持っていたらしい。だが生成者は、連盟でも上の立場につくことが珍しくない。彼は渡辺家の地位向上のために刻印術師優位論に耳を傾けだし、中学に入ると同時に刻印術の修行も、窪田の下で本格的に開始した。その頃から自分が刻印術師だということを隠そうともしなくなり、ついに去年、刻印宝具を生成した」

「そこから刻印術師優位論にますますのめり込んで、直接的ではないとはいえマラクワヒーと繋がったってことか。だけどそれって、本末転倒じゃない?」


 さつきの疑問に、飛鳥も真桜も、雅人も頷いた。渡辺家の地位向上が目的だというのに、それがテロリストと繋がっていたとなれば、地位向上どころか粛清対象という別の意味での順位が向上する。さつきの言う通り、本末転倒だ。


「それで保護観察ってわけですか。だけど相当歪んでますよ?」

「俺もそう思います。直接剣を交えたから言えますが、もう後戻りできないところまでいってるように感じました」


 飛鳥の言葉には、雅人が首を縦に振るだけの重さがあった。剣は嘘をつかない。事実、征司の剣に迷いはなかった。


「甘い処遇だということは俺もわかっている。だけどこれには、軍の意向もあったらしい」

「軍の?それってどういうこと?」


 だから雅人の次のセリフの意味を、誰も理解できなかった。


「渡辺征司が生成者だからだ。今は刻印術師優位論に傾倒していても、それは少しの修正で別の所に矛先が向く。軍はそう考えた」


 そこまで言われて、ようやく飛鳥も思い至った。


「つまり、過激派の横槍ってことですね。それって危険ってもんじゃないと思うんですが?」

「刻印管理局もそれを懸念している。だから俺に辞令が下された。内容は三上飛鳥、ならびに三上真桜の監視だ」


 雅人の口から伝えられた辞令は、普通ならば驚くだろう。だがその内容は飛鳥にとっても真桜にとっても、そしてさつきにとっても不思議なものではない。三人は今更過ぎる雅人の任務内容に意外感を持っていた。


「監視ってことはお咎めなしってことですか?」


 飛鳥と真桜は横浜で多数のマラクワヒー残党の命を奪った。普通ならば殺人罪で逮捕されてもおかしくはない。だが相手が相手だけに、状況が状況だけに、立場が立場だけに、今日に至るまで警察からも軍からも、そして連盟からも音沙汰はなかった。雅人は軍と連盟、双方の使者としてこの場に立っているのだと、改めて理解できる。


「マラクワヒーの残党狩り程度で、二人をどうこうするつもりはないよ。だけど軍に口実を与えたことも間違いない」

「だから雅人さんが……」


 確かにやりすぎだった。あの中華料理店で生き残ったのは深紅のみで、それも雅人が来なければ殺していた。しかもあれは戦闘ですらない。一方的な虐殺だったと言える。国が放置できないと判断しても、おかしなことは何もない。


「ですがそれは俺達に対する処分であって、渡辺に対する処分じゃないですよね?」

「いいえ、渡辺に対する処分だわ」


 答えたのは雅人ではなくさつきだった。


「さつきさん、どういう意味なんですか?」

「あなた達を監視していれば、渡辺が手を出してきたらいち早くそれを察知できるでしょ。雅人の任務は監視というより、護衛って言った方が正確だと思うわよ。もっとも、それも建前なんだろうけど」


 さつきは雅人の任務を正確に理解していた。刻印管理局が本当に懸念していたのは、まさにそこだった。だが征司の監視は連盟が行っているし、過激派も関与しているかもしれない。ならば征司の報復対象となり得る飛鳥と真桜を監視することで、征司の行動を監視するしかない。


「え?」

「それはどういう……?」


 さつきはこの件に関しては無関係、とは言えないが、征司の件以外はあまり関係がないと思っていた。なにしろ自分は、この通り病院のベッドの上だ。関係があるとすれば二人の実家と立花家の関係、久世雅人との婚姻関係ぐらいであって、いかに二人を弟妹のように思っているとはいえ、それはさつきがそう思っているだけのことであり、あくまでもさつき個人の話だ。

 だがさつきは、雅人にだけは話したことがあった。建前上さつき以外は知らないことになっているため、この場に自分がいてもおかしくはない、というより当然だろう。


「あたしもいるのに、そんな話をした理由がわかったわ。雅人が国防軍刻印管理局に所属してるのは知ってるでしょ?」

「ええ、それはもちろん」

「あたしも口止めされてたから言えなかったけど、刻印管理局はあんた達のことを知っているの。融合型刻印宝具のことだけじゃなく、あれのこともね。それは管理局が調べた上げたからってわけじゃなく、代表があえて管理局に流した情報なのよ」


 驚いた顔を見るに、やはり飛鳥も真桜も、知らされてはいなかったようだ。代表がさつきに口止めを命じたのも、そのためだろう。何を思ってそんなことをしたのか、何故二人に伝えなかったのか、それは雅人が答えた。


「お父さんが……」

「なんでそんなことを……」

「木を隠すには森の中、という諺があるだろう。飛鳥と真桜ちゃんがどれだけ特別な存在であろうと、刻印術師という前提は変わらない。なら刻印術師は刻印術師の中に、そしてそれを管理している管理局へ手を回すことは当然だと思う。だから俺は、管理局へ配属されたんだ」


 雅人は世界有数の刻印剣士であり、世界でも名を知られた刻印術師だ。刻印術連盟も軍も、雅人の存在を無視することはできない。

 だが雅人は、自分が飛鳥の盾であることを自覚している。そのためには飛鳥の身元や能力を公開されるわけにはいかない。そのために雅人は、まだ大学生の身でありながら軍籍に身を置く事を決意した。軍としてもこれは願ってもないことであり、雅人の希望する刻印管理局へ、准尉という特別な階級と待遇で配属という、異例の措置をとっている。


「そうか。それで張深紅は、俺達の融合型宝具のことを知らなかったのか」


 飛鳥が呟いたのは、深紅が融合型刻印宝具カウントレスとワンダーランドの存在を知らなかったことだった。あの時は深く考えなかったが、時間が経つにつれて大きくなる疑問だった。


「私達、本当に何も考えてなかったんだね……」


 真桜も自分達の起こした事件の大きさと、交錯するいくつもの思惑を感じることすらなかった。


「それはこれから学んでいけばいい。焦ってもいい結果は生まれないからね」


 雅人は気を落とした二人に、優しく声をかけた。


「そうね。でも雅人。融合型はともかくとして、あれだっていつまでも隠し切れるものじゃないわよ?ううん、融合型よりも簡単にバレると思う。もし、次に使うことになったら……」


 さつきも雅人の言葉を肯定した。雅人が飛鳥の盾であるように、さつきは真桜の盾という自覚と誇りがある。誰かに命じられたわけではない。さつきも雅人も、自分の意思で盾になることを決めたのだ。だからさつきは、軍だろうと連盟だろうと、相手がなんであれ、飛鳥と真桜が望めばいつでも力を貸す。そしてそれは、雅人も同様だった。


「それもわかってる。管理局だってあんなものを敵に回すつもりはないよ。その時はその時だ。それで飛鳥と真桜ちゃんの立場が変わるわけじゃない」


 雅人の、そしてさつきの目には、雅人が広げたデータが映り込んでいる。

 映っているのは3つの武器――刻印神器 聖剣エクスカリバー、魔剣レーヴァテイン、魔槍ゲイボルグ――

 融合型刻印宝具すら上回る、神話や伝説の武器の名を持つ刻印宝具の存在は、確認されている限りではこの三種のみだ。だが一番下、四つ目の欄にも、神槍の文字が映し出されていた。上記三種が生成者の名前、所属国が明記されているのに対し、そこは神槍という名称以外、全て空欄となっている。その意味を最も良く理解している人間は、間違いなくこの場にいる四人だ。あの日、あの時、自分達の目で確認し、そして封印したのだから。

 さつきは震える真桜の手を握り返し、雅人は飛鳥の肩に手を乗せ、二人が落ち着くのを黙って待っていた。


――西暦2096年6月23日(土)PM14:14 源神社 鍛錬場――

「それがさつきさんの刻印宝具ですか」


 放課後、飛鳥と真桜は、まっすぐに帰宅していた。一ヶ月以上に及ぶ入院生活を終えたさつきが、刻印宝具の鍛錬に来ると聞いていたからだ。


「ええ。名前は“ガイア・スフィア”。あたしに盾なんて似合わないけど、さりげなくあたし好みの武装もあるから、けっこう気に入ってるわ」

「その盾の先端ですか」

「たしかにさつきさんの好みに、ぴったりですね」


 盾状武装型刻印宝具ガイア・スフィア。それが先月、さつきが生成した刻印宝具の名称だった。中央に地球を模した球体を、装飾として施された菱形の盾がさつきの左腕に装着されている。だがさほど大きいわけではない。むしろ盾としては小型だろう。だがその大きさに似合わず、様々なギミックが仕込まれていた。特に目を引くのは、先端から伸びる刃だ。だが最大の特徴はやはり……


「どうもこの子、雅人の氷焔之太刀と同じく、複数属性に特化した宝具みたいなのよ」


 雅人の氷焔之太刀は、複数属性特化型と呼ばれている。複数属性特化型は融合型とは異なり、単一属性型と呼ばれる通常の刻印法具と同様、刻印は一つしか持たない術師が生成する。複数属性特化型は単一属性型を凌ぎ、融合型とも同等以上の性能を有している。なぜ複数属性特化型と単一属性型という違いがあるのかは、今もって謎とされており、刻印学の研究者達が、日夜頭を悩ませている。

 その複数属性特化型は、複数の属性を持つことからそう呼ばれているが、当然他の属性術式も問題なく行使できる。


「複数属性?風はともかくとして、後は……火ですか?」

「水じゃない?さつきさん、水属性の方が得意でしたよね?」

「二人共ハズレ。風と土に特化してるのよ、この子」

「土!?」

「さつきさんが一番苦手な属性じゃないですか!なんで?」

「直前までアース・ウォール使ってたからかも?詳しくはわからないけど」

「まあ、宝具ってそういうものですけど……」


 複数属性特化型は、二つの属性に適性を持つ。一つは適正属性だが、もう一つの属性が何なのか、それは生成してみなければわからない。それ以前に、複数属性特化型なのか単一属性型なのかも、生成しなければわからないため、どんな形状の刻印法具を生成するかは、生成してみなければわからない。


「それでさつきさん。ここに来たってことは、S級術式の開発ですか?」


 刻印法具の生成ができれば、次に行うのはS級術式の開発だ。だが開発には、手間と時間がどれだけあっても足りない程かかる。S級術式は切り札になりえるから、手を抜く生成者はいないが、それでも面倒だと思うことはある。


「そうよ。だけど知っての通り、あたしは土系はかなり苦手よ。だから理屈ではできても、実際に使うとなると、どんな問題が起こるかわからないのよ」


 さつきの適正属性である風は、土属性には優位に立てる。火は風に煽られ、風は土を変質させ、土は水を堰き止め、水は火を消す。この優劣関係を相克関係と呼び、多くの術師が相克関係にある属性に適性を持たないことが多い。だがさつきは、土属性に適性が低く、対象的に火属性への適性が高い。他にもいないわけではないが、通常とは逆の適性を持つ術師は珍しい。


「それでここにってわけですね。わかりました。それじゃ概要だけでいいので、教えてもらえますか?」

「もちろん。実はね……」


――PM19:36 源神社 母屋 居間――

「ああ、わかった。母さんも無理しないでくれよ。それじゃ。ふぅ……」


 母との長い通話を終えた飛鳥は、ようやく解放されたといった様子だ。


「お母さん、何って言ってたの?」


「来月の花火大会のことだ。時間がとれたら母さんだけでも戻ってくるそうだけど、まだわからないから代理を送ったってさ」

「来月だもんね。その前に来週を乗り切らなきゃ、だけど」


 真桜の言う通り、明星高校は来週から期末試験週間へ突入する。融合型宝具生成者である兄妹にとっても、とてつもない強敵だ。避けて通る、という選択肢はあり得ない。学生の身である以上、当然のことだが。


「そういえば電話中、誰か来てなかったか?」

「うん。雅人さん。近所に引っ越してきたんだって。代理も兼ねてるって言ってたよ」

「俺達の監視だけじゃなく、代理としてもか。大変だな、あの人も」


 自分達のことだというのに、どこまでも他人事のように語る飛鳥が、真桜にはおかしかった。


「でも知らない人より気が楽だよ。それに雅人さんなら、うちのことだってよく知ってるし」

「ああ、確かに。雅人さんが手伝ってくれるなら、かなり助かる」


 毎年7月末に、鎌倉市では花火大会が開催される。150年以上も続く伝統行事であり、明星高校から近い材木座海岸も、毎年賑わっている。そのために前日と当日は縁日も出ている。鎌倉は源氏と縁の深い土地柄のため、観光客も多く、近隣の神社も参加し、地域振興に一役買っている。無論、源氏に縁のある源神社もだ。

 だが今年は、父も母も京都から離れられないだろうことが容易に想像できる。まだ未成年の飛鳥と真桜だけでは、準備もままならない。


「まずは期末考査か。赤点なんか取ったら、準備にも支障が出る」

「取らないよ、赤点なんて。飛鳥だって自信あるんでしょ?」


 などと言いつつも、真桜は社会科系科目をとても苦手としている。だからテストの度に、得意な飛鳥から教えてもらっていた。


「そこそこな。ん?電話?」

「誰から?」

「さつきさんだ。また何か、無理難題でも吹っ掛けてくるんじゃないだろうな」


 テレフォン・モニターには、さつきの名前が表示されていた。退院したばかりだし、迷惑もかけたのだから、何か手伝えと言われるのではないかと思わないでもない。


「あはは、毎回毎回、そんなことしないよ。雅人さんがうちの近くに引っ越してきたから、そのことでじゃない?」

「はは、ありそうだな」


 飛鳥も真桜も、笑いながらさつきからの回線を開いた。目の前のモニターにさつきの姿が映し出される。「こんばんわ~!」とさつきらしい元気な笑顔が映り、他愛無い世間話から雅人の引っ越し話についてまで、かなり長電話をしてしまった。だが飛鳥も真桜も、この時間が楽しかった。

 昨年夏のあの事件からもうすぐ1年。征司の件があるとはいえ、ようやく兄妹を取り巻くマラクワヒーとの因縁に決着がついたと言える。この先何があるかはわからない。だが飛鳥も真桜も、今この時間を、この一時を大切にしようと、改めて思った。二人の高校生活はまだ始まったばかりなのだから。


刻印の高校生編<完>

刻印術師の高校生活 第1章「刻印の高校生編」、ご覧いただき、ありがとうございます。

1章ということで、主要キャラの紹介というか、登場がメインなので、戦闘描写は弱いかもしれません。


キャラの苗字は、ほとんど源氏からで、平家からとった苗字もありますし、まったく無関係な苗字もあります。話の根幹にかかわるキャラはしっかりと調べてるといったところです。


キャラの紹介としましては、飛鳥と真桜は、本当に血のつながりはありません。別に重要ではないのですが、念のため。

ちらっと触れていますが、二人には奥の手があります。いずれ登場します。

姉貴分であるさつきは、話の都合上負傷入院してしまいましたが、本来はあれぐらいで怪我するようなお方ではございません。

相方の雅人は言うに及ばず。

大河、美花、さゆりは、飛鳥と真桜の親友なので、当然今後も活躍予定があります。どうなるかはわかりませんが……。


何を言ってるのか自分でもわかりませんが、そんな感じです。

では2章「刻印の宿命編」もよろしくお願いします。


次章予告


 春から夏にかけて、立て続けにおきたテロ事件も解決し、世間には平穏な空気が戻ってきていた。

 だがある日、校内である少女を見かけた飛鳥と真桜は、少女の正体を知り、驚愕する。飛鳥の母と真桜の父が命を落とした4年前の交通事故で、起こした側唯一の生存者がこんな身近にいたとは、思ってもいなかった。飛鳥と真桜は、あの事故は仕組まれたものだと父から聞かされており、犯人も処分されたと聞いている。だがその少女―神崎優菜はそのことを知る由もない。

 そんな優菜の葛藤を知ってか知らずか、征司が飛鳥に復讐するために動き始める。そして暗躍していた黒幕。飛鳥と真桜を守るため、雅人とさつきも動くが、事態は予想外の展開を迎えてしまっていた。

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