むりなんだい
目が覚める。
このゲームにおいてその表現が適切かは置いておくとして、気にするべきはこの、フカフカとした寝床の感触だ。
とても肌触りのいい毛の感触に、適切な温度もある。
俺は確か、木の葉と枝をクッションに寝ていたはずなのだが。
「マァ~」
そして響く、牛のような、低く太い声。それこそ真横で。
よもや、と顔を上げる。
クマだった。
「……ぅお、おはよう、ございます」
意味があるかわからない挨拶をする。
同時に、自然に頭に手を添えて会釈までするあたり、自分が日本人なんだなと痛感した。
まぁ、結局のところ。
「マァ~!」
べいん。と平手を食らったので、やはりモンスターに挨拶は無意味であったと知る。
結構痛かったけど致命的というわけではない。HPを見ても十分の一と減らない程度だ。
まぁ、それはいい。
こんな木の上でクマの平手を食らったということは、だ。
もれなく高高度自由落下という憂き目に合うのである。
「う、おおぉぉぉぉ!?」
寝覚めの状況として、これほど最悪なものはないだろう。
とにかく手を伸ばし、枝を掴む。落下の重さを握力と腕力だけでどうにかできるわけはない。それでも、繰り返し行うことで着実に落下の勢いを削いでいく。
この大木がそれを可能にするだけの成長をしてくれていたことを喜ぶ時間もなく、最後の難題に直面した。枝葉の途切れた下部だ。
幹に向かって進路修正も試みていたが、俺の突剣では突き立てたところでどうしようもないだろう。
これは、万策尽き果てたか。
「あかつき~~ん!」
そう思う俺の下に、ミコトが走り込んできた。
どうやら先に起きて降りていたようだ。視線もバッチリこっちを見ており、受け止めてくれるつもりらしい。
ちょっと前後左右に微調整をして、両手を差し出すミコト。
俺はその両手でしっかりと抱き止め――
「ゆぐっ……あ、無理ぃ!」
「おぎゃあ!!?」
られず、アッサリと断念された。
視界の片隅にダメージログが表示される。説明されてないから大丈夫かもと思ったけど、やっぱりありやがったか落下ダメージ。
クマ平手と合わせて、だいたい半分ぐらい持っていかれたな……
「ごめんねあかつきん……」
申し訳なさそうに俯くミコト。
まぁ、何も悪くはないのだが。
「気にしないでいいよ。とりあえず、回復魔法でも試してみるかな。クーラ!」
起き抜けに魔法を発動する。
レベルが上がって増えた魔法で、これはクレリックの初期魔法でもあるらしい。
回復量を確認するという意味でも、今回の手痛いダメージは最適だ。
……約一割五分、か。MPの消費も控えめだし、こんなものだろう。
「あかつきんって、寝相がわゆいんだね」
「まさか。だいたい、ログインするまではこの世界にいないんだから寝相も何もないんじゃない?」
「あれ? じゃあ、なんで落ちて来たの?」
首を傾げるミコト。
ふぅむ。こっちはクマに出会ったわけじゃないのか。
「なんか起きたらクマの上で寝てたんだよね。で、一発。べいん、と」
「あぁ~! ミングマさん! 私もやられたことあゆゆ」
お仲間お仲間、と嬉しそうにはしゃぐミコト。
経験があったなら事前の対策をしてくれないか、と言おうと思ったが、まぁ……不問で。
だからこそ受け止めに駆けつけて来れたんだと思うし。
「でもおかしいなぁ~?」
が、またミコトは首を傾げた。
何がおかしいのだろうか。
「あのベッドはね、本当ならミングマさんたちが登ってこないぐらい高いとこにあゆの」
……つまり、想定外のところまで登って来るモンスターが現れた、と。
もう一度、今度は陽光の下で大木を見上げる。
下の方からズラッと、木の葉かってぐらいに大量のクマが昼寝を楽しんでいるのが見えた。
落下途中でぶつかってたら、本気で怒らせてたかもしれない。
「とりあえず、一回町に戻ろうか。何か変な噂とかないか聞いてみよう」
「そだね! ついでに朝ごはんだね!」
そうして気楽な気持ちで町に着いてみると、まさにごった返しの状況だった。
あちらこちらで怒号が飛び交っている。
「何があったんですか~?」
ミコトが遠慮なく、忙しそうな門衛さんに尋ねる。
面倒だろうにそれでもキッチリと状況を説明してくれた彼の話をまとめてみる。
各地でモンスターの数が急激に増えており、ついには集団で人里に襲撃してくるモノが現れた。
戦闘要員が不足しているため、通常業務に就いているドランカーも腕次第では戦場に駆り出されている。
魔王とかいうありがちな輩が大軍勢を率いて動き始めたため、ベテランはそちらに手一杯である。
「ってことは、さっきのミングマもその影響かな」
「そうかも? う~ん、今は繁殖期じゃないんだけどなぁ」
色々と大変なことになっているようだが、俺が関わるにはまだ早いことだ。
今はミコトとじっくりレベルを上げて熟練度を上げて、少しでも早く戦力になるように努める方がいいだろう。
「あら、みこちんじゃない」
そこへ、聞き覚えのある抑揚で、声が響いた。
「あ、みさきちゃ~ん!」
やっほ~、と両手を振り振り。その隣で何もしないのも何だか居心地が悪いので、ちょっと手を上げて見せてみる。
そんな俺たちに軽く手を振り返し、ミサキさんは微笑んで人の流れの中をやってくる。
「おはよう、みこちん。ごきげんよう、アカツキさん」
目の前までやってきて、改めて礼をされる。
条件反射的に、クマにやったみたいに頭を下げてしまう。
「おはようございます、ミサキさん。なんだか大変なことになってますね」
「えぇ。ですがアカツキさん、あなたにとっても他人事ではありませんよ?」
……え。
「魔王軍の進発と重なって起きた怪異ですからね。十中八九、あちらの手の者の仕業でしょう」
「モンスターを増やすとか、そんなことができるんですか?」
「この世界の諺に、魔王なら仕方ない、というものがあります」
おい、なんか親しまれてるぞ魔王。
ともあれ、そう言われるほどになんでもありなのが魔王なのだろう。
実に厄介なことだ。
「けど、それがどうして俺に関係するんです?」
「わたくしとしては、一刻も早くこの事態を収めてご主人様に心安らかな時を過ごして頂きたいのです」
うん?
なんだろう、ミサキさんが言ってる意味がわからない。
というか、ミコトが早くも逃げ出そうとして首根っこを掴まれているんだけど、コレはひょっとするとそういう展開なんだろうか。
「え~と、つまり?」
「アカツキさん。お時間がよろしければ、強敵を打ち倒してみませんか?」
そして、背筋が凍りつくような笑顔で言い放たれた。
ミサキさんが言うには、こういう事態には必ず特異体と呼ばれる個体が関係しているのだという。
俺とミコトは、人手不足ということもあって、その討伐を命じられた。しかもミサキさん個人ではなく、ギルドからの指令として。
ミサキさんは多分、俺たちが来る前にそういう情報操作をやってのけたんだろうと思う。なんて完璧な仕事をしてくれてしまうんだ。
しかし、それだけ慣れた対応ができているということは、つまるところお決まりの展開でもあるらしい。
依頼そのものも、ポンクリの特異体を倒してきなさい、だったし。
「やだなぁ……ポングリかぁ……」
ミコトはその特異体を知っているようで、生息地に向けて重い溜息を吐きながらトボトボと歩いている。
俺もその気持ちはわかるので、自然と足並みは揃っている。
「いきなり特異なモンスターの討伐って、初心者に任せていいことじゃないよね?」
「うん……みさきちゃんは、創意工夫でなんとかできゆゲームだからなんとかしなさいって」
「工夫する余地があればいいんだけど」
いかんせん、俺のレベルはたったの二なのだ。
魔法だって二種類しか使えないわけで、攻撃系でもない。
そして初期装備の突剣と盾。どうしろと?
「でも、みさきちゃんは無理なことは言わないから倒せゆとは思う~」
「う~ん。まぁ、アイテムの支給もあったしどうにかならないこともない、のかなぁ?」
一応の気休めとして、恐らくは計画的に用意されたであろうアイテムの数々が入ったリュックを二つ支給されている。
俺が背負っている方は回復薬。HPとMPどちらも用意されているが、決して多くはない。
ミコトの方は食料が少し多めに入っていて、まさかの長丁場が予想される。
まぁ、食料が多いとは言え、目的地は町から一時間ほど歩いたところのテーブルマウンテン。夜を明かすまではいかないと思う。
そして今は、その山の側道をグルグルと登っている最中だ。
下山してくるポンクリと何度もすれ違ったので、ポングリとやらが発生源と化しているのは間違いないだろう。
「ミコトの技って、ポンクリとミングマ以外にどんなのがあるのか教えてもらってもいい?」
「あいあいさ~」
とりあえず、任されてしまった手前やるしかない。
ミサキさんが無理を言わないという言葉を信じれば、工夫次第で倒せるってことだし。
そのため、仲間の手の内を知っておくことは必須と言ってもいい。
「えっとね、毛玉っていうのがあゆゆ?」
「へぇ。どんなの?」
「ん~とね」
もごもごと口を動かすミコト。
くちゅくちゅと唾液が音をたてて、ちょっと複雑な気分になる。
「ぷぇっ!」
吐き出した。
気分台無しな上に、汚い……あと、どこから出したのか本当に毛玉になってる。
「これで滑って転ぶの~」
「……う、うん。バナナの皮みたいだね」
どんなモンスターから覚えたか知らないけど、覚えてるってことはやられたことがあるんだな。
なんというか、モンスターミミックが少ない原因はこういう技の微妙さにもあるんじゃないだろうかと改めて思った。
人としての尊厳的な何かが傷つくような、そういうところ。
とりあえず、技に何かを期待するのはやめておこう。創意工夫っていうのは、技以外の部分でも生かせるわけだし。
「あとはそうだなぁ……ポングリってアクティブ?」
「んーん。ノンアクティブ。攻撃したりしなければ襲ってはこないゆ」
ってことは、戦闘開始前に戦場を吟味できそうだな。
障害物とかそういうのも、チェックしておいて損はないだろう。
そして……
「とうちゃ~く!」
頂に到着した。
崖際からちょっと見下ろしてみたが、落ちたら確実に百回分ぐらいは死ねる高さだ。
広さは一辺が二百メートルぐらいの正方形っぽい形。
ここにポングリとかいうのがいるのか。まぁ、せいぜい亜種みたいなもんだろう。
「お、あれがポングリ?」
「うんうん。あ、ほら今こっち向いたやつ」
そしてその予想通り、ポングリはポンクリの見た目違いのようだ。
遠目にではあるが、目の周りがとがったサングラスをかけたみたいなカラーリングになっている。ちょっとグレてる感じだ。
可愛いなぁ、この野郎。
「まぁポンクリの亜種なら転がって体当たりしてくるんだろうし、対策は立てやすいかな」
「う~ん……どうだろ?」
俺の感想に、ミコトが難しい顔をして首を左右に傾げている。
前回の戦闘では猪突猛進に体当たりしてくるだけだったし、避ければバランスを崩したりもしてた。
ポングリにも隙ができる保証はないが、軌道予測だけなら難しくはないだろう。
「ひとまず、この場の下見をしよう」
「うん!」
そうして下見を始めようとした時だった。
視界の隅で、ポングリがコロンと丸まったのは。
「え……?」
「ん? どしたの?」
攻撃動作だ。ミコトの威嚇で襲ってきたポンクリと同じ挙動だからわかる。
でも、ミコトの話だとポングリはノンアクティブのはず。なら、どうして襲ってくるんだ?
「ポングリが襲ってくる。ミコト、まずは避けることに専念しよう」
「え……あ、ホントだ! なんで!?」
なんでかは俺も聞きたい。
けど、今はまずポングリの一撃を避け、て……
「でけええぇぇぇ!!?」
ポンクリの比じゃないサイズに、思わず絶叫した。
たぶん特異体の該当レベルは12ぐらい?