よいゆめ
用語に関してはいずれ説明が出ますので、お待ちください。
それでは、よいゆめを。
優しい声が囁いて、紙に水が染み込むように、世界が闇に飲まれていく。
あぁ、こうして夢に落ちるのか。
確かになんか、寝るときってこんな感じだ。何かの思考がじわっと抜け落ちて、それがどんどん伝わっていく。
これから体験するのは夢の世界。なら、この導入は視覚効果としてピッタリだ。
そう。視覚効果なんて言うぐらいだから、これはゲームの始まり。いわゆるオープニング。
誰もが実現を疑った『夢見る時間でゲームする』なんていうのを、どこかの医療機関と脳科学者とゲーム会社が本気でやってのけてくれてできたのがこのゲームだ。
なんでそんなタッグが出来上がったのかとか、そういうのはよくわからない。ただ、当初は医療への利用が最大の目標だったということは聞いたことがある。
まぁそんなのは置いといて。何よりも大事なのは今現在、世界中に億単位でプレイヤーがいるという事実だ。しかも、VRMMORPGとして。
俺も、これからその何億のうちの一人になる。
本当に、凄いと思う。一億ちょっとの人口しかいない日本にいながら、その何倍もの人間と関わるチャンスができるんだから。
なんて期待に胸を膨らませていると、遠くにオレンジ色の弱い光が灯った。
じわじわと広がるそれが、俺を包む。次いで、視界に飛び込んで来た景色は――
「あ……すげぇ……すげええぇぇぇぇ!!」
俺が現実で見たこともない、絶景だった。
まず、視界の端にまで続く長い滝。大瀑布と言うには高さがないが、三十メートル級のそれが横幅何百メートルと続いている。
そして、落ちる先は湖だ。波が落ち着いてきたところでは魚が跳ね、湖畔に至れば種々の動物たちがその恩恵を頂きにやって来ている。
周囲を囲う木々は万緑も盛りと空に手を伸ばし、花々は幸いを身に受けて顔を綻ばせている。
そんなダイナミックな自然の美しさを一望できる、湖の中心の小島に、俺はいた。
「よう、新米ドランカー。やっぱり第一声はそれだよなぁ」
両腕を思いっきり広げてこの世界を賛美する俺の背に、渋い声が掛けられる。
感嘆の叫びを、誰かに見られていた。それがわかっても、恥ずかしいとかは感じなかった。
「この世界は美しく、壮大だ。リアルじゃ見られないものが、ここにはいくらでも溢れてる」
それはきっと、この人が俺と同じように感じていたからなのだろう。
振り返って見えたのは、広げた両手を天に掲げ、同時に仰ぐ男の姿だったのだから。
背は高く、百八十センチぐらい。角ばった輪郭で、顎には無精髭を生やしている。髪はブラウンで、ボックス型のオールバックにまとめてある。ちょろっと二本ぐらい、束が額に垂れてるのがポイントだろうか。
着ているものは和服を思わせる、だけどやたらに派手な装飾の付いた、傾奇者みたいな衣装――って、おい、足はブーツってどういうことだ。そこは草履とかそういうのじゃないのか。
そして背には刃付きの二叉槍を負っているのが見える。かなりの重量になるであろうそれを振り回すにしては、筋骨隆々というほどの印象は抱かない。細マッチョってやつだろうか。
彼はゆっくりと腕と視線を下げて、俺へと目を移した。その切れ長の目から放たれる眼光は、紡いた言葉と同様に柔らかかった。
「そんな世界を楽しんでもらうためにも、不備があってはならない。これから君に、いくつか質問をさせてもらうが――あぁ、しまった。また忘れていた。身どもはゲームマスターの一人、フォルド・ウォーラッドと言う。以後よろしく頼む」
身ども。なんて古臭い一人称で自分から名乗ってくれたフォルドさんは、悪戯を誤魔化すような笑顔で手を差し伸べてくる。
たった一人のプレイヤーの環境確認のために、わざわざゲームマスターが出向いてくれる。それが嬉しくて、俺はすぐに手を取った。
「よろしくお願いします。俺、アカツキ・コウヘイです」
手を握り合って、放す。
さて本題を、と口にして。けれどフォルドさんは顎に指をやって首を傾げた。
「……ん? コウヘイって日本人のファーストネームだったよな? アカツキも同じだって聞いたことあるんだが、どっちもファーストネームみたいにしたのか?」
「あぁ。変わってますけど、これで合ってるんですよ。公平に、って漢字そのままの苗字なんです。前に見たやつで、珍しいなぁって思って」
「マジか。やっぱり悪魔の言語だな、日本語は。自由すぎる」
ポリポリと頭を掻くフォルドさん。
確かに日本人の苗字や名前はかなり種類が豊富だと思う。それにひらがなだったり漢字だったりもする。
外来語とかはあらかたカタカナで済ませてるけど……あれ?
「あの、こっちからも質問にいいですか?」
「おう。どんどん聞いてくれ。そのために俺たちがいるんだ」
ニカッと歯を見せて笑う。
この人、ゲームマスターっていう役割が本当に好きなんだろうなぁ。
「フォルドさんは、日本人じゃないんですか?」
「違うぞ。身どもの国は日本から西に百三十五度ぐらい行ったところだ」
「かなり国があるんですけど」
「ぶっちゃけるとイギリスだ」
「はぁ。それにしては日本語上手なんですね。悪魔の言語って言ってた割に」
「ふふふ。そこら辺がこのゲームが世界中で愛される理由の一つなのさ」
ちょっと皮肉ってみたけど、フォルドさんはまるで応えた様子がない。どころか、なぜか胸を張る。
まぁ別に責めたいわけじゃないんだけども。
「ドラえもんに、翻訳コンニャクってのがあったろ?ドランカーは全員がコレを食ったもんだと思ってくれていい。もちろん身どももだ」
「お、おぉ……つまり俺がこのままリアルに帰ったら英語のテストも楽勝!?」
「残念ながらそうはいかんな。サーバーが各ドランカーの母国語に変換して伝えてくれるだけで、君たちの脳に勝手に何かをインプットしたわけじゃない。というか、そんなことしたら流石に営業停止になる」
クッ……ちょっと期待したのに残念だ。
項垂れていると、フォルドさんが笑いながら肩を叩いてきた。
「ハッハッハ! そうガッカリするな。何ならここで勉強していけばいい。クィーンズだろうがブロークンだろうが、現実での使い手はゴロゴロしてるんだ」
「そんなことに付き合ってくれる人がいるんですか? ゲームの世界ですよ? みんな冒険だなんだで忙しいんじゃないですか?」
「ここにはいるんだよ、そういう物好きも。中には集団塾を開いてるのもいるぞ」
紹介してやろうか?
なんて言って、フォルドさんはまた歯を見せて笑う。爽やかというよりは、暑苦しく。
けど、もし言語の溝なくコミュニケーションを取れたら、もっと色んな国を実際に見に行きたくなったりするのかもしれない。需要はあっても不思議じゃない、か。
……俺がそうなるかは別として。
「とりあえず、身どもとコミュニケーションが取れてるわけだから、聴覚と言語変換機能は正常だな。視覚もあんだけ叫んでりゃ相当いいもんが見れたはず、と。次なんだが、さっき肩を叩かれた時に違和感は?」
「えっと、特になかったですね。ちょっと痛かったですけど」
「オーケー、基本の痛覚はクリア。んじゃあこの花の匂いは?」
フォルドさんは足元の花を手折って手渡してくる。
現実とは違う、見たこともない黄色の花だ。ベースはパンジーだろうか。少し似てるけど花そのものが結構大きい。
とりあえず受け取ってみて、匂いを嗅ぐ。
「んと、蜂蜜みたいな匂いです」
「嗅覚も正常みたいだな。触ってみてどうだ?水っぽいとか、わかるか?」
「そうですね。ほんのりと水気を感じます」
「触覚も問題なし。お次はこのサンドウィッチを食ってくれ」
「はい」
続けて渡されたサンドウィッチを頬張る。
薄くスライスされたハムっぽいのと、胡椒みたいなピリッとくる調味料、レタスのようなシャキシャキとした食感と清涼感が広がる。
美味い。
「どうだ? ちょっと具体的に言ってみてくれ」
「現実で言えば、肉の旨みを胡椒が整えて強調してくれてる感じですね。野菜は後味を残さないために配置された。というイメージでしょうか」
「味覚も上々か。したらこれから火の魔法を使うけど、ダメージはないから安心してくれ」
「わかりました」
フォルドさんが呪文のようなものを唱えると、俺たちの間に炎が出現した。
ゆらゆらと揺れるそれは、やはり魔法なのだろう。中空に核を持ち、浮いている。
「熱いか?」
「熱いですね」
「触ってみてくれ」
何を言ってるんだこの人は。
と、思ったけどダメージはないって言ってたよな。機能の確認って言ってたし、触ってみるか。
「……メチャクチャ熱いです。けど、焼けるほどじゃないですね。猛暑の中にいる程度で」
「目が乾く感じとかは? 涙は出そうか?」
「ちょっとします。でも涙は、どうなんだろう?」
「よし。大丈夫だな。温度の知覚も、感覚のリミッターも無事作動してる。手を抜いて」
言われた通り手を抜く。
と、見事に服が焦げて――むしろ手がグロ画像になってた。
……おい!?
「なんだこれえぇぇぇ!!?」
叫びながら大変貌した手を振り回す。
どうやら感覚はあるらしい。指も握れるし、湖の涼しい風も感じる。
でもグロい。
「ん。ダメージはないと言ったな。あれは嘘だ。そうしないと触ってくんなかったろ?」
「ゲームマスターが初心者騙さないでくださいよ! 治るんでしょうね!?」
「今治すから安心してくれ」
そう言って、フォルド……さんはまた呪文を唱えた。
巨大な光の泡みたいなのが焼け爛れた腕を内へと包み込んで、弾ける。
すると、さっきまでの惨状が嘘のように、元の健康な腕があった。
「君たちの感覚はキャラクターと共有できるようになってる。けど、一般的に耐え難いものについてはデフォルトでカットがかかってるんだ。カットの度合いは後から設定で変更できる」
なるほど。先にこの説明を受けていたら、痛いかもしれないからとか思って、炎に手を突っ込むなんて馬鹿なことはやらない可能性が高いな。
だから大事なところはぼかして事後報告ってわけだ。チクショウめ!
おかげで見たくないもん見たぞ! 夢に出てきたらどうしてくれるんだ!
「ただまぁ、カット率をゼロにするのはオススメできない。一応、君らがここで受けた感覚は現実の体にも影響を及ぼす。夢の世界は一種の催眠みたいなもんでね。こちらで火傷を負うようなダメージを受けて、それをそのまま肉体がフィードバックした場合、現実でも火傷を負うかもしれない」
「……もし心臓を貫かれたら?」
「現実でもBANGするかもしれない」
なんでそこだけ発音そのままに伝えたんだ言語機能。ノリか?
むしろ、そんなに危ないならカット率ゼロなんて設定不能にすればいいだろうと思うんだが。
とか思ってたら、もの凄くいい笑顔でフォルドさんが口を開いた。
「もちろん、ゼロ設定なんてできないんだけどな!」
「なら説明する必要ないじゃないですか!」
「いや、大事なことなんだ。ゼロにはできなくても、ある程度……そうだな、三割カット程度までは許容されてるからね。これでも、やはり多大なダメージは現実に影響しかねない。それだけ、注意して欲しい設定ということなんだよ。管理側としてもカット設定はデフォルト以外自己責任という形で免責はしてるが、恐怖を煽らせてもらうぐらいが説明としては丁度いい」
打って変わって真剣な顔つきで言う。
そりゃあ、ゲームしてたら死んでましたとか、大怪我負いましたとか、とんでもない事件になりそうだけども。
どうにもこのノリは慣れない。アメリカンならぬ、イングリッシュジョークなんだろうか。
「え~と、これで五感とリミッターは済んだな。それじゃあ、長くなったが基礎チェックは終わりだ。お疲れ様」
「チェックだけでかなり疲れたんですけど……」
「そう言ってくれるな。これからが君の夢の始まりなんだ」
ハッハッハ、と笑って。フォルドさんはまた俺の肩を叩いてきた。
なんだかんだ酷いチェックだったけど、憎めない人だと思う。
あと、面倒見が良さそう。近所の気のいいおじさん、って感じで。
「さぁ。待たせてしまったが、これから君を始まりの町へと転送するぞ。チュートリアルを受けるなり、ぶっつけ本番でとにかく動いてみるなり、自由にしてくれて構わない」
「……いきなり殺されたりしませんよね?」
「町や村の中のみならず、基本的に世界中でプレイヤーキリングは禁止だから安心してくれ。一部、そのためのコロシアムは設けてあるがね」
あぁ、よかった。億単位の先駆者がいるのに、初心者が町でも簡単に殺される世界とか怖すぎるからな。
これで俺の門出に憂いはなくなった。
「良ければ、送るぞ?」
「お願いします」
「わかった。じゃあな、アカツキ。また会えたらよろしく頼む」
「はい。ありがとうございました」
お互いに微笑んで、そこで、俺の周囲を光が覆った。
足元を見れば魔法陣の模様が見える。これが転送の魔法なんだろう。
光が強くなって、全てが真っ白に染まっていく。
その外から、渋い声が言った。
「それでは、よいゆめを」