二十年目のあっかんべー
偶然の再会、そしてスマートフォンの画面越しに交わされる短いメッセージ。
二十年の歳月がもたらした大人の「許し」と、お互いの「今」へのエールを描いた小さなお話です。
読み終えたあと、皆さんの心も少しだけ軽やかになりますように。
どうぞ最後までお付き合いください。
九月の終わり、夏の残暑がまだ街に残る午後のこと。賑わうショッピングモールの中で、私は思わず足を止めそうになった。
二十年。それだけの長い月日が流れたはずなのに、すれ違う瞬間のその横顔で、すぐに彼だと分かった。彼の隣には、愛らしそうな女の子が楽しそうに笑っている。
一瞬、彼と目が合った。
お互いに、いま隣にいる大切な家族の存在がある。私たちは声をかけることもなく、ただ一瞬の視線だけで静かにすれ違った。それが、お互いのいまの人生に対する、精一杯の礼儀だと分かっていたから。
別れの日のことを、忘れたことはなかった。
携帯電話の向こうで「好きな人ができた」と言った彼の声を、当時の私はどうしても信じきれなかった。本当は、私が抱えていた病気の重さに彼が耐えきれなくなったのだと、どこかでずっと気づいていた。
顔を見て話すことすら投げ出し、電話越しに最低な別れ方を選んだ彼の弱さ。引き裂かれるように泣き続けたあの日から、長い時間をかけて、私はゆっくりと自分の人生を歩んできた。
その後に出会った夫と、授かった三人の子供たち。毎日が目が回るほど忙しく、愛おしい日々。私は今、自分の人生を心から幸せだと言える。
だからこそ、今日すれ違った彼の穏やかで幸せそうな父親の顔を見たとき、胸の奥がすっと軽くなった。彼も元気に、幸せに暮らしている。それが何よりも嬉しかった。
その夜、スマートフォンの画面に彼からの友達申請を見つけた。
驚きとともに、あの頃の記憶が一気に駆け巡る。「どうしよう」と迷う気持ちや、懐かしさ、色々な感情が溢れて、すぐにはボタンを押せなかった。暫くの間、スマートフォンを見つめながら、これまでの二十年の歳月に思いを馳せていた。
少しの静寂を置いて、私は心の準備を整え、そっと『承認』のボタンを押した。
すると、待っていたかのように彼から短い言葉が届いた。
『お見かけしました。お元気そうでなによりです』
少し他人行儀な短い言葉に、彼らしさが溢れていて、思わず笑みがこぼれた。昔と変わらない、真面目くさった挨拶。
なんて返そうか、言葉を選んでいるうちに少し時間が経ってしまった。すると、彼から祈るようなメッセージが追加で届いた。
『突然びっくりさせてすみません。元気な姿を見かけて、一言伝えたかっただけでした。返信は気にしないで。体には気をつけて』
どこまでも私を気遣い、自分の過去を悔いて、必死に線を引こうとする彼の真面目さが、痛いほど伝わってきた。
私は、いまの私のすべてである、子供たちの輝かしい近況を言葉に託した。
『3人の子どもに恵まれて元気にやってます。子供がバドミントンやってて、今年は全国大会に出場してきました。お互い子育て頑張っていきましょう』
彼を安心させたくて、そしてお互いの「今」を親同士として称え合いたくて送ったメッセージ。
でも、画面を閉じた後も、どこか彼がまだ過去の罪悪感に囚われているような気がしてならなかった。私を傷つけたことを、彼はきっと今もずっと引きずっている。
――もう、自分を責めなくていいのに。
私は、自分の日常が詰まったInstagramから、彼にフォローリクエストを送った。私から手を伸ばして、私の今の幸せな暮らしを、子供たちの頑張る姿を、彼にそのまま見せてあげたかった。私はこんなに元気に、幸せに生きているよ、と伝えるために。
彼からはすぐに、眩しそうな、でも心からの祝福が届いた。
『最高の推し活、母親冥利に尽きますね。羨ましい限り!』
やっぱり昔と変わらない、真面目くさった彼らしい文面。
二十年前、電話の向こうで泣きじゃくった私の傷も、彼がずっと喉の奥に抱えてきたであろう苦い罪悪感も、この瞬間にすべて、温かい笑いへと変えてしまいたかった。
私は、彼が送ってくれたメッセージに、お茶目に舌を出した『あっかんべー』の絵文字を一つだけ返した。
「もう、気に病まなくていいんだよ。格好悪い過去も全部笑い飛ばして、いまの家族を大切に頑張ろうね」という、私からの、精一杯の許しとエールを込めて。
スマートフォンの画面を消し、私は家族の待つリビングへと戻る。
明日の準備をする私の背中は、きっといつもより少しだけ軽やかで、優しい誇りに満ちているはずだ。
「お互い、子育て頑張ろうね」
心の中でそっと呟きながら、私は私の愛しい日常へと、笑顔で戻っていった。




