私以外、勇者を嫌ってる。
勇者とは、世界で最も感謝されない仕事である。
特に、私の隣にいるこの男性、リフジー・メイワードは、何かと周りから嫌われている。
「はい、リフジーさん。今回の依頼報酬…………2000ゴールドです」
「あっ、ありがとう……ございます」
控えめで、ぎこちない。彼の朴訥な受け答え。
使い古された革製の肩当ては今日も艶を失っている。
ギルド所の受付をしている女性は、面白くなさそうな顔である。
そんな彼女から小さな銀貨を二枚受け取って、彼はそっとポケットにしまい込む。
「…………」
無理もないと思う。
事情を知らなければ、私だって、勇者がなんでこんな依頼を……。なんて思ってしまうから。
受付さんの心情は、その声のトーンや表情から手に取るようにわかる。
「エスト、帰ろうか」
「……そうですね」
彼はそう言って、受付さんに軽い会釈を。
それから私と一緒にギルド所を後にしたのだった。
あ、ちなみにエストというのは、この肩から仕事用の革鞄を提げている私のこと。
ギルド所を出ると、彼についていくようにルードン街の大通りを歩く。
行き交う人々も、リフジーさんや私と同じように夕方の緋色に染まっている。
私より数十センチは高い背丈。
その背中にちょっと錆びた長剣を担ぐ彼の後ろ姿も、もうすっかり見慣れてしまった。
そんな光景に、私は今日もひっそりとため息を漏らしていた。
◇
リフジーさんと私のことをかいつまんで話すと。
彼は「勇者」という公的職業に就いている男性で、このルードン街の隅っこに建っている地味~な感じの一軒家で暮らしている。
恋人や浮いた話は一切無い。コミュニケーションスキルに少々(※建前)難があるようで、特に初対面の人と話すのはダメダメらしい。
私は「勇者補佐官」という同じ公的職業に就いている。
勇者補佐官は、勇者の事務仕事や身の周りの世話をするのが仕事で、その都合上、リフジーさんとは同じ家で暮らしている。
「ふぅ。やっと帰ってきた」
「本日もお疲れ様でした」
玄関を開けて、彼がそのまま家にあがろうとする。
壁には使い込まれたレインコート。
家の中は若干蒸し暑くて、玄関脇の観葉植物もヘトヘトのよう。
「リフジーさん、靴の泥」
「あっ、そうだった」
彼は、疲れていると結構な頻度で靴の泥を落とし忘れる。
日焼けした手を足もとの裾まわりに伸ばし、屈む彼。
「…………うーん」
私が言った流れで、靴の泥を外で落としてくる。
と、そう思っていたのだけれど……
「どうしたんですか? 固まってますけど」
「……いやさ。明日も畑仕事の手伝いじゃん? だからまた汚れるのわかってるし、落とさないほうが合理的かなって」
「えっ」
「そうだ。合理的だ。洗わないほうが正解だと思うな、うん」
急に何を言い出すんだ、この人。
「いやでも、それだと家の中を靴下で過ごすことになりますよ……?」
「エスト。君はまだ異文化を知らないと見た。世の中には内履きって文化があるんだ」
「…………」
別に隣町でも内履き文化はあります、リフジーさん。
ていうか私、そんなに箱入り娘みたいか?
「じゃあ次からリフジーさんは内履きを用意して、靴を履き替えて過ごすってことですね?」
「玄関で履き替えれば、いちいち泥を落とさなくて済む」
「そうですね。天才ですね」
「……照れるだろ、そんなこと言わないでくれ」
リフジーさんは後ろ髪をくしゃっと掻いて、本当に頬を赤くしていた。
たまに小動物然とするこの可愛い感じはなんなのだろう。
勇者なのに。年上なのに。
…………ずるいですよ。
◇
「おい、税金泥棒が来たぞ」
「うわ、ほんと。……それに見て、あの靴。畑のべとまみれよ? もう勇者じゃなくて農家に転職したほうがいいんじゃない?」
翌日、朝から対リフジーさん罵倒語録を耳にした。
ギルド所にいる冒険者や勇者は、やっぱり彼を白い目で見ている。
何度も洗って所々色の抜けた勇者の外套。その背中に私はボソッと声をかける。
「今日は朝から人気者ですね、リフジーさん」
「あははは~。さて、今日も昨日に引き続き、畑仕事の依頼手続きを済ませようか」
リフジーさんはそう言って、ギルド所の受付さんに近寄った。
「昨日受けた依頼なんですけど……。えっと、……その依頼者が出してる、同じ畑仕事の依頼ありますか……?」
「あります、けど……」
受付さんは微妙な間を置いて、リフジーさんに返答する。
「また、ですか? ……本当によろしいんですか? この依頼で」
見えない何かを毛嫌いする声色。
受付さんはこういう空気を作るのが上手い。
畑仕事をこなす勇者なんて聞いたことがない。……と、そういう顔をしてるし、喉元まで出かかっているその侮蔑を、私はなんとなく察していた。
「大丈夫です。手続きしてください」
リフジーさんは平気な顔して手続きを促す。
よもやこの人、心が壊れてるんじゃ……?
「……それでは、こちらの依頼をお願いしますね。報酬は前回と同じ、2000ゴールドです」
「あ、ありがとうございます」
私だったら呼吸が苦しくなるような、そんな空気なのに。
「エスト、行くよ」
「……はい」
リフジーさんはその契約書に一筆サインすると、何食わぬ顔でギルド所を後にした。
現場である農村までの道すがら、私はまた「例の小言」を口にしてしまう。
「どうして何も言い返さないんですか……?」
「はははっ。また、それかー」
「……」
リフジーさんの隣を歩きながら、私はまた彼に問いかけていた。
「いいんだって。困ってる人がちゃんと助かってくれたら。俺はそれでいいんだよ」
「……」
良くない。私はそんなの、絶対良くないと思う。
……思うのに、リフジーさんは毎回こんな風にのらりくらり躱してしまう。
私が押し黙っていると、
「それに、今回の依頼者は昨日の時点で、また手伝ってくれって言ってたじゃん?」
「それは……っ」
私は肩から提げていた鞄の端をぎゅっと握り込んで、またしても口を閉ざす。
「また手伝ってくれ」は、社交辞令だったのかもしれないし。単に人手不足だから誰でもいい、という気持ちが勝っていただけかもしれないし。
少なくとも、依頼者の農夫は「おいおい、勇者が来るなんて聞いてねぇよ。……かえってやりづらくなっちまった」くらいには感じていたと思う。
そういう苦笑いや空気の機微は、会話の節々から滲んでいた。……と思う。
「リフジーさん、文面通りに受け取りすぎですよ」
「んん~~っ。しかし、今日も良い天気になりそうでよかったなぁ」
私の言葉が、というか、人の言葉そのものが聞こえていないふりをする。
この時だけ私は、リフジーさんにぞっとするくらい冷たいものを感じる。
こんなにぽかぽかと陽気な、農村まで続くカントリーロードを踏みしめていても。
心が穏やかになる空のパノラマを視界に留めていても。
「……。今日もがんばりましょう」
「ん? やる気になった? エストはわかってるねぇ~」
「……うるさいですよ」
私はそっぽを向いておくことにした。
この人には、本当に敵わない。
◇
「おお、また兄ちゃんかぁ……」
「ダンさん。またお手伝いにきました!」
「本日もよろしくお願いします」
燦燦と降り注ぐ日の光。その下で手拭いを持って、額の汗を拭きとる農夫、ダン。
日焼けで浅黒くなった肌と皺の多い顔は昨日と同じだ。
彼の前で私達は簡単な挨拶をして。
「うーん。……いや、手伝ってくれっのは十分助かるけどよぉ……。あんたら、勇者なんだろ?」
「そうですね。リフジーさんは勇者。私は補佐官ですが」と私。
「なんだ、近頃の勇者ってのは……ひょっとして、ヒマなのか?」
「ちょ、ちょっとアンタ! せっかく来てくれた人に何言ってんの!」
「あ、イテッ」
どこから現れたのか、奥さんと思しき女性がダン氏の頭を後ろからひっぱたく。
……いや、そうですよ。ダン氏のおっしゃる通りだと思います私も。
奥さんも、ダン氏同様に肌が焼けているが、少々背が高いからかダン氏ほど田舎臭くない。
「ヒマ……じゃあないですけど、……でも手伝いが必要なんですよね?」
「……」
ダン氏はリフジーさんのセリフに一瞬目を丸くさせたが、奥さんの方はとても優しい笑顔を示していた。
「ええ。まぁほんと大助かりですよ~! この人も悪気あってヒマとかどうとか言ってるわけじゃないの。ごめんなさいねぇ~」
「いえ。気にしてませんよ。よし、エスト。今日も張り切っていくぞ」
「……そうしましょう」
その後、ダン氏から作業指示を仰ぐ。
私達は、今日もこの地に少なくない汗を落としていった。
勇者は肉体労働だ。なんて世論もあるけれど、農作業だって負けないくらい時には過酷で。
実際にやってみるのと、聞いていた話とでは、ずいぶん違う。
「ふぅ。……うわ、シャツが汗でベトベトだ」
「リフジーさん、頬に土が付いてますよ」
「ん? …………。そういうエストこそ。鼻のてっぺんに付いてるぞ」
「……~~っ」
私は妙に顔が熱くなった。
誤魔化すみたいに、話題を切り替える。
「……それにしても、やっぱりここの農家さんは魔法を使わないんですね」
「ああ」
この世界には、魔法を使わない農家がいる。
いや、もっと正確に表現すると、魔法をなるべく避けるように、頼らないように農作物を育てている農家がいる。
「魔法は空気中の魔素に影響を及ぼすからな。農作物にできるだけ魔法を干渉させず、より自然な成育を進めてる所もある」
「結果的に、魔法を避ける、と。……こだわり……みたいなことですか」
「そうだ。無農薬栽培みたいな感じで……って、ん? あそこにいるのは……」
私とリフジーさん。二人が畑の一角で話をしていると、遠くに見えていた森の茂みから魔物らしき姿が見えた。
「あっ、あれは……⁉」
「グリーンベアの子どもだ」
私達からやや離れた畑で作業をしているダン氏達に、薄い緑の毛並みをしたグリーンベアは、のそのそと近付いていた。
「っ……」
「あっちの二人に近付こうとしてます! リフジーさん、どうしますか……⁉」
「こっちから仕掛ける。当然、二人に手出しはさせない」
「……」
そう言って、リフジーさんはグリーンベアの背後へ回ると、石を投げつけて森の方へと誘導していったのだった。
畑から森へ。リフジーさんがその姿を消してしばらく経ったころ。
「おーい……。ん? あの兄ちゃんはどこ行ったんだ?」
「……ちょっと催したみたいで」
「それにしちゃあ、長くないか?」
ダン氏は不思議そうな顔をしている。
まぁ、そうだよね。……私も普通なら不思議がってる。
「今、近寄ってきた魔物を森へ追い返してるんです!」って、そのまま事情を包み隠さず話すほうが正しい気がする。
「とにかく、畑の具合もかなり進んだし、それで十分なんだけどよ」
「そういえばもうそろそろお昼ですね。休憩ですか?」
「ああ。そうだな」
ダン氏はその場でしゃがみ込んで、私達の耕した畑の土をいじっている。
「…………」
実は、私がリフジーさんの消えた事情を話さないのは、彼から強く口止めされているからである。
◇
「いいかい、エスト。俺がもし魔物を追い払う都合で姿を消したとしても、その事情を依頼者に話してはいけない」
「……また、そんな。……どうしてですか?」
「そんなことしても、無駄な恐怖心を煽ったり、不要な心労を負わせることになるだろう」
リフジーさんは畑を耕しながら言う。
私はいつも、ここで話を流してしまっていたけれど、今日はなぜか反論したくなってしまって。
「でも……魔物が出るという事実は、知ってもらってたほうがいいんじゃ……」
「…………。魔物が出たとなったら、ギルド所に依頼を出さなくちゃいけない。……依頼はタダじゃ出せないのは知ってるよな?」
「……っ!」
そっか。
たぶん私は知っていた。
知っていて、これまでずっと見ないふりをしてきたのかもしれない。
依頼というのは、依頼者の懐事情によって、内容に不釣り合いな報酬金額しか提示できないこともある。
食いつなぐこともやっとの困窮者が、相応の報酬金を用意できるの?
答えは限りなくノーに近いはずで。
「依頼を提出した時点で、ギルド所が前金をもらうだろ?」
「依頼者によっては、前金だけで生活を維持できなくなる……」
「……」
そういうこと、と言わんばかりに、リフジーさんは鍬を畑の土に振り下ろした。
「まぁけどさ、困ってるんです。助けてほしいんです。って、そういう気持ちは等しくみんなその胸にあるわけじゃん。勇者が救わないでどうするんだ」
「っ……」
困窮した現実。
そんな依頼者の頼みを請け負う勇者はハイリスクでローリターンなのだ。
ギルド所に掲載される依頼は、割の良い仕事からそうじゃない仕事まで。様々あるけれど、いつだってその依頼書の向こうには、助けを求めている人が存在している。
◇
「すみません。ちょっと抜けてました」
「ん? ああ、もういいよ兄ちゃん。そろそろ休憩にしようって話してたところなんだ」
リフジーさんが森のほうから帰ってきた。
ダン氏は若干、呆れた様子を見せていたけれど、一つ大きく息をしたところで。
「午後からは、抜ける時言ってくれよ? 兄ちゃん」
「あははははっ。急に催すこともあるので、その約束はちょっと……」
「若いのに、ずいぶんゆるいな……? ま、いいけどな。ガハハハッ」
リフジーさんは決してトイレの近い勇者ではないけど。
……うん。これも、事情を知らなければ無理もない。と思う、たぶん。
「じゃ、兄ちゃんも戻ってきたし、一度家に戻るか。メシぐらいご馳走させてくれ」
「あ、ありがとうございます……」
ダン氏に促される形で、リフジーさんは私の前を通り過ぎていく。
「……っ!」
私はそこであることに気が付いて、彼の大きな背中を小突く。
「ん? エスト?」
「あの……リフジーさん。剣に血がついてます」
「あっ……。ありがとう」
「いえ、別に」
私に指摘されて、リフジーさんはポケットから小さな布巾を取り出す。
慣れた手つきで、ササッとグリーンベアの血を拭き取る。
私はきっとその後ろ姿を、今後ももどかしいまま見届けることになると思う。
※あとがき
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