夜会はトラブルがつきものですね。
「アッシュ様。ありがとうございました。」
音楽が鳴り止むと同時に、踊ってくれたことへの感謝を込めて、指先に軽くキスを落とした。
「いや、こちらこそありがとう。それと……大変申し訳ないのだが……」
ユリウスの言葉に首を傾げて微笑むイザベラ。
その微笑みに触れた瞬間、ユリウスの背中を氷の指先がなぞったような悪寒が走った。
「楽しそうですわね。ユリウス第三王子殿下。」
「兄上……これは、もう言い逃れができませんよ?」
「アリアーヌ……と、ヴァルターがなぜ一緒に……」
二人が一緒に現れたことに目を見開いていると、アリアーヌは目を細めて近づいてきた。
そして、次の瞬間――
アリアーヌは持っていた扇子を閉じて勢いよく振りかぶると、
パチーン
ユリウスの頬に直撃した。
「第三王子と聞いて婚約しましたけど……まさか、婚約者を差し置いて別の方とダンスを踊るなんて……こんな公の場で……私という婚約者いながら、本当に最低ですわ!婚約は破棄させていただきます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……これは、王族として仕方なく……」
「王族として、仕方なく……ですか。相手の女性は、あなたのミドルネームを呼んでおりましたよ?しかも抱き合っているところも見ていました。」
イザベラは口元を隠すようにバサッと扇子を開くと、横に立っていたヴァルターに目を向けた。
「ねっ?ヴァルター様。」
「あぁ、私も見ていた。兄上がイザベラ第二王女殿下と楽しそうに微笑みながら踊っているのをな。アリアーヌという婚約者がいるというのに。我が兄ながら情けないよ……」
わざとらしく自分の額に手をあてると顎を上げて優雅にのけぞった。
キラリと長い金髪が揺れる。
「そ、それについては弁明させてくれ。」
ユリウスは動揺を悟られまいと、落ち着いた声色で話を続ける。
「イザベラ第二王女殿下が転びそうになったのを、受け止めただけなんだ。名前の呼び方については、今から伝えようと思っていたところだ。他意はない。イザベラ第二王女殿下からも先ほどのことを説明してくれないか?」
ユリウスは先ほど何があったのか、イザベラに話してもらおうと声をかける。
しかし――
イザベラはユリウスに見向きもせず、ヴァルターの方へと向かった。
「ヴァルター様。お会いしたかったですわ!」
「イザベラ!私もだよ。会いたかった。兄上に何かされなかったかい?」
貴族たちの視線を受けながら、二人は静かに抱き合い、互いの存在を確かめあった。
「私は、大丈夫です。でも、怖かったですわ……だって、ア、ア、アッシュ様と呼ばないとすごい怖い顔で睨んでくるんですもの。」
「断じて、そんなことはしていない!すべて誤解だ……」
周りを見渡せば、誰一人として味方をする気はないのか、床に這いつくばるユリウスを見て、皆がゴミでも見るような目を向けた。
(はめられたか……ヴァルターのやりそうなことだな。)
ヴァルターを見ればイザベラとアリアーヌも楽しそうにこちらを見ている。
(とりあえず、この場をどうやって打開するか考えなければならないな……)
ユリウスがどうやって切り抜けるかを考えていると、
ふわり
先ほども感じた甘いチョコレートの香りが、近づいてくるのがわかった。
そして次の瞬間――
ユリウスの頭上に影が差す。
「どうしたんれすかぁ~?こんなところでぇ~、床に座っていたらばっちぃれすよぉぉ~ヒック……」
ユリウスの手を無理やり持つと、そのままグイッと立ち上がらせる。
そしてくるりとヴァルターたちの方へと振り返った。
「あぁ~この人たちですかぁ……それにしても皆さん頭悪そうな顔してますねぇ~。」
ヴァルターたちに顔をグイッと近づけると……
三人揃って、鼻をつまんだ。
「「「酒くさっ!」」」
「ヒック……そうれすか?チョコレートを食べただけなんですけどぉ~。まぁ~……それは横にポーンッと置いておいてぇ~……」
かけていた眼鏡を外すと、
まとっていた空気が変わったのを感じた。
三人からは顔が見えるからか、先ほどまでの楽しそうな笑みは消え、青白い顔をしていた。
(こちらから表情は見えないが……一体何が起きているんだ。)
ここにいた誰もが、息を呑んだ。
理由はわからない。
だが、この場の主導権が、確かに移ったことだけは理解できた。
***
「って言うか、お二人とも化粧濃すぎませんかぁ~?そんなに濃いってことはぁ~素に自信がないってことれすねぇ~。」
ゆっくり近づいてくるエヴァンジェリンに、後ずさる三人。
(ふふ……チョコレートを食べてからなんだか気持ちがいいわ)
「あぁ~そっかぁ~。だから必死に王子に取り入っていたのかぁ~。貴女たちの年齢的にぃ、第一王子とか第二王子の方が合っていますもんねぇ~。」
エヴァンジェリンの言葉を聞いて、イラっとしたのか、アリアーヌは目を吊り上げながら声を荒らげた。
「あ、あなた、私にそんな言葉づかいしてもいいと思っているの?私は次期王妃になる女よ!」
その言葉を聞いた瞬間、エヴァンジェリンは目を見開いてから笑い出した。
「キャハハハハ……王妃になるんれすかぁ~?無理ですってぇぇぇ~。」
「だってぇ~……」
二人の間に沈黙が落ちる。
「貴女、自分で言ったじゃないですか。第三王子殿下と婚約はできないってぇ~。」
「……ッ!」
「そもそも、第三王子殿下と結婚できないならぁ、他の王子と結婚できると思っていたんですかぁ~?」
「無理ですってぇ~。」
手を横に振りながら、煽るように話すエヴァンジェリン。
その姿を見て、この場にいた誰もが凍り付いた。
「頑張れば側妃にはなれるかもしれませんけどぉ~、正妃にはなれないと思いますよぉ~?」
アリアーヌは何も言い返すことができないのか、ただ突っ立っている。
エヴァンジェリンはアリアーヌ自身に興味がないのか、そのまま話を続けた。
「だってぇ~第四王子はイザベラ王女がいますし、王太子殿下も、第二王子も結婚しているじゃないですかぁ~」
「あ、あなたねぇぇぇ~……仮にもアルノワ侯爵家の私に向かってそんな口きいてもいいと思っているの?」
アリアーヌは持っていた扇子をバキッと折ると、床に思い切り投げつけた。
「ん~……アルノワ侯爵家ですかぁ~。だったら別に疎遠になったところで痛くも痒くもないですね。」
アリアーヌは言い返すことができないのか、重たい空気だけがその場に残った。
そして次の瞬間――
その場の空気が、さらに一段、冷えた。
「何をしている。」
その場にいた全員が声のする方へと目を向けると、そこには……
「アルベルト兄上」
アルベルト王太子殿下が立っていた。




