不思議な廃村と不思議な旅館
服部湊と北川勝一は、夏休みを利用して、図書館で見つけた『浅岡村伝説』に記されていた浅岡村へ向かった。
山道を抜けた先に、朽ちかけた木製の看板が立っている。
旧字で「淺岡村」と彫られていた。
「本当にあるんだな……」
勝一が小さく笑った瞬間、風が止んだ。
村へ一歩足を踏み入れた途端、肌を刺すような冷気が二人を包む。
八月のはずなのに、白い息が漏れた。
湊が思わず振り返る。
——さっきまであったはずの山道が、消えていた。
そこには、草の揺れも、空の色もない。ただ灰色の霧が広がっているだけだった。
「おい……入口は?」
返事はない。
代わりに、どこからか木戸の軋む音が聞こえた。
湊は慌ててスマホを取り出す。
圏外表示。
時計は、午後三時十二分で止まっていた。
「勝一、これ……」
言いかけて、言葉が止まる。
さっきまで隣にいたはずの勝一の姿が、ない。
代わりに、足元に古びた紙が落ちていた。
それは、旅館の宿泊名簿の一頁だった。
日付――明治四十三年八月十二日。
宿泊者
服部湊
北川勝一
備考欄には、墨でこう記されている。
「二名、今夜到着予定。」
その瞬間、村の奥で明かりが灯った。
提灯の赤い光が、闇の中に浮かび上がる。
浅岡館。
営業中。
そして、背後から声がした。
「お帰りなさいませ。」と、女将が出迎えてくれた。
「勝一は?」
と湊が言うと女将は
「既に泊まられております。」と言った。
中へ行くと勝一の姿がいた。
湊は勝一にこう言った「なんで急に消えたんだよ!心配したよ。」勝一はこう話した「冷気が出たときに急いで寒さを和らげる場所を探していた時に女将が僕を見つけて入れてくれた。」などを話しているうちに女将が部屋を訪れた。
「自己紹介忘れてました。この旅館の女将、多田 優子と申します。」
女将は深く頭を下げた。
その所作は妙にゆっくりで、まるで時代劇のようだった。
湊は違和感を覚える。
部屋の中に、電気がない。
あるのは行灯の淡い灯りだけ。
「ここ、電気……」
「当館は、昔ながらの造りでございますので。」
女将は微笑む。
湊は勝一を見る。
さっきまで震えていたはずなのに、今は妙に落ち着いている。
「なあ、スマホは?」
勝一は首をかしげる。
「すまほ? それは何だ?」
湊の背中を冷たい汗が伝う。
「冗談だろ?」
「冗談とは?」
勝一の声色が、どこか硬い。
そのとき、廊下から足音が響いた。
ぎし、ぎし、と古い木が軋む音。
障子の向こうに、影が増えていく。
一人、二人、三人——。
湊は震える手で、さきほど拾った宿泊名簿を広げた。
宿泊者欄。
服部湊
北川勝一
多田優子
そして、その下に新しく文字が滲んでいく。
「浅岡村 村民 一同」
備考欄に、墨が広がる。
「本日、村は満室となりました。」
提灯の灯りが一斉に強くなる。
勝一が、ゆっくりと湊を見る。
「寒いだろ? もう外には出られないよ。」
女将の声が重なる。
「明治四十三年より、ずっと営業しておりますので。」
行灯の火が、ふっと消えた。
翌日。
図書館の郷土資料棚に、新しい一冊が並んでいた。
『浅岡村伝説 改訂版』
最終頁にはこう記されている。
「令和八年八月——
二名、来村。帰還せず。」
その後、服部湊と北川勝一が帰宅しないことを不審に思った両親は、警察へ行方不明届を提出した。
二人の足取りは、山間部へ向かうバスの防犯カメラを最後に途絶えていた。
一か月以上にわたり捜索が続けられたが、浅岡村と呼ばれる場所はどの地図にも存在せず、過去の資料にも廃村の記録は見つからなかった。
ただ一つ、図書館の郷土資料棚に置かれていた
『浅岡村伝説 改訂版』だけが、二人の存在を示していた。
最終頁には、新たに一節が加えられている。
「令和八年八月
若者二名、来村。
村の客人となる。」
そして、貸出履歴の最後の記録は——
服部湊
北川勝一
返却日:未記入。




