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真っ当に生きてます

作者: やまやま
掲載日:2026/04/22

 


 また落ちた。もう何度目になるだろうか。賞に投稿した文章を読み返す。

 小説中毒の俺に言わせれば、どう甘く見ても3流にもならないクソだ。

 そもそも、こんな頭の中だけで書かれた文章に意味はあるのだろうか。

 自分がときめく体験をしなければ、小説なんて書けはしないんじゃないか。



 そう行き場のない思考が痛いくらい脳内を巡っていた。

 気分を落ち着かせるためにコーヒーを啜った。



(ピンポーン......)



 家のチャイムが鳴ったため、飲みながら体を玄関に向ける。

 夏休みに遊びに来てくれるような友達はいないし、彼女もいない。

 それに今何時だと思ってるんだ。深夜の12時だぞ。

 パジャマだが着替えるのも面倒なのでそのまま出ることにした。



 ドアノブに手を掛け玄関から出ないようにドアを開けた。

 少しずつ開けると蛍光灯に照らされた人影が見えてくる。



 警戒しながら開けていくが、人の腕が見えたところで急にドアが軽くなった。



 向こう側の人が一気にドアを引いたのだ。

 俺は前に倒れそうになり、ドアを戻すところではなくなる。

 ドアノブに引っ張られながら何とか左足を前に出し倒れることを防いだが、身動きが取れない体勢で通路に出ることになってしまった。

 まずい......が大声を出せば不審者は逃げていくと相場は決まっているのだ。



 しかし、俺は驚きのあまり声が出なかった。



 この人が被害者なのではないかと思うほど、全身血塗れな犯人が立っていたのだ。

 犯人がドアを大きく開き、部屋の光がその顔を照らした。

 ......何してんだ、この人?



「後輩くん、ちょっとお宅にあがらせてくれないか。」

「......帰ってください、先輩。」




 ////////////////////////////////



「これ、どうぞ。」

「頂こう。」



 無理やり上がられたが年上の手前、無下に扱う訳にはいかない。

 淹れておいたコーヒーをそのまま出した。

 それにしても異質な光景だ。

 初めて家にいれる女性が血塗れなんて、しかも何もないかのようにコーヒーを飲んでるなんて。



「で、何でそんななりをしてるんですか。仮装大会に出るには随分と陳腐ですが。」



 俺は小説のネタになればと、バレないように机の下にメモ帳を持った。



「いやなに。少し人を殺めてしまってね。これは返り血だよ。」



 先輩は笑顔でとんでもないことを言い放つ。

 元からこんな人ではあるのだが、これはいつもと雰囲気が違う。

 目が笑ってない。



「はい?冗談ですよね?」



 もし本当だとして、それを俺に言う必要がない。



「本当だとも。ほら、これ。」



 OLさんが使ってそうな大きめの片手バッグをごそごそと弄ると、赤く染まったキッチンペーパーに包まれた小さな包丁が机に置かれた。

 キッチンペーパーを剥がすと固まった赤黒いものがボロボロと机に散乱した。

 包丁にもひび割れがびっしりくっ付いている。明らかに絵の具とは違うグロさが机に広がっていたのだ。



 ......これは認めざるを得ないか。


 少しの恐怖と強い興奮で俺はメモ帳を強く握りしめた。



「それで誰を殺ったんですか。」

「父だよ。」



 父親を殺害、と。

 先輩の表情は......どういうことだ。

 何でそう笑っていられるんだ?



「酒と女癖が悪くてね、機嫌が悪いとすぐ暴力さ。母も私が物心つく前に大学に出ていったらしい。だから、暴力を受けたから殺したんだ。」



 先輩はあるで当たり前かのように淡々と言葉を続けた。

 しかし、先輩の話には疑問が残った。



「なんで今なんですか?俺なら中学生までに殺すか自分が死んでますよ。」



 そんな生活を十数年は絶対に耐えられない。

 その環境にいたら一週間も持たず自殺する。



「今日、絶縁状を送りに行ったんだよ。相続放棄と一緒にね。夕方だったんだが、既にかなり酔ってて。好都合だと渡してさっさ帰ろうとしたんだが、金が無くて風俗に行けないとかほざいたんだ。すると、どうしたと思う?」



 話の続きが気になりすぎる。

 流石は文学部部長、語り部も上手い。



「どうしたんですか?」

「産んでやったんだから感謝しろ、その恩を払え、と親と子の一線を越えようとしたんだ。それで護身用

 に持っていたナイフで一刺し......っていう経緯だな。」



 俺は静かにメモを埋めていった。

 俺が書いてるジャンルとは180度変わるが、目の前に落ちてる貴重な経験談。

 拾わないと勿体ない。



「しかし君は面白いな。常人ならすぐにでも家から追い出すか、警察に通報するか。少なくとも君のように興味深く記録することはないだろう。」

「......気づいてましたか。」



 白状するようにメモ帳とボールペンを机の上に出した。

 流石に両手下に置いてるのは不自然だったか。


「いやなに、駄目と言ってる訳じゃないんだ。君がアイデアに困ってるのも知ってるしね。ただ一つ、交換条件を呑んでくれれば、私の経験と知識、書く技術の全てを提供しよう。」

「分かりました、やりましょう。」



 つい二つ返事で了承してしまった。

 こんなチャンス人生に二度はない、俺が小説家として大成するために都合よく使わしてもらおう。



「やはり君はおかしいね。ふふっ。二言は無しだよ?」



 俺が二つ返事で承諾するのを分かってたのか、先輩はにこやかに微笑んだ。

 すると先輩は口の前で指を合わせ、明らかに雰囲気が変わるのが分かる。

 この条件を聞いたらもう後戻りは出来ないことが、一挙手一投足から本能を通じて理解させられた。



「......それで、その条件とは。」

「私を殺して欲しいんだ。ちゃんと愛してね。」



 ////////////////////////////////




 いつもと違う冷たい箱の中で浅い眠りが覚める。

 先輩と同じ部屋で寝るのは気まずくて浴槽で寝たんだったな。



 ぼんやりとした頭の中で昨日のことを思い出した。

 先輩は自分が死ぬことに恐怖はないのだろうか?

 人を殺すのはまだ分かる。

 俺も偶に殺したくなる衝動に駆られることはある。

 でも、自分の命に興味がないのは何故なんだ。

 殺人鬼でも自分の命ならば、幾ばくかの躊躇があるはずだ。



 それに......俺には人を殺せるほど異常ではない。

 今からでもなかったことにしたいものだ。



「うおっ、酷いクマだね。私と一緒にベットで寝ればよかったものを、そんなとこだと体中痛いだろう。」



 浴槽のドアが開かれると先輩が目の前にいた。

 あんたもクマ出来てるじゃないか。

 血塗れの服のままで居させわけにはいかないので俺の服を貸している。



「今から殺す人と一緒に寝れないですよ。こちとら常人なんで。」



 皮肉交じりに答えるが、自分が殺す相手とそれに女性と一緒に寝れるわけがない。

 ......言い過ぎたか?

 そんな心配は杞憂に、微笑みながら部屋に戻っていった。



「朝ごはん出来てるから、早く来な。」



 部屋に戻ると作りたてであろう、朝食が机を挟んで並んでいた。

 最近はカップラーメンが主食だったから久しぶりの手作りだ。



「悪いけど食材は勝手に使わしてもらったよ。あまりに何もないから適当なのしか作れなかったけど。」

「逆に消費してもらってありがとうございます。でも意外ですね。飯は作れないタイプかと。」

「酷いなあ。家事は自分でやらないとやってくれる人がいなかったからね。それに節制は基本だろう?」



 なるほど。

 やはりそういう家庭には、子供の不遇を示す背景が必要か。

 記録しておこう。

 メモをしていると持っていた箸を置き、こちらをじっと見た。



「記録もいいが冷めないうちに食べて欲しいのだが。」

「先輩も食べてないじゃないですか。」

「いや、まあ、そうだが。」



 何処か寂しげに、気恥ずかしそうに先輩は顔を逸らした。



「......初めて誰かと食卓を囲めると思ったのだがね。」



 これは......誰が見ても俺が悪いな。メモ帳を下に置き、近くの味噌汁へと箸を進めた。



「ん、美味しいです。毎日食べたいくらいです。」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。君が殺してくれるまでは作ってあげようかな。」



 食器の音や咀嚼音がしばらく鳴っていた。

 うむ、話すことがない。

 部室なら小説の感想とかあるが、俺はあまりこの人を知らないのだ。

 新進気鋭の若手小説家、ありふれた日常の中に人間の根幹を表したヒューマンドラマを描く......なんてこの前の雑誌には載っていたな。

 それくらいか。



「そうだ後輩くん、出かける準備をしといてくれ。出来る限り早い方が良いからね。食べ終わったらすぐに出るよ。」



 そんな先輩の皿は全て空になっていた。



「出かけるって、何処に?」


 この人、自分が人を殺してる自覚あるのかな。

 全くもって無自覚そうな先輩は皿を洗いながら、鼻歌交じりに答えた。



「海を見に、ね。」




 ////////////////////////////////





「先輩......その、どうしても言いたいことが。」

「何かね、後輩くん。」

「流石に遠いです......殺す気ですか。」



 電車で約2時間半ずっと揺られていた。

 インドア派にとって致死量の外気と日光を浴びてることになる。

 それに警察に見つかるのではないかと心配で心の負担も小さくはない。

 もう既に体ボロボロ満身創痍だ。

 それに比べて先輩は......



「見てこれ、サングラス。どう?似合ってるかい?」



 よく修学旅行生が買ってそうな安物のサングラスを目にかけていた。

 何でそんなに元気なんだ。

 あんまり目立ちすぎると捕まる可能性が高まるのに、馬鹿なのか?



「似合ってますから、買うなら早く買ってきてください。」

「おお!なら購入するとしよう。君の分もね。」



 要らないが、まあいい。

 サングラスでも掛けないよりはマシだろう。

 服も変装用にもう一着は欲しい、ついでに帽子も。

 夏休みということもあり観光客が多いが、油断しない方が良いだろう。



「ほれ、似合いそうなのを持ってきたぞ。」



 さっきのサングラスを掛け戻ってくると、お土産用の紙袋を手渡された。

 袋を開けるとシンプルな黒いサングラスが入っていた。

 ......正直、好みのデザインではある。

 似合わないのは知ってるが、一回くらいはつけてやるか。



「あ、うん。い、イイカンジだぞ。ダイジョウブ、ダイジョウブ。」

「それ似合ってないときの言い方じゃないですか!」

「冗談だ。冗談冗談。もう本当に冗談だから。ああもう言わんでいい!冗談なんだから。」



 この人マジで......絶対殺す。

 何でこんなテンション高いんだよ。

 まあ理由は初めて雪を見た犬に近いものだろうが。



「あれ、取ってしまうのかい?似合ってたのにもったいない。」

「噓つきの言葉を信用しません。」



 サングラスを紙袋に仕舞おうとするとタグが目に付いた。

 フレームからして1000円程度......って1万円!?



「それじゃあ行こうか。最適のプランを練ってきたのでね。」



 //////////////////////////




 そんなこんなでバスで移動すること30分。

 俺たちは崖の上で岩礁に打ち寄せる波をただ漠然と見下ろしていた。

 高所恐怖症でもない俺でさえ身震いするほどの高さだ。



 小柄な体躯が俺の横に並んだ。

 ......もしここで少し背中を押せば_



「流石に高いね。知ってるかい?崖からの飛び降りで自殺するときの死因。」

「あ、いや。溺死、じゃないんですか?」



 気持ち程度伸ばしていた手をすぐに退かした。



「残念、不正解だ。そもそもこの高度から落ちたら海に落ちた時点で即死だろう。まあそれも失敗したら悲惨だけど。」

「失敗したら、どうなるんですか?」

「崖の出っ張りにあたって足にしろ顔にしろ全身打撲、骨折。で、転がり落ちて、下に着くころにはもう、見るも無残な姿に変わり果ててる。それでも死ねなかったら衰弱死するまで1人孤独に最後を迎えることになる。」



 よく崖下見ながら平然と喋れるな。観光に来て自殺の仕方について話すの普通じゃないだろ。

 いや、普通じゃないこそ俺の目指してた境地なのだが......



「ま、君の書く小説に使えるかもしれないし、覚えておいて損はないだろう。」

「俺が青春ラブコメ書いてるの知ってますよね!?」



 俺の言葉には気にもくれずに先輩は踵を返すと、隣接されている遊歩道へと進んだ。




 //////////////////////////





「先輩......遊歩道は分かりますよ。散歩するは偶にしますし、そこまで嫌いじゃないので。でもこれはダメでしょう。どうして海水浴なんですか!」



 空から降り注ぐ紫外線、夏の暑さによって脳が茹れた人間たち......理性を無くした馬鹿どもしか楽しめないイベントだ。

 それに今日の気温は35℃を超える猛暑日。こんな中外を出歩くなんて本当に馬鹿げてる。

 それなのに......何故か俺もその大衆の1人として浜辺に立っていた。


「さっきも言っただろう。文学とは馬鹿になればなるほど味がある作品になるんだよ。それに君は恥もなしに作家を目指してるのかい?」



 そんなの、本物の小説家に言われて反論できる訳ないじゃないか。しかもそんな本気の目で言われたらなおのこと。

 俺は先輩の手を取りビーチパラソルから出た。



「おめでとう。これで君も小説家へ一歩前に進んだね。」



 なんか馬鹿にされてるような、いいように使われてるだけな気がするがまあいい。

 というかこの人本当に警察に追われてるの分かってるのか?

 まあ警察も殺人犯が海水浴に行くなんて夢にも思わないだろうが。



「そんなダブルミーニングはいらないです。まあ、無理やり着替えさせられたときから覚悟はできてましたよ......何じろじろ見てるんすか。セクハラですよ。」



 俺の裸がそんな気になるのか?確かに先輩、男の気なさそうだし意外と珍しいのかも。

 興味津々に観察する先輩の細く滑らかな指が、腹筋の割れ目を撫でる。

 何か気持ちいい......



「って何するんですか!」

「いやあ、案外育ててるもんだなと思って。良い筋肉してるじゃないか。

 自分を育てるのはいいことだ、肯定感が高くないと人生歩んでいけないからね。」



 それ、先輩が言うのか。

 自虐ネタは関わらないのが吉って昔から言われてるから。

 余計なことは言わないでスルーだ。



「先輩も意外とスタイルいいですね。運動してなさそうなのに。」



 いつもぶかぶかの服を着てるから気づかなかったが、腰回りや二の腕に余計な贅肉が付いていない。

 色白の吸い込まれそうな肌、意外と出てるとこは出てる体、いい所のお嬢様と勘違いされてもおかしくはない。



 すると突然俺の手を先輩がお腹へと当てがった。

 滑らかな赤子のような柔肌の感触が、指の腹を包んだ。



「何してんすか!夏の暑さにやられたんですか。」

「私だけ触るのも不公平だからね。これでお相子さ。さあ、海に入るぞ海に!」



 白砂を撒きながら海へと駆け出して行く。

 目の前の光景に思わず、画家のように指遊びをしていた。

 全く、絵になるじゃないか。




 ///////////////////////////////





 そこから少し海に入り遊んだが......体の作りは良くても結局インドアはインドア。

 真夏の暑さには付いていけなかったのだ。

 ビーチパラソルの陰で潮風を感じる。

 それくらいが俺たちにはちょうどいいのかもしれない。



「飲み物どうぞ。」

「ありがと。」



 海の家で買ってきた麦茶を渡した。

 悲しいことに帰って来た時にパリピに絡まれてるなんてことはなかった。

 ちょっと小説のネタになればと思ったのだが。



 潮騒と人ごみの騒音が疲れた頭を正常化していく。



「今日はどうして海に来たかったんですか?部屋にいる方が安心でしょうに。」



 先輩は麦茶のカップの結露した水滴を1つ1つ取り除いていく。

 どうせまた付いてしまうのにご苦労なことだ。



「一度見てみたかったんだよね、海。家族、友達、彼氏とはしゃぎ疲れて一生の思い出に、っていうのが物語の鉄板だろう?それが見たかったんじゃないかな。」



 俺たちを取り囲むように存在する彼ら。

 確かに、全員が今を目一杯楽しんでいるように見える。

 普段からここにいたらなけなしの劣等感で狂いそうだが、今は無性に心地いい。



「先輩はどう、でしたか?俺と一緒で楽しかったですか?」



 て、何聞いてんだ俺は。

 熱に浮かされてんのは俺の方じゃないか。

 すると、先輩は困った風に頬を掻いた。



「......ああ。後生の思い出になりそうだ。」




 ////////////////////////////////////////////





 海岸沿いを歩くと海全体が蜜柑色に染まっていく。

 海水浴客も徐々に陸に上がっていった。



 ......今なら聞ける気がする。



「先輩は......何で死にたいんですか。」


 人間を1人殺したくらいで死刑になることはほぼない。

 そもそも最近の司法の流れからして、数人殺した程度なら最高で無期懲役。

 しかも先輩は暴力を小さなころから直前まで受けていたことを鑑みるに、3年程度の懲役刑が妥当だ。



「懲役刑にはなるかもしれないですけど、別に死ぬ必要はないですよね?金は十分にあるんですし、何だったら状況からして情状酌量も認められるでしょう?」



 先輩なら笑って淡々と答えると思っていた。

 なのにそんな悲しい笑みをするなんて思わないじゃないか。



「それ今聞いちゃう?あーあ、折角楽しくなってきたのにな。」

「あ、いえ。話したくなかったら全然大丈夫、です。」

「話すよ。このままだとずっと甘えそうだし。」



 分かってる。聞かないとこの事件の本質には、先輩の心臓には辿り着けない。

 海からの反射光のために付けていたサングラスを外すと、いつもの先輩らしく語りだした。



「私がアイツに性暴力を受けそうになったから殺した。これは覚えてるね?」



 こくりと頷く。

 素人でも小説家。

 重要なファクターは頭の中で整理してある。



「受けそうになった。ではなく、もしこれが『受けた』だったら?」



 それってつまり、未遂ではなく犯行後に殺した、のか。

 ......先輩はどんな感情で過ごしてきたんだ。



「そう。こんな浅はかで陳腐で、一流とは程遠いトリックで君を騙してたんだ。すまなかったね。」



 自分でも酷い面をしてるのが分かる。

 ......感情移入はしないタイプなんだけどな。

 そんな俺を慰めるかのように先輩は話を続けた。



「アイツはゴムを買う金もないから、生で無理やり。それで......」

「もういいです!これ以上はもう、お願いですから......」



 これ以上聞いたら俺の方が壊れてしまいそうだ。

 何でそんな笑ってられるんだ?何でそんな平常心でいられるんだ?



 分からない。俺にはこの人が分からない。

 柵にもたれかかる俺を先輩は後ろから抱きしめた。



「君には聞く義務があるんだ。逃がさないよ。」



 期せずしてか俺の両腕は耳を塞げないように拘束されていた。

 力づくで引き離すことも出来たが、それは人間として小説家として終わりを意味している。

 逃げるわけにはいかない、のか。



「君が好きなんだ。」

「え......?」



 先輩の抱きしめる力が一段と強くなる。

 波の音もその告白を掻き消せなかった。



「多分気づいてないと思うけど、私たち高校同じなんだよ。よく図書室で一緒になったりして、ずっと見てたんだよ。」



 ......全然気づかなかった。

 確かに俺は高校......いや小学校から図書室に籠っていた。

 だが流石にそこまでの仲の人は知らない。

 先輩ほどの人物であれば噂を聞いていてもおかしくないのだが。



「あの頃はまだ小説も書いてなかったし、買うお金もなかったから図書室を利用してたんだ。確か4年前の夏だったかな。本を棚に戻そうと脚立に上ってたんだが、眩暈がしてふらついて落ちそうになったんだ。そこを君が受け止めたんだ。」



 まさに青春の1ページの出来事を先輩は嬉々として語った。



 その記憶が無いわけではない。

 日常よりもちょっと刺激があって脳裏に刻まれた瞬間。

 しかし昔だったこともあり、顔までは結びつかなかった。



「私も驚いたよ。当時の環境もあったとしても、ちょっと優しくされただけでこうも簡単に落とされるなんて。落胆したかい?()()の女の子で。」

「......いえ。むしろ普通の部分があって嬉しいです。」



 先輩は臭い笑いを小さくたてると、俺の背中におでこを埋めた。

 呼吸1つ1つが背中にじんわりと温もりを与えていく。


「ふふ、そうか。だからかな、君を大学で見たときは震えたよ。運命は存在するって、安直な考えしか出てこなかったんだから。」


 腕も手も先輩に絡めとられ、もはや抵抗はしない。

 その気も起きないほど、素直で従順だった。

 全身の脈動が皮膚の上から伝わってくる。



「余計に分からないですよ。何でそんな死にたがるのか。」

「全く、本当に小説家かい?もう君に愛される資格もないんだ。だからせめて、私の持てるもの全てを君の血肉にしてほしかったんだ。」



 書き手としての技術も、人間としての経験も、あまつさえ命も俺に捧げることを厭わない。

 ......異常だよ、本当に。

 でも俺は普通だから、変人には考えられないことも俺になら。

 反時計回りに振り返り、強引に先輩を引き剥がした。



「聞き間違いじゃなければ、俺に全てをくれるんですよね。」

「ああ、そう言ったが......」



 確か、二言は無しだったよな。



「なら、そうだとしたら、俺に先輩の人生をください!」



 頭を下げ手を伸ばし、まるで一昔前の告白のシルエットだ。

 台詞も伝統的で使い古されてクサすぎる、引かれたか......?



 恐る恐る顔を上げると、先輩はポカンと口を開け少しの間逡巡した様子を見せた。

 数秒後、その意味が分かったのか一気に耳まで真っ赤に染まった。

 なんだ、そんな顔も出来るんじゃないか。



「えと、いいのかい?私は人殺しなんだよ?」

「結婚式は刑期が終わってすぐ挙げましょう。」


「変わり者とも言われてるし......」

「非凡でかっこいいです。」


「お金はそこそこあるし......」

「それは......ご馳走様です。」


「君に初めてをあげれないし......」

「俺の初めてを先輩にあげます。」

「それに......」



 最後にその1点だけが問題であるように重く言い淀み、声色が弱く低くなる。

 顔も今すぐにでも泣きそうだ。


「アイツの子を......身籠ってるかもしれないんだよ?」


 そんなことか。

 先輩にしては()()の感性だな。

 しかし、それでも嫌いになれないほど俺は先輩に変えられてしまったのだろう。



「俺は先輩が阿呆でも殺人犯でも破滅願望があっても、人妻でも男の娘でも実は隠し子がいても、何でもどれでも受け入れますよ。だからもっと教えてください、先輩のこと。」



 もう沈む淡い光が2人を優しく包み込み、一時だけの逃避行も終わりが近くなる。

 その光が段々と薄くなっていく中で日に焼けた小さな両手が、差し出した俺の手ぎゅっと握り締めた。


「不束者ですが、よろしくお願いいたします。て、私もありきたりだな。」



 しかしそれが必ず間違いでない確信があったのか、らしく笑った。



 山に陽は完全に隠れ、街灯があるとはいえ辺りはもう真っ暗だ。

 まだここにいたかったが、やらなきゃいけないことがたくさんある。

 自首しなきゃいけないのもそうだが、まだ避妊薬を飲めば間に合う時間だ。

 手を繋ぎながら歩幅狭く駅に向かった。



 ////////////////////////////////




 今日もまた俺は机に向かい文章を書いていた。

 手元には古臭く使い古された手帳が開いてある。

 あの日の出来事を改めて本にしようと躍起になっていたのである。

 だが振り返っていると、ふと不思議な点を見つけた。


「なぜ先輩はあのとき......」


 そう思うと、この原稿用紙上の文章が偶然ではなく作為的な何かに思えてくる。

 いやほぼ確信に近い、これは俺の物語ではない。

 何にしろ証拠があまりにも足りない。

 手元の資料をかき集め、静かに家を出た。


////////////////////////////////




 向こうの部屋に見るからに重たそうな鉄の扉を開け、ちょっとばかし瘦せこけた先輩とそれを押していくかのように堅物そうな刑務官が入ってきた。

 そんな少し懐かしい彼女とアクリル板越しに挨拶もなく対面した。



 刑務官は入室を確認すると、ドア前に後ろに手を組んで機械のようにピンと立った。

 さあ、あくまで平然といつも通りにだ。



「ご無沙汰してます、先輩。」

「1ヶ月ぶりだね。今月も会いに来てくれて嬉しいよ。」



 結局先輩は心身的状況と自首したことにより情状酌量の余地ありと判断され、懲役3年と判決された。

 斯く言う俺も殺人幇助罪に掛けられそうになったが、先輩に自首を促したことになっており罪には問われなかった。

 それから毎月2回は会いに行くようにしていた。



「そうだ、君が書いた本読んだよ。矛盾してる心情が人間らしくて特に興味深かった。賞に選ばれるのも納得がいく出来だったんじゃないか?」



 そうあの後、事件を踏まえた経験や先輩の助力もあり、何とか賞の獲得まで漕ぎつけたのだ。



「先輩の指導のおかげですよ。それでまた相談があって来たんですけど......」

「お、なんだい?時間もないし原稿用紙でも差し入れしてくれればいいのに。」



 確かにその手もあった。

 が、直接顔を見ながら話さないと分からないこともあるだろう。

 それに先輩がどんな顔をするのか気になったからでもある。



「いや、本当にしょうもないことなんですけど、ちょっとした伏線の張り方に悩んでまして。ヒロインと逃避行中海に行くシーンで予め水着を準備してるなんて、リアリティに欠けますよね。」



 面会で直接的な話はしてはいけないため、小説を絡めて真意を明かそうという魂胆だ。

 先輩はいつも通りにこやかに、俺の話を静聴していた。

 その表情の下に何が隠れているのか、俺には読み取れない。



「なるほど君は......まあいい。そんなこともないんじゃないか?例えば主人公の家から水着を持ってきてたり、主人公の知らない場所で買ってでもしていた。そうすれば、ほら、辻褄がある。」


「それはないです。家に来るまでに店が開いてなくて、尚且つそこから手に入れる手段が無いとしておかしいですよね?」


 どうして先輩は俺の水着まで持っていたのか。

 先輩が俺の家に来てから外に出た様子はなかった。

 あの日は寝れずに遅くまで起きてたから間違いない。

 それなら一体どこで、という話だ。

 ここまでしても先輩の顔は崩れない。



「ふむ、発想の転換だな。水着を持ってた理由が重要だと考えればいい。そうだな......初めから主人公と海に行く理由があったとしたら。障害を壊して彼に人生を捧げる気だったとしたら。結構面白い伏線にもなるだろう?」



 初めから、先輩が家に来る前から.......いや、父親の家に行く前から水着を準備していたとしたら。

 ゆく展開を想像したら俺は思わず自分を頬を叩いていた。

 仮にだ。仮にそうとしてしまったら先輩は自ら......



「......1つ聞いてもいいですか。」

「ああ、1つだけだ。」



 聞きたいことは山ほどあった。

 父親を殺したいがために俺を使った?

 俺の小説のために犯されにいった?

 それとも自分の小説ため?

 どこからどこまでが筋書通りだった?

 しかし、ただ1つだけと言われたら、聞きたいのはこの中のどれでもない。

 こんなどうでもいいことより、今日俺が知りたかったのは元から1つだ。



「先輩は俺のこと好きですか?」


 

 すると先輩はピンクに顔を赤らめ、何処か安心したようにアクリルガラスに手を合わした。



「愛してる。」



 俺も透明の壁越しに手を合わせると、向こう側から熱が伝わってくる。

 少し先輩の顔の裏が見えた気がした。



「僕も愛しています。」



 先輩も俺と同じで怖かったのだ。

 この2年間、刑務所を出ても俺の所に戻ってこないのではないかと、正直不安だった。

 そして今回の件でより強まって耐えられずつい会いに来てしまった。

 先輩も俺が賞を取って書き方を理解して、自分が要らないものと捨てられるのではと怖かったのではないだろうか。



 刑務官の目つきが冷たいので、名残惜しくも手を離した。



「あ、そうだ。言い忘れてたんですけど、この話俺は書きません。代わりに、というか最後まで自分の手で話を終わらせてください。」

「そうか......でも君も隣で共に書いてくれるんだろう?」

「当たり前じゃないですか。」


 先輩の描いた起承転結が詰まった筋書。

 紆余曲折ありながらも2人幸せに暮らし、いつか終わりを迎える。

 そんな平凡で異彩を放つ人生を隣で支えられたらどれほど幸福か。



 俺は心からそう思った。




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