第六話 贈り物
「遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
紫陽花の美しい水無月。レイは15歳になった。アイリスは従者に持たせていた箱を渡す。これは、と目で問うレイに微笑んだ。
「当家から既に祝いの品が贈られたとは思いますが、わたくしからもプレゼントを」
「ありがとう存じます」
高位貴族ともなれば生家で盛大な宴が開かれるのが常だが、レイの父・ヴィノグラード侯爵は領地で発生した洪水の対処に追われており、宴は催されなかった。
「公女さまは、何か誕生日に欲しい物はございますか?」
アイリスは首を傾げる。身分に見合うように、全ての物は与えられているし、欲を出さぬようにと育てられた。それに何より――
「わたくしの誕生日は、かなり先ですが」
年の末なので、ほぼ半年先である。
「公女さまは、欲しい物を聞いてもすぐには思い付かないかと思いましたので。じっくりお考えになっていただければ、と」
誕生日。アイリスが、生まれた日。
——どうして、お前はまだ生きているのかしら。
虚ろな金の眼差し。それを眺める、何の感情もない翠緑の瞳。口から吹いた泡の感触と地面の冷たさ。
一年で一番忌まわしい、あの日。
ソーサーに置いたティーカップが派手な音を立てた。
「誕生日の翌日に、わたくしに、会いに来ていただけませんか」
「……翌日に?」
アイリスは我に返り、冗談ですわ、と微笑んだ。
冬は皆、領地に帰っている。他の貴族を呼んで舞踏会や夜会を開くこともあるが、グランヴィル領は北、ヴィノグラード領は南東、馬車で半月近くかかる距離だ。呼ぶことはないだろう。
「……おまかせ、というのは可能でして?」
「魔導具か、流行りのものになってしまうと思いますが、それでもよろしければ」
「構いません」
「では、そのように」
「ありがとうございます」
声は、震えていなかったか。
ティーカップの中で揺れる紅茶は、何も答えない。
「――公女さま」
静かな声に、アイリスは顔を上げた。レイはティーカップに視線を落とし、言葉を選ぶように沈黙する。
「贈り物をいただいておきながら不躾とは存じますが、ひとつ、叶えていただきたいことがございます」
「何でしょう。わたくしに叶えられることであればよいのですが」
「公女さまにしか、叶えられないことです」
そんなことが、この世にあるだろうか。公爵家の力を使って手に入れられるものであればいいのだが。
「御名をお呼びする許可をいただきたい」
簡潔な願いに、アイリスは目を見開き、ふと笑んだ。
「確かに、わたくしにしか叶えられぬ願いですね——レイ」
「――嘘は、好みませんので」
婚約者という偽りの仮面をかぶった暗殺者は、そう言って微かに口角を上げた。
***
「お嬢様。お手紙が届いております」
部屋に戻ると、執事が手紙を差し出してきた。裏返して印章を見る——王家からである。封蝋を破り目を通し、アイリスは唇を歪めた。
「……王妃殿下にお茶会に招かれたわ。一週間後だそうよ」
一週間、と言った瞬間、執事が探るような視線を寄越した。通常、茶会の招待状は一ヶ月近く前に出す。一週間では、準備の時間など碌にない。
アイリスは執事を一瞥する。
「手配なさい。くれぐれも、グランヴィルの名に傷をつけぬように」
畏まりました、と執事は頭を下げる。グランヴィルの名を出せば、執事も騎士も侍女も必ず動く。アイリスの名では、決して動かないけれど。
窓から空を見上げると、曇天色の空からぽつり、ぽつりと雫が落ちてきた。もうすぐ本降りになりそうだ。その前に、レイは家に戻れるだろうか。
今し方別れたばかりなのに、何故か顔を見たくなった。