第四話 魔導具
レイがメイドに手当されている間、アイリスはずっと黙って外を眺めていた。何か言葉を掛けた方がいいだろうと頭では分かっているのに、紡ぐ言葉を見つけられなかった。手当が終わると、レイはアイリスを見つめたが、アイリスは微動だにしない。
「――お怒りなのでしょうか」
「.......」
「きちんとした恰好でお出迎え出来なかったことをお詫び――」
「そんなことに苛立っているのではありません!」
アイリスは声を荒げ、そんな自分に驚愕した。人の言葉は遮らない、大きな声を出さない。そんな初歩的な礼儀作法を忘れたのは、幼児の時以来だ。
「では、何にお怒りなのでしょう.....?」
「あなたが、あなたがご自身を大切にしないことに苛立っているのです」
レイは目を丸くした。小さく開かれた口からは、何の言葉も出てこない。
宴の時と真逆だ。あの時は、レイが怒ったのではなかったか。こんな風に、傍目にも露わな怒り方ではなかったけれど。
「わたくしは、あなたが魔術開発をすることは喜ばしいことだと思います。あなたの天賦の才をこれほど生かせる場所など、そうそうありません。ですが――ご自身の安全を第一に考えてくださいませ! 先程、どれだけわたくしが驚いたとお思いですか!」
「......申し訳、ありません」
アイリスは大きく息を吐く。
「......ご迷惑をおかけするのなら、お頼みしませんでした」
「迷惑ではありません。いずれ、部屋も整理しなけれなならないと思っておりましたので」
「......そうであるならば、よいのですが」
「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。今後は安全に留意いたします」
「お願いいたします」
何をしているのだろう、とアイリスは心の中で自問する。相手は婚約者とはいえ、いつかアイリスを殺す男だ。何故その身を案じるのか――アイリスは思考を停止する。情は不要だと教わって育った。足枷にしかならぬと知った。なればこそ、自分が他者に情を抱くことは許せなかった。
「……何故お笑いになるのです」
「失礼しました。公女さまは眉根を寄せていらっしゃっても可愛いらしいと思いまして」
「……は!?」
思わず意味を成さぬ声が喉から飛び出した。
可愛いという形容詞は、アイリスにとって最も遠いものだった。忌まわしきこの色彩を持つ限り。
「ご不快にさせてしまいましたか?」
「不快では、ありません、けれど」
アイリスが心の底からレイの目の機能を心配していると、レイは花のように美しく笑った。アイリスは目を逸らす。
「……移動致しませんか。長く姉君の部屋に留まるのは気が引けます」
「あぁ、そうですね。では、離れにご案内いたします――狭く汚いところですが、どうかご容赦ください」
レイに連れられて、アイリスは離れに足を踏み入れた。あまり人が入ると魔導具の暴走が危惧される、とのことで、侍従は離れの外で待機させている。
「……部屋よりは、整頓されているのですね」
とはいっても、魔導具と羊皮紙が乱雑に積み上げられているけれど。
「お茶も出さずに申し訳ありません。こちらにおかけください」
「ありがとうございます」
「安全のため結界を張らせていただきます。声は届きますので、もしも不調を感じられたらすぐにお知らせください」
「承知いたしました」
アイリスを窓際に置いた椅子に座らせ、レイは中央の机の前に立った。魔石保管用の特殊な箱から無色透明の魔石を取り出し、錐のような道具で魔石を涙の形に削っていく。その度に火花と魔力が散っているのが見えた。黒い髪と瞳が、火花に照らされて赤く光る。この行程で操作を誤ると魔石が爆発し術者も大怪我を負うそうだが、全く危うさを感じさせない手つきだった。
やがて形の加工が終わると、レイは魔石の上に手を翳す。魔石の下に光る魔術陣が現れて、今度は青みを帯びる。光が消えるとレイは、机の引き出しから銀の鎖を取り出した。さっきとは打って変わって、不器用そうに魔石を台座に取り付けている。それが終わると、アイリスに顔を向けた。無表情が、僅かに解ける。途端に鼓動が上がり、アイリスは己の不整脈を疑った。その間にレイが近づいて来る。
「出来ました」
「お早いですね」
「ありがとうございます。これがお話しした、髪と目の色を変えるものです。髪と瞳の色は、茶色に固定されてしまうので、まだ改良の余地がありますが……宜しいでしょうか」
「勿論です。とても、嬉しい」
アイリスが微笑むと、レイは目を見張り固まる。
「……? どうかされまして?」
「あ……一度、試していただきたいのですが、宜しいでしょうか。もし不具合やデザインに気に入らないところがあれば、直します」
「では、お言葉に甘えて」
受け取ったネックレスを後ろで留めると、胸元に青い魔石が垂れる。レイが手を翳すと、水の鏡が現れた。そこには、茶色い髪と瞳を持つ少女がいる。自分ではないみたいだった。
「気に入りました」
「良かった。お包みしますね」
「はい」
ネックレスが外れると、いつも通りの顔が現れる。レイは引き出しから取り出した箱にネックレスを仕舞った。
「どうぞお持ちください」
「ありがとうございます」
アイリスは箱に視線を落とす。他に何か言うべきことがあるだろうと思ったのに、幾ら探しても言葉は出てこなかった。
「――公女さま」
「はい」
「宜しければ、その魔導具をつけて街におりませんか」
「ぇ」
勿論今日ではありません、と淡々とレイは言う。
「街に、知る人ぞ知るカフェがあるそうです。甘い物がお好きでしたよね」
「……ええ。けれど、あなたは甘い物は不得手では?」
初めて世間話以外のことを話した時に、互いの好みを把握した。
「そのカフェにはコーヒーやビターチョコレートもあるそうです」
「なるほど――では、楽しみにしております」
微かにレイの口角が上がる。
「……サザーランド様」
「はい」
「薔薇やネックレスのお礼にもなりませんが、何か、贈らせていただきたく思います。何か、欲しい物はございますか」
「とんでもありません。受け取っていただいただけで十分です」
「そういうわけには、まいりません」
レイは僅かばかり迷う様を見せた。視線が虚空を泳ぎ、ああ、と小さな吐息が溢れる。
「公女さまの一日が欲しいです」
「……は?」
「一日、私と過ごしていただきたい」
「……わたくしの、一日」
「はい」
物ではなく、アイリスと過ごす時間。
あまりにも斜め上の希望に、アイリスは理解するのが遅れた。
「不可能であれば」
「いいえ、そんなことは――寧ろ、そんなことで宜しいのですか?」
アイリスはこんな見た目でも、三公家令嬢、次期国王の妹だ。手に入らない物はないと断言できる。
「貴女と共に過ごす日が欲しいのです」
「――承知しました。それでは、街に降りる日を、その日と致しませんか」
「畏まりました」
何となく、心が浮き足立っている。カフェに行くからだろうか。それとも、心置きなく街に出かけられるからだろうか。それとも――
それ以上のことを考えたくなくて、アイリスは違う話題を探した。
「――わたくしを、」
「はい」
「殺すのは、いつになりますか」
レイは目を瞠り、次いで伏せた。長い睫毛が白い肌に影を落とす。
「……まもなく」
その返答に、どうしてか安堵した。