番外編 魔術師の系譜
「お母様、行って参ります!」
「行ってらっしゃい。くれぐれもお義兄さまたちに失礼のないようにね」
「わかりました!」
スカーレットは鞄片手に馬車に乗り込んだ。見る見る内に生家が小さくなり、お城かと錯覚しそうなほど大きな邸宅が近づく。何台も馬車が通れそうな大きな門、四季折々の花が咲く巨大な庭園、名のある彫刻家が手掛けた天使が佇む噴水。中に入れば赤い絨毯がスカーレットを出迎える。白塗りの壁には美しい美術品が飾られ、黒いお仕着せを着たメイドたちは音もなく歩き回っている。
王宮だと言われても信じられそうなほど豪華な邸宅は、父の生家であった。
「叔父様、御機嫌よう! スカーレットが参りました」
スカーレットはちょこんとスカートを摘まみ上げて一礼する。執務室で書類に署名していた叔父は相好を崩した。
「よく来たね、スカーレット」
「今日は、どちらにいらっしゃいますか?」
「さて。何も言われていないから、探せということではないかな」
「かくれんぼですね! 受けて立ちます。うるさくしたらごめんなさい!」
「構わないよ。ただし、調度品は破壊しないように」
「気をつけます!」
スカーレットは元気よく返事をして、執務室を後にした。
かくれんぼなら、7歳児として負けてはいられない。邸宅の隅々まで探す所存である。
「ここか! いやあっちか!」
スカーレットは鞄を片手に邸宅を歩き回った。小さな箱の中や床下も覗いてみたが、目的の人物はいない。
「もーっ、こうなったら......」
1時間もして音を上げた。スカーレットは鞄に仕舞っていた杖を取り出して呪文を唱える。
【探し出せ】
霧があたりに立ち込める。形状を変えながら本邸、離れ、庭園と霧はあちこちに潜り込み、その景色をスカーレットに伝えた。
――見つけた!
庭園から送られてきた情報を受け取り、スカーレットは口角をあげた。この後ろ姿は間違いない。スカーレットは淑女の嗜みを一旦放棄して走り出した。
その小さな庭園は薔薇で埋め尽くされていた。晩春の今、花弁は落ちて色を変えている。それでも、彼がその庭園を好んでいることをスカーレットは知っていた。
霧で見つけた通り、黒い後ろ姿が目に入る。白い椅子に腰かけて、お茶を飲んでいるようだった。
「見つけましたよ!」
スカーレットは嬉しくなって叫んだ。黒い影が振り返る前に、スカーレットは駆け寄った。
「お祖父さま!」
「......見つかってしまったな」
黒い髪に黒い瞳、年相応の皺を刻んだ老人は、スカーレットを膝に抱えて穏やかに微笑んだ。
「霧の扱いが上手になってきました! お祖父さまのことも、すぐに見つけられたんですよ」
「すごいな。流石だ」
「このくらい、朝飯前です! わたくしは偉大な魔術師さまの孫で、愛弟子ですから!」
祖父は十代の内に二つ名を賜っている。魔力量が138と、中級魔術師の域を出ないスカーレットには遠い存在であるが、孫という血縁のおかげで手ずから指導してもらえるのであった。
「ねえお祖父さま、今日はどんな魔術を教えてくださるの?」
「スカーレットはどんな魔術がいい? どんなものでも教えてあげよう」
祖父は68だというのに、声は全く嗄れていない。低く張りのある声で紡がれる言葉たちが、スカーレットは大好きだった。
「それなら、この前見せてくれたお花の魔術を教えてください! わたくし、あの魔術がとっても好きだわ」
「わかった」
祖父が無造作に手を握って開くと、そこには花が一輪咲いた。瞬きの間に、緑しかなかった庭園中に青い花が咲く。
「わあっ......すごい!」
「どんな花を咲かせたい?」
「青の薔薇がいいわ!」
祖父は驚いたように目を瞠る。
「お祖母さまとお祖父さまが一番お好きな花なんでしょう? お祖父さまが咲かせたお花たちと一緒に、お墓にお供えしたいわ!」
「――……アイリスも喜ぶだろう」
「そうと決まれば練習あるのみ! お祖父さま、どうすればいいのか教えてくださいませ!」
祖父の指導は日が暮れるまで続いたが、スカーレットはなかなか花を咲かせることができなかった。また明日も来ます! と元気に宣言して、家路についたのである。
「スカーレット、今日は父上のところに行ったそうだな。何か新しい魔術を学んできたのかい?」
「お花を咲かせる魔術を教わったけど、ひとりじゃ上手くいかなかったの! また明日も行くわ」
「素敵な魔術だね。できるようになったら、お父様にも贈ってくれるかい?」
「勿論よ、お父様! お母様にもお兄様にもお姉様にもあげるわ! 何のお花がいいか考えておいてくださいませ」
「楽しみにしているよ」
スカーレットは満面の笑みを浮かべて頷いた。
***
「――ヒューバート」
「父上。どうかなさい......花の魔術を使われたのですか」
「スカーレットに頼まれてな。見本と補助で咲かせ過ぎた。ここにも生けていいか」
「構いませんよ」
グランヴィル公爵・ヒューバートは、山のように青薔薇を抱えた父を見て笑った。もはや埋もれていると言っても過言ではない。
「スカーレットはどうです? 明日も来る、とは聞きましたが」
「なかなかひとりでは上手く花を咲かせられなくて地団太を踏んでいる。5日もすれば習得するだろう」
「楽しみにしております。何の花を咲かせると?」
「――青薔薇だ」
「母上がお好きな花ですね。あの子らしい」
スカーレットが生まれる前に母は亡くなっている。しかし母に瓜二つのスカーレットは、肖像画で見た祖母に親しみを感じているようだった。
「墓前に供えたいそうだから、今度、転移魔術で連れて行ってやろうと思う」
「よろしいかと。父上も、母上もお会いしたいでしょう」
父は軽く笑った。
「約束さえなければ、今すぐにでも会いに行くのだがな」
***
息子や孫の部屋に青薔薇の置き土産を残し、レイは部屋に戻った。手元に残した一輪の青薔薇を眺め、肖像画の前に飾る。
肖像画の中で、レイと亡き妻・アイリスは並んで微笑んでいた。結婚したばかりの時に描かせた肖像画だ。他にも家族の肖像画やひとりきりのものも飾っているが、アイリスはこれを殊更気に入っていた。理由を問うとレイと夫婦になって初めて描いてもらったから、と頬を染めて答えがあって、あまりの可愛さに理性を失ったことは記憶に新しい。
レイが愛妻・アイリスを失ったのは15年前のことだった。当時アイリスは51。爵位は長男に引継ぎ、孫の顔も見ていたので決して早いとは言えないが、レイの悲嘆は甚だしく、局所的な大雨を引き起こしたほどであった。流転の魔術師に止められなければ、どうなっていたか分からない。
――あんまり早く来てはだめよ。ゆっくり来て。あなたは寿命が長いんだから、好きなことをしてし尽くして、暇になったら来てちょうだい。それまでは、孫やひ孫の面倒も見てくれたら嬉しいわ。
アイリスの言葉がなければ、そのまま自害していただろう。アイリスのいない日常など、考えられなかった。子や孫がいなければ、アイリスとの約束を破ってとっとと死んでいたかもしれない。
「――アイリス。今日は、スカーレットが来た」
レイは肖像画に向かって語りかける。10年も前からやっていることで、もはや習慣になっていた。
「前にも話したか。成長するにつれて、容貌も性格も君に似ていくようだ。今度、君の墓前に花を供えたいと言っていた。まだ、上手くできていないが。もし歪でも、許してやってくれ」
肖像画は答えない。ただ微笑みを浮かべ続けている。分かっていて、それでもなお、やめられない。傷口をえぐる行為であるのに。
「――アイリス。スカーレットが育つのを見届けたら、君のところに行ってもいいか」
レイは肖像画の頬を撫でた。固い感触が返ってきて、レイは目を伏せた。
実のところ、何度か魔術を使って呼び出そうかと思ったことがあった。幽冥の名の由来となった魔術を、今では精度をあげて使えるようになっていたから。死者と会話することは勿論、実体を与えることも出来た。
けれど、犯罪の調査で使用することはあっても、アイリスを呼び出すことはどうしても出来なかった。死者として召喚したら最後、300年以上あるであろうこの生に付き合わせてしまう未来がありありと見えた。青が好きだと笑い、甘いものをつまみ食いし、公爵の仕事をこなす傍ら子供を育てる、そんな幸せで忙しい人生を送ったのだから、レイが迎えに行って生まれかわるまでは、のんびりしてもらわなければなるまい。
「――アイリス、愛している」
いつものように呟いて、レイは蝋燭の火を消した。




