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私を殺す、婚約者〈完結〉  作者: 伊沙羽 璃衣


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番外編 年齢三桁の魔術師による優雅なお茶会

どろり、さらり、どろり。

粘つくような、それでいて滑らかに流れる黒い煙の向こうに、幾つかの人影があった。否、それは人影と呼ぶべきかは議論が分かれるところであろう。黒い煙に覆われたその陰に顔はなく、手足の先は溶けて煙と繋がっている。形は人に似ており、ゆっくりと四肢を動かす様は人のそれであった。発する声はくぐもっていて要領を得ない。それでも音として認識できるものだった。

業火の魔術師は知らず、唾を飲んだ。喉が鳴り、冷や汗が背を流れる。それで初めて、己が恐怖しているということに気づいた。久方ぶりの感情を理解するのに、些かの間があったが。

ちらりと他の二つ名の魔術師たちの様子を伺うと、中年の魔術師が蒼白な顔色で膝をついているのを目に留めた。そういえば、彼の魔力量は規定ぎりぎりで、論文や魔術開発、魔術師救済などで二つ名に任じられたのだった。


「――止めな」


業火が声を発すると、黒い煙が止まる。そのままふわりと宙に浮かび、花火のように散じた。中年の魔術師はその場に崩れ落ち、治癒を得意とする魔術師が駆け寄る。

先程まで煙があった場所の向こうに、ひとりの若者が立っている。年の頃は14,15。若く美しい面には、何の感情も浮かんでいない。

――それがより、恐ろしい。


「すごいわ~、わたしびっくりしちゃった~。まだ、ええと、14になるのよね? これからも伸びしろがあるし、わたしも追い抜かされちゃうかも~」


のんびりとした声をあげたのは、存命の魔術師の中で魔力量第一位である極彩(ごくさい)の魔術師であった。既に百歳を超えているにも関わらず、真白の髪色以外はまるで若い女のようであった。


「わたしは、この子を二つ名に推すわ~。皆さん、どうかしら~」


魔術師たちは無言で頷く。頷かざるを得ない、という方が正しいかもしれなかった。この魔術は、とてもではないが上級の器に収めていいものではない。


「――それでは、そなたの二つ名を決めるとするかのう」


最年長の雷鳴の魔術師が髭を撫でながら言った。青年は雷鳴の魔術師の前に進み出て跪き、(こうべ)を垂れる。


「――幽冥(ゆうめい)。以降、幽冥の魔術師と名乗るが良い」


かくしてここに、若き二つ名の魔術師が生まれる。



***



魔術師。己の体に宿る魔力と空気中の魔力を融合させ、術式を用いて奇跡を起こす者。世界中の誰もが魔力を宿すが、奇跡を起こすことが出来るほどの魔力を有する者はそう多くない。血縁も地縁も関係なく無作為に魔術師は生まれ、(なが)の時を生きる。


魔術師として生まれた者は国に仕えるか流浪するか引き籠るかの三択だ。とはいえ、魔術師ひとりいるだけで戦況も経済も一変するため、魔術師を抱え込むことは他国を警戒させる要因にもなり得るし、そもそも魔術師が他者に命じられることを嫌う傾向にあるため、国に仕える者は稀であった。王侯貴族の生まれであっても、だ。


自由を好む魔術師たちが唯一縛られるものは魔術師の掟であった。これは魔術師組合が定めたもので、破れば即座に組合から制裁が下される。大量殺人や人体実験などがその対象だ。いかな理由があろうとも、魔術師は掟破りを許さない。同様に、魔術師を虐げた者も許さない。組合は魔術師の庇護の為、そして制裁の為に在り続ける。


その頂点に立つのが二つ名の魔術師であった。組合の規定に定められた条件を突破した、魔術師の中の魔術師。指先ひとつで人を呪い、戯れに流行病を収束させ、また国を破壊することさえできる奇跡の人。年に一度の会合の参加も必須ではないので、二、三十年姿を見ないということもよくある話。死んだら名簿から自然に名前が消えるので、あぁ死んだのね、でそれ以上の反応はない。


魔術師は情に薄く、同時に情に厚い。基本的には何を言っても無反応だし何も思わないけれど、もしも己が大切と定めた相手がいるならば、そしてその相手が死んだのならば、嘆きのあまり世界を滅ぼしかねない。事実、これまでに世界は四度滅びかけている。すべて魔術師の所為(せい)だ。しかしこれらの滅亡の記録は他の魔術師によって消され、記憶している人はいない。魔術師だけが、その記録を留めている。


「五回目が起こりそうよね~」


極彩の魔術師はそう言ってのんびりと茶を啜った。

有史1318年、秋。海上の城の中のことである。


「五回目? そりゃ一体誰のことさね」

幽冥(ゆうめい)ちゃんよ~。婚約者と仲が良さそうだもの~」

「あぁ......確かにそうさね」


業火の魔術師がその隣でうんうん、と頷く。そろそろ年齢が三桁になる(ばばあ)であるが、衰えを全く感じさせない肉体を保持していた。


「何しろ二つ名の魔術師になるための試験の時でさえ表情筋がぴくりともしなかったあの子が、婚約者から手紙が届いただけで笑ってるんだもの~。わたし、びっくりしちゃったわ~」

「やめやめ、あの試験のことは思い出させるんじゃないよ。今でも鳥肌が立つさね」

「やだ~、ミラちゃんってばびびり~」

「うるさいさね。そこのジュベルだってちびりかけてたじゃないかい」

「いやあ、あの時は暫くご不浄に行ってなかったからのう。ついうっかり」


じじばばはのほほんとお茶を飲みながらお喋りを続ける。


「幽冥ちゃんは最近、婚約者を喜ばせたいからっていろんな魔術に手を出しているけれど~、あの魔術(・・・・)を極めないのかしら~」

「いずれ、と言っていた気がするがのう」

「今のままでいいさね。転移魔術に人の色彩を変える魔道具。まぁたあの魔術を始めたら堪ったもんなじゃいよ」

「まあ確かにそうだけど~。あのままいったらどうなるのか、少し気にはなってたのよね~」


レイが若くして二つ名を賜った理由。魔力量は勿論だが、それ以上に二つ名の魔術師たちが彼を保護する必要性を認めたのがその最たる理由であった。二つ名の魔術師になれば合法的に魔術師組合の会合に参加させることが出来て、監視もやりやすくなるから。


「気にせんともよろしい。はあ、流転(るてん)が来た時にはこれ以上やばい奴はいないと思ったのに......」

「なんか、最近の若い子って化け物が多いわ~。わたし、とてもついていけな~い」

「同じ化け物が何言ってるさね」

「やだ~、ここにいるのはただのおばあさんよ~? 失礼しちゃう~」


そんなことを言っているが、極彩の魔術師はその名の通り、世界を思うままに染め上げることが出来る。彼女の手にかかれば夜も昼になり、水は空へと立ち昇る。理が揺らぐと言っても過言ではない。


「おばあさんだなんて、世のおばあさんに失礼だぞ。わしらはもう、ばばあとじじいと言わねばならぬとしごぐっはあ」

「ジュべちゃんは黙ってなさ~い」

「二桁だからまだあたしは若いさね」

「やだ~、ミラちゃんに裏切られちゃった~」

「二桁だなんて言っているが、来年には百さごっはあ」

「うるさいよジュベル」


二度肘で突かれた雷鳴が悶えているのをよそに、女魔術師たちは話に花を咲かせる。


「そうだわ、三桁記念で何かやりましょう~。楽しいこと」

「三桁記念、か。悪くないねえ。だったらみんなまとめてやっちまうかい?」

「ジュべちゃんは祝わなくていいわよ~」

「そうさね」

「ひどいのう、老人をいじめるなんて」

「さっきまでわしらは、って一緒くたにしてた人がよく言うわ~。百歳と二百歳の壁をようやく理解したのかしら~?」

「すまぬすまぬ、そなたの言うとおりじゃ。許しておくれ」

「ジュベルは放っておくとして、誰を招待しようかね。会いたい奴らは軒並み死んじまってるし」

「あら~、だったら幽冥ちゃんに頼みましょうよ~。死者を蘇らせて(・・・・・・・)って」


業火は眉根を寄せた。

死者の蘇り――それがレイが二つ名を与えられた最たる理由であり、幽冥の名の由来となった魔術でもあった。


「それは嫌さね。なんかこう、自分の生気まで吸われる感じがするし」

「あら~、わたしたちに生気なんてまだ残ってたかしら~」

「なんだいいつの間に死んだんだい。骨まで燃やし尽くしてやろうかい」

「いやだわ~、冗談よ~」


老人たちの夜は和やかに更けていく。



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