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私を殺す、婚約者〈完結〉  作者: 伊沙羽 璃衣


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番外編 サザーランドの守護対象

シャーリー・ローズ・サザーランドはヴィノグラード侯爵の三女として生まれた。後妻の娘であり、先妻の子である兄姉とは年が離れていた。弟・レイが生まれてすぐに母は亡くなったが、幼かったのであまり覚えていない。悲しくはなかった、と思う。

唯一の同腹ではあるが、弟との交流は少なかった。生まれつき膨大な魔力を宿していた弟は、魔力制御のために上級魔術師の元に預けられたからだ。それでも、同じ母から生まれ似た容貌を持つ者として、シャーリーはレイに親しみを覚えていた。誕生日しか会えないというのに、毎年おねえさま、と呼び慕ってくれる幼い存在が可愛かったというのも、多分にあるだろう。普段、乳母と乳母子に甘やかされているように、幼い弟を甘やかした。

10歳になる前にレイは帰ってきた。既に姉ふたりは嫁いでおり、兄は妻を娶って王都で仕官していたため、領地の屋敷にいたのはシャーリーと父だけだった。


「――ただいま帰りました、父上、姉上。今後も何卒よろしくお願いいたします」

「あぁ。よくぞ帰ってきた、レイ」

「お帰りなさい」


魔力制御が完全にできるようになったのが表向きの原因とされていたが、シャーリーは実際の理由を薄々察していた。

サザーランド家は諜報・暗殺を生業とする家系である。シャーリーもまた幼い時からそれらの技術を叩きこまれ、慣例通り齢10で初めて人を殺した。

レイには魔術という飛び道具がある。どれほど家業に使えるのかお試し、ということで、十を迎えてすぐの初めての任務のお目付け役としてシャーリーが同行した。


「......落ち着いているわね」

「家業のことは何度も聞いておりましたし、師の元で何度か見ておりますから」

「......そう」


地域や年代によっては魔術師に攻撃的な者もいる。その影響だろう。

レイの初めての標的は、とある商会の会長だった。商会の建物に入ろうとするシャーリーを、レイは制した。


「レイ?」

「ここからで結構です――見えますので」


何が、と問うまでもなかった。レイの瞳には金色の魔術陣が浮かんでいる。すぐにその色は赤く変わった。


「――終わりました」

「え」

「確認に行きましょうか」


シャーリーは淡々としているレイと建物を見比べ、頷いた。


「きゃーっ、誰か来て! 会長が、会長がっ!」


入り込んで程なくして、悲鳴が聞こえた。奥の方に人が集まっている。ふたりは急いで野次馬に紛れた。

開け放たれた部屋の中、窓を背に机がひとつ。その前の絨毯の上に男がひとり横たえられ、周囲に人が集まっていた。男に茶を運んできたと思しき女は傍らで腰を抜かしており、割れたグラスの中身が飛び散っていた。


「脈がない......」


誰が言ったものか、男の死を告げる震え声を引き金に泣き声が爆ぜた。混乱に乗じて、ふたりは建物を出た。


「――何をしたの?」

「お聞きになりますか?」


レイはいつも通りの顔で首を傾げた。人を殺す前と、寸分変わらぬ顔だ。

シャーリーの背に何か冷たいものが走った。


「......やめておくわ」

「わかりました」


レイは兄弟の中で誰よりも邸宅にいた時間は短いのに、誰よりも人殺しに向いていた。諜報も得手ではあるけれど、虚弱な異母兄が配下を使った諜報を主にしていたので、レイの仕事は暗殺に特化していった。人を殺す度に心を壊していった姉のようになるのでは、と心配していたが、レイは10から一切変わることなく成長していった。魔術の才はどんどん花開き、二つ名を賜ったと聞いた時には眩暈がしたが。何せ二つ名の魔術師の会合は、それだけで国家権力と同等の力を持つ。けれどレイは権力を得た実感があるのかないのか、楽しそうに魔術の開発をして、詰まらなさそうに人を殺していた。

魔術以外熱中できるものはありません、と言ったのはいつのことであっただろう。魔術も立派な趣味ではあろうが、殺しに直結してもいる。この子は他に大切なものを作らないままひとりで生きるのだろうか、と不安になった。とはいえシャーリーに出来ることなどない。ただ、時の流れに身を任せるばかりであった。


シャーリーが17、レイが15になる年のことである。


ここひと月、シャーリーはひとりで晩餐を食べていた。父もレイも任務で出払っているためだ。ところがこの日、晩餐室には使用人以外の人影があった。シャーリーと同じ漆黒の髪、少しよれたシャツ――レイだ。こちらに気づくと軽く頭を下げる。


「お久しぶりです、姉上」

「久しぶりね、レイ。お疲れ様」


長期の任務を終えて帰ってきたところらしい。以前シャーリーが長期の任務を終えたのと入れ違いに出て行ったので、会うのは3か月ぶりだった。


「婚約したそうね。おめでとう」

「ありがとうございます」


シャーリーの任務が始まった直後、レイは婚約した。まだ公にしたくないという相手側の都合で、婚約式などは行わなかったが。


「公女さまとは仲良くなれそう?」

「さあ、どうでしょう」


レイは首を傾げた。意図して伏せているというよりは、本当に分からないと言いたげな声音だった。


「月に一度、手紙を交わしているのですが。世間話以外、これといった会話がなく。趣味の話や近況などを聞いていいものななのか、測りかねております」

「話したくないのならそのままでもいいのではないかしら」

「姉上は、どうされているのですか」

「......もう、婚約して十年近いから。今となっては近況を伝えるくらいしか、していないわね」

「そうなのですか」


シャーリーと婚約者の仲は普通のひと言に尽きる。伯爵に叙されたばかりの相手は古くからの名家の血を、こちらは伯爵家が有する商会の情報網を目当てに結ばれた婚約。それなりに情はあるが、不利益になれば互いを斬り捨てられる程度のものだ。


「所詮婚約など、契約の一種でしかない。互いが不快に思わなければ、それでいいのではないかしら」

「そうですね」

「情がありすぎても、いざという時に困るでしょう?」


例えば、相手を斬り捨てるとき。或いは何かしらの依頼で家族を手にかけねばならなくなったとき。


「......いえ、或いは家族を守るべきものと定めてもいいかもしれないわ。あなたはまだ、守護対象を決めていないのでしょう?」

「はい。姉上は、随分前にお決めになったとか」

「そうね。10歳になってすぐに決めたわ」


サザーランド家ではどんな依頼も拒まずに遂行するし、家で必要と判断したことは独自に行う。これらの判断を行うのは当主、子供たちは拒む権利を持たないが、唯一守護対象と定めた相手に関しては免除されていた。己の心の支えを殺すことは忍びないと、3代目の当主が定めた暗黙の掟だ。

シャーリーは初めて人を殺した直後に、乳母子を守護対象とした。乳母子はサザーランドの氏子、その家業を知り手助けをする家系ではあったが、それでも死なせたくないと願った。


「守護対象というのが、正直よく分かっていません。命令を受けてもなお拒むほど、情を抱くことがなかったので」

「己よりも大切にできる人。もしも相手を殺せと言われたら、サザーランドの諜報網を掻い潜ってでも逃がしたいと思える人」

「それは、随分な難題ですね」

「それでも相手の幸福と生存を願うほどなら、守護対象といえるでしょうね」

「なるほど」

「見つかると、いいと思うわ。大切な人がないということは、己を現世に繋ぎとめてくれる人もまた、いないということだから」


心に留めておきます、とレイは頷いた。

それから、すぐに何かが変わったということはなかった。それ以降暫く婚約者の話題は出なかったし、シャーリー自身も来年に控えた己の結婚式で忙しく、忘れてしまった。


「姉上。今、お時間宜しいでしょうか」

「いいわよ。部屋に来る?」

「お言葉に甘えまして」


いつになく真面目な顔で呼び止められたのは、シャーリーの嫁入りの直前だ。荷物も送り後は単身向かうだけ、という状況で、暇を持て余していた。紅茶を淹れて茶菓子を摘まむ。


「それで、どうしたの? わざわざ話しかけてくるなんて、珍しい」

「姉上にご相談したいことがございまして」

「何かしら」

「妙齢の女性は何をすれば喜ぶのでしょうか」


婚約者か、と思い至るのに少しの間があった。そういえば、最近顔合わせをしたと言っていたが――何か、心境に変化があったのか。


「......人によるとしか言えないわ。けれど、そうね。公女さまならば大体のものはお持ちでしょうから、お忍びで街を歩いたり、魔術で何か作ってみてはどうかしら」

「なるほど。ありがとうございます」


この時シャーリーは、まさかレイがアイリスの趣味も好みも知らないとは思ってもみなかった。何しろ1年間、手紙のやりとりはあったのだから。己の助言が幾らか段階を飛ばしたものであると気づくことはなかった。


「ただ、公女さまが外に出るときには注意が必要でしょうね。護衛の数を増やすなり事前に屋台を買収するなり、街に出るときは何かしらの対処が必要ね」

「あぁ......そうですね」


世間の人々のアルビノに対する嫌悪感情は払拭されたとは言い難い。


「ですが、毎度やっているのでは骨が折れそうですね......何かしらの魔術を考えてみます」

「......聞かなかったことにするわ」


変装できる魔術なんて恐ろしい。諜報の難易度が格段に上がるだろう。

それからは、たわいもないことを話した。嫁入り前に時間を取れるのはこれが最後だろうという思いもあった。


「――レイ」


部屋を出て行こうとするレイを、シャーリーは呼び止めた。礼儀正しく振り返ったレイは、相変わらずの無表情だ。


「何でしょうか、姉上」

「幸せになってね」


レイは微かに笑みを漏らした。


「――どちらかと言えば、幸せにしたいです」


あぁ、そうか。

弟は、守護対象を見つけたのか。

嫁ぐ前に知れてよかった。シャーリーは静かに微笑んだ。


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