番外編 あなたの為ならば 中
己の恋を自覚したのは、笑顔が素敵だと言われた瞬間だ。頭を殴られたような衝撃に、一瞬呼吸が止まった。そして猛烈に、ジュリアンが欲しいと思ったのだ。
しかしジュリアンは王太子、ギルバートは筆頭公爵家嫡孫。このままではどうあっても結ばれることは叶わない。もしギルバートに弟妹が出来たとしても、長男である以上、公爵位を継ぐことは変わらないだろう。
となれば道はひとつ。ジュリアンに王太子の座から降りてもらわねばなるまい。国王夫妻は我が子に王位を継がせようとしているが、何もジュリアンでなければならない訳ではない。女性にも継承権は認められたが、男性優位と定められている。
つまり、王子が生まれさえすればいいのだ。
しかし国王は既に38。精力も衰えているだろう。子を欲しがる割には精強剤や排卵周期といった医学的要素には関心を示していないので、精強剤を盛れば可能性は皆無ではない。グランヴィル公爵家の影ならば国王の食事に仕込むことも可能だろうが、年端もいかぬ公爵孫の言うことを素直に聞くはずもない。どうすれば実権を握れるだろうか、と考え、手っ取り早く祖父と父を殺すことにした。祖父と父は観劇が好きで、王都に滞在している間はよく2人で劇場に足を運んでいる。祖母は既になく、母との仲が冷え切っているための選択なのだろうが、好都合だ。屋敷にはギルバートに耐性をつけさせるべく、大量の毒が置いてある。練習のためだと言ってそこから複数の毒を取り出し、興奮剤を馬の餌に混ぜた。
首尾よく事は運び、劇場に向かう途中で馬車が横転し、父は即死、祖父は寝たきりの重傷を負った。筆頭公爵家の悲劇である、王家による調査は行われたが、未許可の薬も置いてあるため、毒薬部屋は隠され、興奮剤の出所は不明として処理された。ギルバートは父と祖父の代わりに執務をこなすべく、王太子の側近を辞し領地に戻った。胸が引き絞られるように痛んだが、これもすべてはジュリアンと結婚するためである。影に国王に精強剤を盛るように指示を出してからは、執務に追われ王都に行くことも儘ならなくなった。
しかし、精強剤を1か月以上の長きにわたり盛ったことが功を奏したのか、1年も経たずして王妃懐妊の報が届いた。ギルバートは心の底から喜び、男児であることを望んだ。
果たして、生まれてきたのは王子であった。国王は予想通り、ジュリアンを王太子から外し、第一王子を立太子しようと動き始めた。それに先駆けて、ギルバートは他の公爵家の子息の縁談を誘導し、ジュリアンに釣り合う年頃の貴族を己ひとりに仕立て上げた。そうすれば、ジュリアンはギルバートに嫁ぐしかなくなる。
目論見通り、ギルバートはジュリアンの婚約者に選ばれた。しかし、ジュリアンはこの婚約を認めようとせず、ギルバートに会ってもくれなかった。きっとジュリアンは絶望しているだろう。己に与えられていると思った両親からの愛が、実は自分の血を引く王位継承者に向けられたものだと知って、何も信じられずにいるに違いない。ならばギルバートは辛抱強く待つだけだ。手紙を送り、贈り物をし、結婚しても手を出さず、看病をし、少しずつ愛を伝えた。そうすれば、呆気なくジュリアンは白旗を上げた。
己を奈落の底に落としたのがギルバート本人であるとは露知らず。
ギルバートは喉の奥で笑った。
「ジュリアン......どうか、私だけを見ていてくれ」
***
ジュリアンが子供を産んだのは、結婚して3年目、体を重ねて2年が経った頃だ。ジュリアンはギルバートに似ている、と言って息子を可愛がった。
気に食わなかった。ギルバートがようやく手に入れたジュリアンからの愛を他者に注がれることが、我慢ならなかった。
しかしどうしようか。素直に言ったところで受け入れられるわけもない。何か一計を案じなければなるまい。
考えた末に、いい案を思いついた。
ジュリアンは今でこそギルバートを受け入れてくれたが、男という生き物を嫌悪している節がある。セオドリックも男、いつか公爵となりジュリアンより上の地位を手にする。何より己の血を継ぐもうひとりの王位継承者として、国王夫妻は息子の誕生を喜んでいた。ジュリアンが誰よりも嫌っている、国王夫妻が。
これを利用しよう、とギルバートは決めた。早速国王に毒を盛り、1年半かけてゆっくりと殺した。既に50を過ぎていたためもあって、その死はなんら疑われることなく自然死として処理され、玉座には9歳になるジュリアンの弟が座った。勿論、まだ執務能力はないので——ジュリアンと違い、愚か者だった——ジュリアンの母妃が摂政となった。
予想していた通り、ジュリアンはこれを受け入れられなかった。息子の泣き声が煩わしい、と言われた時には、心の中で快哉を叫んだものである。母上の体調が悪いから、と息子は王都に行かせた。初めての孫に興味を持っている摂政が息子に接触するであろうことも織り込み済みだった。ギルバートは婚約期間と同じように手紙と贈り物を届け、ジュリアンが再び扉を開いてくれるのを待った。
果たして8か月が過ぎた頃、ギルバートの誕生日の5日後に、ジュリアンは部屋から出てきた。誕生日だったのに申し訳ない、とジュリアンは言ったが、ギルバートはジュリアンと話をできるだけで十分だった。
「嬉しい。また僕と話をしてくれるんだね」
「......そう言ってくれて有難いよ。その、私も一緒に食事をとっていいかな?」
「勿論だよ!」
ジュリアンはぽつぽつと引き籠っていた時のことを語った。弟が位に就き、母が摂政になったと知り、どうしても憎らしく我慢できなかったこと。あのまま外にいたら、ふたりを殺してしまいそうだったということ。久しぶりにカレンダーを見たらギルバートの誕生日を過ぎていることに気づき、部屋を出なければ、と思ったこと。ギルバートは最後の発言を聞き、天にも昇る気持ちになった。ジュリアンがギルバートのために部屋から出てきてくれたのだ。これを幸福と言わずしてなんと言おう。喜びを顔に出さないように必死に抑えていた瞬間、表情が凍り付いた。
「......そういえば、セオドリックは?」
どうして、忘れていないんだ。
ギルバートは湧き上がった苛立ちをひた隠し、王都にいることを伝えた。すぐに領邸に呼び戻すことが決まった。息子がジュリアンに会う前、ギルバートは息子と話す機会を設けた。王都で何があったかを聞き、摂政との話が出てきたのを聞いて笑みを深める。そのまま母上にお話ししてあげなさい、と言うと、愚かにも息子はその言葉を信じた。
笑顔で話を聞いていたジュリアンは、摂政の話題が出た途端、表情を失った。息子の首に手をかけたのを見て、ギルバートは内心踊り上がった。勿論そんな素振りはおくびにも出さず、ジュリアと呼びかけて止めさせる。ジュリアンは呆然とした様子で己の手を、次いで息子を見た。その瞳に憎悪が浮かんでいくのをギルバートはただ眺めていた。




