表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を殺す、婚約者〈完結〉  作者: 伊沙羽 璃衣


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/40

第十八話 あなたに恋をしたのです

「――さあ、どうぞわたくしを殺してくださいませ」


涙で膜を張ったような視界に、目を見開いたレイが映る。


「な、にを。何を、仰るのですか」

「転移魔術も周囲から見えなくなる魔術も、殺すのにうってつけではありませんか」

()は、その為に来たのではありません!」


レイは声を荒げる。初めて俺というのを聞いた。


「ですが、あなたはいつかわたくしを殺さなければなりません——そうでしょう?」

「それは......ですが!」

「大丈夫です。分かっております。公爵夫妻に頼まれたのでしょう?」


レイは目を見開いた。


「――その、傷は、やはり」


アイリスは微笑んで答えなかった。


「グランヴィルに逆らって生きていくことなど、もはや王にも出来ぬこと。ヴィノグラードがお取り潰しにされるのはお嫌でしょう。()も、あなたが死ぬのを見るのは嫌です」


レイは答えない。震える手はアイリスの手に掴まれたまま、黒の瞳がアイリスを凝視している。


「いずれ潰える命です。あなたに殺されるなら、何も惜しくない」


あぁ、けれど。レイからの箱を、まだ開けていない。先に見ておけばよかった。


「――貴女は、死んでも構わないと言うのですか」

「はい」

「なにも、悔いはないと?」

「――はい」


もう、十分だ。

手紙が来るのを指折り数えて待つ楽しさも、心弾むダンスを踊ることの喜びも、自分の為だけの贈り物をもらう嬉しさも、共に街を歩く気恥ずかしさも——誰かを想う気持ちも。

あなたにすべて、もらったのだから。


「あなたと過ごした日々が、私の生きた意味でした。あなたが隣にいてくれた時間が、私の幸福(しあわせ)でした」


何も返せていないことは重々承知だから、どうか、最期に祈りたい。


「どうか、あなたの進む道が、これからも幸せに溢れていますように」


どうかこれ以上あなたを愛する前に、私の命を絶ってほしい。

これ以上の幸福には、耐えられそうにないから。


「お断りいたします」

「......はい?」


アイリスは首を傾げた。今、拒絶の言葉が聞こえた気がする。気のせいだろうか。


「何の為に俺が、身を粉にして働いたと思っておられるのですか」

「......立太子式に即位式に、色々ございますし、サザーランドの家業がお忙しく」

「貴女と生きるためです」

「......ぇ?」


レイはアイリスの手を両手で包んだ。アイリスのものよりも一回り大きく、温かな手だ。


「正直に言って、あなたの隣に並ぶには、俺の地位は足りません」


サザーランド家の家業を知る者は、王家と三公爵家に限られる。表向きは、古く歴史ある家、そこそこ肥沃な土地を賜る侯爵家だ。14ある侯爵家の内、その地位は、8、9番目といったところか。


あなたの身分(国で唯一の公女)であれば、公爵家や他国の王子を婿に迎える方が自然だ。この魔術の才がなければ、俺は候補にすらならなかったでしょう」

「そう、ですね」

黒鉄(くろがね)の二つ名を得ていなければ、そしてグランヴィル領が魔石鉱山を有していなければ、あなたの隣に立つのは別の男になっていたはずだ」


間違いない。二つ名の魔術師の権力と、魔術の腕、グランヴィル領の特産品たる魔石。レイが選ばれたのは、その関係が第一。サザーランドの諜報・暗殺能力は、その次点だ。


「いつだったか、あなたは俺の隣に並ぶ、と手紙に書かれておられましたけど、俺はずっと、あなたの隣を守ろうと必死でした」

「......そんなことをお考えだとは、存じませんでした」


何故。いつか殺すと、分かっていただろうに。何故、そんなことを。


「俺が公爵に依頼されたのは、2年前の春です。あなたのことは......失礼ながら、3年ほど前に別の依頼で調査をしたことがあり、一方的に存じておりました」

「そうでしたか」


婚約をする1年前。アイリスは11の年。彼はなにを思ったのだろう。忌まわしき色彩を持つ、幼い娘を見て。


「失礼を承知で申し上げますと——俺は、あなたを気味悪く思いました。一週間ほど張り付いていましたが、あなたは一度も微笑まず、誰とも話さず、機械のように規則正しく一日を過ごしておられた」

「......気味悪く思うのも、当然かと。私の生活は——人間味がない」

「......ええ。こんな人がいるのかと感じたことを覚えています」


それから1年後、とレイは呟く。


「公爵からお声がかかったときは、驚きました」

「そうでしょうね」


娘の婚約と同時に殺しの依頼をするなど、正気の沙汰ではない。


「ですが、依頼は依頼です。時期を定められていなかったので、あなたが成人する一年前を目標にしていました」

「――確実に、王太子殿下が地盤を固めるまで、けれどわたくしが公爵位を継ぐ前を狙った、ということですね」


はい、とレイは頷く。


「前にも申し上げた通り、俺は何度も依頼を受けていました。なので、たとえ婚約者という間柄であろうと、躊躇いなく依頼を遂行と思っていました。すぐに無理だと分かりましたが」

「なぜです」

「あなたに恋をしたからです」


アイリスは目を見開いた。軽く開いた口から、言葉が零れ落ちる。


「嘘」

「人生初の精一杯の告白を嘘と断じないでいただきたい」

「だって.......だって、私は」


誰にも愛されたことがないのに。


「では俺が初めてあなたを愛した人になりますでしょうか。光栄です」

「な......なぜ。私は、愛されるような人間ではありません」

「覚えていないと思いますが——あなたは初めての顔合わせの時に、笑ったのです」

「え?」


アイリスは記憶を探る——笑った、だろうか。


「急ぎの仕事を終えたばかりでしたが、疲れを見せるつもりはなかった。けれど、あなたは自己紹介をした後に——あなたも、大変ですね、と。そう呟いて、小さく笑った」


頭を殴られたような衝撃でした、とレイは言う。


「あなたはこんな顔で(哀しそうに)笑うのだ、と」

「......それだけ、ですか?」

「はい。あなたの笑顔を見たいと思いました」

「それだけの、為に.....?」


祝祭の日、青い薔薇、魔道具。すべての日の根源が、まさかその為にあったと言うのか。


「白い髪が木漏れ日を浴びて、金色に光ること。笑った時に、ルビーを思わせる瞳が細まること。目を見開くと、あどけない表情になること。貴族たちに臆せず立ち向かうところ。嬉しい時に、はにかむように口角を上げること——あなたにとってはそれだけのことでも、俺にとっては意味があったんです」

「い、や」


それ以上は、聞いていられない。壊れてしまう。


「あなたは、アルビノを物珍しく思っているだけ。決して、私に恋などしていません。ただ、愛玩動物(ペット)を眺めているようなものです」

「いいえ。アイリス、俺はあなたを愛しています。この世の何よりも」

「いや」


アイリスは頭を振った。

そんなはずはない。レイが私を愛しているはずがない。

そんなことは、あってはならない。


「いいえ、いいえ、違います。あなたが私を愛するなんて、そんなわけはありません」

「あなたがいくら拒絶しようとも、この気持ちは変わりません」

「いいえ、あなたは錯覚しているだけです。或いは催眠術をかけられてい——」


言葉は紡ぎ終える前に飲み込まれた。アイリスは目を見開く。

初めて触れた唇は柔らかい。至近距離でアイリスを見つめる黒い瞳から、目が離せない。

果たしてどのくらいの時間が経ったのか。数秒だった気もするし、数分だったような気もする。ようやく解放され喘ぐ唇を、レイは指でなぞった。


「俺の気持ちを疑うのは、それくらいにしてください。思いの外、俺の心は繊細だったようですので」


それと、魔術師に催眠術など効きませんよ、とレイは言う。


「いや.......いやです、いや。愛さないで。私を愛してはいけません」


アイリスは子供のように頑是なく呟いた。瞳から涙が零れ落ちた。


「初めから、ないと分かっていたから、耐えられたのに。あなたが私を愛したら、私がそれを受け入れてしまったら、私は生きていけない」


レイは目を見開く。


「片恋だから耐えられたのに。返ってこないと知っているから、愛せたのに」


唇が震えた。薄い膜の向こうの人影が揺らぐ。


「――あなたを愛し、あなたに愛される。そんな幸せな世界で、私は息ができない」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ