第十六話 一年で一番、忌まわしい日
12月28日。
アイリスが、この世に生を受けた日。
普通ならば貴族の誕生日は大きな宴を開くものだが、新年は家族で過ごすもの、という暗黙の不文律があるため、他所の貴族を呼ぶということはこれまでに一度もなかった。誰かにおめでとうと言われたこともなければ、他所の貴族のパーティーで見るようなケーキを食べたこともない。かつて夢見たそれらは、とうの昔にガラクタとして打ち捨てられた。
いつものように支度をして、執務をして、鍛錬をして。夕方からは贈り物を整理する。
「――あ」
いつも通りの、社交辞令と贈り物。その中に混じった箱を見て、アイリスは仄かに笑みを浮かべた。
——お誕生日、おめでとうございます。レイ
無骨な黒い箱。両手で収まるそれには、何が入っているのだろう。
開けようとして、やめた。
「......これは、部屋に持って行って。明日、開けるから」
「畏まりました」
贈り物の山をひとつを除いてすべて開けると、月が高く昇っていた。お時間です、と促され、アイリスは重い足を引きずって本邸に出向く。
本邸の一番大きな部屋、公爵夫妻の私室であるその部屋の扉は、アイリスにとって地獄への入口だった。
白を基調とした部屋の調度品は、いずれも高級品ばかりだ。所々に、公爵と夫人の色を合わせたのであろう、金と緑の置物が見える。続きの寝室と合わせて、夫人を愛してやまない公爵が作り上げたそうだ。
誰もが溜息を漏らすような美しい部屋。公爵は奥の椅子に腰かけており、夫人は質素なナイトガウンを着て、部屋の中央で茫洋と立っている。アイリスはいつものように、母の前に跪いた。
「――お呼びでしょうか、公爵閣下、公爵夫人」
「――ねぇ、お前。婚約者と、随分仲良くしているみたいね」
アイリスは顔を伏せたまま、驚いて目を見開いた。この部屋で返事をされたのは、初めてのことだった。
「.......婚約者として交流を深めております」
「そう——魔術の鳥を使っての手紙をするほどに、ね」
知られているだろうと思っていたので、驚きはしない。ただ、何を企んでいるのだろうという焦燥ばかりが胸を燒く。ひどく楽し気な声が耳朶を打った。
「ねえ、知っていて? あの男は、お前を殺すためにお前と婚約したのよ」
「......さようでございますか」
「あら、もしかして既に知っていたの? つまらないわね」
知っている。
レイが暗殺者だということも。
それを依頼したのが、他でもない、アイリスの実の父母であろうということも。
顎を掴んだ嫋やかな手が、アイリスの顔を上げさせる。淀んだ黄金色の瞳に、喉がひりついた。
「……ねえ、お前は、どうしてまだ、生きているのかしら」
掴んだ手が、痛い。また、痣になるだろう。
「……どうして、あなたには許されるのかしら」
顎から首へ、手が動く。伸ばされた爪が皮膚をえぐった。いきなり強い力が加わり、アイリスはバランスを崩して地面に倒れ込んだ。咳き込み震える喉に、すかさず再び手が添えられる。今度は片手ではなくて、両の手が。斜め上からアイリスを見下ろす黄金の瞳に、何の感情も浮かんではいない。
「……どうして、お前が次期公爵で、私が公爵夫人なのかしら」
ジワジワと首を絞められて、息が詰まる。空気を求めて喘いだ口から唾液が溢れ、視界が狭窄していく。抗っていた体から、徐々に力が抜けていく。
「……早く、死んでしまえばいいのに」
最後に聞こえるのは、そこまで、という、無機質で感情の篭らない公爵の声。それを最後に意識が落ちて、目覚めたら日付が変わっている。
——アイリスの誕生日は、大体こんなふうに終わる。




